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第三章 サラマンダー恋慕に花束を

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 いただきますと両手を合わせてそれを口に運ぼうとすると、アールさんはすでにもぐもぐと口元を動かしている。

「そうそう。これこれ!余計なことを考えなくてもいいくらいの辛さ!酒が進む!」

「でしょう?フレッシュトマトを使っていますから辛さも爽やかなはずだよ。でもこんなに唐辛子とうがらしを入れても美味しそうに食べられるのはサラマンダーのアールさんだけじゃない?」

 だろう。とアールさんは得意げにボイラーメーカーを口の中へと注いでいる。そんなに辛いのかと私が恐る恐るそれを口の中に放り込む。しかししっかりと辛さは感じるのだけど甘さもまた感じ、これはチーズの味だと私はミーナさんを見る。

「どんなにからくても、ちょっと味を変えたらこんなもんです。美味しいでしょう?」

 うんうん。と口元を必死に動かしながらミーナさんに満足の意を返すと、へへへと頬をほころばせた。そこからは無言で私とアールさんはその料理を口に運ぶ。
 厨房の奥でミーナさんはどこからかワインを引っ張り出してきてグラスを揺らした。

 無理にに会話がなくてもなんて幸せなミーナさんのまかないだと思った。

 普段はゆっくりと食事をとる私とは思えないほどの速度で食べ終わると、ごちそうさまでしたと両手を合わせる。一足早く食べ終わったアールさんはお腹をさすりながら息を吐いた。
 そして一度目を伏せると、ほお杖をつきながら私へと視線を向ける。私は首をかしげる。

「なぁ琴音ちゃん。ファッションとか詳しい?というか琴音ちゃんよりもっと大人な女性が素敵だと思えるファッションとか詳しくはないかい?」

「ファッションには詳しくないですが・・・普通にお店の人に聞けば大丈夫だと思いますよ?」

 それがなぁ。とアールさんは巨大な体が小さく見えるほど肩をすくめる。

「いや。ああいう所は苦手なんだ。普段着ふだんぎなんてこんなもんだろう?どうしても緊張するんだよな・・・」

 ゆったりとワインの入ったグラスを揺らしていたミーナさんはハッと背筋を伸ばすと、カウンターに乗り出して目を丸めて輝かせた。大きな瞳の奥にはちょっとだけグレーの色が混ざっていた。

「これは・・・恋の予感ね!前に酔っ払った時に話していた和菓子屋わがしやさんの子でしょう!?」

 そんなこと話してたか!?と盛大に目と口をこれでもかというくらいに広げてアールさんは驚く。
 サラマンダーの恋。私の胸がわくわくと音を立てる。

「それで和菓子屋さんの人ってどんな人ですか?」

 私の質問にアールさんはむぅと口元を歪める。よく見ると赤い鱗に包まれていてもわかるくらいに頬は赤く染まっている。

「いやな。特別なことじゃないんだよ。俺は現場で作業員しているからな、そこのお店が雨漏りするっていうんでその修繕にいってたんだ。そしたら店員さんがお茶を差し入れしてくれたんだよ。満面の笑顔でな。もうその笑顔を見たらたまんなくなっちまって、一緒になりてぇなぁなんて思ったんだよ。単純だろう?でもそんなもんかとも思った。でもサラマンダーと人間が付き合うなんておかしな話だよな」

 へへと笑うアールさんはどこか寂しそうな表情でカウンターに鼻先を向ける。なんだか不思議なことに私にはその心が流れてくる。自分には届かないと思う世界、だからこそ手を伸ばしたいけれど現実はそう甘くないと思う葛藤かっとう

 諦めにも似たアールさんの心に流れる音がキュッと私の心もまた締め付ける。まるで自分の感情みたいに。

「大丈夫だと思いますよ」

 アールさんはゆっくりと横目で私を見た。私の心から言葉があふれてくるのを感じ、一度はためらったけどその言葉は止まらない。こういうことをしたらきっとまたお節介せっかいだとか偽善者ぎぜんしゃだとか言われるかもしれない。

 胸の奥に残るチーズの香りと爽やかな辛さが、言葉を止めることを許さないような気がした。

「日本で生まれた人だって外国で生まれ育った人と結婚することがあります。それと同じじゃないですか?異世界同士でも結婚できるのは昔読んだお話の中でもありました。異世界結婚いせかいけっこんも悪くないと思います。それにアールさんはこんなに強そうで優しいじゃないですか」

 語り終わった後に訪れる一瞬の静寂せいじゃくが私の息をいつものように荒くする。アールさんはエメラルドグリーンの瞳をゆっくりと和らげ、爪が当たらないように十分に注意しながら私の背中を優しく叩く。

「なるほどな。異世界結婚かぁ。でも一生に一度くらいはこういう挑戦もまたいいかもしれないな。もしダメでもまぁそん時は話を聞いてくれよな」

「ダメにはなりませんよ」

 私がアールさんの言葉にそう返すと、むん!とその汚れたジャケットに包まれた胸を張る。

「ならそのお洋服を素敵にしないとね。そして私には秘策があります!」

 なんだろうと同じ速度で首をかしげる私たちに一瞥して、ミーナさんはさっきのスタッフルームへと引っ込むと慌てたようすでパタパタと小さな紙を持ってきた。
 それを私たちの間からそっとカウンターに差し出すと、『アールヴ・スタジオ』と真っ黒な名刺に金色で装飾された文字が書かれていた。

「ここはたまに来てくれるエルフさんがやってるブランドのお店なんだって、こういう時にカフェの店長は活躍するのです」

 ほうほうとアールさんと私が華やかな名刺を覗き込んでいると、裏面にはお店の住所が記されている。四条河原町しじょうかわらまちにあるビルの四階にその店はあるようだった。

 おしゃれな場所にあるおしゃれなブランドだと思うけど。と横目でアールさんを見るとあんじょう固まっている。

「こういう・・・おしゃれな店にいくにはまず、おしゃれな服装が必要だから余計にハードルは高いよな」

 アールさんが言って、なぜかミーナさんも肩を落とす。

「だよねぇ。私もそう思うの。何度かチャレンジしたけどダメだった・・・だけど今度は琴音ちゃんもいるから大丈夫!」

「私だって得意じゃありません!」

 ワタワタと両手を振る私を見て、アールさんとミーナさんは互いに顔を見合わせる。

「大丈夫よ!琴音ちゃん。どこの世界でも高校生は最強なんだから。日本の文献にはそう記されています」

 どういうことなんだろうと目を細める私にアールさんもまたうんうんとうなずいている。ミーナさんの秘密基地に置かれていた少女漫画を思い出し、まさかミーナさんの言う文献とは少女漫画のことだろうかと考えた。

「明日は火曜日だから定休日なんだよな?わりぃ。夕食はおごるから手伝ってくんないか?」

 職人らしく段取りを決め始めたアールさんは手帳をめくっている。歌いながらつま先で不思議なステップを踏みつつミーナさんも楽しそうだ。

 決して私も得意な方ではないけれど、ふたりほどではないなぁ。とミーナさんが置いてくれたファッション雑誌をめくりながら、あれこれ話すふたりを眺めていた。

 母親や学校の友達以外とお出かけするなんて、それも今日出会った人と一緒に洋服を買いにいく。そんなことが起きるものなのだとそれもまた不思議だった。

 話し込むふたりの向こうに音もなく現れた康夫やすおさんに私はビクッと体を固める。

「ようアール。景気がずいぶんよさそうだな」

 酔っ払う前の康夫さんはとても物静かで職人気質しょくにんきしつのままだと思う。あっ旦那・・・と言葉を落としてアールさんは康夫さんを見た。ミーナさんはパタパタと厨房の中へと駆けていく。

 今日はとても遅くまで仕事をしていたんだとアールさんの隣へと腰掛ける康夫さんを眺める。

 カウンターに並ぶふたりを見ていると本当に神話の中にいるみたいだと思った。といっても康夫さんはしっかりとした人間なのだけど。

 そういえば人から見えるアールさんはどんな姿なのだろうかとそんなことが気になった。

「あかんわぁ。やっぱり税理士ぜいりしさんとの打ち合わせは緊張するなぁ・・・」

 アールさんの姿はどんな感じだろうと想像していると、カウンターの死角から八重子やえこさんが姿を現し、エプロン姿の私を見るとアッと口元に手を当てる。
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