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最終章 出刃包丁と蛇の目傘
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私は引き金に力を込める。千鳥は彦助を抱き止める腕に力を込めた。姉に抱かれて守られる彦助の笑みは幸せそうにも見える。それがせめてもの私にとっての救いだった。
引き金を引くと音もなく透明な銃弾が発射された。
しかし傘に届く前に爆ぜる。
銀の糸が伸びていた。傘に銃弾が届く前にヤハズの糸が傘を砕くことを阻んでいた。
今度は私が目を丸める番だった。そして血だまりのように千鳥の足元には影が広がり、千鳥は彦助を抱いたまま影に沈む。沈み切る前に千鳥と目が合う。私と目があると千鳥は目尻を緩ませて、まぶたを閉じた。
蛇の目傘も、砕かれた包丁もまた影に飲まれていく。そしてあたりには闇夜だけが残った。
「どういうつもりだ! ヤハズ! 」
私はヤハズへと銃口を向ける。姫とヤハズは緩やかに歩んでいた。まるで闇夜を散歩しているようにも見える。ヤハズは左手を空へと向ける。右手は肩のあたりからほつれて銀の糸の束となっていた。
「何を驚く? 子供をさらい、街の治安を脅かす付喪之人はいなくなった。何が不満なんだ?」
「まだ祓われてはいない! なぜ・・・姫の影に取り込んだ! もう少しで俺が祓ってやれたんだ!」
「結果は変わらないだろう? これでもう危険はない。ただまぁ、姫の中で共に生き続けるだけだ。想いを祓われては・・・困るからな」
「・・・そうやって姫を神とするのか! 付喪神とし不滅とするために」
そうだ。とヤハズは右肩から伸びるおびただしい銀の糸を振るう。鞭のように揺れ先端が地面を砕いた。四方へ振られた銀の鞭は闇世に溶けて軌跡しか見えない。ヤハズは私に向かって歩み寄る。
「姫を崇め奉るのは私だけでいい。愚かな人の目に晒し続けるなどヘドが出る。しかしそうならなければ神にはなれない。多くの人の想いが必要だから。ならばどうだ? 今まで人の想いを集め続けて、もしくは今際の間際に遺した強い想いを持つ付喪をその身に取り込んだのなら? さらに人の形を成し得る程の、付喪之人となった付喪ならば? 神に至る道筋をたどることは容易なのではないか?」
「最初からそのつもりだったんだな。俺に協力するのは!」
「八代だけでは決して祓えなかったよ。感謝してほしいくらいだ。それに言っただろう? 最初からすべてを話しては面白くないと」
「姫は神になることを望んでいるのか!?」
私は姫を見る。姫は両手で自分の胸を抱いていた。うつむき表情は見えない。
ヤハズは両足で地面を踏みしめる。銀の糸はひとつの巨大な束となり、先端はぞわぞわと腕を模して広がっている。
「俺はそのような方法を認めない。なぁ。ヤハズ。麻子には悪いが俺はお前を祓うよ。物は物としての本分をまっとうするべきなのだ。人の想いに染められて想いを捻じ曲げられ、ましてや神になんてなってはいけない。神になって地獄の歯車で、キリキリと引き裂かれ続けるなんて許されてはいけないんだ。未来永劫、姫の想いを裏切り苦しめるつもりか!」
「姫は私の人形だ! 永遠の美を得るために生まれた私の人形なのだ! 姫は永遠の美を望むよ。私がそう望んでいるから。やはり八代とは相容れないようだ。糸にもつれて死んでしまえ」
ヤハズは意思を持つかのように揺らぐ無数の糸となった右手は、闇夜に揺らぐ。流れる雲は朧となって雲の合間から月明かりが溢れる。腰から流れる血が足を濡らした。ひどく痛み、キセルに残された想いも少ない。白蛇が白蛇の形を成せぬほどに。
しかし・・・負けるわけにはいかない。千鳥と彦助は想いを砕かれ苦しみから逃れられたはずなのだ。それなのに姫の影に飲まれて、ましてや神となっては永劫に苦しむ。
姫だってそうだ。人形として朽ちることを望んでいる。奥の物に抱かれた想いが、私の願いがたったひとりの人形作家に塗りつぶされてはいけないのだ。
信用してはいたんだがな。と向かいくるヤハズに私は銃口を向ける。ためらいもなく引き金を引き、ヤハズの地面が爆ぜた。
ヤハズは跳び、右手を振るう。無数の糸は塊となり家々よりも大きな掌となって私を押しつぶさんとした。私は羽織を振るって煙に巻く。
「主人を守るのが羽織であるから、たとえ鉄が降ろうと守れるだろう? それとも何かい? お前はそんなに情けない羽織なのかい?」
想いを込めると羽織はふわりと浮く。私は羽織を脱いで迫り来る糸の束へと振る。ズシリと重く足元が血に沈む。
体を失うたびに力を増すとは本当のことだ。たまらず私は弾かれて、ゴロゴロと地に転びながら距離を取る。ヤハズが地面に足をつけると土埃が舞った。土埃を貫きながらヤハズの放った糸が飛ぶ。私は後ろへ跳びながら銃口を眼前の地面に向ける。
「幾度も積み重なり、高まれ!」
地面に放たれた銃弾は溶け込むように地面に染み込む。染み込み広がり立ち上る土塊はヤハズの糸を巻き込んで堅牢な石の壁となった。私は肩に羽織をかけて草履に煙を吐く。
「空を駆けることは覚えただろう? 風よりも速く駆けることの快感を覚えただろう? ならば壁を登るなど造作もないのは私が知っている」
煙に巻かれた草履と共に私は駆け出し、空に届かんばかりに積み上げられた土壁を登る。思惑通りに土壁は激しく揺れて瓦解した。ヤハズは糸の束を左手で操っている。土壁は岩石のように塊として崩れていく。
崩れ落ちる土壁を縫ってヤハズの糸は私を追った。
しかし空を駆けるよりも落ちる土塊の上を駆ける方がずっと速い。そして糸が岩を避ける一手が速度を落とす。加えて糸の束が巨大になるほど操るヤハズの速度は落ちていた。縦横無尽に駆けるヤハズの足はすっかりと止まっている。
思えば人形とは厄介な物だ。形を砕こうにも人の形をしている。包丁やマッチ箱を砕くとはわけが違う。何度想いを巡らせてもヤハズの想いが込められた人形を、壊してしまうしかない。私は白蛇のキセルを口に当て紫煙を肺に蓄える。吸い切る間も無く煙は消えた。
正真正銘、これが最後だ。
眼前にバラバラと降り注ぐ土塊が途絶えて、左手で糸の束を抑えるヤハズが迫る。
銃口を向けるとヤハズは笑った。勝利を確信したような笑み。
「ほつれた糸に絡まり果てろ。双肩!」
引き金を引くと音もなく透明な銃弾が発射された。
しかし傘に届く前に爆ぜる。
銀の糸が伸びていた。傘に銃弾が届く前にヤハズの糸が傘を砕くことを阻んでいた。
今度は私が目を丸める番だった。そして血だまりのように千鳥の足元には影が広がり、千鳥は彦助を抱いたまま影に沈む。沈み切る前に千鳥と目が合う。私と目があると千鳥は目尻を緩ませて、まぶたを閉じた。
蛇の目傘も、砕かれた包丁もまた影に飲まれていく。そしてあたりには闇夜だけが残った。
「どういうつもりだ! ヤハズ! 」
私はヤハズへと銃口を向ける。姫とヤハズは緩やかに歩んでいた。まるで闇夜を散歩しているようにも見える。ヤハズは左手を空へと向ける。右手は肩のあたりからほつれて銀の糸の束となっていた。
「何を驚く? 子供をさらい、街の治安を脅かす付喪之人はいなくなった。何が不満なんだ?」
「まだ祓われてはいない! なぜ・・・姫の影に取り込んだ! もう少しで俺が祓ってやれたんだ!」
「結果は変わらないだろう? これでもう危険はない。ただまぁ、姫の中で共に生き続けるだけだ。想いを祓われては・・・困るからな」
「・・・そうやって姫を神とするのか! 付喪神とし不滅とするために」
そうだ。とヤハズは右肩から伸びるおびただしい銀の糸を振るう。鞭のように揺れ先端が地面を砕いた。四方へ振られた銀の鞭は闇世に溶けて軌跡しか見えない。ヤハズは私に向かって歩み寄る。
「姫を崇め奉るのは私だけでいい。愚かな人の目に晒し続けるなどヘドが出る。しかしそうならなければ神にはなれない。多くの人の想いが必要だから。ならばどうだ? 今まで人の想いを集め続けて、もしくは今際の間際に遺した強い想いを持つ付喪をその身に取り込んだのなら? さらに人の形を成し得る程の、付喪之人となった付喪ならば? 神に至る道筋をたどることは容易なのではないか?」
「最初からそのつもりだったんだな。俺に協力するのは!」
「八代だけでは決して祓えなかったよ。感謝してほしいくらいだ。それに言っただろう? 最初からすべてを話しては面白くないと」
「姫は神になることを望んでいるのか!?」
私は姫を見る。姫は両手で自分の胸を抱いていた。うつむき表情は見えない。
ヤハズは両足で地面を踏みしめる。銀の糸はひとつの巨大な束となり、先端はぞわぞわと腕を模して広がっている。
「俺はそのような方法を認めない。なぁ。ヤハズ。麻子には悪いが俺はお前を祓うよ。物は物としての本分をまっとうするべきなのだ。人の想いに染められて想いを捻じ曲げられ、ましてや神になんてなってはいけない。神になって地獄の歯車で、キリキリと引き裂かれ続けるなんて許されてはいけないんだ。未来永劫、姫の想いを裏切り苦しめるつもりか!」
「姫は私の人形だ! 永遠の美を得るために生まれた私の人形なのだ! 姫は永遠の美を望むよ。私がそう望んでいるから。やはり八代とは相容れないようだ。糸にもつれて死んでしまえ」
ヤハズは意思を持つかのように揺らぐ無数の糸となった右手は、闇夜に揺らぐ。流れる雲は朧となって雲の合間から月明かりが溢れる。腰から流れる血が足を濡らした。ひどく痛み、キセルに残された想いも少ない。白蛇が白蛇の形を成せぬほどに。
しかし・・・負けるわけにはいかない。千鳥と彦助は想いを砕かれ苦しみから逃れられたはずなのだ。それなのに姫の影に飲まれて、ましてや神となっては永劫に苦しむ。
姫だってそうだ。人形として朽ちることを望んでいる。奥の物に抱かれた想いが、私の願いがたったひとりの人形作家に塗りつぶされてはいけないのだ。
信用してはいたんだがな。と向かいくるヤハズに私は銃口を向ける。ためらいもなく引き金を引き、ヤハズの地面が爆ぜた。
ヤハズは跳び、右手を振るう。無数の糸は塊となり家々よりも大きな掌となって私を押しつぶさんとした。私は羽織を振るって煙に巻く。
「主人を守るのが羽織であるから、たとえ鉄が降ろうと守れるだろう? それとも何かい? お前はそんなに情けない羽織なのかい?」
想いを込めると羽織はふわりと浮く。私は羽織を脱いで迫り来る糸の束へと振る。ズシリと重く足元が血に沈む。
体を失うたびに力を増すとは本当のことだ。たまらず私は弾かれて、ゴロゴロと地に転びながら距離を取る。ヤハズが地面に足をつけると土埃が舞った。土埃を貫きながらヤハズの放った糸が飛ぶ。私は後ろへ跳びながら銃口を眼前の地面に向ける。
「幾度も積み重なり、高まれ!」
地面に放たれた銃弾は溶け込むように地面に染み込む。染み込み広がり立ち上る土塊はヤハズの糸を巻き込んで堅牢な石の壁となった。私は肩に羽織をかけて草履に煙を吐く。
「空を駆けることは覚えただろう? 風よりも速く駆けることの快感を覚えただろう? ならば壁を登るなど造作もないのは私が知っている」
煙に巻かれた草履と共に私は駆け出し、空に届かんばかりに積み上げられた土壁を登る。思惑通りに土壁は激しく揺れて瓦解した。ヤハズは糸の束を左手で操っている。土壁は岩石のように塊として崩れていく。
崩れ落ちる土壁を縫ってヤハズの糸は私を追った。
しかし空を駆けるよりも落ちる土塊の上を駆ける方がずっと速い。そして糸が岩を避ける一手が速度を落とす。加えて糸の束が巨大になるほど操るヤハズの速度は落ちていた。縦横無尽に駆けるヤハズの足はすっかりと止まっている。
思えば人形とは厄介な物だ。形を砕こうにも人の形をしている。包丁やマッチ箱を砕くとはわけが違う。何度想いを巡らせてもヤハズの想いが込められた人形を、壊してしまうしかない。私は白蛇のキセルを口に当て紫煙を肺に蓄える。吸い切る間も無く煙は消えた。
正真正銘、これが最後だ。
眼前にバラバラと降り注ぐ土塊が途絶えて、左手で糸の束を抑えるヤハズが迫る。
銃口を向けるとヤハズは笑った。勝利を確信したような笑み。
「ほつれた糸に絡まり果てろ。双肩!」
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