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第陸章 物と人
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「そないなこと無理に決まってるやろ。姫ちゃんとべったりなヤハズくんをどうやって引き離すねん!」
「それを考えるのが白蛇の仕事だろう。哀れな民衆の些細な願いを叶える絶好の機会だ」
「まったく勝手やな。それに姫ちゃんの話を聞いてどうすんねん? 探していた出刃包丁の男とは関係ないねんやろ? ・・・そんで八代の悩みが晴れるとも思えへんけどな」
「関係はないがな。必要ではある。誰かのために生きるのは思いの外簡単だが、自分のために生きる道を見つける方が難しいんだ」
「勝手やなぁ。まぁ付喪之人と戦うよりはずっと体に楽な仕事やし、ヤハズくんをからかってみるのも楽しそうやしな」
へっへ。と白蛇は目を細めて口を歪める。頼むよと私が言うと白蛇はもとのキセルへと戻った。付喪であるならば祓うべきだと今までなら当然のように考えていた。物は物に、人は人で生きていくべきだと。それが私の継いだ仕事であるから。
狗鷲から期待された役割だから。知らず知らずのうちに死に場所として求めていた。ただ私自身で決めたわけでもないし、今更自分自身のために付喪たちを利用しようとも思わない。
悩んでいるな。と頭を掻きながら、白蛇には聞こえないように道を歩く。長い間考えていたようで、あっという間に小高い丘の向こうには先の尖った塔が見えた。夜桐家はもうすぐそこに見えていた。
小高い丘を登り屋敷の正面玄関に立つ。人を拒絶するような巨大な扉の前に立ち、獅子の形をした叩き金を強く鳴らす。しばらくして待ちかねていたかのように扉が開いた。重たく鈍く響いた音の向こうで、怪訝そうに眉をひそめてヤハズがぬっと姿を現わす。
「なんだ。出刃包丁の男が見つかったか?」
「見つかっちゃいねぇが、会ったよ。それを教えてやろうと思ってな」
ふん。とヤハズは踵を返して入れと一言だけ言った。まだ太陽は天高くにあり、最初見たときには深く影が伸びていた怪しい屋敷を照らし出す。扉から入りヤハズの後に続くと合間から差し込んでいた日の光も絶えた。
分厚い幕に窓は覆われ日の光すらも拒絶している。こんな時間だからか、ヤハズは不機嫌そうに見える。足取りも重いようだ。
人形でも意識があるだけでこうも疲れているように見えると少し可笑しい。通された客間にはすでに姫が椅子に腰掛け頬杖を付いていた。ガラス造りの丸いテーブルの向こうで怪しく笑みを浮かべている。
「ようこそ。また面白いお話が聞けるのかな?」
笑みを含みながら姫は言って、私は向かいの椅子に腰掛ける。腰を下ろすと同時に左手のキセルが煙に噛まれて、白蛇が体を揺らしながら現れた。
「せやで! 姫ちゃん! お久しぶりやなぁー。もっとお話しをしたかったんやけど、ほら、八代はワイの力がないと戦えへんさかい」
「なるほどのぉ。白蛇の姿では紫煙を吐き出せないものな」
「やろー? ほんまに困ったもんやんで。ワイがおらんと八代は何にもできひんねん。な? 八代はもっとワシを尊敬するべきやねん」
「ご丁寧にどうも。さすがに人として分は越えたくないものでね」
そやろー? と白蛇は皮肉を皮肉と受け取らずに、デレデレと姫の前で体を揺らす。姫は白蛇の姿を見てクスクスと指を唇に当て笑みを含んだ。
「おやおや。楽しそうですね。姫・・・」
気がつくと音もなく客間の扉は開かれており、ヤハズが隣に立っていた。盆に載せられた西洋作りの茶器には湯気が立っている。ヤハズは姫の前に小さな皿に乗せられた茶器を置き、私の前にも茶器を置く。カチャリと音がして中の薄紅色をした紅茶が揺れた。
「さて。早く本題に入ってくれないかな。普段は寝ている時間なんだ」
茶器を置いた後、ヤハズは不機嫌さを隠そうとせずに眉間へシワを寄せて見せる。なんとも表情豊かな人形だと私は背もたれに体を預けた。
「すまんの。ヤハズは昼の間はひどく不機嫌だ。寝ずともよいのに不思議なことだ」
習慣ですからとヤハズは姫の隣へと、あつらえられたように立つ。本当に絵画から抜け出してきたようだと、まだ湯気の立つ紅茶を私は口へと運ぶ。
「それなら本題だ。マッチ箱の男を祓った後にな。出刃包丁の男に会ったんだ」
「ほう。それで逃げてきたというわけか? 加えて私たちに助力を得ようと? 」
「違うねぇ。出刃包丁の男は言ったんだよ。蛇の目傘に気をつけろと。知ったのだからとも言っていた」
ふむ。とヤハズは口元に手を当てて、姫は足を前後に揺らしている。足が揺れるたびに小さな顔も左右に揺らす。白蛇は私と姫の顔を交互に見た。
「蛇の目傘は八代がマッチ箱の男を煙に包んで見た綺麗な女のことやろ? ということは出刃包丁の男も蛇の目傘とは知り合いで、出刃包丁が恐れているってことかいな? 包丁が傘を恐れるなんておかしな話やなぁ」
まぁな。と私が答えると白蛇は頭をかたむける。ヤハズは口元に当てた指先の合間から、独り言のように口元を動かす。
「つまり出刃包丁の男の裏にいるのが蛇の目傘か? マッチ箱の男のように強引に想いを肥大化させられ、付喪之人にされた。八代の言葉を借りるならな。しかしそれでは道理が通らない。なぜ出刃包丁は傍観していた? マッチ箱と協力して私たちと戦うべきだったのに。姫の影で包まれていたからか? それにしても戦いの後で弱った八代程度なら、殺せたハズなのに」
「そう簡単にやられるつもりはないがな。それは俺も気になっていたんだよ。ただ傍観していた。しかも忠告するような口ぶりで人ごみの中に消えていったよ」
「ほうほう。つまりは出刃包丁の男は八代の周りにいるわけだな。わざわざ遠出して探さなくともよいわけだ」
姫は頬をほころばせる。楽しそうに人の生死からはずっと違う場所にいるように思えた。姫の言う通りだ。
意図はわからなくとも出刃包丁の男は変わらずに街にいる。しかも最初に相対した夜からずっと、街では子供が消えていない。つまりは私と敵対しており距離を置いているからかもしれない。何もかも予測ばかりだが、わずかに目的へと近づいている感覚はある。
しかし・・・とヤハズは顎先に手を当て目を伏せる。
「何よりも・・・なぜ狗鷲は殺されなければならなかったのだ?」
「それを考えるのが白蛇の仕事だろう。哀れな民衆の些細な願いを叶える絶好の機会だ」
「まったく勝手やな。それに姫ちゃんの話を聞いてどうすんねん? 探していた出刃包丁の男とは関係ないねんやろ? ・・・そんで八代の悩みが晴れるとも思えへんけどな」
「関係はないがな。必要ではある。誰かのために生きるのは思いの外簡単だが、自分のために生きる道を見つける方が難しいんだ」
「勝手やなぁ。まぁ付喪之人と戦うよりはずっと体に楽な仕事やし、ヤハズくんをからかってみるのも楽しそうやしな」
へっへ。と白蛇は目を細めて口を歪める。頼むよと私が言うと白蛇はもとのキセルへと戻った。付喪であるならば祓うべきだと今までなら当然のように考えていた。物は物に、人は人で生きていくべきだと。それが私の継いだ仕事であるから。
狗鷲から期待された役割だから。知らず知らずのうちに死に場所として求めていた。ただ私自身で決めたわけでもないし、今更自分自身のために付喪たちを利用しようとも思わない。
悩んでいるな。と頭を掻きながら、白蛇には聞こえないように道を歩く。長い間考えていたようで、あっという間に小高い丘の向こうには先の尖った塔が見えた。夜桐家はもうすぐそこに見えていた。
小高い丘を登り屋敷の正面玄関に立つ。人を拒絶するような巨大な扉の前に立ち、獅子の形をした叩き金を強く鳴らす。しばらくして待ちかねていたかのように扉が開いた。重たく鈍く響いた音の向こうで、怪訝そうに眉をひそめてヤハズがぬっと姿を現わす。
「なんだ。出刃包丁の男が見つかったか?」
「見つかっちゃいねぇが、会ったよ。それを教えてやろうと思ってな」
ふん。とヤハズは踵を返して入れと一言だけ言った。まだ太陽は天高くにあり、最初見たときには深く影が伸びていた怪しい屋敷を照らし出す。扉から入りヤハズの後に続くと合間から差し込んでいた日の光も絶えた。
分厚い幕に窓は覆われ日の光すらも拒絶している。こんな時間だからか、ヤハズは不機嫌そうに見える。足取りも重いようだ。
人形でも意識があるだけでこうも疲れているように見えると少し可笑しい。通された客間にはすでに姫が椅子に腰掛け頬杖を付いていた。ガラス造りの丸いテーブルの向こうで怪しく笑みを浮かべている。
「ようこそ。また面白いお話が聞けるのかな?」
笑みを含みながら姫は言って、私は向かいの椅子に腰掛ける。腰を下ろすと同時に左手のキセルが煙に噛まれて、白蛇が体を揺らしながら現れた。
「せやで! 姫ちゃん! お久しぶりやなぁー。もっとお話しをしたかったんやけど、ほら、八代はワイの力がないと戦えへんさかい」
「なるほどのぉ。白蛇の姿では紫煙を吐き出せないものな」
「やろー? ほんまに困ったもんやんで。ワイがおらんと八代は何にもできひんねん。な? 八代はもっとワシを尊敬するべきやねん」
「ご丁寧にどうも。さすがに人として分は越えたくないものでね」
そやろー? と白蛇は皮肉を皮肉と受け取らずに、デレデレと姫の前で体を揺らす。姫は白蛇の姿を見てクスクスと指を唇に当て笑みを含んだ。
「おやおや。楽しそうですね。姫・・・」
気がつくと音もなく客間の扉は開かれており、ヤハズが隣に立っていた。盆に載せられた西洋作りの茶器には湯気が立っている。ヤハズは姫の前に小さな皿に乗せられた茶器を置き、私の前にも茶器を置く。カチャリと音がして中の薄紅色をした紅茶が揺れた。
「さて。早く本題に入ってくれないかな。普段は寝ている時間なんだ」
茶器を置いた後、ヤハズは不機嫌さを隠そうとせずに眉間へシワを寄せて見せる。なんとも表情豊かな人形だと私は背もたれに体を預けた。
「すまんの。ヤハズは昼の間はひどく不機嫌だ。寝ずともよいのに不思議なことだ」
習慣ですからとヤハズは姫の隣へと、あつらえられたように立つ。本当に絵画から抜け出してきたようだと、まだ湯気の立つ紅茶を私は口へと運ぶ。
「それなら本題だ。マッチ箱の男を祓った後にな。出刃包丁の男に会ったんだ」
「ほう。それで逃げてきたというわけか? 加えて私たちに助力を得ようと? 」
「違うねぇ。出刃包丁の男は言ったんだよ。蛇の目傘に気をつけろと。知ったのだからとも言っていた」
ふむ。とヤハズは口元に手を当てて、姫は足を前後に揺らしている。足が揺れるたびに小さな顔も左右に揺らす。白蛇は私と姫の顔を交互に見た。
「蛇の目傘は八代がマッチ箱の男を煙に包んで見た綺麗な女のことやろ? ということは出刃包丁の男も蛇の目傘とは知り合いで、出刃包丁が恐れているってことかいな? 包丁が傘を恐れるなんておかしな話やなぁ」
まぁな。と私が答えると白蛇は頭をかたむける。ヤハズは口元に当てた指先の合間から、独り言のように口元を動かす。
「つまり出刃包丁の男の裏にいるのが蛇の目傘か? マッチ箱の男のように強引に想いを肥大化させられ、付喪之人にされた。八代の言葉を借りるならな。しかしそれでは道理が通らない。なぜ出刃包丁は傍観していた? マッチ箱と協力して私たちと戦うべきだったのに。姫の影で包まれていたからか? それにしても戦いの後で弱った八代程度なら、殺せたハズなのに」
「そう簡単にやられるつもりはないがな。それは俺も気になっていたんだよ。ただ傍観していた。しかも忠告するような口ぶりで人ごみの中に消えていったよ」
「ほうほう。つまりは出刃包丁の男は八代の周りにいるわけだな。わざわざ遠出して探さなくともよいわけだ」
姫は頬をほころばせる。楽しそうに人の生死からはずっと違う場所にいるように思えた。姫の言う通りだ。
意図はわからなくとも出刃包丁の男は変わらずに街にいる。しかも最初に相対した夜からずっと、街では子供が消えていない。つまりは私と敵対しており距離を置いているからかもしれない。何もかも予測ばかりだが、わずかに目的へと近づいている感覚はある。
しかし・・・とヤハズは顎先に手を当て目を伏せる。
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