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第肆章 洋館と茶会の後
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「危ねぇな! それがどんな物かも知らねぇで。横っ腹を叩いたら暴発するんだ」
へっへ。と狗鷲は唇を歪めた奇妙な笑みを浮かべる。
「知っているよ。お前さんよりはな。白蛇のキセルはまだあるか? お前のばあさんが大切にしていただろう?」
部屋の奥にある神棚に白蛇のキセルは残っている。今更なが祖母が持ち出さずに逃げたことが不思議だった。物よりも家族を最期に選んだのだろう。着の身着のまま逃げ出して焼かれて死んだのだ。
キセルのことを狗鷲が知っていたことに、昔の私は怪訝に眉をよせる。
「お前は何者だ?」
「ワシは狗鷲。お前のばあさんと付喪を祓っていた男だよ」
付喪の話は祖母からすでに聞いていた。しかし狗鷲のことは聞いていない。狗鷲は私に構わず居間を通り過ぎ、神棚から白蛇のキセルを持つと、私に投げた。
「作法を教えてやろう。紫煙をまとうには相応の格好が必要だ。まずは身なりを整えろ」
有無を言わせぬ迫力に、言われるがまま私は衣服を整える。そして受け取ったキセルを見た。熱を持って震えている。私を見て狗鷲はようやく笑みを浮かべた。
「よしよし。次は紫煙をくゆらし吹きかけろ。そこから先にどうするかはお前次第だ」
「言われた通りにやらねえと帰らねえんだろう? デタラメだったら許さないからな」
その時は許さないでいい。と狗鷲が言って私は言われるがまま吸い口を唇に当てる。放つ言葉とは裏腹に私は心が躍っていた。見知らぬ親しい老人の意図したままに体が動く。
膿んでいた心に陽が差した。
人は役割によって生きる。生かされる。生きてもいいと許される。役目を果たせなかった私には、どうしようもなく心焦がれる答えだった。答えがたとえ忌み嫌った拳銃であっても、生の脈動が手足に温度を与えていく。
息を吸い込むと火口には何も乗っていないのに、口の中に煙が満ちる。
そして私は紫煙を拳銃へと吹きかける。紫煙は宙空に消えることなく拳銃へとまとわりついた。まとわりつき、次第に私の視界も黒へと染まる。
次に目を開いた時に、私は戦地にいた。砲撃の音が遠くで響き、自動小銃の渇いた音が耳へと届く。あたりは荒れ地で軍服に身を包んだ男たちが闊歩していた。
結局のところ戦地へおもむくことのできなかった私には、どこの場所かはわからない。
私が目線を下げると泥で汚れた軍服と、右手に携える拳銃が見えた。歩く先には手足を縛られた異国の軍服をきた男が膝を付き、私を見上げている。
右手から脳髄へと振動が伝わり、私には拳銃の声が聞こえた。殺さないで。と想っている。しかし拳銃にはその選択が許されない。拳銃の思いは私の視線を持つ軍人には伝わらず、異国の軍人を撃ち殺した。
糸の切れた人形のように地に伏せる軍人を見て、あぁ。と拳銃の思いは虚脱する。
私が今見ている景色が、拳銃に残された想い。付喪と成り果てた由縁だと知った。その後も、拳銃と軍人は多くの戦場を駆け抜け、拳銃が何度殺さぬように願っても、拳銃の想いが叶うことはなかったのだ。
そして拳銃を持つ男はたったひとりになっていた。逃げて隠れた穴倉の奥で、眉間に拳銃を当て、笑みを浮かべたままひとり果てた。その時、拳銃が抱いていた想いもまた崩れ、私の視界はもとの居間へと戻る。
息を切らして四肢で体を支える。必死の思いで狗鷲を見上げると何が見えた? と腕を組んでいた。
「拳銃が人を殺すさまが見えたよ。殺したくないと何度想っても、想いが果たされることはなかった。代わりに自分の持ち主が自分を使って命を絶った」
「幸運な拳銃だな。武器は人を殺すための道具だ。しかし使うのは人だ。必ずしも殺すために作られたわけではないってことだな。人を守るために作られたのだよ。作った人の強い想いが宿っておるのだろう。人を殺すのは道具ではなく、殺意を持って引き金を引くのは人だ」
「なぜお前にはわかる? お前にも物の声が聞こえるのか?」
「ワシには聞こえんよ。お主の婆さんから託された言葉だ。次は八代の番だと。自分よりずっと優れた古道具屋の翁になれるんだとよ。付喪の想いを晴らすために生きることができる。ワシにはそうは思えんがな」
「説教をするためにここにきたのか?」
言葉とは裏腹に、熱をまだ帯びているキセルを握った。拳銃もまた私の手で脈動を続ける。
「いいや。仕事を教えるためだ。ワシのもとにはさまざまな物が集まる。その拳銃だって上官の遺品として部下が持ち帰ってきたという。そして生活に困ってワシへと流れてきた。持っているだけで駐屯兵に捕まるだろう。しかし高値でも売れる。想いを祓ってワシを手伝うのなら、譲ってやってもいい。ワシの商いを手伝うのならば、お主は体を守ることになるだろうからな」
「いらねぇよ。まだ捕まりたくはねぇ。声が聞こえないのに理解しているのか? 拳銃に込められた想いを」
「わからんが知っておる。込められた強い想いだけではなく、想いが果たされぬ遺恨の方がずっと強い想いだ。それが物を付喪とする。さぁ・・・お主はどうするのだ? お前はどう祓う? 」
ふん。と私は右手持った拳銃を見る。人を守るという想いで作られ、戦地で多くの人を撃った拳銃。拮抗する想いの葛藤で、遺恨を残して想いを宿した付喪。
私は拳銃を持ち上げ、狗鷲へと向ける。
「言っておくが想いは込められていても、玉は込められておらんぞ? それにワシはいつ死んでもいいのだ。そういう商いだからな。恨みも買った。それがお前の答えか?」
「黙っていろ」
そして私は引き金を引く。カチャリと音がして当然ながら弾は発射されることがない。
「わかっただろう? 拳銃よ。撃鉄を弾くのは人だ。お前じゃない。そして人を貫くのはお前から放たれた黒い弾だ。お前ではない。だから俺はお前に弾を込めることはないゆえに、お前は人をもう殺さない。弾が込められることはないからな。ただ頭でっかちな銃身があるだけで、俺の身を守るだろうよ。与えるのは畏怖(いふ)だけでいい。そのままでいいんだ。ただ俺の想いを込めてやる。いつかお前が形を保てず果てるまでな」
右手に握る拳銃が一度強く熱を持つと、すぐに熱は失われていった。わずかに蒼色をした水玉に包まれたように見える。
ふん。と狗鷲は鼻を鳴らす。口元は満足そうに弧を描いていた。
「まぁ。それくらいはやってもらわんとな。拳銃はきっと自分が殺したと思っていたのだろう。しかし決して違う。付喪を祓うのはふたつにひとつだ。想いの宿った物を破壊するか、煙に巻いて想いを晴らしてやる。古道具屋の翁となった者の言葉でな。そうして祓うんだ。祖母に教わったか?」
「知らねえよ。ただ思い悩める道具が人にいいように使われるのが我慢ならねぇだけだ」
上出来だな。と狗鷲は踵を返し、おい! と私の声に背中を見せたまま右手を上げる。
「聞こえているだろう? 白蛇。目を覚ましてワシの手伝いがなんたるかを教えてやれ」
じゃぁな。と狗鷲が姿を消して代わりに白蛇のキセルが煙に巻かれて、シュルシュルと音を立てて私に左手に白蛇が巻き付いていた。
「まったく神さまをなんやと思っとるねん! そんでよろしゅう! かわいい付喪神の白蛇ちゃんやで!」
ゆらゆらと小気味よく体を揺らす白蛇に、存分に私は腰を砕かれる。へっへと。嬉しそうに笑う白蛇は楽しそうに私へ語った。
付喪がなんたるかを。人の五感と肉体を奪い人と成り変わった物に由来する力を持った付喪之人、そしてやがて神となった付喪神を。
「まぁ。ワイみたいな付喪神になった付喪はそうおらん。大切にするんやな」
話の最後に白蛇は結ぶ。それから私は狗鷲に言われるがままに付喪や、付喪之人となった物の想いを晴らし、時には砕く。
いつしかまわりからも古道具屋の翁と呼ばれるようになった。いわれのある古道具を祓う翁となったのだ。結果として私は闇市で権力を持つ狗鷲と取引し、安価で食料や米を得ることができた。
力のない老人や子供はいつしか私を頼るようになり、幸か不幸か人に慕われるようになったのだ。
物の想いに触れるたびに、拳銃の付喪を思い出す。物の想いを知ってか知らずか人は勝手だ。純粋な物の想いを勝手に操り遺恨を残す。
私が人を嫌いになってしまったのは当然の成り行きだった。その点は夜桐ヤハズと大して代わりはないかもしれない。
まぶたの裏に浮かぶ思い出から思考を現実に戻し、あれこれやかましく話しながら料理を作る千鳥とヤハズを眺める。体を左右に揺らす姫の後ろ姿もまた見えた。
そして視界の端で外へと通じる扉がわずかに開き、六つの瞳が覗くのが見えた。
へっへ。と狗鷲は唇を歪めた奇妙な笑みを浮かべる。
「知っているよ。お前さんよりはな。白蛇のキセルはまだあるか? お前のばあさんが大切にしていただろう?」
部屋の奥にある神棚に白蛇のキセルは残っている。今更なが祖母が持ち出さずに逃げたことが不思議だった。物よりも家族を最期に選んだのだろう。着の身着のまま逃げ出して焼かれて死んだのだ。
キセルのことを狗鷲が知っていたことに、昔の私は怪訝に眉をよせる。
「お前は何者だ?」
「ワシは狗鷲。お前のばあさんと付喪を祓っていた男だよ」
付喪の話は祖母からすでに聞いていた。しかし狗鷲のことは聞いていない。狗鷲は私に構わず居間を通り過ぎ、神棚から白蛇のキセルを持つと、私に投げた。
「作法を教えてやろう。紫煙をまとうには相応の格好が必要だ。まずは身なりを整えろ」
有無を言わせぬ迫力に、言われるがまま私は衣服を整える。そして受け取ったキセルを見た。熱を持って震えている。私を見て狗鷲はようやく笑みを浮かべた。
「よしよし。次は紫煙をくゆらし吹きかけろ。そこから先にどうするかはお前次第だ」
「言われた通りにやらねえと帰らねえんだろう? デタラメだったら許さないからな」
その時は許さないでいい。と狗鷲が言って私は言われるがまま吸い口を唇に当てる。放つ言葉とは裏腹に私は心が躍っていた。見知らぬ親しい老人の意図したままに体が動く。
膿んでいた心に陽が差した。
人は役割によって生きる。生かされる。生きてもいいと許される。役目を果たせなかった私には、どうしようもなく心焦がれる答えだった。答えがたとえ忌み嫌った拳銃であっても、生の脈動が手足に温度を与えていく。
息を吸い込むと火口には何も乗っていないのに、口の中に煙が満ちる。
そして私は紫煙を拳銃へと吹きかける。紫煙は宙空に消えることなく拳銃へとまとわりついた。まとわりつき、次第に私の視界も黒へと染まる。
次に目を開いた時に、私は戦地にいた。砲撃の音が遠くで響き、自動小銃の渇いた音が耳へと届く。あたりは荒れ地で軍服に身を包んだ男たちが闊歩していた。
結局のところ戦地へおもむくことのできなかった私には、どこの場所かはわからない。
私が目線を下げると泥で汚れた軍服と、右手に携える拳銃が見えた。歩く先には手足を縛られた異国の軍服をきた男が膝を付き、私を見上げている。
右手から脳髄へと振動が伝わり、私には拳銃の声が聞こえた。殺さないで。と想っている。しかし拳銃にはその選択が許されない。拳銃の思いは私の視線を持つ軍人には伝わらず、異国の軍人を撃ち殺した。
糸の切れた人形のように地に伏せる軍人を見て、あぁ。と拳銃の思いは虚脱する。
私が今見ている景色が、拳銃に残された想い。付喪と成り果てた由縁だと知った。その後も、拳銃と軍人は多くの戦場を駆け抜け、拳銃が何度殺さぬように願っても、拳銃の想いが叶うことはなかったのだ。
そして拳銃を持つ男はたったひとりになっていた。逃げて隠れた穴倉の奥で、眉間に拳銃を当て、笑みを浮かべたままひとり果てた。その時、拳銃が抱いていた想いもまた崩れ、私の視界はもとの居間へと戻る。
息を切らして四肢で体を支える。必死の思いで狗鷲を見上げると何が見えた? と腕を組んでいた。
「拳銃が人を殺すさまが見えたよ。殺したくないと何度想っても、想いが果たされることはなかった。代わりに自分の持ち主が自分を使って命を絶った」
「幸運な拳銃だな。武器は人を殺すための道具だ。しかし使うのは人だ。必ずしも殺すために作られたわけではないってことだな。人を守るために作られたのだよ。作った人の強い想いが宿っておるのだろう。人を殺すのは道具ではなく、殺意を持って引き金を引くのは人だ」
「なぜお前にはわかる? お前にも物の声が聞こえるのか?」
「ワシには聞こえんよ。お主の婆さんから託された言葉だ。次は八代の番だと。自分よりずっと優れた古道具屋の翁になれるんだとよ。付喪の想いを晴らすために生きることができる。ワシにはそうは思えんがな」
「説教をするためにここにきたのか?」
言葉とは裏腹に、熱をまだ帯びているキセルを握った。拳銃もまた私の手で脈動を続ける。
「いいや。仕事を教えるためだ。ワシのもとにはさまざまな物が集まる。その拳銃だって上官の遺品として部下が持ち帰ってきたという。そして生活に困ってワシへと流れてきた。持っているだけで駐屯兵に捕まるだろう。しかし高値でも売れる。想いを祓ってワシを手伝うのなら、譲ってやってもいい。ワシの商いを手伝うのならば、お主は体を守ることになるだろうからな」
「いらねぇよ。まだ捕まりたくはねぇ。声が聞こえないのに理解しているのか? 拳銃に込められた想いを」
「わからんが知っておる。込められた強い想いだけではなく、想いが果たされぬ遺恨の方がずっと強い想いだ。それが物を付喪とする。さぁ・・・お主はどうするのだ? お前はどう祓う? 」
ふん。と私は右手持った拳銃を見る。人を守るという想いで作られ、戦地で多くの人を撃った拳銃。拮抗する想いの葛藤で、遺恨を残して想いを宿した付喪。
私は拳銃を持ち上げ、狗鷲へと向ける。
「言っておくが想いは込められていても、玉は込められておらんぞ? それにワシはいつ死んでもいいのだ。そういう商いだからな。恨みも買った。それがお前の答えか?」
「黙っていろ」
そして私は引き金を引く。カチャリと音がして当然ながら弾は発射されることがない。
「わかっただろう? 拳銃よ。撃鉄を弾くのは人だ。お前じゃない。そして人を貫くのはお前から放たれた黒い弾だ。お前ではない。だから俺はお前に弾を込めることはないゆえに、お前は人をもう殺さない。弾が込められることはないからな。ただ頭でっかちな銃身があるだけで、俺の身を守るだろうよ。与えるのは畏怖(いふ)だけでいい。そのままでいいんだ。ただ俺の想いを込めてやる。いつかお前が形を保てず果てるまでな」
右手に握る拳銃が一度強く熱を持つと、すぐに熱は失われていった。わずかに蒼色をした水玉に包まれたように見える。
ふん。と狗鷲は鼻を鳴らす。口元は満足そうに弧を描いていた。
「まぁ。それくらいはやってもらわんとな。拳銃はきっと自分が殺したと思っていたのだろう。しかし決して違う。付喪を祓うのはふたつにひとつだ。想いの宿った物を破壊するか、煙に巻いて想いを晴らしてやる。古道具屋の翁となった者の言葉でな。そうして祓うんだ。祖母に教わったか?」
「知らねえよ。ただ思い悩める道具が人にいいように使われるのが我慢ならねぇだけだ」
上出来だな。と狗鷲は踵を返し、おい! と私の声に背中を見せたまま右手を上げる。
「聞こえているだろう? 白蛇。目を覚ましてワシの手伝いがなんたるかを教えてやれ」
じゃぁな。と狗鷲が姿を消して代わりに白蛇のキセルが煙に巻かれて、シュルシュルと音を立てて私に左手に白蛇が巻き付いていた。
「まったく神さまをなんやと思っとるねん! そんでよろしゅう! かわいい付喪神の白蛇ちゃんやで!」
ゆらゆらと小気味よく体を揺らす白蛇に、存分に私は腰を砕かれる。へっへと。嬉しそうに笑う白蛇は楽しそうに私へ語った。
付喪がなんたるかを。人の五感と肉体を奪い人と成り変わった物に由来する力を持った付喪之人、そしてやがて神となった付喪神を。
「まぁ。ワイみたいな付喪神になった付喪はそうおらん。大切にするんやな」
話の最後に白蛇は結ぶ。それから私は狗鷲に言われるがままに付喪や、付喪之人となった物の想いを晴らし、時には砕く。
いつしかまわりからも古道具屋の翁と呼ばれるようになった。いわれのある古道具を祓う翁となったのだ。結果として私は闇市で権力を持つ狗鷲と取引し、安価で食料や米を得ることができた。
力のない老人や子供はいつしか私を頼るようになり、幸か不幸か人に慕われるようになったのだ。
物の想いに触れるたびに、拳銃の付喪を思い出す。物の想いを知ってか知らずか人は勝手だ。純粋な物の想いを勝手に操り遺恨を残す。
私が人を嫌いになってしまったのは当然の成り行きだった。その点は夜桐ヤハズと大して代わりはないかもしれない。
まぶたの裏に浮かぶ思い出から思考を現実に戻し、あれこれやかましく話しながら料理を作る千鳥とヤハズを眺める。体を左右に揺らす姫の後ろ姿もまた見えた。
そして視界の端で外へと通じる扉がわずかに開き、六つの瞳が覗くのが見えた。
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