【完結】現世の魔法があるところ 〜京都市北区のカフェと魔女。私の世界が解ける音〜

tanakan

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第三章 サラマンダー恋慕に花束を

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 どういうことだろうと私は二条大橋へと目を向ける。そこには平日といえど多くの人が行き来して人の流れが止まることはない。しかし今は誰もがその足を止めて橋の向こうを眺めている。ヒッと悲鳴すら聞こえた。

 行き来する車の流れすら止まっているのだから、事故でも起きだのだろうかと私は胸の奥がそわそわとする。アールと和菓子屋さんの女性は向き合って、気がつかないようすで言葉を交わしていた。

 その時、橋を越えて走ってくるけものが見えた。

 カーキ色のチノパンに深い緑のジャケットを羽織はおっている。黄色の毛並みをした手の先には鋭い爪が生えており、同じ毛並みに包まれた顔には鼻先へ向かって黒いラインが伸びていた。街中に貼られた指名手配のポスターを私は思い出す。

 降り注ぐ太陽の光が反射して、獣が右手に持つ大きな鈍色をしたナイフが景色の中に浮かんで見えた。獣は通りすがる人を跳ね飛ばしなおこちらへと突進してくる。
 その速度は凄まじく和菓子屋のすぐそこまで迫っていた。アールさんは体を固めて和菓子屋さんの女性へと手を伸ばそうとするが、わずかにそれは届かない。

例の人虎ワータイガーだ!あぶねぇぞ!」

 叫ぶソフマの声は届かない。人虎はアールを蹴飛ばし、女性を後ろから羽交はがめにすると首元へ手に持ったナイフを当てる。言葉なく女性は固まり、私たちもまた同じだった。

 人虎は女性の首元へとナイフを当てたまま駆けて来た方向へと振り返る。視線の先には四人の人影が見えた。警察官の制服にも見える上下が藍色に染まった衣服を着込み、胸には星型の紋章が刻まれている。先の曲がった大きな三角帽子を被り手にはそれぞれ大きな杖を握っていた。

魔法保安局まほうほあんきょくに追われていたようね。琴音ちゃんは動かないで。大丈夫だから」

 ミーナさんは私に耳打ちをして、静かに私はうなずいて応える。跳ね飛ばされたアールさんは花束を握ったままもう片方の腕で頭をさすっていた。どうやら大丈夫そうだと私はホッとする。

「お前らうるせぇなぁ!もう追ってくんな!人が傷付いたらお前らもやべぇんだろう!?」

 人虎は叫び魔法保安局の面々めんめんは立ち尽くす。その中からひとりの女性が足を一歩前に踏み出した。ミーナさんと同じ黒髪でそれは一本にまとめられている。縁の丸い大きなメガネの位置を正しながら細い顎を上に向けた。

不法滞在ふほうたいざいだ。我々の名簿には未登録なのだからこの国にきさまはいてはいけない。その刃物を下ろせ。我が身が可愛いならな」

 低くよく通る声で忠告すると、右手に持った先の尖った杖を人虎に向ける。
 人虎はじりじりと後ずさり、その先でアールさんがゆっくり立ち上がる。肩をいからせ胸板はさらに厚くなっていた。怒っているとアールさんの感情が私の中にも流れてきた。再び人虎は声を張り上げる。

「帰れって言われても帰れるもんか!俺の国にはもう居場所がねぇんだよ。やっと仕事にもけたんだ。それなのになんで俺を送り返そうとすんだ」

「それがルールだからだ。我々の世界で生きていくためのルールに従わなければいけない」

「それはお前らが勝手に決めたルールだろう!魔法を使えるだけの人に隠れるようにして生きろというのか?人が俺たちよりも優れているのか?数が多いだけだろう。だから俺は人のことをなんとも思っちゃいない」

 人虎は強く首元にナイフを押し当て、魔法保安局は姿勢を崩さずに人虎を杖を握って睨みつけている。

 怖いという感情よりも嫌だという感情が私の中を支配していく。目の前に繰り広げられる景色を今すぐにでも消し去りたかった。それはとても自分勝手だとは思ったけれど、新しく開けた自分の世界がまるで、今まで過ごしてきた人の世界みたいな色に染まるのはとても嫌な気持ちがする。

 とても短い時間なはずなのに時間は濃度を増していき、ずいぶんと長い一瞬だった。

「これじゃラチがあかねえなぁ。まぁサラマンダーの旦那ならうまくやるだろうな」

 ソフマは左手をまっすぐと人虎の方へと向ける。ここに集まる人の視線はその人虎、人にはきっとそう見えていないのだろうけど、和菓子屋の前へと注がれている。

「あんまり派手なことはダメだよ」

「ということでミーナちゃんもサポートよろしく。俺は店長みたいに器用じゃないから」

 はーい。とミーナさんはゆったりと返事をした後で、右手の人差し指をくるくると回す。
 私の後ろから突然、風が吹く。風は私の耳元を通りすぎてアールさんの向こうで怒号を上げ続ける人虎へと向かう。ソフマは左手の親指と小指を立てその他の指をしっかりと握り込む。右足を一歩後ろに下げて左手を伸ばした姿はまるで和弓わきゅうを射る寸前に見えた。

「それじゃいくよ。琴音ちゃんにも格好いい所見せないとね」

 ソフマは片方の口元だけを上げて笑みを私へ向けた。

 バーン。

 おどけるような口ぶりでソフマが言うとあるはずのない、細くしっかりとした枝がソフマの手のひらへと浮かび、ぐっと引き絞られて放たれる。

 枝は風に乗り回転しながら人虎の持つナイフを弾き飛ばし、クルクルと宙を舞い地面にカタリと乾いた音を立てて落ちた。人虎は訳がわからないといった表情で目を丸めたままに私たちの方向を見る。

 ソフマの矢が放たれた瞬間に駆け出していたアールさんは、そのまま左のかぎ爪で人虎を吊り上げた。人虎はバタバタと四肢を振るってアールさんの胸を何度も打つがアールさんは微動だにしない。右手に持った花束だけがその衝撃で揺れている。和菓子屋の女性はへたり込んだままふたりを見上げていた。

「おまえは精霊だろう!?なんでこんな人や魔女からいいように使われてるんだよ!?疑問に思わないのか?かつて俺たちはもっと自由に暮らしていただろう!?下らないルールに縛られなくても自由に生きていたんだ!」

 人虎はアールに胸元を掴まれたままバタバタと暴れながら怒号をわめき散らす。周りの人たちは怪訝けげんそうな顔をしながら眺めていた。人虎は続ける。

「それに俺たちはそいつらよりもずっと優れている。街を駆ける強靭な足、人などたやすく切り裂ける爪、屈強な肉体だってそうだ。なのになぜ人と共存するルールに縛られなきゃいけないんだ!わかったらその手を離せ!」

 あのなぁ・・・とアールさんは心底しんそこ呆れたといった表情で人虎を見つめる。細めたエメラルドグリーンの瞳はどこか悲しそうに見えた。
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