【完結】古道具屋の翁~出刃包丁と蛇の目傘~

tanakan

文字の大きさ
上 下
6 / 44
第弐章 まな板と翁の商い

-3-

しおりを挟む
 子供たちの喧騒が部屋から遠のき、ようやく私は一息ついた。普段なら寝起きの霞に包まれた頭の中でぼんやりと過ごしているのにと、再びキセルの火口にタバコ草を詰める。扉は開かれており風のない照りつける日差しで、外が明るくぼやけて見えた。

「いい子たちだねぇ。それにたくさん食べてくれた」

 後片付けをしながら千草は言った。かちゃかちゃと食器が水を浴び、上がる気温で背中に汗をじっとりとかく。
 私は涼しげに洗われる食器が羨ましく感じた。

「俺の米なのにな。少しくらいは遠慮を覚えて欲しいもんだ」

「子供はそれくらいがいいよ。何も悩まずにただただ日々を楽しんでいればいいの。それでさ。麻子ちゃんから受け取った晴れ着はどうするんだい?」

 畳まれて部屋の隅に置かれた晴れ着に私は目を向ける。汚れのひとつもなく晴れ着だからか、生活感がない。麻子の母はほとんど袖を通すことがなかったのだろう。

「闇市に持っていくのさ。老人や子供じゃ足元を見られるのがオチだ。それに無事に目当ての物と交換できるとも限らねえ」

「だから代わりに物々交換てわけ? まるで正義の味方だねぇ」

「仲介料はもらってるさ。無償でやってるわけでもない。俺だって生きるのに必死だからな」

 照れてるの? と千草は私に尋ねて、私は答えずそっぽを向いた。

「だから慕われてるんだねぇ。これが古道具屋の翁さんの商いってわけだ!」

「もちろんそれだけじゃねぇよ。古道具だって売っている。娯楽に費やす余力がなくても、娯楽を求めるのが人ってもんだ。中には言い値で買い取ってくれる旦那もいる。まぁ金持ちにはならねえだろうが」
 
 軒先に並ぶのは想いを祓われた付喪であった物たちである。想いを宿し人になろうとしてなれなかった哀れな物たち。せめて新しい主人のもとで物としての想いを全うして欲しかった。人の欲に染まらずに、余計なことなど想うことなく。生きて欲しかった。

「そんじゃ起きたついでにちょっと出てくる。用事が済んだら俺は寝る」

 居間から立ち上がり、晴れ着を私は風呂敷に包む。土間に降りると、エプロンで手を拭きながらちょっと待って! と千鳥が私に駆け寄った。

「私も連れて行ってよ。翁の商いに興味が湧いた。何か手伝えることもあるかもしれないし」

「もう一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩は返しただろう? 」

「ふふん。袖触れ合うのも何かの縁ってね。別に減るもんじゃないでしょう?」

 へへへ。と千鳥は少女のように意図を感じさせぬように破顔した。
 
 面倒くせえなぁと思いつつ昨夜の一件もまた気にかかっていた。なぜこの女は付喪が人になりかわった、付喪之人に襲われていたのか。用いた技からおそらく手に持つ包丁が主人の体を奪ったのだろう。
 女を隣に置いておけば、再び出会う因果になり得るかもしれない。それに知らぬ場所で女が命を落としても目覚めが悪い。袖触れ合う縁というのも厄介だと、私は息を吐く。

「まぁいいだろう。それに楽しいもんじゃねぇからな」

「あらやだいいじゃない。私は田舎から出てきたばっかりだからさ。街を案内してよ」

「どうぞご勝手に」

 やった。と千鳥は両手を合わせて少しだけ跳ねる。私は包んだ晴れ着を腕に持ち外に出た。

 往来にはいつしか人が溢れており、互いに笑みを交わしながら歩いている。戦後の混乱も何年か経つと悲壮ひそうな表情を浮かべていた人は、いつしか目線を上げて歩き出していた。
 戦災の復興と復興に伴う事業の拡大。財閥は解体され雇用が増えつつあるものの、貧しいのは変わりないが、人はそれぞれの生活を取り戻しつつあった。
 ふと街のはずれで、まだに軍装に身を包んだ男がギターを奏でている。あるはずの右足はなく、目の前には銀色をした小箱が置かれていた。それぞれの生活を取り戻しているのは傷が浅かった人である。深い傷を負った人はそうそう立ち直ることなんてできない。
 
 流れていく日々の中にどうにかすがりついて、置いて行かれないように生きていくだけなのだ。
 
 そして千鳥は辺りを物珍しそうに眺めながら私の隣を歩いている。田舎から出てきたばかりというのは本当らしい。

「なんだか賑やかだねぇ。あんなにボロボロだった街が嘘みたい」

「まぁ人はたくましいってことだ。最初からこんなに賑やかだったわけじゃねぇがな。ボロボロの屋根もねぇ露天から、トタンの屋根がついて。お上の配給だけじゃ生きていけねぇしいつ来るかもわかんねぇ。千鳥は田舎にいた方がよかったかもしれねぇな。少なくとも飯は食えた」

「それは嫌だねえ」

 千鳥はぽつりと他人事のようにこぼすと、駆け抜ける汚れた茶色の上着を着た男が駆け抜けるのをするりと避けた。

「気をつけろ!」

 駆け抜ける男の怒号に千鳥はべぇっと舌を出す。

「まったく油断も隙もありゃしない。それでさ。どこに行くんだい?」

「闇市にも縄張なわばりはあるのさ。治安を守るには力が必要だ。よって闇市にも派閥ができる。まぁ馴染なじみのところさ。俺たちは持ちつ持たれつ生きてんだ」

 生きるのは大変だねぇ。と千鳥は辺りを見渡しながら歩いていく。

 それにしても変な女だと思った。得体の知れないのは私も一緒だ。こうも信用してついてくるなど、やはり田舎の生まれか。警戒心のかけらもない。まぁ、だからといって私がどうこうするわけではないけれど。

 袖に手を入れ歩いていると、賑わうひときわ大きな闇市の通りを抜ける。並ぶトタン屋根の外れから路地へと入った。千鳥は眉をひそめて両脇に並ぶ木造りの吹けば飛ぶような建物を見上げていた。

「ウチはあんたのことを信用しているけど、ウチを売り飛ばそうってんなら覚悟しなよ?」

 私がため息を吐くと千鳥はくすくすと頬を崩して、口元に手を当てた。目は弧を描いていて、路地に浮かぶ口元が今度はこちらが化かされているような気分になる。

「うそうそ。翁さんのことは信用しているさ。そんで目当ての場所はどこにあるんだい? 人の賑わいが嘘みたいになくなってしまったねぇ」

「うるさくなくていいだろう? ここの老人は人の声を嫌うんだ。まぁ・・・街が焼かれる前にはそれなりに鳴らし
た男らしくてね。品物に関しては信頼できる。師匠筋ししょうすじだから、あれやこれやとうるさいがな」

 そりゃ楽しみだ。と千鳥はわくわくと胸元で両手を揉んでいる。鼻歌交じりに暗い路地に浮かぶ女給仕の姿はまさに混沌としていた。

 奥まった路地の奥に、ぼんやりと明かりが見える。くすんだすりガラスの向こうでゆらゆらと揺れるのは人魂のようなランタンの灯火である。一見して民家と変わらない。焼け落ちた街には多くの家屋が建てられた、家屋と言えるか怪しいほどのボロ小屋は、闇市に並ぶ露天よりは少しマシだという程度のトタンで屋根と壁が作られる。

 嵐が来れば吹き飛んでしまいそうなほどの、雨露あまつゆをしのげればよしという程度の家屋である。
 
 まぁそれでも屋根があるだけマシか。いつの間にか目の前に現れた目的の家もまた街に並ぶ家屋と変わらない。しかしそれは表面上である。左右に並ぶ高い建物に挟まれて奥は見えない。それに表面上はトタンの壁であっても、扉だけは重厚な黒い一枚板で作られている。軽い金属で支えられることが叶わないほどの重さだろう。

 まるで地獄へ続く路地にも見えるその場所は、ひどく湿った空気が流れている。背中に汗が流れて、明かりの届かない路地で汗はすぐに冷える。湿った風が指の間を流れていって、すえた匂いが鼻をついた。人を拒んでいるような佇まいに千鳥は二の足を踏む。

 私は千鳥を横目に見て重い扉を開く。錆びた金属の擦れる音が響いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界にアバターで転移?させられましたが私は異世界を満喫します

そう
ファンタジー
ナノハは気がつくとファーナシスタというゲームのアバターで森の中にいた。 そこからナノハの自由気ままな冒険が始まる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

伯爵令嬢の秘密の知識

シマセイ
ファンタジー
16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のルナリス伯爵家にミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。

魔境へ追放された公爵令息のチート領地開拓 〜動く屋敷でもふもふ達とスローライフ!〜

西園寺わかば
ファンタジー
公爵家に生まれたエリクは転生者である。 4歳の頃、前世の記憶が戻って以降、知識無双していた彼は気づいたら不自由極まりない生活を送るようになっていた。 そんな彼はある日、追放される。 「よっし。やっと追放だ。」 自由を手に入れたぶっ飛んび少年エリクが、ドラゴンやフェンリルたちと気ままに旅先を決めるという物語。 - この話はフィクションです。 - カクヨム様でも連載しています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...