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第漆章 晴れ着と洋菓子
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「私は姫ちゃんと一緒に行くわ。ひとりになんかできないもの」
麻子の家を出る前に、一度麻子を振り返って千鳥は姫の手を取った。言葉の最後に結ばれた口元には決意を示している。
「あぶねえぞ。姫なら大丈夫だから」
私が声をかけても千鳥は首を頑なに横へと振る。そして隣に並んだ私を見上げた。
「翁さんが守ってくれるんでしょう? 最初に出会った夜みたいに。ずっと昔みたいに思えるなぁ」
「いろいろあったからな。ヤハズはどう思う? 」
片膝をつき姫の裾を整えるヤハズは、ふん。と鼻を鳴らした。
「私はまだ納得がいっていない。姫がなんと言おうともです。しかし、標的がふたつに増えるのなら、なぁ千鳥。姫を守るのだな?」
ヤハズは千鳥を見ることもなく言って、もちろん! と左の肘を曲げて細い力こぶを作る。千鳥の想いもまた麻子に注がれているのだ。決意を裏切るわけにもいかない。
「いいか? 危ないと思ったらすぐ逃げる。姫は千鳥が思っているよりもずっと強い。詳しくは言えないが・・・約束してくれ」
仕方がないな。と千鳥は歩き出し、私とヤハズも離れた場所からふたりの姿を見守った。街から出ると夜ならば人影はもうない。
真っ赤な晴れ着は闇夜に浮かぶ熟れた鬼灯のように浮かんでいる。
朽ちた建物に身を隠しながら、離れた場所で私とヤハズは並んであたりを見渡している。不気味なほど静かな夜で月明かりもまた分厚い雲に阻まれている。
「しかし、うまくいくとは思うかい?」
私が隣のヤハズに尋ねると、ヤハズは姫から視線を動かさずに口元だけ動かした。
「姫が言うのだ。成功するだろう。出刃包丁の男としても麻子がまた街に出たのだ。昨日の今日の話ではあるし放ってはおけまい」
「だろうなぁ。しかし目的はなんなんだろうねぇ」
「それはお前の煙に巻いてしまえばわかることだ。煙に巻いて戯言を吐き、お前は付喪の力を奪うのだろう? 想いすらも煙に巻き・・・残酷で酷いな力だな」
「付喪や付喪之人が操る力の根底は宿された想いだからな。力をまるで奪うわけではないが、弱くはなる。お前だって知っているだろう?」
「ふん。二度と私を煙になど巻こうと思わぬことだな。私の想いはお前なんかの言葉には、もう惑わされない」
だな。と相槌を打つとヤハズの右手が堅く握られていた。ヤハズもまた緊張しているのだ。白蛇のキセルは鳴りを潜めて腰元にあった。そして右の腰には拳銃もまた鳴りを潜めている。
どんな想いはあろうとも狗鷲を殺し、麻子をひどく傷つけた。許せることではない。私は自分自身の意志を持って付喪之人と果てた出刃包丁の男を、今度こそ祓うのだ。
想いのもとになった出刃包丁を紫煙に巻いて、思いを晴らして祓う。
ただ・・・結末が殺戮であるならば壊して祓うしかない。どんな由縁であるかは知らないが、最初から想いを歪める物はない。
だからこそ因果を暴いて煙に巻く。出刃包丁の想いを晴らすために。
千鳥と姫はまるで親子のように歩いていた。人形と人が手を取り合って歩いている。
風が頬を撫でた。どこからか吹く風は砂利を舞い上げ視線の端を流れている。私が身をかがめヤハズと視線を同じにした時、千鳥と姫を見る私たちの視線を開襟シャツの男が遮った。
汚れたパンツの裾はボロになり、もともとは白かったであろう開襟シャツがベルトから半分はみ出ている。まるで浮浪者の佇まいでゆるく伸びた髪の襟足が首を隠していた。男は黙ってふたりを見据えている。手にはまだ出刃包丁が握られていない。
あまりに呆気なさすぎるすぎる。
私は草履と羽織を煙に巻き地面から飛び男へ向かう。ヤハズも身をかがめたまま人差し指を食いちぎり、銀の糸を左手で眼前へと伸ばす。開襟シャツの男は姫を両手に抱く千鳥と、姫は抱かれた腕の中で出刃包丁の男をしっかりと見上げていた。
空を駆ける私の下で、地面を駆けるヤハズが右手を伸ばした。男の姿はすでに眼前にある。
「その子を離せ! 僕に返すんだ!」
闇夜に響いたのは男の声だった。張り詰められた声色は震わえ、鉄がすり合わされるような鈍い響きを持つ。千鳥が男の向こうで姫をぎゅっと抱くのが見えた。姫の表情はまだ見えない。
「八代。やつは私がとらえよう。さっさと煙に巻いてしまえ」
あぁ。と返事をする間もなく、姫が左手をまっすぐと男に伸ばすのが見えた。
「違う・・・子供だ。僕はその子を返した覚えはない。お前は・・・誰だ?」
男のたじろぐ声が聞こえる。ヤハズの駆ける速度は増して、右手を男へと向けた。
姫が左の手首をそらすのと同時に足元から影のイバラが男を包む。男はたじろぎようやく腰から新聞紙に包まれて出刃包丁を取り出した。
男が力を込めると新聞紙は爆ぜる。その間にも姫のイバラは男の体を足元から包んでいく。千鳥は驚き目を丸め、ヤハズが地面を激しく蹴って飛び上がった。男の頭上で右手を振ると右手が手首の先からバラバラ解ける。
「包め! 手のひら!」
ヤハズが叫ぶのと同時に流星となった銀の軌跡を残しながらヤハズの五指が男の周囲へと穿たれる。
穿たれた指先から続く糸をヤハズは身を縦に回転させながら巻きとる。口で糸の束を噛み、左手で弾くと男はなすすべもなく糸に絡め取られた。
身をよじりなんとか右手で出刃包丁を振るおうとするも、姫の影とヤハズの糸で身動きひとつ取れていない。これで幕だと私は男へ向かって飛ぶ。頭上から地に堕ちるヤハズとすれ違い、男を飛び越し眼前へと着地する。
「どうやらこれで幕のようだ。それゆえお前の因果を暴いてやろう。煙に包まれ想いを晒し、煙に巻いて祓ってやろう」
キセルの吸い口を当てて私は男を紫煙で包む。視界が暗転していく間に男と目が合った。男の瞳はまっすぐと私を見ている。揺れる瞳は怒りに燃えるようで、どこか恐怖を写しているようだった。
気にする間もなく私は男の因果へ落ちる。夜よりも暗いまぶたの裏が私の瞳を包んで行った。
暗転の後、私が再びまぶたを開くと、そこには今とは違う街並みが広がっていた。道は舗装されているが砂利が舞い、私のような和装に身を包んだ人が多く往来を歩いている。建物の高さも二階ほどであり、軒先には雑貨が置かれていた。
そして人の顔がずっと高い位置にある。つまり私は子供の姿であるのだ。
麻子の家を出る前に、一度麻子を振り返って千鳥は姫の手を取った。言葉の最後に結ばれた口元には決意を示している。
「あぶねえぞ。姫なら大丈夫だから」
私が声をかけても千鳥は首を頑なに横へと振る。そして隣に並んだ私を見上げた。
「翁さんが守ってくれるんでしょう? 最初に出会った夜みたいに。ずっと昔みたいに思えるなぁ」
「いろいろあったからな。ヤハズはどう思う? 」
片膝をつき姫の裾を整えるヤハズは、ふん。と鼻を鳴らした。
「私はまだ納得がいっていない。姫がなんと言おうともです。しかし、標的がふたつに増えるのなら、なぁ千鳥。姫を守るのだな?」
ヤハズは千鳥を見ることもなく言って、もちろん! と左の肘を曲げて細い力こぶを作る。千鳥の想いもまた麻子に注がれているのだ。決意を裏切るわけにもいかない。
「いいか? 危ないと思ったらすぐ逃げる。姫は千鳥が思っているよりもずっと強い。詳しくは言えないが・・・約束してくれ」
仕方がないな。と千鳥は歩き出し、私とヤハズも離れた場所からふたりの姿を見守った。街から出ると夜ならば人影はもうない。
真っ赤な晴れ着は闇夜に浮かぶ熟れた鬼灯のように浮かんでいる。
朽ちた建物に身を隠しながら、離れた場所で私とヤハズは並んであたりを見渡している。不気味なほど静かな夜で月明かりもまた分厚い雲に阻まれている。
「しかし、うまくいくとは思うかい?」
私が隣のヤハズに尋ねると、ヤハズは姫から視線を動かさずに口元だけ動かした。
「姫が言うのだ。成功するだろう。出刃包丁の男としても麻子がまた街に出たのだ。昨日の今日の話ではあるし放ってはおけまい」
「だろうなぁ。しかし目的はなんなんだろうねぇ」
「それはお前の煙に巻いてしまえばわかることだ。煙に巻いて戯言を吐き、お前は付喪の力を奪うのだろう? 想いすらも煙に巻き・・・残酷で酷いな力だな」
「付喪や付喪之人が操る力の根底は宿された想いだからな。力をまるで奪うわけではないが、弱くはなる。お前だって知っているだろう?」
「ふん。二度と私を煙になど巻こうと思わぬことだな。私の想いはお前なんかの言葉には、もう惑わされない」
だな。と相槌を打つとヤハズの右手が堅く握られていた。ヤハズもまた緊張しているのだ。白蛇のキセルは鳴りを潜めて腰元にあった。そして右の腰には拳銃もまた鳴りを潜めている。
どんな想いはあろうとも狗鷲を殺し、麻子をひどく傷つけた。許せることではない。私は自分自身の意志を持って付喪之人と果てた出刃包丁の男を、今度こそ祓うのだ。
想いのもとになった出刃包丁を紫煙に巻いて、思いを晴らして祓う。
ただ・・・結末が殺戮であるならば壊して祓うしかない。どんな由縁であるかは知らないが、最初から想いを歪める物はない。
だからこそ因果を暴いて煙に巻く。出刃包丁の想いを晴らすために。
千鳥と姫はまるで親子のように歩いていた。人形と人が手を取り合って歩いている。
風が頬を撫でた。どこからか吹く風は砂利を舞い上げ視線の端を流れている。私が身をかがめヤハズと視線を同じにした時、千鳥と姫を見る私たちの視線を開襟シャツの男が遮った。
汚れたパンツの裾はボロになり、もともとは白かったであろう開襟シャツがベルトから半分はみ出ている。まるで浮浪者の佇まいでゆるく伸びた髪の襟足が首を隠していた。男は黙ってふたりを見据えている。手にはまだ出刃包丁が握られていない。
あまりに呆気なさすぎるすぎる。
私は草履と羽織を煙に巻き地面から飛び男へ向かう。ヤハズも身をかがめたまま人差し指を食いちぎり、銀の糸を左手で眼前へと伸ばす。開襟シャツの男は姫を両手に抱く千鳥と、姫は抱かれた腕の中で出刃包丁の男をしっかりと見上げていた。
空を駆ける私の下で、地面を駆けるヤハズが右手を伸ばした。男の姿はすでに眼前にある。
「その子を離せ! 僕に返すんだ!」
闇夜に響いたのは男の声だった。張り詰められた声色は震わえ、鉄がすり合わされるような鈍い響きを持つ。千鳥が男の向こうで姫をぎゅっと抱くのが見えた。姫の表情はまだ見えない。
「八代。やつは私がとらえよう。さっさと煙に巻いてしまえ」
あぁ。と返事をする間もなく、姫が左手をまっすぐと男に伸ばすのが見えた。
「違う・・・子供だ。僕はその子を返した覚えはない。お前は・・・誰だ?」
男のたじろぐ声が聞こえる。ヤハズの駆ける速度は増して、右手を男へと向けた。
姫が左の手首をそらすのと同時に足元から影のイバラが男を包む。男はたじろぎようやく腰から新聞紙に包まれて出刃包丁を取り出した。
男が力を込めると新聞紙は爆ぜる。その間にも姫のイバラは男の体を足元から包んでいく。千鳥は驚き目を丸め、ヤハズが地面を激しく蹴って飛び上がった。男の頭上で右手を振ると右手が手首の先からバラバラ解ける。
「包め! 手のひら!」
ヤハズが叫ぶのと同時に流星となった銀の軌跡を残しながらヤハズの五指が男の周囲へと穿たれる。
穿たれた指先から続く糸をヤハズは身を縦に回転させながら巻きとる。口で糸の束を噛み、左手で弾くと男はなすすべもなく糸に絡め取られた。
身をよじりなんとか右手で出刃包丁を振るおうとするも、姫の影とヤハズの糸で身動きひとつ取れていない。これで幕だと私は男へ向かって飛ぶ。頭上から地に堕ちるヤハズとすれ違い、男を飛び越し眼前へと着地する。
「どうやらこれで幕のようだ。それゆえお前の因果を暴いてやろう。煙に包まれ想いを晒し、煙に巻いて祓ってやろう」
キセルの吸い口を当てて私は男を紫煙で包む。視界が暗転していく間に男と目が合った。男の瞳はまっすぐと私を見ている。揺れる瞳は怒りに燃えるようで、どこか恐怖を写しているようだった。
気にする間もなく私は男の因果へ落ちる。夜よりも暗いまぶたの裏が私の瞳を包んで行った。
暗転の後、私が再びまぶたを開くと、そこには今とは違う街並みが広がっていた。道は舗装されているが砂利が舞い、私のような和装に身を包んだ人が多く往来を歩いている。建物の高さも二階ほどであり、軒先には雑貨が置かれていた。
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