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第一章 京都市北区のケットシー

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「タクシー代は高くつくぞ?とっておきのマタタビコーヒーでも出してもらおうか」

「仕方がないなあ。でもこんな素敵な子をひとりで夜道に帰すわけにもいかないもんね」

 お前が乗りたいだけだろう。とタールーが右手をふらふらと揺らす。ばれた?と片目を閉じてミーナさんは私を見た。どういうことだろう?と私が眉をひそめているとタールーは前足でパンパンと音を立てようとする。両足を合わせる衝撃は肉球に吸収されて音はしない。

 するとカタカタと階段を駆け上がる音がしてタールーの後ろに三匹の猫が並んだ。

「おこげ!ごはん!しゃもじ!猫の絨毯じゅうたんを発動する!すぐさま準備せよ!」

 ハッと!おこげと呼ばれた白い斑を持つ茶色い猫とその隣にいる白い毛皮の面積が多い三毛猫、そして公園で見たシャム猫が前足を揃えて小首をあげる。なかなかのネーミングセンスだと私は目を細める。

「さて。私たちも行きましょうか」

 エプロンを解いたミーナさんは階段を駆け降りていったタールーたちへと続き、私もミーナさんを追いかけて階段を降りる。

 まっすぐと手すりが伸びた階段を降りるとそこには車二台ほど置ける駐車場があり、目の前にはいつもの北区の風景が広がっている。空には満月が星々の明かりから浮いて、そこに鎮座していた。まるで夜空の主人は自分だと言わんばかりに。その夜の中央で私はミーナさんの隣に立ってその月を見上げる。

 涼しさを増した風はミーナさんの髪を巻き上げて夜空になびいたそれは月の明かりで薄い金色にも見えた。
 
 そろそろね。とミーナさんがポツリとそういって、私は辺りを見渡してみた。
 
 すべての建物が夜に塗りつぶされて色を失っている。そびえる北山に続く坂道には音ひとつない。その坂道をミーナさんが指さすと、そこにひとつ黄色い小さな明かりが灯る。
 目を凝らすとそれは徐々に数を増して、街灯よりもはるかに多い数で私たちに近づいてきた。思わず私はミーナさんの袖を握る。大丈夫だよ。とミーナさんは私に笑みを返す。それはドタドタとエンジン音にも似た足音を立てて私たちの眼前へと姿を現した。

 そこには無数の猫がいた。三毛猫を中心にアメリカンショートヘアーや白い毛皮の猫も混じる。

 毛並みも大きさもまちまちな正しく猫の絨毯だった。
 タールーは私たちの前に立ち、うやうやししくお辞儀をする。

「ようこそ。ファーガットサービス名物の猫絨毯ねこじゅうたんへ。さぁじっとしておいてくださいね。お家が見えたらすぐに教えてください。通りすぎてしまいますから。あとネズミがいたらご用心。血の雨が降ります」

 そうれはどういう・・・と言葉を終える前にひとつの巨大な猫に見える猫の集団が、ぐるりと車道をまたぎながら反転して私たちをさらう。猫のもふもふとした毛並みに包まれ海の中から海面へ押し上げられるように私たちは毛並みの中を漂った。猫アレルギーの人がいたら卒倒しそうだなと思っている間に、私の視界に満月が映る。

 いつの間にかミーナさんは大きな猫の毛皮の上で正座し両手を膝に当てていた。私は振り落とされないように猫の毛皮につかまりながら、視界が流れてしまうほどの速度で南へと進む猫絨毯と共に街を駆け抜ける。
 
 とんでもないことになってしまったと、振り落とされまいとしがみつく体のままでそう考えた。夜の公園で出会った猫の集会、気を失った私が連れられていったのは魔女が住むカフェ。昔読んでもらった童話のように、いつか信じることがなくなってしまった物語の中に私がいる。御園橋みそのばしを通りすぎてさらに南に進むと道路沿いに見える私のマンションが見えた。

「そこです!」

 了解。とタールーの声がどこからか聞こえた。どうやら猫絨毯の中にいるらしい。
 私の家を通りすぎた猫絨毯は一度足をぐっと踏み込み、大きく後方に飛び上がる。三日月にも似た体のままできれいな宙返りの後にマンションの前へと着地した。
 ふらふらと猫絨毯から降ろされた私はその上できれいな正座をしたミーナさんを見上げる。

「どう?楽しかったでしょう?」

「えぇ。猫アレルギーの人には申し訳ありませんが」

 そうね。とミーナさんはくすくすと口元に手を当て笑った。

「それではまた会いましょう。明日の黄昏時たそがれどきにでも」

 はい。と私がうなずくとミーナさんは片目を閉じてウインクをする。その余韻が消えない間に猫絨毯で再び道路を北上していった。息つく間もなくそれは夜の闇に紛れてしまうと辺りからは音が消えた。

 私は母からもらった首飾り、ディアーナの首飾りにそっと手を当てる。

 高揚した私の体温に触れたからかそれはとても暖く、温度も持ったまま私の手の中で月明かりを反射していた。
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