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第陸章 物と人
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「ウチの夢かい? ウチはねぇ。いつかたくさんの子供と暮らしたいんだよ。守ってやってさ。大きくなるのをこの目で見るのさ」
「千鳥の器量ならすぐに叶えることはできるだろうに」
「どうかね? こんなにいい女がいるのに手も出さない男が近くにいるのにかい?」
へへへ。と千鳥は口角を上げて笑みを含む。千鳥の言う通り話してみると取るに足らない理由に思えた。ただ自分は過去から逃げようとしているのだ。独りよがりで自分勝手な過去を忘れるために、死ねなかった後悔で死に場所を探していた。
お国のために生きるつもりはなくても、誰かのために生きて死のうと思っていたのだ。
それが付喪を祓う、もしくは払って砕く理由になった。人や物の想いを晴らす中で命を失うなら、それでよいと思っていた。だから私にとって人と物に境目はない。どちらも同じ存在だ。私にない生きるべき意思を持つ双方に、嫉妬していたのかもしれない。
なんとも人の心は厄介だと思った。まだ明確な役目を持つ物の方がマシだ。私は人が嫌いではなく、人である自分自身が嫌いだったのだ。それを人の形に当てはめていた。馬鹿馬鹿しい。
「まぁ。誰かのために生きるって生き方を自分で選択できたのなら、いいんじゃないかい? 逃げるんじゃなくてさ。おとぎ話みたいだけどね」
千鳥は立ち上がり、私を振り向く。顔には影が伸びていて輪郭がしっかりとしている。
「今の俺とは何が違うんだ? それは」
「全然違うさ。今まで逃げ出していた自分の心に目を向けられた。目を向けた想いと向き合ったのなら、そこからはもう前に進むしかないからね。目を背けなければどんな理由だって、生きる理由になるんだ。落ち込んだ時にはウチが守ってやるからさ。また遊びにきてもいいかい? 麻子ちゃんたちにもすっかりと懐かれちまったから」
ね? と小首をかしげる千鳥に、私は仕方がねぇなと寝っ転がった。どうもこうにも心が軽い。ともかく姫から話を聞こうと思った。あの歪な人形作家と人形の因果を知ろう。
想いの底で何を考えているのかを知らなければならない。なぜだかどうしようもなく姫を哀れんでいる自分がいて、なぜ自分がそう考えているかを知りたかったから。ヤハズの想いも知ってしまっているから。それに出刃包丁の男も蛇の目傘の女もいる。
厄介ごとばかりだなと。私は軽くなった心でまぶたを落とす。おやすみという千鳥の声が聞こえ、私はおやすみと返した。静けさが脳裏から遠のいていく。
ほどなくして私は眠りに落ちた。深い深い、奈落の底に堕ちるような眠りだった。
朝を再び迎えた街は騒然としていた。それもそのはずだ。闇市の一角を支配する狗鷲が殺されていたのだ。ざわざわと市場は荒れており、物騒な恰幅のよい男たちは凶悪な面で徒党を組んで街を練り歩いている。誰もが狗鷲を殺した犯人を探していた。
それは面子を保つためなのか、それとも狗鷲の意趣返しかは尋ねてみないとわからない。
少なくとも狗鷲はこの街にとって必要で、表には出てこれない輩からは好かれていたとのことだろう。そして背広姿の男がマッチ箱の付喪を祓われて心を失ったまま捕まったという。恐らくは状況証拠からも背広の男が犯人だとは気がつかれているだろう。
証拠もある。しかし証言が得られずに事態が停滞していた。だからこそ誰もが街を駆け回る。真実にたどり着くには足を動かすしかないのだ。不安の裏返しでもあるのだろう。
街の噂話も時には便利だねぇと。聞き耳を立てながら私は市場を抜けて街を出る。やはり、姫から話を聞いておこう。自分の気持ちが過去から逃げているだけだと気がついてしまえば、肩がずいぶんと軽くなった。千鳥には感謝しなくてはならない。
そもそも私はこのまま付喪を祓い続けるべきなのかということだ。
言われるがまま、自分の存在意義と死に場所として付喪を祓うという役割を理由にしていた。出刃包丁の男はもちろん祓う。そしておそらく裏側にいる蛇の目傘の女も同様だ。
しかしその先は?
ヤハズと姫はどうするのか。人に害を及ばさないとはいえ、それは私の主観である。物は物に、人は人であるべきなのだとも思う。あの付喪は祓わない、その付喪は祓うだなんて我ながら都合がよすぎると思う。思考から逃げ出してしまいたいほど悩んでいた。とにかく姫とヤハズの因果を聞いてから決めてしまおう。
放っておくには縁が結ばれすぎたし、ふたりはまだ何かを企んでいるような気にもなったからだ。
街から遠のくと左手に持った白蛇のキセルが熱を持ち、シュルシュルと私の手首から指先へと巻きついてく。赤い瞳と左右に割れた口元から赤い舌がちろりと揺れた。
「よう。よく寝れたかい?」
「そりゃそうやわ。まったく連日連日飽きもしないで付喪を払って、疲れんねんで?」
「そりゃ悪かったよ。でもまぁ健在で何よりだ」
「なんやー? かわいい女の子に身の上話をして心が楽になったみたいやな。ちなみに白蛇さまは八代の心なんてとうに知っておったで!?」
「そうかいそうかい。ならお前には話さなくてよかったよ」
そんなことあるかい! と人気の少ない屋敷へと続く荒れた道で白蛇は身を揺らす。白蛇はキセルの姿でも声は聞こえている。だからと言って必ずしも私の味方であろうとするわけでもない。本心もよくわからずにただ状況を楽しんでいるようにも思える。
神さまゆえの気まぐれだ。気まぐれと、私の祖母と結ばれた縁で私に利用されているだけだと思う。都合のよいことに。
「まぁ・・・ワイに話されても何にも答えへんかったけどな。答えは自分で見つけなあかんねん。神頼みなんて人の勝手や。そんで人の悩みを叶えるのも神の勝手やからな。お願いごとなら叶えてやらんでもないがな」
ほう。と私が顎先を親指と人差し指で包むと、しまったと白蛇が視線をそらす。
「なるほどな。悩みの答えは人自身で。お願いごとなら叶えてやろうということか。確かにそうだな。願いや想いを体に受けて神は神として生きていける。願いも叶えない神からは人の心が離れていくからな。大変な仕事だ。神とやらも」
「・・・何が言いたいねん? そんな悪そうな顔をして」
「俺が姫と話している間、ヤハズをどうにかしてくれないか? 知ってはいると思うが俺は姫と話したい。姫からヤハズとの成り立ちを聞きたいのだ。前にヤハズを煙に包んで姫の成り立ちは知った。ヤハズの成り立ちを知るには煙が足りなかった。姫から話を聞くにはヤハズが邪魔だ。しかしヤハズは姫から離れようとせんだろう?」
「千鳥の器量ならすぐに叶えることはできるだろうに」
「どうかね? こんなにいい女がいるのに手も出さない男が近くにいるのにかい?」
へへへ。と千鳥は口角を上げて笑みを含む。千鳥の言う通り話してみると取るに足らない理由に思えた。ただ自分は過去から逃げようとしているのだ。独りよがりで自分勝手な過去を忘れるために、死ねなかった後悔で死に場所を探していた。
お国のために生きるつもりはなくても、誰かのために生きて死のうと思っていたのだ。
それが付喪を祓う、もしくは払って砕く理由になった。人や物の想いを晴らす中で命を失うなら、それでよいと思っていた。だから私にとって人と物に境目はない。どちらも同じ存在だ。私にない生きるべき意思を持つ双方に、嫉妬していたのかもしれない。
なんとも人の心は厄介だと思った。まだ明確な役目を持つ物の方がマシだ。私は人が嫌いではなく、人である自分自身が嫌いだったのだ。それを人の形に当てはめていた。馬鹿馬鹿しい。
「まぁ。誰かのために生きるって生き方を自分で選択できたのなら、いいんじゃないかい? 逃げるんじゃなくてさ。おとぎ話みたいだけどね」
千鳥は立ち上がり、私を振り向く。顔には影が伸びていて輪郭がしっかりとしている。
「今の俺とは何が違うんだ? それは」
「全然違うさ。今まで逃げ出していた自分の心に目を向けられた。目を向けた想いと向き合ったのなら、そこからはもう前に進むしかないからね。目を背けなければどんな理由だって、生きる理由になるんだ。落ち込んだ時にはウチが守ってやるからさ。また遊びにきてもいいかい? 麻子ちゃんたちにもすっかりと懐かれちまったから」
ね? と小首をかしげる千鳥に、私は仕方がねぇなと寝っ転がった。どうもこうにも心が軽い。ともかく姫から話を聞こうと思った。あの歪な人形作家と人形の因果を知ろう。
想いの底で何を考えているのかを知らなければならない。なぜだかどうしようもなく姫を哀れんでいる自分がいて、なぜ自分がそう考えているかを知りたかったから。ヤハズの想いも知ってしまっているから。それに出刃包丁の男も蛇の目傘の女もいる。
厄介ごとばかりだなと。私は軽くなった心でまぶたを落とす。おやすみという千鳥の声が聞こえ、私はおやすみと返した。静けさが脳裏から遠のいていく。
ほどなくして私は眠りに落ちた。深い深い、奈落の底に堕ちるような眠りだった。
朝を再び迎えた街は騒然としていた。それもそのはずだ。闇市の一角を支配する狗鷲が殺されていたのだ。ざわざわと市場は荒れており、物騒な恰幅のよい男たちは凶悪な面で徒党を組んで街を練り歩いている。誰もが狗鷲を殺した犯人を探していた。
それは面子を保つためなのか、それとも狗鷲の意趣返しかは尋ねてみないとわからない。
少なくとも狗鷲はこの街にとって必要で、表には出てこれない輩からは好かれていたとのことだろう。そして背広姿の男がマッチ箱の付喪を祓われて心を失ったまま捕まったという。恐らくは状況証拠からも背広の男が犯人だとは気がつかれているだろう。
証拠もある。しかし証言が得られずに事態が停滞していた。だからこそ誰もが街を駆け回る。真実にたどり着くには足を動かすしかないのだ。不安の裏返しでもあるのだろう。
街の噂話も時には便利だねぇと。聞き耳を立てながら私は市場を抜けて街を出る。やはり、姫から話を聞いておこう。自分の気持ちが過去から逃げているだけだと気がついてしまえば、肩がずいぶんと軽くなった。千鳥には感謝しなくてはならない。
そもそも私はこのまま付喪を祓い続けるべきなのかということだ。
言われるがまま、自分の存在意義と死に場所として付喪を祓うという役割を理由にしていた。出刃包丁の男はもちろん祓う。そしておそらく裏側にいる蛇の目傘の女も同様だ。
しかしその先は?
ヤハズと姫はどうするのか。人に害を及ばさないとはいえ、それは私の主観である。物は物に、人は人であるべきなのだとも思う。あの付喪は祓わない、その付喪は祓うだなんて我ながら都合がよすぎると思う。思考から逃げ出してしまいたいほど悩んでいた。とにかく姫とヤハズの因果を聞いてから決めてしまおう。
放っておくには縁が結ばれすぎたし、ふたりはまだ何かを企んでいるような気にもなったからだ。
街から遠のくと左手に持った白蛇のキセルが熱を持ち、シュルシュルと私の手首から指先へと巻きついてく。赤い瞳と左右に割れた口元から赤い舌がちろりと揺れた。
「よう。よく寝れたかい?」
「そりゃそうやわ。まったく連日連日飽きもしないで付喪を払って、疲れんねんで?」
「そりゃ悪かったよ。でもまぁ健在で何よりだ」
「なんやー? かわいい女の子に身の上話をして心が楽になったみたいやな。ちなみに白蛇さまは八代の心なんてとうに知っておったで!?」
「そうかいそうかい。ならお前には話さなくてよかったよ」
そんなことあるかい! と人気の少ない屋敷へと続く荒れた道で白蛇は身を揺らす。白蛇はキセルの姿でも声は聞こえている。だからと言って必ずしも私の味方であろうとするわけでもない。本心もよくわからずにただ状況を楽しんでいるようにも思える。
神さまゆえの気まぐれだ。気まぐれと、私の祖母と結ばれた縁で私に利用されているだけだと思う。都合のよいことに。
「まぁ・・・ワイに話されても何にも答えへんかったけどな。答えは自分で見つけなあかんねん。神頼みなんて人の勝手や。そんで人の悩みを叶えるのも神の勝手やからな。お願いごとなら叶えてやらんでもないがな」
ほう。と私が顎先を親指と人差し指で包むと、しまったと白蛇が視線をそらす。
「なるほどな。悩みの答えは人自身で。お願いごとなら叶えてやろうということか。確かにそうだな。願いや想いを体に受けて神は神として生きていける。願いも叶えない神からは人の心が離れていくからな。大変な仕事だ。神とやらも」
「・・・何が言いたいねん? そんな悪そうな顔をして」
「俺が姫と話している間、ヤハズをどうにかしてくれないか? 知ってはいると思うが俺は姫と話したい。姫からヤハズとの成り立ちを聞きたいのだ。前にヤハズを煙に包んで姫の成り立ちは知った。ヤハズの成り立ちを知るには煙が足りなかった。姫から話を聞くにはヤハズが邪魔だ。しかしヤハズは姫から離れようとせんだろう?」
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