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第壱章 出刃包丁と夜の街
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しおりを挟む眼前にはどこまでも続く闇が広がっていた。
地平まで続く大通りには、やけ焦げ崩れた家の跡がまだ残る。
それでも人はたくましい。歳を焼け崩した戦火から、幾年でこれほどまで待ちの形を取り戻しているのだから。
私は街を駆けながら周りを見渡す。もはや必要悪となった闇市の賑わいも、汚れた開襟シャツで働く人々も闇夜では声をひそめる。まだまだ世相は混沌としている。それでも人が人らしく生きていけるようになったのは、敗戦した国としては奇跡的なことだろう。
なんとも人は因果だねえ。それゆえ人は人なのだけど。
それでもかつて街を照らしていた街灯はなく、進む先の見えない闇夜は続く。肩にかけた紫色の薄い羽織が風に揺れる。賭ける私の足に合わせて藍色の着流しは揺れ、編まれた草鞋が砂利を跳ね上げた。左手に持つ白銀色のキセルが熱を持ち続け、鼓動と同じ速度で拍動している。
鼓動が速まりキセルの形は溶けていた。鋼ではなく銀色の糸でバラバラと解けるように形を崩し、私の左手に巻きついていく。巻きつき今度は細長く形を変え、手首に巻きつき頭を伸ばしていった。
肘から手首ほどの長さで、身を揺らしながらマムシにも似た蛇の形を得たキセルは私の眼前へと頭を伸ばす。真っ赤な瞳が私を覗く。
「ようよう。白蛇。ようやく目が覚めたかい。それで付喪はどこにいるんだ?」
「いきなりやなぁ。こっちは寝起きなんやからもっと気をつかってくれへんかな?毎夜毎夜連れ出して。そんなに楽しいんか?付喪払いをすんのが」
白蛇は私を非難する瞳で語りかける。人には見せられない姿だと思った。蛇と会話しているなんてどうかしている。
いや、そもそも蛇が話しているのだ。私よりもその方がおかしい。不可思議である。こんな商いをせずとも、いっそのこと白蛇を見世物にした方がはるかに儲かるかもしれない。いっそのこと見世物小屋でも開くかね。
考えていると左手の白蛇が身を揺らして、僕の眼前へと小さな頭と真っ赤な瞳を伸ばす。
「まーた。金儲けのことを考えているやろ?あかんなぁ。その角ばった頬と眉間のシワが寄ってさらに堀の深い目が物語っとるわ。それになんで油で髪を固めとるねん。椿の匂いは苦手やねんから。なぁ?田雲雀 八代はん?」
「煙に巻くにはそれ相応の格好をしなければならんのだよ。さぁ。付喪の場所を教えてくれ。いい加減走るのは疲れたからな」
「はいはい。まったくいくら鍛え上げられても、日がな一日古道具屋の番をしとったら、体も鈍るんやなぁ。人とはなんとも厄介や。まだまだずっと先や。走っていては間に合わへんかもな」
「付喪は人か? それとも獣か?」
「それはわからん。出会ってからのお楽しみってやつや」
「もうちょっと便利にならんのか? お前の神通力というのか? よくわからん力も」
「神通力なんかと一緒にすんなや。ウチは可愛らしくて立派な付喪神さんなんやから。ほら。さっさと行き」
騒がしくとも話しながら、白蛇の体は光に溶けていく。左手だけがランタンを灯しているかのような淡いオレンジ色の光に包まれて、光が消える頃に白蛇はキセルの姿に戻っていた。
私はキセルの吸い口をくわえ、息を吸い込み吐き出した。火が灯っていないはずの火皿から紫煙がもれ出す。もれ出した紫煙は私の体を風に巻かれて包んでいった。
「おうおう。そんなに人に踏まれて心地よいとは哀れな草履だ。人に踏まれたままで満足し、空を駆けるなんて夢にも思わないんだろうねぇ。やったことがないからできもしないと思う。哀れな草履だ」
紫煙が体へ巻きつきながらスルスルと足元へと降りていく。草履に巻きつくと溶け込むように消えていく。途端に足元が軽くなり、砂利を踏みしめる感覚が薄れ、目線が高く浮かんで行った。駆け出す足は宙をつかみ、地面の抵抗が薄れていく。続けて私は言葉を紡ぐ。
「そしてなんとも怠惰な着流しだ。風をその身に受けるだけ。風に立ち向かおうとは思わないかい?風に流されるままでは気持ちがよいが抗おうともしないとは、見果てた着流しだ」
火口からもれる紫煙は風に乗って着流しへと吸い込まれていく。裾がふわりと浮いて紫色の羽織が翼のように広がった。
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