龍神様は今日も頑張らない

無言

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他力本願 -1-

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大海へと連なる隆浪ロンラン川の源流。それはこの大黄山ホアンスーさんから始まる。
帝都から離れたこの山の中腹にある加隆ジャーロン村には、古より語り継がれてきた言い伝えがあった。
五つの雷が大黄山へ下る時。都は新たに築かれる。生まれいずる混沌を治める龍を慰める巫女により、世に平安が訪れる。
5年前、龍華ロンホァ帝国全土が包まれるほどの大嵐が6日続いた後の夏の夜。大黄山に5回の落雷があった。
暴風雨の最中にも関わらず、落雷による山火事はどんどん酷くなっていった。
平安をもたらす為には、龍神様の助力を賜わる他ない。龍神の嫁として、巫女を捧げなければならない。
しかし、もう何百年も龍神への輿入れは行われておらず、巫女の家系に生まれ、龍神の嫁候補として育った吹水花チュエイ・シュエイファどころか、村の長老ですら儀式の概要を知らなかった。
村に火の手が迫るのを眼前に見据え、水花はただがむしゃらに龍神様が祀られている祠へ駆け出した。
聖域として、巫女以外の立ち入りが許されない龍神祠。
幸いにもまだ火の手が回っていないそこには、絹糸のようにたおやかな滝があり、隆浪川へと連なる小川の始まりとなっている。
雨でぬかるむ山道を駆け上がったことで泥が跳ねた巫女装束を省みる余裕もなく、祠まで全力疾走した。
業火の狂騒が嘘みたいに掻き消えたこの聖域に、彼は居た。



「水花ぁ、今日の昼飯は何だ~」
「さっき朝食食べたばかりなのにもう昼食の話?おやつも食べ過ぎだし、いい加減太るよ」
洗濯物を力いっぱいに絞り、勢いよく振る。布が広がる軽快な音と一緒に飛び散る水滴が、さんさんと降り注ぐ太陽に反射していた。
「俺昼は餃子がいいなぁ、水餃子とか」
「話聞いてる?」
「いや、やっぱり焼き餃子だな。タレはあんまり辛くしないでね」
水花の話をちっとも聞いている様子のない呑気な声の主は、今にも眠りに入りそうな表情をして首に巻きついている。
「ねぇ、私の肩で寝るのは別に構わないけれど、アンタ他にやることはないの?」
「俺は俺のやりたいことしか出来ないよ」
くぁ、と欠伸をしてとうとう居眠りを初めてしまった。
「はぁ……こんなのが龍神様だなんて」
大きくため息をついて、水花は次の洗濯物に手を伸ばす。
左肩から聞こえる寝息の安らかさに比例するように、両肩に跨って乗る小さな龍の身体が重くなるのを感じた。
熟睡すると力が抜けて重くなる。人間と変わらない。
だが、家事をこなしている嫁の両肩を占拠して朝っぱらから寝こけているのは、単純に腹が立つ。
「これじゃあ、村の子供たちの方がよっぽど人様のお役に立ってるっつの……」
曲がりなりにも巫女であり、不本意ながらも龍神様に嫁入りしたというのに、この言い草はあんまりだろう、と水花は常々思っていた。
5年前の大嵐の日に龍神に出会い、人々を天災から救うために彼と夫婦になった。
お陰で火は弱まり、七日続いた大嵐も消え去った。災害による被害は甚大だったが、帝都から地方都市、そして農村部も徐々に復興して行った。
大黄山は大規模な山火事に見舞われたにも関わらず、加隆村にはほとんど被害が無かった。
あの祠で水花が出会った美丈夫は、紛れもなく龍神だったのだ。
自分は正式に龍神様の嫁となった。ならば、相応の責務があるのだろう。水花が龍神にその事を告げると、少し考えた後、やはり呑気な声で彼は言った。
「あー、じゃあ、着物繕って欲しいかな。なんか虫食ってて」
「……は?」
「針とか糸とか、村に戻ったらあるか?俺ちょっと寝るから、その間に直しておいて貰えると嬉しい~」
「いや、あの、そりゃ村に戻れば針も糸もございますけど」
「あっ待ってそういう堅苦しいのはやめてくれ~。俺無理なんだ、敬語使うのも使われるのも。痒くない?」
「か、痒い?」
「じゃあお願いね。終わったら起こして~」
そう言うやいなや小さな龍に変化し、祠の中央の祭壇で眠り始めた姿を見て、水花はただ目を丸くするしかなかった。
以来水花は通い妻、いや、家政婦さながらの毎日を過ごしている。5年間も。
「アンタが龍神様でもなかったら、ゲンコツで叩き起して手伝わせたのに……!」
龍神は、一度眠りにつくとなかなか起きてこない。最初に言いつけられた着物を繕ったあとも、いくら声をかけても、騒いでも、殴っても起きてこなかった。
絞り終わった洗濯物を竿に干すために立ち上がると、ずるりと龍神が肩からずり落ちる。
「ぐぇ」
間抜けな声を上げて地面に仰向けになった龍神は、それでも健やかな寝息をたてたままだった。


村の中央の広場からほど近い小さな家屋の厨房に、年頃の女性の声が響きわたる。
厨房の入口に立って、持参した饅頭を頬張るのは水花の幼なじみ、秦明玲チン・ミンリンだ。
朝方、洗濯物をしていた時の龍神の様子と、彼が眠ってしまったあとそのまま放置して、祠から水花が住むこの家まで帰ってきた事を明玲に伝えると、信じられないとでも言いたげに声を上げられる。
「それでアンタ、龍神様そのままほっぽって来ちゃったの!?」
「明玲うるさい、声が大きいよ。どっちみちご飯の準備もあるんだから家に戻らなきゃならないんだし、龍神様を襲うような動物だって居ないよ」
「でもでも、水花の旦那様なんだよ?別居してるだけでも信じられないのに!」
「形式上ってだけでしょ。実際は体のいい、ただの小間使いだよ」
昼は焼き餃子がいい~と宣うヘラヘラした声を思い出し、練っていた餃子の皮となる生地を力いっぱい作業台に叩きつける。その衝撃で手粉が舞った。
「しかもアイツ、いっつも小竜の姿にしかならないのにやったら大量に食事するんだから!作るこっちの身にもなれって話だよ!」
「材料は供物で事足りるからいいじゃない。それに水花はガサツだけど、料理はとても上手なんだし」
「アイツが『知らない人が作った飯はちょっと……』なんて文句抜かすから、私ひとりで料理しなきゃいけなくなってるんだよ!?1食10人前は食べる!アイツの!ご飯を!毎食!」
苛立ちに任せて生地をひたすらに捏ね続ける。
鬱憤をぶつけるように生地作りに集中していると、ふいに明玲に頬をつつかれた。
「巫女様のお勤めが大変なのは分かるけど、人に頼れるところは頼った方がいいよ。これからも続いていくことなんだから」
明玲はそう言うなり、彼女の食べていた饅頭を無理やり水花の口に突っ込んだ。
「水花、どうせご飯まだなんでしょ?ちゃんと食べなきゃダメよ」
「んもがんが」
「食べながら喋らなーい」
無理やり口に含まれた饅頭を飲み込む頃には、少し苛立ちがおさまっていた。
「龍神様が水花の作ったご飯しか食べないとしても、下拵えのお手伝いするくらいはいいでしょ?野菜の皮をむいたり鶏を捌いたり、私にだって手伝えることはあるんだから」
「明玲~~~~~~!!」
言いながらじゃがいもの皮むきをし始めた明玲の優しさに感激した水花は、餃子の生地作りでベタベタになった両手のまま抱きつく。
明玲は小柄で可憐な女の子なのに、いつも水花のことを慰め、背中を押してくれていた。幼いころから、それこそ、龍神の嫁候補の巫女となる前から、水花はどれだけ彼女に支えられてきたことか分からないほどだ。
「ちょっと、服が汚れちゃうでしょ!」
「明玲~!」
水花が明玲とじゃれ合っていると、家の扉を叩く音が聞こえてきた。
「何かしら?」
「さぁ……。ちょっと見てくる」
扉を開けると、そこには見上げるほど背が高くガッシリした体躯に簡易な鎧を身にまとい、少し色素の薄い艶やかな髪の毛をさっぱりとひとつにまとめた出で立ちの武官が立っていた。
「永悡!どうしたの急に!」
「歓待が雑すぎない?俺、これでも帝都の武人なんだけど」
「いとこ相手に畏まる必要ある?」
「龍貴妃様のおっしゃる通りです」
わざとらしく頭を下げる武官、 浪永悡ラン・ヨンリーは父方のいとこだ。子宝に恵まれなかった浪夫婦の元に、当時5歳だった彼が養子として迎え入れられてからというもの、水花が10歳で母の跡を継ぎ、巫女となるまでは姉弟同然に育ってきた。
「そんなことより、本当にどうしたの急に」
「早馬で伝令しなきゃならない要件があってね」
そう言って手渡されたのは、1つの書簡だった。
「声に出さず、ただ読んでくれ」
いつになく真剣な面持ちで告げられる永悡の言葉に頷き、書簡の内容に目を通す。
そこには、「皇太子の皇帝即位の儀に、龍神様の同席を願いたい」という内容が記されていた。
皇帝即位の儀式は3週間後。今上皇帝が身罷られたという話は届いていないし、あまりにも急な交代だ。
公式に発表するべきことなら、村中に知れ渡るように張り紙でもされるはず。それをしないということは、民にまだ知られてはならない事情があると言うことだ。
「ねぇ、これって……」
「龍神様が気難しい方だってのは分かってる。でもそこをなんとか頼めないか?」
周囲に聞かれないよう、永悡は水花に耳打ちをする。
龍華帝国と龍神様は密接な関係にあり、皇族と龍神様が良い関係を築けているほど国が栄える。
この国の安泰を思うなら、龍神に皇帝即位の儀式に参加してもらうべきだ。
しかし、いや、だからこそ、目の前の書簡に記された依頼がどれだけ困難かが容易に想像出来てしまう。
何せ相手は自堕落で、自由奔放で、自分勝手で、いつもヘラヘラしている龍神様なのだ。
『俺は俺のやりたいことしか出来ないよ』
彼が今朝、眠気まなこのまま言った言葉を思い出す。
水花以外の人と関わることを好まず、恭しくかしずかれることを嫌い、人の姿すら取らない彼が、本当にこの儀式に参加してくれるだろうか。
「どう、かなぁ……」
今もまだきっと川辺でお腹を見せて寝こけているだろう龍神様の力の抜けた寝顔を思い出しながら、水花はただ苦笑するしか無かった。
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