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第漆章 晴れ着と洋菓子
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凛と声が響く。鈴が鳴るかのような高くよく通る声。姫だった。おぉ。と老婆が吐息にも聞こえる声を漏らす。
「もしかしてあんたが姫ちゃんかい? 麻子がよく話していたよ。同じ人とは思えないくらいに綺麗な女の子がいると。洋装に身を包んでいて、いつかは自分も同じ格好をしてみたいとな。でも似合わないだろうなぁ。と楽しそうに笑っていた」
そんなことはない。声には出なくともヤハズは唇だけで言った。
ヤハズの力が抜けて、私の首元に痛みだけが残る。痛みだけが私の脳髄をはっきりとさせた。
私とヤハズの間から、姫が顔を出して麻子の顔を覗き込む。瞳は緩み顔から足先まで視線を沿わせ、一度うなずいてみせた。
「麻子の祖母よ。ヤハズの持ってきた黒革のカバンには洋菓子がある。砂糖も卵も、バターもまたたっぷりと使った一品じゃ。少しだけ湯で溶かしてふやかしてから麻子に食べさせておくれ。栄養はたくさんにあるはずじゃ」
姫はヤハズに目配せをし、ヤハズはうなずき老婆に黒のカバンを渡す。老婆は両手を合わせて拝むようにして、カバンを受け取りよろよろと土間へと歩き出した。
姫はまっすぐと麻子のやせ細った顔を見ている。
「目的はまだわからぬが。筋が通っておらぬな。さらうなら返す必要はない。その身を犯人がとらえておけばよいはずだ。わざわざ証拠を残すことはせぬともよい。出刃包丁の男が絡んでいることは明らかじゃろう。それに八代の話していた蛇の目傘の女もまた関与しておるのだろう。だから狗鷲を殺した。真実に近づこうとしている者を遠ざけるためにな。ゆえに麻子をさらう必要はなかったのじゃ。論理と感情が乖離している。漬け込む隙は大いにあるのだろう」
姫は淡々と話し、暗闇に沈み動くことをやめていた私の思考が動きだす。麻子がさらわれたのは私の近くにいたからだろうと思っていた。しかしそうである必要はないのだ。
わざわざ自身の存在を、自分を探す相手にひけらかすことはない。だからこそ、私が街を歩いている間に子供は消えなかった。麻子が姿を消すまでずっと。
「それで姫。何かよい考えがあるのか?」
私が問うと、そうじゃ。と姫は立ち上がり腰に手を当てる。向ける視線の先には麻子の着させられていた赤い着物がある。まさかと。見上げる私を見て、姫は口角を広く怪しい笑みを浮かべる。
「和装は趣味ではないがたまにはよいだろう。さらわれて、もとに戻したはずの人間がまた街を闊歩しているならどうだ? さすがに手を出さずにはいられないだろう?」
ふふん。と鼻先を揺らす姫に、いけません! とヤハズが立ち上がる。
「姫が危険に身を晒す必要がありません!」
「妾をあなどるな? 影の力で妾は自分の身を守ることができる。それにどうじゃ? ヤハズか、八代が晴れ着を着たまま街を闊歩するというのか? それはそれで目立つのだろうが、誰も近寄って来んだろうな」
しかし。と食い下がるヤハズを尻目に姫は麻子の枕元に置かれた晴れ着の前に進む。膝を下ろして晴れ着を取ると胸にしっかりと抱く。
「麻子よ。まだ私は私の従者が作った菓子を褒めてもらっておらぬ。それに麻子はまだ洋装に身を包むという願いを叶えておらんだろう? 妾も楽しみにしている」
麻子の呼吸が穏やかになったように見えた。仕方がないと私もまた立ち上がる。
すぎてしまった過去を変えるのは、前に進む自分の一歩であることは知っている。
「頼むよ。どうやら俺は許せそうにないらしい。私怨では働きたくないのだがね」
「知っておる。だがお主は死のうとするなよ。責任の取り方は死ではない」
「わかっている。今宵で因果のすべてを終わらせよう。先の話はまだ先で語ればよいのだから」
わかっておるな。と姫は胸元に手を当てる。ちょっとまって! と土間から千鳥の声が響いた。
「着付けなら私ができる! 丈も合わないから・・・仮縫いでなんとか・・・男ふたりは出て行って! 」
「姫の着付けならいつも私が! 」
と名乗りをあげるヤハズを追い越し、千鳥は姫の隣に並ぶ。
「私だって悔しいよ。なんとかしたい。それにいくらいつもやっていても姫ちゃんの着付けは私がやるわ。眼に余るし・・・男ふたりは外で待ってて」
千鳥は私たちの胸を押し、姫はクスクスと笑い声を上げる。ずいずいと胸を押されながら麻子の顔が隙間から覗く。こけた頬で笑ったような気がして、ただただ私の胸が強く硬く、そして熱く使命に燃えていた。
仕方なく外に出された私とヤハズは隣に並び、すっかりと夜の帳に包まれた路地を見る。住宅には小さな窓から溢れる電灯の明かりが、頼りなくとも漏れていた。月は分厚い雲に覆い隠されており、肌に触れる空気には湿り気が重さをまとう。
トタン壁の家に挟まれて砂利道は、遠くに続き影の地平を作る。家の明かりが道標となり、夜の終わりへと続いているようだった。
ヤハズはずっと通りの奥を見つめている。闇夜の奥に潜む何者かへと視線を伸ばすように。私はとなりでトタンの壁に体を預ける。
「なぁ。麻子のために怒っていたな。ありがとうな」
「もしかしてあんたが姫ちゃんかい? 麻子がよく話していたよ。同じ人とは思えないくらいに綺麗な女の子がいると。洋装に身を包んでいて、いつかは自分も同じ格好をしてみたいとな。でも似合わないだろうなぁ。と楽しそうに笑っていた」
そんなことはない。声には出なくともヤハズは唇だけで言った。
ヤハズの力が抜けて、私の首元に痛みだけが残る。痛みだけが私の脳髄をはっきりとさせた。
私とヤハズの間から、姫が顔を出して麻子の顔を覗き込む。瞳は緩み顔から足先まで視線を沿わせ、一度うなずいてみせた。
「麻子の祖母よ。ヤハズの持ってきた黒革のカバンには洋菓子がある。砂糖も卵も、バターもまたたっぷりと使った一品じゃ。少しだけ湯で溶かしてふやかしてから麻子に食べさせておくれ。栄養はたくさんにあるはずじゃ」
姫はヤハズに目配せをし、ヤハズはうなずき老婆に黒のカバンを渡す。老婆は両手を合わせて拝むようにして、カバンを受け取りよろよろと土間へと歩き出した。
姫はまっすぐと麻子のやせ細った顔を見ている。
「目的はまだわからぬが。筋が通っておらぬな。さらうなら返す必要はない。その身を犯人がとらえておけばよいはずだ。わざわざ証拠を残すことはせぬともよい。出刃包丁の男が絡んでいることは明らかじゃろう。それに八代の話していた蛇の目傘の女もまた関与しておるのだろう。だから狗鷲を殺した。真実に近づこうとしている者を遠ざけるためにな。ゆえに麻子をさらう必要はなかったのじゃ。論理と感情が乖離している。漬け込む隙は大いにあるのだろう」
姫は淡々と話し、暗闇に沈み動くことをやめていた私の思考が動きだす。麻子がさらわれたのは私の近くにいたからだろうと思っていた。しかしそうである必要はないのだ。
わざわざ自身の存在を、自分を探す相手にひけらかすことはない。だからこそ、私が街を歩いている間に子供は消えなかった。麻子が姿を消すまでずっと。
「それで姫。何かよい考えがあるのか?」
私が問うと、そうじゃ。と姫は立ち上がり腰に手を当てる。向ける視線の先には麻子の着させられていた赤い着物がある。まさかと。見上げる私を見て、姫は口角を広く怪しい笑みを浮かべる。
「和装は趣味ではないがたまにはよいだろう。さらわれて、もとに戻したはずの人間がまた街を闊歩しているならどうだ? さすがに手を出さずにはいられないだろう?」
ふふん。と鼻先を揺らす姫に、いけません! とヤハズが立ち上がる。
「姫が危険に身を晒す必要がありません!」
「妾をあなどるな? 影の力で妾は自分の身を守ることができる。それにどうじゃ? ヤハズか、八代が晴れ着を着たまま街を闊歩するというのか? それはそれで目立つのだろうが、誰も近寄って来んだろうな」
しかし。と食い下がるヤハズを尻目に姫は麻子の枕元に置かれた晴れ着の前に進む。膝を下ろして晴れ着を取ると胸にしっかりと抱く。
「麻子よ。まだ私は私の従者が作った菓子を褒めてもらっておらぬ。それに麻子はまだ洋装に身を包むという願いを叶えておらんだろう? 妾も楽しみにしている」
麻子の呼吸が穏やかになったように見えた。仕方がないと私もまた立ち上がる。
すぎてしまった過去を変えるのは、前に進む自分の一歩であることは知っている。
「頼むよ。どうやら俺は許せそうにないらしい。私怨では働きたくないのだがね」
「知っておる。だがお主は死のうとするなよ。責任の取り方は死ではない」
「わかっている。今宵で因果のすべてを終わらせよう。先の話はまだ先で語ればよいのだから」
わかっておるな。と姫は胸元に手を当てる。ちょっとまって! と土間から千鳥の声が響いた。
「着付けなら私ができる! 丈も合わないから・・・仮縫いでなんとか・・・男ふたりは出て行って! 」
「姫の着付けならいつも私が! 」
と名乗りをあげるヤハズを追い越し、千鳥は姫の隣に並ぶ。
「私だって悔しいよ。なんとかしたい。それにいくらいつもやっていても姫ちゃんの着付けは私がやるわ。眼に余るし・・・男ふたりは外で待ってて」
千鳥は私たちの胸を押し、姫はクスクスと笑い声を上げる。ずいずいと胸を押されながら麻子の顔が隙間から覗く。こけた頬で笑ったような気がして、ただただ私の胸が強く硬く、そして熱く使命に燃えていた。
仕方なく外に出された私とヤハズは隣に並び、すっかりと夜の帳に包まれた路地を見る。住宅には小さな窓から溢れる電灯の明かりが、頼りなくとも漏れていた。月は分厚い雲に覆い隠されており、肌に触れる空気には湿り気が重さをまとう。
トタン壁の家に挟まれて砂利道は、遠くに続き影の地平を作る。家の明かりが道標となり、夜の終わりへと続いているようだった。
ヤハズはずっと通りの奥を見つめている。闇夜の奥に潜む何者かへと視線を伸ばすように。私はとなりでトタンの壁に体を預ける。
「なぁ。麻子のために怒っていたな。ありがとうな」
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