【完結】古道具屋の翁~出刃包丁と蛇の目傘~

tanakan

文字の大きさ
上 下
19 / 44
第伍章 マッチ箱と燃え盛る日常

-2-

しおりを挟む
「これはこれは。よからぬ予感よかんがするな。それに匂いを感じぬか?」

「姫。私には感覚がありません。・・・詳しく教えてください」

 それは私も感じていた。生々しく鼻をつく鉄の混じった匂い。姫の笑い声が高さを増して路地へと響いた。

「血の匂いじゃよ。それも扉から流れ出してしまうほどの血。八代よ。急いだ方がよさそうだな」

 わかっていると。と駆け出した私にヤハズが続き扉を開く。囲炉裏いろりの火が消えており、部屋は闇に包まれていた。畳の上には黒い塊と、流れる血の赤だけが暗闇でもよく見えた。見たくもない情景ほど、よく見えてしまうのだ。

 開かれたままの扉から、部屋の中を照らすには弱々しい光が流れる。

 光は囲炉裏の前で倒れる狗鷲と、背中に突き刺さる包丁の根元を照らした。ぬらりと鈍色に反射した包丁と畳を染める赤い血、身動きひとつしない狗鷲が絶命しているのは改めなくても明らかだった。思わず近寄ちかよろうとする私の肩をヤハズが掴む。

「そのままにしておけ。みょうな疑いをかけられても面倒だ。見てわかるだろう? もう死んでいるよ」

 あぁ。と私の肩から力が抜けた。駆け寄り抱きしめたからといって、狗鷲が生き返るわけでもない。血と共に流れ出した命。

 命と一緒に魂も流れ出してしまうのだろうか。絶命した狗鷲はあわれなことに戸棚に並んだ品物と同じに見えた。人という器から魂が解放されたのかもしれない。

 かつては意志を宿していた付喪と同じだ。ただの物である。

「これはこれは。口を封じられたようだな。残念至極ざんねんしごく

 姫は笑みをやさずにいった。まだに視線を狗鷲の遺体から離せない私の隣に姫が並ぶ。ヤハズは歯噛はがみし、眉間みけんへしわを寄せていた。

「どうする? 一度戻るか? 誰かが駆けつけてくる前に」

 ヤハズの言葉にようやく私の思考が回り始める。

 事切こときれた狗鷲に近づき、畳を濡らす血に触れた。まだ暖かく湿っている。狗鷲は何を望むのだろうか。かたきってくれとは言わないだろう。そのまま自然にしておけというだろうか。きっと自分の成すべきことを成せというのだろう。

 振り向きヤハズと姫を見る。そして動転して今まで気がつかなかったことに総毛立そうけつ。

 扉の横にある戸棚の隅に、米の積まれた麻袋と色を同じにした背広があった。うずくまり膝を抱えて身を隠しているようだった。

 馬鹿だな俺は。

 腰紐こしひもに垂らした白蛇びゃくだのキセルに手を当てた瞬間、背広の男は弾けるように立ち上がり、開かれた戸から駆け出していった。ヤハズも驚き振り向いて、開かれた戸へと視線を向ける。姫は口元に指先を当ててたまらず吹き出した。

「おやおや。気がつかれてしまったなぁ。くらがりに隠れても、部屋いっぱいに広がる妾の影からは逃れられぬ。謎解なぞきの結末は呆気あっけがないのぉ」

「姫。なぜ教えてくれなかったのですか!?」

 珍しくヤハズが驚き細い眉は弧を描いた。姫はじぃっと私を見ている。赤黒い瞳は私をとらえて離さない。

「なぜ男が潜んでいるのを教えなかった?」

「聞かれなかったからじゃよ。気がつかぬ八代が悪い。追うのか?」

 当たり前だと私は男が走り去った路地へと向かう。姫はヤハズの背に飛び乗り、遅れてヤハズは私に続く。

 路地から出ると人の往来は割れ、走り去る背広姿の男を誰もが見えていた。道の中央で走る男を私と私の影に溶け込み、人には見えないヤハズが追う。ヤハズの背には姫が乗り、右手を伸ばして男を指差した。

「さぁ行け! 敵を追い詰めるのじゃ!」

 なぜこんなにも楽しそうに。私はヤハズと共に人混みをかきわけ男を追った。男は何度も私たちの方を振り返り、そしていよいよ観念かんねんしたのか立ち止まる。私たちを振り返り、ポケットから小箱を取り出した。

 手のひらに納まるほどの小箱を右手に持ち直し、器用に小箱の中から赤く塗られたマッチを取り出す。人差し指を立て器用に小箱の側方へ擦りつけた。
 
 眉をひそめる私の横でヤハズがちらりと私を視線を送る。

ほうけている場合か! ここでは人が多すぎる!」

「焦るなよ。この後に及んでマッチだけどうにもならん」

「バカめ。これだから人はあてにならないんだ」

 まさかと立ち止まり男と対峙する。人混みの合間から見える男は右手に持った小さなマッチを頭上にかかげた。人差し指の先ほどしかない灯火ともしびは、手のひらほどに膨れ上がる。いく度かの脈動みゃくどうて、かがり火は炎となり、回転しながら人なら包み込めそうな大きさの火球かきゅうとなった。

「あいつは付喪之人つくものひとか! 人を巻き込もうとしている。なぜだ!?」

「私に考えが及ぶか。マッチとはそのような物だろう。姫・・・人が焼かれるのは別に構いませんが、面倒に巻き込まれたくはございません」

 うむ。と姫はヤハズの背中から飛び降り、あたりを見渡す。

「影が足りぬが仕方がない。時間はわずかじゃ。よいか? のんびりしておると影に呑まれてしまうからな」

 姫はしゃがみこみ、地面に手を当てフフフと笑う。街ゆく人は呆然ぼうぜんと火球を見上げていた。芸人の余興よきょうとでも思っているのか手を叩き、はやし立てる者さえいた。

 火球は小さな太陽のように人を照らして影を伸ばす。伸ばされた影は地面に置かれた姫の手に伸び、足元へと広がっていく。

「よいか? 言っておくが長くは持たぬぞ? ・・・・影花かげはな

 姫はぽつりと呟くと、手元に集まった底の見えない黒い影が雫跡しずくあとから円を描きつつ一気に広がった。目を奪われる私をよそに私とヤハズ、そして火球を掲げる男を家々の立ち並ぶ通りごと呑み込んでいく。
 まばたきほどのわずかな時間で、あたりは夜に呑まれてしまった。いや、影に呑まれてしまい輪郭を残したまま家々や往来は黒く染まる。そして人の姿は消えていた。

 影の中には私とヤハズ、姫とマッチ箱の男しかいない。男は明らかに困惑こんわくしていた。驚きながら目を丸め、火球に照らされた丸顔には口ひげが生えていた。
 耳元で整えられた髪は刈り上げられており、黒く小さな瞳はどこか動物を思わせる。

 茶色の背広は端々が汚れてほつれており、見た目よりもずっとみすぼらしい。みすぼらしいが狗鷲の返り血で濡れた背広が狂気的きょうきてきに男を見せている。

 実際に狂気に身をゆだねているのだろう。理由はわからないが。

「おいおい。これも姫ちゃんの影かい?」

 私が尋ねると、そうじゃ! と身を起こした姫が腰に手を当てる。

「影花は影で空間を包む。そして飲めるのは妾が選んだ事柄ことがらだけじゃ。妾の影に人はいらない。それだけのことだな」

 ありがとうございます。とヤハズは一歩前に踏み出して白手袋を整える。

「しかし影花は多くの影を使う。その間、姫はイバラを出せないのだ。八代。あいつが狗鷲とやらを殺したことは明らかだ。となるとあいつが出刃包丁の男につながっている。そう考えるのが当然だな?」

「あぁそうだろう。ただし事実は煙に巻かねばわからないがな」

「ならば姫を守っていろ。私がとらえて差し出そう」

 おい! 勝手な・・・と言い終わる前にヤハズはマッチ箱の男へと駆け出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

処理中です...