上 下
29 / 53
第四章 彷徨うウンディーネとシルフのガレット

-5-

しおりを挟む
 まじめな視線を私へと向けるミアスの言葉に私は胸がきゅっとなる。自分でも嫌というほどわかっている。

 いつからなのか、正直今はもうわからない。

 私の心に学校での景色がよみがえる。誰かと同じでなければならない場所。誰かが自分を見つめる視線とその評価。そして一定数の差別。社会の縮図と言われるそこには、縮図と言われるだけの濃縮された見たくもない社会がある。

 たかが社会の縮図で潰されてしまう弱い異端者へ手を伸ばせば、それは社会自体の否定となって敵とみなされる。

 人は敵とみなしたものに対しては嬉々として正義を振るう。

 普段なら絶対に選択しない恐ろしいことすらも、正義という名を持てば容易に行うことができる。切り刻まれた教科書や口にも出したくない言葉が刻まれた机、集団の仲の孤独、それが次々と心の中に浮かび上がってきて私は呼吸が苦しくなる。

 カフェ・ノードで働いていてもずっとそうだった。自分は誰からも傷付けられないように生きている。ここでもそんな気持ちになるのは嫌だと思った。心からそう思った。

「お姉ちゃん?」

 私がうつむき胸をぎゅっと握っていると、桜花が心配そうな表情で私を見上げていた。大丈夫だよ。と答えつつもいつまで経っても変わってくれない自分の心に私は嫌気いやけが差した。

 その時カフェを横切るふたりの女性が見えた。スーツ姿に身を包み何かケラケラと笑い合っている。

 ふたりはどこかお店の中から浮いていて話し声がひどく大きく、耳につく。それは私だけではないみたいで他の客もそのスーツに身を包んだ大人を遠目で視線を向けていた。
 食事を終えたのかテーブルの上には乱雑に置かれた食器と半分くらい残されたガレット、それを見て私は嫌だと思った。私にとってキレイに仕立てられた素敵な食事の意味は、ミーナさんのもとで働き始めてずっと強い意味を持っている。

 ふたりはお店から出ようとしてたのか中央のテーブルに座る私たちを横切ろうとする。早くいなくなってしまってほしいと柄にもなく私はそんなことを考えていた。
 その時、片方の女性が桜花の座る椅子に足が当たり、桜花の体が揺れる。それだけならよかったのだけど、その女性は避けることなくそのまま足を振り抜いた。ガタン!と音がして、ただえさえ軽い桜花の座る椅子がかたむき、私の顔を覗き込んでいたばかりに、重心の偏っていた桜花はそのまま倒れた。

 店の中に静寂が支配した。床に倒れた桜花を私は抱きとめる。桜花は訳もわからないといった表情で瞳を歪めている。

 嫌だ。私は桜花の座る椅子を蹴飛ばした女性を睨みつける。女性は確かに桜花と私を見た。見たはずなのに路傍ろぼうへ転がる石を蹴飛ばしたくらいの気持ちなのだろうか、迷惑そうに眉をひそめてそのまま歩き去ろうとしている。
 私は思い出す。かつて教室で私の前に、いじめられていたメガネとおさげのクラスメートのことを。その子に手を伸ばした結果、私に与えられたのは偽善者という罵倒の言葉だった。

 正しいことをしたのに、思っているのに否定される傷はまだえていない。だからといって目の前にいる小さな優しい女の子までmそんなことを感じることは許されない。私はぎゅっと胸を握る。

 胸の奥にある母からもらったディアーナの首飾り。見えない世界を見えるようにしてくれて、私に変わるきっかけを与えてくれた首飾り。

「ちょっと待ってください!」

 私は立ち上がりそのふたりをしっかりと見る。目をそらしてはダメだと思った。胸の鼓動は早鐘はやがねのように頬は熱く、それに反して頭の中はとても冷え切っている。
 ふたりは足を止めてゆっくりと私を見た。面倒くさそうに舌打ちをした。

「なに?その子が勝手にこけただけでしょう?」

 冷たい言葉だと思った。椅子を蹴飛ばした張本人の女性が悪びれることもなくそういって、隣の女性はだよねー。とクスクスと見下したように笑っている。

「謝ってください」

 私はだんだんと自分を見下しているその表情と対峙しながら、呼吸が苦しくなるのを感じる。だけど負けてはいけないと思った。それは学校にいけなくなった時と同じだったから。
 変わりたかったから。スーツ姿のふたりは互いに視線を合わせて笑い出した。

「なになに?そっちこそ私らに謝んなさいよ。そんないい男と昼間っから見せつけてさ。しかも子供連れってなに?ふざけてんの?」

「そうそう。ガキのくせにこんな店に来てさ。しかもこんな平日の昼間に学校はどうしたの?どうせいってないんでしょ?本当に社会のクズじゃん」

 ねぇとふたりは笑いあっている。そんな言葉を吐いておきながら、なぜこんなにふたりは楽しそうなのかが不思議だった。

 自分たちのことを正しいと思っているんだ。正しいと信じているからこそ何をしても許されると思っている。

 あぁ負けそうだと思った。スーツ姿のふたりが自分を見下していることではない。

 自分の弱さに負けそうだった。

「さぁ私たちはちゃんと社会人として仕事してんの。さっさと帰られてくんない?学校に連絡してやるから。あっ学校にもいけてないんだよね。なら警察か」

「そうそう。証拠も残しておかなきゃね」

 そういって片方の女は端末を取り出し、そのカメラを自分に向けている。もしこのまま大事になったらきっとみんなに迷惑をかける。そう思うと言葉が出てこない。

「謝ってよ。ねえ自分が悪かったって謝りなさいよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

皇帝はダメホストだった?!物の怪を巡る世界救済劇

ならる
ライト文芸
〇帝都最大の歓楽街に出没する、新皇帝そっくりの男――問い詰めると、その正体はかつて売上最低のダメホストだった。  山奥の里で育った羽漣。彼女の里は女しかおらず、羽漣が13歳になったある日、物の怪が湧き出る鬼門、そして世界の真実を聞かされることになる。一方、雷を操る異能の一族、雷光神社に生まれながらも、ある事件から家を飛び出した昴也。だが、新皇帝の背後に潜む陰謀と、それを追う少年との出会いが、彼を国家を揺るがす戦いへと引き込む――。  中世までは歴史が同じだったけれど、それ以降は武士と異能使いが共存する世界となって歴史がずれてしまい、物の怪がはびこるようになった日本、倭国での冒険譚。 ◯本小説は、部分的にOpen AI社によるツールであるChat GPTを使用して作成されています。 本小説は、OpenAI社による利用規約に遵守して作成されており、当該規約への違反行為はありません。 https://openai.com/ja-JP/policies/terms-of-use/ ◯本小説はカクヨムにも掲載予定ですが、主戦場はアルファポリスです。皆さんの応援が励みになります!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

ヲタクな妻は語りたい!!

犬派のノラ猫
ライト文芸
これはヲタクな妻と夫が交わす 普通の日常の物語である!

姉と薔薇の日々

ささゆき細雪
ライト文芸
何も残さず思いのままに生きてきた彼女の謎を、堅実な妹が恋人と紐解いていくおはなし。 ※二十年以上前に書いた作品なので一部残酷表現、当時の風俗等現在とは異なる描写がございます。その辺りはご了承くださいませ。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

蛍地獄奇譚

玉楼二千佳
ライト文芸
地獄の門番が何者かに襲われ、妖怪達が人間界に解き放たれた。閻魔大王は、我が次男蛍を人間界に下界させ、蛍は三吉をお供に調査を開始する。蛍は絢詩野学園の生徒として、潜伏する。そこで、人間の少女なずなと出逢う。 蛍となずな。決して出逢うことのなかった二人が出逢った時、運命の歯車は動き始める…。 *表紙のイラストは鯛飯好様から頂きました。 著作権は鯛飯好様にあります。無断転載厳禁

狗神巡礼ものがたり

唄うたい
ライト文芸
「早苗さん、これだけは信じていて。 俺達は“何があっても貴女を護る”。」 ーーー 「犬居家」は先祖代々続く風習として 守り神である「狗神様」に 十年に一度、生贄を献げてきました。 犬居家の血を引きながら 女中として冷遇されていた娘・早苗は、 本家の娘の身代わりとして 狗神様への生贄に選ばれます。 早苗の前に現れた山犬の神使・仁雷と義嵐は、 生贄の試練として、 三つの聖地を巡礼するよう命じます。 早苗は神使達に導かれるまま、 狗神様の守る広い山々を巡る 旅に出ることとなりました。 ●他サイトでも公開しています。

サイケデリック!ブルース!オルタナティブ!パンク!!

大西啓太
ライト文芸
日常生活全般の中で自然と生み出された詩集。

処理中です...