7 / 44
第弐章 まな板と翁の商い
-4-
しおりを挟む
開かれた扉の向こうには、猫の額ほどの土間があり、先には囲炉裏で炭に火が宿っている。囲炉裏の四方を真っ赤な座布団が囲んでいた。
広い長方形の居間は戸棚に包まれている。そこには舶来物の珍品。意図のわからぬ木彫りの置物や、手毬、洋書が並び隅には見慣れない西洋人形が足を垂らして腰かけていた。物からは不思議と想いは伝わってこない。白蛇のキセルも熱を持たずすっかりと空虚だ。そして囲炉裏の灯りに照らされて、奥ではあぐらをかいた藍色の甚兵衛を着た男がいる。
つるりと剃られた頭には横にシワが刻まれて、骨と皮だけになった右手は顎先に指先を沿わせた。膝に置かれた左手は火箸で炭をつついている。形を崩した墨が火の粉を舞わせ、顔に刻まれたシワが奇妙に広がった。目は窪んでおり瞳の奥は見えない。
「おうおう。翁か。今度は何を持ってきたんだ? それに嬢ちゃんも一緒とはね。からかってやろうと思ったが、御婦人の前でそれは失礼だろうなぁ」
ひっひ。と片方の口元だけを上げて笑う老人に、私はため息で返す。土間で草履を脱いで、千鳥へと目配せすると千鳥も私にならって土間から囲炉裏の前に進む。
老人の右隣で私は腰を下ろし、千鳥は囲炉裏を挟んで正面に腰を下ろした。ひっひ。と老人は笑いを含みながら火鉢で炭をつき、値踏みするように千鳥を眺めた。
「あっあの・・・白草千鳥と言います。ご迷惑でしたか?」
いいや。と老人は首を横に振った。迷惑だよ。と私は声にも出さずに老人を見る。
「そんなことはねぇ。翁にようやく嫁がきた。と話には聞いていたがこんなに綺麗な女とはねぇ。嘘みたいに綺麗な名前だ。役者かい?」
「いいえ。駅前の喫茶店で給仕をしています。あの・・・お名前を聞いてもいいですか?」
「この好々爺は、狗鷲ってんだ。もちろん本名じゃねえし、本名は誰も知らねぇ」
「おいおい。ワシに聞いてくれたんだ。しばらくぶりの若い女との会話だ。楽しませてくれよ」
「それではよろしくお願いします。狗鷲さん。でもどうして私が翁さんのところに転がり込んだことを知っているのですか?」
「そりゃワシの耳はどこにでもあるのさ。それに街に出ずとも街のようすは目で見たようにわかる。目が不自由でも匂いでわかる。だから狗鷲さね。昔はもっと賑やかだったんだがねぇ。子分もたくさんいてさ。今では兵隊にとられて帰っても来ねえから、爺さんひとりさ」
「それは・・・寂しいですね」
そうでもないよ。と狗鷲は右手で頭を撫でた。それにしても今朝の話だというのに、さすがに耳が早い。炭火が照らす老人の影は家の奥まで続いている。暗くて見えないが狗鷲の根城には底が見えないほどに奥行きがある。
まるで奈落のような場所だった。
「御託はいいからさっさと要件を聞いてくれるか? 麻子のばあさんからだよ。たんと米を用意してくれ」
私は風呂敷を開き、狗鷲は畳まれた赤い晴れ着に視線を落とした。そしてシワくちゃの指先で布を撫でる。
「こりゃ奮発したなぁ。ただ人の匂いは感じないねぇ。たいして着られることもなかっただろうに。ばあさんも麻子ちゃんが大人になるまで待てねぇってことだな。飯が食えなきゃ大人にもなれねぇ」
悲しいねえ。と狗鷲は一度だけ目を伏せた。そして射抜くように、身を屈めながら私の瞳を見る。
「そんで。例の件は解決したのかい? 若造のあんたがワシと取引できるのは、御用聞きをしてくれるからなんだがね」
私は袖口に手を入れて、歯噛みし頬が歪んだ。どうせ知っているだろうね。と意地の悪い爺さんだと思った。千鳥もいるが、無関係ではない。
それに私はまだ千鳥の口から聞いていなかった。なぜ出刃包丁に追われていたのかと。
ちょうどいい。と私は観念し狗鷲と瞳を合わせる。
「もう知っているだろう。あんたから言われた通り、やはり出刃包丁の男は黄昏時に現れて街を物色していた。後をつけていよいよ追い詰めたところで、出刃包丁の男は取り逃がしたよ。得体の知れない奴らに邪魔されてな。代わりに千鳥を助けることができた」
「そりゃ単なる偶然だ。ワシはその嬢ちゃんの存在を知らんかった。ワシがお主に頼んだのはこうだ。子供の神隠しに出刃包丁の男が絡んでいる。だからそれをなんとかしろと。お偉方の子供もいなくなっているんだからと。ワシの手足になって働けと。田雲雀のばあさんが悲しむなぁ」
ふん。と私が鼻息を鳴らしても狗鷲は私の瞳をじぃっと見つめている。心の奥底を見つめる瞳は苦手だった。煙に巻こうとも狗鷲には通用しないだろう。
私と狗鷲の表情を見比べて、千鳥は首をかしげたのが見えた。
「あの・・・なんだか私のせいですみません。その・・・神隠しって何ですか?」
「嬢ちゃんのせいじゃないよ。この男が未熟なだけさ。それに簡単な話だ。この街で次々と子供が消えていくんだ。街を駆け回り遊んだ後で、黄昏時を迎えると子供が消えていく。話だけではそう珍しいもんでもない。人さらいだってまだいる。その類だと思っていたが、数が増えすぎた。ワシの意図せぬ場所で増え続けておる。それに今ないが財閥の娘だって容赦なしさ。街に子供はいくらでも転がっているのに節操がねぇ。だからワシに依頼がきたのさ」
広い長方形の居間は戸棚に包まれている。そこには舶来物の珍品。意図のわからぬ木彫りの置物や、手毬、洋書が並び隅には見慣れない西洋人形が足を垂らして腰かけていた。物からは不思議と想いは伝わってこない。白蛇のキセルも熱を持たずすっかりと空虚だ。そして囲炉裏の灯りに照らされて、奥ではあぐらをかいた藍色の甚兵衛を着た男がいる。
つるりと剃られた頭には横にシワが刻まれて、骨と皮だけになった右手は顎先に指先を沿わせた。膝に置かれた左手は火箸で炭をつついている。形を崩した墨が火の粉を舞わせ、顔に刻まれたシワが奇妙に広がった。目は窪んでおり瞳の奥は見えない。
「おうおう。翁か。今度は何を持ってきたんだ? それに嬢ちゃんも一緒とはね。からかってやろうと思ったが、御婦人の前でそれは失礼だろうなぁ」
ひっひ。と片方の口元だけを上げて笑う老人に、私はため息で返す。土間で草履を脱いで、千鳥へと目配せすると千鳥も私にならって土間から囲炉裏の前に進む。
老人の右隣で私は腰を下ろし、千鳥は囲炉裏を挟んで正面に腰を下ろした。ひっひ。と老人は笑いを含みながら火鉢で炭をつき、値踏みするように千鳥を眺めた。
「あっあの・・・白草千鳥と言います。ご迷惑でしたか?」
いいや。と老人は首を横に振った。迷惑だよ。と私は声にも出さずに老人を見る。
「そんなことはねぇ。翁にようやく嫁がきた。と話には聞いていたがこんなに綺麗な女とはねぇ。嘘みたいに綺麗な名前だ。役者かい?」
「いいえ。駅前の喫茶店で給仕をしています。あの・・・お名前を聞いてもいいですか?」
「この好々爺は、狗鷲ってんだ。もちろん本名じゃねえし、本名は誰も知らねぇ」
「おいおい。ワシに聞いてくれたんだ。しばらくぶりの若い女との会話だ。楽しませてくれよ」
「それではよろしくお願いします。狗鷲さん。でもどうして私が翁さんのところに転がり込んだことを知っているのですか?」
「そりゃワシの耳はどこにでもあるのさ。それに街に出ずとも街のようすは目で見たようにわかる。目が不自由でも匂いでわかる。だから狗鷲さね。昔はもっと賑やかだったんだがねぇ。子分もたくさんいてさ。今では兵隊にとられて帰っても来ねえから、爺さんひとりさ」
「それは・・・寂しいですね」
そうでもないよ。と狗鷲は右手で頭を撫でた。それにしても今朝の話だというのに、さすがに耳が早い。炭火が照らす老人の影は家の奥まで続いている。暗くて見えないが狗鷲の根城には底が見えないほどに奥行きがある。
まるで奈落のような場所だった。
「御託はいいからさっさと要件を聞いてくれるか? 麻子のばあさんからだよ。たんと米を用意してくれ」
私は風呂敷を開き、狗鷲は畳まれた赤い晴れ着に視線を落とした。そしてシワくちゃの指先で布を撫でる。
「こりゃ奮発したなぁ。ただ人の匂いは感じないねぇ。たいして着られることもなかっただろうに。ばあさんも麻子ちゃんが大人になるまで待てねぇってことだな。飯が食えなきゃ大人にもなれねぇ」
悲しいねえ。と狗鷲は一度だけ目を伏せた。そして射抜くように、身を屈めながら私の瞳を見る。
「そんで。例の件は解決したのかい? 若造のあんたがワシと取引できるのは、御用聞きをしてくれるからなんだがね」
私は袖口に手を入れて、歯噛みし頬が歪んだ。どうせ知っているだろうね。と意地の悪い爺さんだと思った。千鳥もいるが、無関係ではない。
それに私はまだ千鳥の口から聞いていなかった。なぜ出刃包丁に追われていたのかと。
ちょうどいい。と私は観念し狗鷲と瞳を合わせる。
「もう知っているだろう。あんたから言われた通り、やはり出刃包丁の男は黄昏時に現れて街を物色していた。後をつけていよいよ追い詰めたところで、出刃包丁の男は取り逃がしたよ。得体の知れない奴らに邪魔されてな。代わりに千鳥を助けることができた」
「そりゃ単なる偶然だ。ワシはその嬢ちゃんの存在を知らんかった。ワシがお主に頼んだのはこうだ。子供の神隠しに出刃包丁の男が絡んでいる。だからそれをなんとかしろと。お偉方の子供もいなくなっているんだからと。ワシの手足になって働けと。田雲雀のばあさんが悲しむなぁ」
ふん。と私が鼻息を鳴らしても狗鷲は私の瞳をじぃっと見つめている。心の奥底を見つめる瞳は苦手だった。煙に巻こうとも狗鷲には通用しないだろう。
私と狗鷲の表情を見比べて、千鳥は首をかしげたのが見えた。
「あの・・・なんだか私のせいですみません。その・・・神隠しって何ですか?」
「嬢ちゃんのせいじゃないよ。この男が未熟なだけさ。それに簡単な話だ。この街で次々と子供が消えていくんだ。街を駆け回り遊んだ後で、黄昏時を迎えると子供が消えていく。話だけではそう珍しいもんでもない。人さらいだってまだいる。その類だと思っていたが、数が増えすぎた。ワシの意図せぬ場所で増え続けておる。それに今ないが財閥の娘だって容赦なしさ。街に子供はいくらでも転がっているのに節操がねぇ。だからワシに依頼がきたのさ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

婚約破棄をされ、処刑された悪役令嬢が召喚獣として帰ってきた
朋 美緒(とも みお)
ファンタジー
中央から黒い煙が渦を巻くように上がるとその中からそれは美しい女性が現れた
ざわざわと周囲にざわめきが上がる
ストレートの黒髪に赤い目、耳の上には羊の角のようなまがった黒い角が生えていた、グラマラスな躯体は、それは色気が凄まじかった、背に大きな槍を担いでいた
「あー思い出した、悪役令嬢にそっくりなんだ」
***************
誤字修正しました

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
伯爵令嬢の秘密の知識
シマセイ
ファンタジー
16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のルナリス伯爵家にミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる