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最終章 出刃包丁と蛇の目傘
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ヤハズは叫ぶと身をかがめ、腰に力を蓄える。
しまった。と思った時にはすでに遅かった。左手が肩のあたりからほつれていく。ヤハズは身を反らした後で体ごと両手を振るう。両肩から伸びた糸は互いに結ばれ、ひとつの視界を覆う糸となった。
砲台よりもずっと大きい。家ならたやすく包んで叩き潰してしまう鉄槌だった。私はとっさに左手で肩にかけた羽織をキセルごと振るう。糸の束に羽織ごと肘まで私の左手は飲まれギィンと鈍い音が響いた。
糸に押されながら呑まれた左腕が強くねじれて締めつけられる。締めつけられながら塊となった糸に、私は両足を置いて、引き抜こうと力を込める。
痛みを感じる間も無く私の左手は肘の先から失われた。
「これで虎の子のキセルがなくなったな! 白蛇のキセルさえあれば私でも付喪の位置はわかる。お前は用済みだ!吊られて付喪之人も現れ用よう! さようなら。役目を終えた、古道具屋の翁よ!」
高らかに笑うヤハズの声が闇夜に響く。私は糸の塊が再びほつれる前に、草履で空を蹴り糸の塊を横に避ける。ごぉっと音がしてヤハズから伸びる糸が頬を裂いた。
肺に貯めた紫煙の残りを拳銃に吐き、ヤハズに向かって私は空を駆ける。振り向き位置を確認すると私を通りすぎた糸の柱は反転し後方より迫ってきた。
糸の塊は蛇のように口を広げ、糸の中に絡みとられた私の左手と羽織が見えた。人もこうなってしまえば物と変わりがないな。私は私の左手へと銃口を向ける。
「血と油。肉で編まれた左手よ・・・ご苦労だった。チリとなれ。願わくば五月雨となれ」
想いを込めた銃弾は糸よりも速く私の左手へと着弾した。そして私の左手は肉がせり上がり、弾けてちりぢりとなる。血煙は雨となり、油と共に降り注ぐ。
降り注いだ血肉と油はヤハズの糸に絡みつき、重さを増して勢いを失っていく。回転し振り向くとヤハズが目を丸めている。まさか人が自分を物のように扱うだなんて想いもしなかったらしい。
左手からは血が流れ続けている。急がねばならない。空を駆け、私を睨み続けるヤハズへ銃口を向ける。ヤハズは思った通りに睨みつけたまま固まっている。糸の柱はまだ遠い。私はヤハズの肩に左足を置き、反転しながらヤハズを蹴り飛ばす。
「悪いなヤハズ。姫ちゃんと大切な話があるんだ。自分の糸に絡まっとけ」
「貴様・・・お前は!」
言葉を終えることもなくヤハズは、双肩から放たれた糸の柱へと絡め取られた。ずずん・・・と土煙を上げながら糸の柱は地に落ちる。
時間はない。私は右の裾を破り、左の肘をきつく縛る。それでも血は滲み、痛みをまだ感じていられないのは幸いだった。
ヤハズの後ろで遥か遠くにいると思えた姫はすでに目の前にいる。姫は何も言わずに私を見ていた。赤黒いまなこでじぃっと。薄い唇は三日月のように開いていた。
「まさかヤハズに勝てるとは思わなかったな。八代もやるではないか」
姫はくすくすと笑う。雲の合間から差し込んだ月明かりが姫の顔を照らす。青白く照らされた顔はまるで人とは思えないほどに美しかった。
「ヤハズはもうボロボロだったからな。それになぜ姫はヤハズを手伝わなかった? 姫の影があったらなら俺は勝てなかった」
「ヤハズが命じなかったからな 妾はヤハズの人形だからの」
そうかい。と私は姫の眉間に銃口を当てる。姫は目を閉じた。
「人形として朽ちるのもまた人形だ。しかし人の依り代となって朽ちるのもまた人形であるな。誰の依り代かはわからないが」
「そうだな。人形の本分を果たしたと言えよう。妾が朽ちるとヤハズもまた生きてはいられない。想いを宿してしまった人形は消える。ただそれだけのことじゃ。意志なき人形の方が幾分か幸せである」
引き金に力を入れようにも、力が入らない。拳銃自体が引き金が引かれることを拒んでいるようにも感じた。どうしても訪ねておきたいこともある。
「姫の影に呑まれた千鳥と彦助はどうなっている?」
「妾の中で泣いておるよ。幸か不幸か出刃包丁も蛇の目傘も、砕かれ果てる前に妾の影に取り込めた。彦助は泣き続け、千鳥は子守唄をずっと歌っておる。千鳥は彦助を両手で包んで守ってやって、彦助は守られ続けることで姉を守っておるのだ」
「ふたりは想いを晴らしたわけだな。姫の影の中で」
「そうじゃの。幸か不幸か」
「姫は最初からそのつもりだったのか? 」
「結果としては何も変わらんよ。こうやって付喪を集め続けておれば、ヤハズの望むとおりに妾は人形の形を持ったまま付喪神になるだろうな。数多の付喪の想いを宿して。そして妾の望みからは離れていく。難儀なものだ」
姫は一歩足を踏み出して、銃口に額を押しつけ目を閉じた。この後に及んで私はまだ悩んでいる。
人を傷つける付喪は悪だ。物を己の思いで染め上げて物が抱く思いを歪ませる人もまた悪だ。ならばヤハズと姫は悪なのだろうか。
いや、正義も悪も何もないのだ。この世にはただの想いが浮かんで漂っているだけだ。
それを私の都合で砕くか祓うかしているだけの話。かつてヤハズに言われたとおりに。ただ物は物としての本分を全うさせてやりたいという想いもまた真実だ。
なぁ。と姫はまぶたを閉じたまま口を開く。
「こういう末路も悪くない。思ったよりも早かったが願いが叶ったのだ。ただ・・・麻子は目を覚ますと思うか? 麻子には悪かったと言ってくれ」
「あぁ。必ず伝えておく。ふたりは遠いところに行ったとな」
「月並みなセリフじゃな。後はそうだな、お主が屋敷以外の世界を見せてくれたのは嬉しかったぞ。褒めてつかわす」
「まるで遺言だな」
「そうじゃな。これは遺言だからの」
しまった。と思った時にはすでに遅かった。左手が肩のあたりからほつれていく。ヤハズは身を反らした後で体ごと両手を振るう。両肩から伸びた糸は互いに結ばれ、ひとつの視界を覆う糸となった。
砲台よりもずっと大きい。家ならたやすく包んで叩き潰してしまう鉄槌だった。私はとっさに左手で肩にかけた羽織をキセルごと振るう。糸の束に羽織ごと肘まで私の左手は飲まれギィンと鈍い音が響いた。
糸に押されながら呑まれた左腕が強くねじれて締めつけられる。締めつけられながら塊となった糸に、私は両足を置いて、引き抜こうと力を込める。
痛みを感じる間も無く私の左手は肘の先から失われた。
「これで虎の子のキセルがなくなったな! 白蛇のキセルさえあれば私でも付喪の位置はわかる。お前は用済みだ!吊られて付喪之人も現れ用よう! さようなら。役目を終えた、古道具屋の翁よ!」
高らかに笑うヤハズの声が闇夜に響く。私は糸の塊が再びほつれる前に、草履で空を蹴り糸の塊を横に避ける。ごぉっと音がしてヤハズから伸びる糸が頬を裂いた。
肺に貯めた紫煙の残りを拳銃に吐き、ヤハズに向かって私は空を駆ける。振り向き位置を確認すると私を通りすぎた糸の柱は反転し後方より迫ってきた。
糸の塊は蛇のように口を広げ、糸の中に絡みとられた私の左手と羽織が見えた。人もこうなってしまえば物と変わりがないな。私は私の左手へと銃口を向ける。
「血と油。肉で編まれた左手よ・・・ご苦労だった。チリとなれ。願わくば五月雨となれ」
想いを込めた銃弾は糸よりも速く私の左手へと着弾した。そして私の左手は肉がせり上がり、弾けてちりぢりとなる。血煙は雨となり、油と共に降り注ぐ。
降り注いだ血肉と油はヤハズの糸に絡みつき、重さを増して勢いを失っていく。回転し振り向くとヤハズが目を丸めている。まさか人が自分を物のように扱うだなんて想いもしなかったらしい。
左手からは血が流れ続けている。急がねばならない。空を駆け、私を睨み続けるヤハズへ銃口を向ける。ヤハズは思った通りに睨みつけたまま固まっている。糸の柱はまだ遠い。私はヤハズの肩に左足を置き、反転しながらヤハズを蹴り飛ばす。
「悪いなヤハズ。姫ちゃんと大切な話があるんだ。自分の糸に絡まっとけ」
「貴様・・・お前は!」
言葉を終えることもなくヤハズは、双肩から放たれた糸の柱へと絡め取られた。ずずん・・・と土煙を上げながら糸の柱は地に落ちる。
時間はない。私は右の裾を破り、左の肘をきつく縛る。それでも血は滲み、痛みをまだ感じていられないのは幸いだった。
ヤハズの後ろで遥か遠くにいると思えた姫はすでに目の前にいる。姫は何も言わずに私を見ていた。赤黒いまなこでじぃっと。薄い唇は三日月のように開いていた。
「まさかヤハズに勝てるとは思わなかったな。八代もやるではないか」
姫はくすくすと笑う。雲の合間から差し込んだ月明かりが姫の顔を照らす。青白く照らされた顔はまるで人とは思えないほどに美しかった。
「ヤハズはもうボロボロだったからな。それになぜ姫はヤハズを手伝わなかった? 姫の影があったらなら俺は勝てなかった」
「ヤハズが命じなかったからな 妾はヤハズの人形だからの」
そうかい。と私は姫の眉間に銃口を当てる。姫は目を閉じた。
「人形として朽ちるのもまた人形だ。しかし人の依り代となって朽ちるのもまた人形であるな。誰の依り代かはわからないが」
「そうだな。人形の本分を果たしたと言えよう。妾が朽ちるとヤハズもまた生きてはいられない。想いを宿してしまった人形は消える。ただそれだけのことじゃ。意志なき人形の方が幾分か幸せである」
引き金に力を入れようにも、力が入らない。拳銃自体が引き金が引かれることを拒んでいるようにも感じた。どうしても訪ねておきたいこともある。
「姫の影に呑まれた千鳥と彦助はどうなっている?」
「妾の中で泣いておるよ。幸か不幸か出刃包丁も蛇の目傘も、砕かれ果てる前に妾の影に取り込めた。彦助は泣き続け、千鳥は子守唄をずっと歌っておる。千鳥は彦助を両手で包んで守ってやって、彦助は守られ続けることで姉を守っておるのだ」
「ふたりは想いを晴らしたわけだな。姫の影の中で」
「そうじゃの。幸か不幸か」
「姫は最初からそのつもりだったのか? 」
「結果としては何も変わらんよ。こうやって付喪を集め続けておれば、ヤハズの望むとおりに妾は人形の形を持ったまま付喪神になるだろうな。数多の付喪の想いを宿して。そして妾の望みからは離れていく。難儀なものだ」
姫は一歩足を踏み出して、銃口に額を押しつけ目を閉じた。この後に及んで私はまだ悩んでいる。
人を傷つける付喪は悪だ。物を己の思いで染め上げて物が抱く思いを歪ませる人もまた悪だ。ならばヤハズと姫は悪なのだろうか。
いや、正義も悪も何もないのだ。この世にはただの想いが浮かんで漂っているだけだ。
それを私の都合で砕くか祓うかしているだけの話。かつてヤハズに言われたとおりに。ただ物は物としての本分を全うさせてやりたいという想いもまた真実だ。
なぁ。と姫はまぶたを閉じたまま口を開く。
「こういう末路も悪くない。思ったよりも早かったが願いが叶ったのだ。ただ・・・麻子は目を覚ますと思うか? 麻子には悪かったと言ってくれ」
「あぁ。必ず伝えておく。ふたりは遠いところに行ったとな」
「月並みなセリフじゃな。後はそうだな、お主が屋敷以外の世界を見せてくれたのは嬉しかったぞ。褒めてつかわす」
「まるで遺言だな」
「そうじゃな。これは遺言だからの」
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