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六日目-2
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「紅よ」
黙って森を見るクレスルドに、
「早く行け。こちらは大丈夫じゃ。レムズのことは任せるがいい」
エルフの長、チェアルはそう言った。それにクレスルドは小さく笑って、
「任せる?ふふ、どうでもいいですよ、そんな子のことなんて」
「なっ、なんだとっ!?」
どうでもいいと言われてレムズはクレスルドを睨むが、
「そう、どうでもいいはずなんですが‥‥ね。他人のことなんて。最近の僕はどうかしている。まるで人間らしい思考を抱くようになってしまった」
それにチェアルは目を伏せ、
「お前は人間じゃろう」
「いいえ、僕はバケモノであり、亡者みたいなものですよ」
そうしてクレスルドはチェアルに向き直り、
「じゃあ、レムズ君を頼みます。レムズ君に何かあれば、ロファース君も悲しむでしょうし」
そう言って、クレスルドはまた転移魔術を唱え、その場から消えた。それを確認してから、
「なあ、クソ村長」
「なんじゃ?」
「あのフード野郎と知り合いなのか?」
レムズが尋ねれば、
「そうじゃな。旧くからの知り合いじゃよ」
チェアルは遠くを見て答えた。
「俺に備わる力でも、あいつのことはなんにも視えない。紅ってのが名前なのか?」
「いいや。奴の名前はわしも知らんのじゃよ。だがかつて、奴は紅の魔術師と呼ばれておった。とても、残忍な奴じゃったよ」
それを聞いて、レムズは先程の獣‥‥ロファースの友であるセルダーの話を思い出す。
遥か遠い昔、どこかに狂った最強の魔術師が居たとか。
今のエウルドスがやっていることの創始者だとか。
災厄の王、ザメシアの時代だとか。
ーー確か、そんなわけのわからないことを獣は言っていた。
「エウルドスは、一体何をしているんだ?」
「お前が関わることではない、レムズ」
チェアルが言う。
「でも、もう里はこんな有り様だ。ここにはいられない。俺は世界に‥‥これから出ていかなきゃなんねぇ。俺はハーフだから‥‥どこへ行っても差別される‥‥この里でもそうだった」
俯くレムズに、
「お前には本当に辛い思いばかりさせてきた‥‥今のエルフ達は時代を追う毎に里に引きこもるようになり、仲間意識が強くなった。じゃから、違う種族を嫌う。それがハーフであっても‥‥」
チェアルは目を閉じ、
「お前の両親が死んで、わしはお前の親代わりのつもりであった。じゃがそれは、余計なお世話だったかもしれんのう」
「‥‥父さんと母さんは、種族の壁を乗り越えて勝手に愛し合いやがった。だから、俺が産まれて‥‥でも、エルフ達は俺が産まれたことを祝福しなかった。エルフじゃない、紛い物の俺を」
自分で言って、レムズは体を震わせる。
そう、自分は紛い物だ。
エルフにも、魚人にも成りきれない。
「違うぞレムズ。わしはお前が産まれたことを祝福した。遥か昔のように、種族など関係なく手を取り合っていたあの正しき日々。お前は誇りある子じゃ。エルフと魚人の、種族を越えた、祝福を受けた誇りある子じゃ」
チェアルはそう言って、レムズの頭を優しく撫でた。
そうして、遠き過去に思いを馳せる。
まるで、世界が壊れたあの日のような、光景だ。
◆◆◆◆◆
ーー怒りを感じている。そう叫んだロファースを、イルダンは嘲笑う。
「滑稽だな‥‥お前は人を殺めたこともないというのに。ならばその怒りの行き先はどこだ?そう‥‥ここだろう?」
そう言って、イルダンは自分の心臓のある部分を指した。にやつくその言動に、ロファースの怒りは煽られる。
「ーーっ‥‥殺してやる‥‥お前は絶対に許さない!友を侮辱したことを、殺したことを、許さない!」
ロファースは目を見開かせ、再びイルダンに斬りかかろうと駆け出す。
先程とは違う。今ははっきりと、殺意を込めて。
怒りを、こんなにも殺意を感じたのは生まれて初めてだった。
実感したのだ、いや、それ以上の何かが命じるのだ。
セルダーは、大切な友だったのだと。
ロファースは剣の柄を強く握り、声を荒げて駆ける。だが、その途中で目の前が眩く光った。ロファースはそれを知っているーー転移魔術だ。
その光の中から現れた人物は、剣を握ったロファースの右腕を掴み、
「やめるんだ」
と、静かに言った。
「ーーっ‥‥!?止めるな!俺は、俺はこいつを!!」
ロファースは抵抗する。
目の前には友を殺した男がいるのだ。そいつを、殺さねば、殺さねば‥‥殺さねばならないんだ!
そんな殺意と憎しみが心の中に渦巻く。その感情を止められはしない。
「‥‥君は、エウルドスのやり方をおかしいと思った。だから世界を見てみたいと言った。世界の間違っている部分を、そんなものをなくしていきたいと‥‥フォード国の貧困街を見て、皆が幸せで居られる世界を見つけたいと‥‥君は言った。なら‥‥君は今、自ら間違いを起こそうとしている」
転移魔術で現れた人物ーークレスルドはロファースを諭すように言葉を続けた。
それを聞いたロファースは、先日の自分の言葉を思い出す。
アイムのことを、思い出す。
思い出したら、急に怒りが鎮まり、虚無感だけが残された。ゆっくりと、剣を握っていた腕が下ろされる。
殺意が収まったロファースを見て、クレスルドは小さく息を吐いた。それを見ていたイルダンは、
「貴様は何者なんだ。貴様は先日、エウルドスの真実を知っているような口振りをした」
それを聞いたクレスルドは疑問を感じ、
「おや、君は知らないんですか?」
と、首を捻る。
「セルダー君‥‥でしたか?彼は僕の正体に気づきましたけど、君は何も聞かされていないんですか?‥‥ああ、成る程。最初からセルダー君は捨て駒にするつもりだったから、彼に色々と話したのか。じゃあ、君は捨て駒じゃないということになりますね」
クレスルドは一人で理解したように話し、
「まあ、僕には関係ありません。ただ‥‥あなた方は一体、誰の命で動いているんです?本当にエウルドス王の命ですか?」
イルダンにそう問い掛けた。
「当たり前だ。エウルドス王は我らが部隊長ガランダ様に任務を告げ、我々騎士もこうして動いているのだ。今は、ロファースを殺す命を受けてな。最初は我々が殺すはずであったが、王がお前にお会いになりたいそうだからな」
先程もそんなことを言っていたなとロファースは思い出し、しかし、
『お前はエウルドスに帰り、全ての真実を知り、死ぬのだ』
イルダンはそう言っていた。
結局は、ロファースは死ぬーーそれだけは覆されない。
「ロファース君。色々と気持ちの整理がつかないでしょうが‥‥ここは退きましょう」
いきなりのクレスルドの提案に、ロファースは「え?」と、不思議そうに彼を見た。
「くくっ‥‥気づいたか。そう、賢明な判断だな、魔術師よ。貴様一人ならばどうにか出来たであろうが、ロファースが居ては足手まといになるだろうからな」
「え?」
そう言われて、ロファースはなんのことかわからずに目を丸くする。
「聞く必要はありません。さあ、行きましょう」
そう言って、クレスルドは再び転移魔術を唱え始めた。
不思議なことに、イルダンは邪魔をしてこない。
だが、そんなことよりも、ロファースは慌ててセルダーの亡骸を抱き寄せた。
転移魔術が行われようとしたその瞬間ーー森の中から何十もの‥‥セルダーと同じ姿をした獣がぞろぞろと集まって来る光景と、
「傷付いたお前が足手まといだから、その魔術師は退く選択をしたのだ」
イルダンがそう言って嘲笑う声。
そんな奇妙な光景が‥‥目に焼き付いた。
◆◆◆◆◆
「ロファース!」
転移した先にはレムズと、先日エルフの里を出る時に案内をしてくれた老人が居た。
「良かった!無事だったのか!」
レムズは安心するようにロファースに駆け寄るが、彼が腕に大事そうに抱いているセルダーの亡骸に気づく。
「そいつ‥‥さっきの‥‥」
「‥‥セルダー。俺の、友達だ」
そう言って、獣の姿に成り果てたセルダーに視線を落とした。
「とりあえず話は後です。ロファース君の傷が酷い。それに、まだエウルドスの手の者が多くこの場所に居る。ここから出ますよ、いいですね、チェアル」
クレスルドはこの里の長であるチェアルに確認し、
「ああ‥‥この状況、最早どうすることも出来ぬ。すまない‥‥我らが民よ、この地よ‥‥このまま捨て置くことを‥‥」
イルダン達がまだこの森にいるせいで、エルフ達の亡骸を埋葬をすることも出来ない。
チェアルとレムズは何も言わず、ただ、変わり果てた里を見つめていた。
ロファースも唇を噛み締める。
自分が無力なせいで、セルダーを失ってしまった。エルフ達のこの現況を作ってしまった。
理由もわからないまま、巻き込んで‥‥しまった。
「ーーさて。もう少し良い場所に転移したかったんですが、この大陸にはここしかありませんからね」
クレスルドがそう言った時には転移魔術は唱えられており、ロファース達は先程までとは別の場所に立っていた。
しかし、ロファースはこの場所を知っている。昨日、訪れたばかりの場所ーーエウルドスに破壊された、ファイス国跡地だったからだ。
「ここ、なんで崩壊してるんだ?」
無惨な国の姿を見てレムズが聞けば、
「この国は最近完成したそうで、今から全てを始めようとした矢先に、エウルドスが戦争を仕掛けてきて、この有り様らしい‥‥」
昨日リンドに聞いたことをロファースは話した。
再びエウルドスの名を聞き、レムズは俯いて拳を握り締める。
ロファースはセルダーの亡骸をゆっくりと大地に横たわらせ、チェアルに視線を向け、
「そういえば、あなたはあの時、案内してくれた‥‥」
「おやおや、名乗ってなかったんですか?彼はエルフの長、チェアルですよ」
肩を竦めながら、クレスルドが代わりに答えた。それを聞いたロファースは目を丸くする。
老人ーーチェアルは頷き、
「おお‥‥すまぬな。名乗るのを忘れておったわ」
そう言って笑った。
「まあ、色々な話は後でしましょう。それよりロファース君、自分の姿をちゃんと見て下さい」
言われて、ロファースは改めて自分の体を見る。
セルダーとの戦いで、腕や足から血が流れ、傷だらけだった。
色々ありすぎて痛みを忘れていたが、冷静になると全身の痛みが襲ってきてロファースは目を細める。
◆◆◆◆◆
噴水広場だったのだろう。
ロファースはかろうじで形を残したベンチに座り、クレスルドが負傷した部位に術をかけてくれた。
彼の手からは暖かそうな淡い緑の光が溢れ、傷口が少しずつ塞がっていく。
これは、回復術らしい。
見たこともない力をロファースはぼんやりと見つめ、
「‥‥すみません」
と、小さく謝罪の言葉が漏れる。
「セルダーは、悪くなかったんです。あいつは‥‥なぜか俺に真実を知らせたくなくて、俺が真実を知る前に俺を殺して救うつもりだったって‥‥確かにあいつは酷いことをしました。エルフ達を、里をーー‥‥取り返しがつかないことを。俺が全てを知っていれば、セルダーもこんなことをしなくて良かった‥‥死ぬことはなかった」
それを聞きながらクレスルドは小さく息を吐き、
「セルダー君は君のことを、本当に大切な友達だと思っていたんでしょうね」
その言葉に、ロファースは大きく頷く。拳を強く握り、大きく、何度も頷いた。
「あなたにも謝りたかったんです。あの時、俺があなたの言葉通り早く動いていれば、あなたは怪我を負わなかった。俺はーーあなたを信用していなかったんです。何度も俺を助けてくれたのに‥‥」
クレスルドの左腕からは、黒いフードの袖からもわかるほど、まだ血が滲んでいる。
しかし、クレスルドは首を横に振り、
「僕はね、ロファース君。人助けなんかしない奴だったんですよ。僕は自分のことしか考えていなかった。自分のしたいことの為に多くの犠牲を生み出したりもした。人が傷付くことに対し、何も感じなかった。他の誰かなんてどうでもいい。欲しいものを手に入れ、必要ないものは使い捨て、切り捨てた」
クレスルドは自らを嘲笑いながら話す。
ロファースは初めてチェアルに会った時に聞いた言葉を思い出し、
「チェアルさんが言っていました。昔のあなたは身勝手で、出来ていない人間で、けれども今は本当に、良い方向に変わったと‥‥今のあなたは信じても良い存在だと、そう言っていました。まあ、昔のあなたどころか、俺はあなたのことを何も知らないんですけどね」
と、苦笑する。
それを聞いたクレスルドはやれやれと肩を竦めた。
「それは、チェアルの価値観です。ロファース君が僕を信用できないのは当たり前のことですよ。普通、こんな怪しい奴を信用なんてできません。それに‥‥全ての真実を君が知った時、君は僕を恨むでしょう」
真実ーー。
セルダーやイルダンも言っていた。真実とは、なんなのか。
それに、セルダーは言っていた。
『遥か遠い昔、どこかに狂った魔術師が居たとかなんだとか。そいつは今のエウルドスがやってることの創始者だったらしいぜ』
そう、クレスルドに向かって言っていたことを思い出す。
「ーーあなたは何者なんですか?‥‥なんて、聞いたところであなたは話さないでしょうから‥‥だから、もういいです」
何がもういいのかと、クレスルドは思う。
「あなたがずっと俺の味方をしてきてくれたことは事実です。だからそれ以上はもう、何も疑ったりする必要はない。もし、あなたが俺に重要なことを黙っていて、それがあなたを恨むような答えだとしても、俺はきっと恨まない。俺達は‥‥仲間、なんですよね」
そう、確認するようにクレスルドを見て言えば、しばらくの沈黙の後で、彼は頷いた。
「わかりました。全ての答えは‥‥俺がエウルドスに戻って確かめます」
「やはり、エウルドスに戻るんですね?」
「はい。このままぶらぶらしてたって、イルダンさんはまた追ってくる。また、関係のない被害が出るかもしれない。それに、エウルドスには、大切な人達が居る。彼らがどうなっているのか心配なんです」
父親代わりである神父に、教会の孤児達。
『教会のガキ共がピーピー泣いてたって話だぜ!?』
あの日セルダーはそう言っていた。自分が戻らなければ、何かが手遅れになるかもしれない。
しばらくクレスルドは何かを考えるように黙っていて、
「終わりました」
と、沈黙を破る。
クレスルドの手から淡い光が消え、ロファースは自分の体を見た。腕や所々から血が出ていたのに、全て綺麗に塞がっていたのだ。
「信じられない。魔術って‥‥凄いな‥‥」
ぽつりと、驚きと感心を含めながら言い、クレスルドに礼を言った。
ーーそれから、ロファースとクレスルドはレムズ達のもとへ戻った。すると、
「あ、ロファース」
ロファースに気付きながらレムズが言い、
「あのさ、その‥‥土を、ここがいいかなって」
目をちらつかせながらレムズが言うので、なんだろうと思い地面を見れば、元はきっと美しい花が咲き誇っていたのであろう。
今は踏み荒らされ、無惨な姿になり、弱りきってしまっているが、どうやらここは国の片隅にある小さな花畑のようだ。
そして、その中心辺りに今しがた掘ったのであろう大きな穴があった。
「レムズがの、掘ったのじゃよ。その者を連れ歩くわけにもいかぬからな」
チェアルは言いながら、地面に横たわっているセルダーの亡骸を見た。
「‥‥レムズさん。ありがとう‥‥こいつがエルフの里をめちゃくちゃにしたっていうのに‥‥本当にありがとう」
ロファースは目を細めて微笑み、セルダーの傍に寄る。それからその亡骸を抱き抱えた。
皮肉にも、この地はエウルドスが滅ぼした地だ。
わからないが、恐らくセルダーも関わっていたかもしれない。
レムズが掘ってくれた穴に、彼をゆっくりと寝かせる。
いつか‥‥この地が再び美しい国に戻ることを願い、最後にもう一度、セルダーの顔を見た。
なぜ、人間だった彼が獣になったのかはわからない。だが、どんな姿でも‥‥セルダーはセルダーだ。
もう、苦しみひとつない彼の顔に土を被せていき、体も見えなくなる。
自分を救おうとしてくれた友。その為に多くの犠牲を出し、自分すら傷つけてきた友。
救えなかったことを詫びていた、友。
(‥‥真実を知りに行くよ、セルダー。俺はきっと、お前に救われていたんだって、真実を知った後に思えるように。ありがとう、本当に‥‥だから、何も悔やまず‥‥眠ってくれ)
ロファースの後ろ姿を、レムズはちらちらと視線を泳がせながら、今にも泣き出しそうな顔をして見ていた。
すると、レムズの肩に手が置かれる。
「すみませんね。君の仲間達も、本当ならああしてあげるべきだったのに」
クレスルドに言われ、レムズはぽかんと口を開けた。
意外だった。彼が自分の気持ちを察していることに。
セルダーの亡骸を見ていると、レムズはそのまま置き去りにして来たエルフ達のことを思い出してしまっていたのだ。
それからロファースが三人に振り向き、
「俺は、エウルドスに行きます。本当に‥‥巻き込んでしまって‥‥多くの犠牲を出してしまって‥‥謝りきれないほどの、許されないほどのことを俺は引き起こしました」
「お前のせいじゃ‥‥」
レムズが口を挟むも、
「いいえ、俺が原因です」
その言葉をきっぱりと遮り、ロファースは言う。セルダーやイルダンは自分を追っていたのだから。
「俺はエウルドスに戻り、真実を知り、そして、エウルドスの過ちを、俺は正しに行く」
それはロファースが旅立った日の決意だ。
エウルドスの方針しか知らなくて、それを当たり前だと思っていた。
でも、それに疑問を抱き、外の世界を見ようと思った。
そして、自分の答えを見付けに行こうとあの日決めた。
今はまだ、答えは出ていないが、エウルドスが間違っていると言うことだけは胸を張って言えるようになった。
「待って下さい、ロファース君」
すると、クレスルドが制止して、
「僕は里の長に用があると言ってエルフの里に向かいましたよね」
「あ、はい‥‥」
クレスルドはチェアルに向き直り、
「まず一つ。僕にかけた術を解いて下さい。このままでも良いんですが、エウルドスにはきっと厄介な敵だらけですからね、制御が無い方が助かるので」
言われてチェアルは息を吐き、クレスルドに向けて手のひらを翳す。
『強硬なる鎖よ、今を以て解き放たれんことを』
チェアルは呪文らしきものを唱えた。だが、何も起こらない。光が放たれるわけでもない。しかし、
「‥‥ふふ。久し振りに体が軽くなりました。これで僕は完全ですね」
クレスルドが笑ってそう言うので、今の呪文には何かしら意味があったのだろう。
それから、そんな彼を見て、悪用するなよとチェアルは言う。
「さてさて、二つ目の用があります。こちらの用は先ほど思い付きました。肌身離さず持っていますか?」
「‥‥あれか」
聞かれてチェアルは頷く。
「その預けものを返してほしいんです」
「まさか‥‥」
チェアルは目を見開かせた。それにクレスルドは無言で頷く。
そんな二人のやり取りに、ロファースとレムズは目を合わせて首を傾げた。
チェアルは首もとに手をやり、首にかけ、ローブの下に隠していたペンダントを外す。
「奴が関わっているのか?」
「まだはっきりとは。ですが、彼はあの時代の話を知っていました」
クレスルドは先ほどセルダーを埋めた場所を見て言った。
「そうか‥‥あの時代を知る者は、もはや我らとごく僅かだけじゃからの。今頃になって奴は一体何を‥‥」
眉間に皺を寄せてチェアルは言い、外したペンダントをクレスルドに手渡す。
赤い石に、白い羽がついたペンダントだ。
「僕もエウルドスが何かしらの過去の資料でも見付けてやり出したことと思ったんですけどね」
受け取ったペンダントを見つめながら言う。
「それじゃあロファース君、行きましょう」
チェアルとの話を終えてクレスルドが言うので、
「これは、俺の問題です。俺一人で行きます。でもこの大陸から出れないので、エウルドス付近まで魔術で送ってもらえますか?」
ロファースがそう言うので、
「僕の問題でもあるんですよ、この件は。それに、僕達は仲間なんですよね?」
確かに先ほど仲間と言ったばかりだなとロファースは思い返し、渋々と頷く。
「おっ、俺も‥‥!」
レムズが声を張り上げて言おうとしたが、
「おっと、君は駄目です」
言い切る前にクレスルドに止められた。
「俺はまだ何もっ」
「一緒に来るとか言いたいんでしょう?」
クレスルドに言い当てられて、レムズは俯く。
「心配なんですよね、君には微かだが先のことが視えるんですから」
ーーロファースが死んでもいいのかよ!!ーー
先刻、レムズはそう言っていた。それが事実かはわからない。だが、レムズには様々な兆しが視えてしまい、不安なのであろう。
「大丈夫、僕がついています。それに、里の敵討ちもついでにしてあげますよ」
クレスルドはレムズに優しく言ってやる。顔は見えはしないが、フードから覗く口は微笑みを見せていた。
それにレムズは渋るような様子をしていたが、
「‥‥わかった」
と、やはりまだ納得仕切れない顔をして言う。それから、
「行く前に、俺の話を聞いてもらってもいいか?」
そう、切り出した。
黙って森を見るクレスルドに、
「早く行け。こちらは大丈夫じゃ。レムズのことは任せるがいい」
エルフの長、チェアルはそう言った。それにクレスルドは小さく笑って、
「任せる?ふふ、どうでもいいですよ、そんな子のことなんて」
「なっ、なんだとっ!?」
どうでもいいと言われてレムズはクレスルドを睨むが、
「そう、どうでもいいはずなんですが‥‥ね。他人のことなんて。最近の僕はどうかしている。まるで人間らしい思考を抱くようになってしまった」
それにチェアルは目を伏せ、
「お前は人間じゃろう」
「いいえ、僕はバケモノであり、亡者みたいなものですよ」
そうしてクレスルドはチェアルに向き直り、
「じゃあ、レムズ君を頼みます。レムズ君に何かあれば、ロファース君も悲しむでしょうし」
そう言って、クレスルドはまた転移魔術を唱え、その場から消えた。それを確認してから、
「なあ、クソ村長」
「なんじゃ?」
「あのフード野郎と知り合いなのか?」
レムズが尋ねれば、
「そうじゃな。旧くからの知り合いじゃよ」
チェアルは遠くを見て答えた。
「俺に備わる力でも、あいつのことはなんにも視えない。紅ってのが名前なのか?」
「いいや。奴の名前はわしも知らんのじゃよ。だがかつて、奴は紅の魔術師と呼ばれておった。とても、残忍な奴じゃったよ」
それを聞いて、レムズは先程の獣‥‥ロファースの友であるセルダーの話を思い出す。
遥か遠い昔、どこかに狂った最強の魔術師が居たとか。
今のエウルドスがやっていることの創始者だとか。
災厄の王、ザメシアの時代だとか。
ーー確か、そんなわけのわからないことを獣は言っていた。
「エウルドスは、一体何をしているんだ?」
「お前が関わることではない、レムズ」
チェアルが言う。
「でも、もう里はこんな有り様だ。ここにはいられない。俺は世界に‥‥これから出ていかなきゃなんねぇ。俺はハーフだから‥‥どこへ行っても差別される‥‥この里でもそうだった」
俯くレムズに、
「お前には本当に辛い思いばかりさせてきた‥‥今のエルフ達は時代を追う毎に里に引きこもるようになり、仲間意識が強くなった。じゃから、違う種族を嫌う。それがハーフであっても‥‥」
チェアルは目を閉じ、
「お前の両親が死んで、わしはお前の親代わりのつもりであった。じゃがそれは、余計なお世話だったかもしれんのう」
「‥‥父さんと母さんは、種族の壁を乗り越えて勝手に愛し合いやがった。だから、俺が産まれて‥‥でも、エルフ達は俺が産まれたことを祝福しなかった。エルフじゃない、紛い物の俺を」
自分で言って、レムズは体を震わせる。
そう、自分は紛い物だ。
エルフにも、魚人にも成りきれない。
「違うぞレムズ。わしはお前が産まれたことを祝福した。遥か昔のように、種族など関係なく手を取り合っていたあの正しき日々。お前は誇りある子じゃ。エルフと魚人の、種族を越えた、祝福を受けた誇りある子じゃ」
チェアルはそう言って、レムズの頭を優しく撫でた。
そうして、遠き過去に思いを馳せる。
まるで、世界が壊れたあの日のような、光景だ。
◆◆◆◆◆
ーー怒りを感じている。そう叫んだロファースを、イルダンは嘲笑う。
「滑稽だな‥‥お前は人を殺めたこともないというのに。ならばその怒りの行き先はどこだ?そう‥‥ここだろう?」
そう言って、イルダンは自分の心臓のある部分を指した。にやつくその言動に、ロファースの怒りは煽られる。
「ーーっ‥‥殺してやる‥‥お前は絶対に許さない!友を侮辱したことを、殺したことを、許さない!」
ロファースは目を見開かせ、再びイルダンに斬りかかろうと駆け出す。
先程とは違う。今ははっきりと、殺意を込めて。
怒りを、こんなにも殺意を感じたのは生まれて初めてだった。
実感したのだ、いや、それ以上の何かが命じるのだ。
セルダーは、大切な友だったのだと。
ロファースは剣の柄を強く握り、声を荒げて駆ける。だが、その途中で目の前が眩く光った。ロファースはそれを知っているーー転移魔術だ。
その光の中から現れた人物は、剣を握ったロファースの右腕を掴み、
「やめるんだ」
と、静かに言った。
「ーーっ‥‥!?止めるな!俺は、俺はこいつを!!」
ロファースは抵抗する。
目の前には友を殺した男がいるのだ。そいつを、殺さねば、殺さねば‥‥殺さねばならないんだ!
そんな殺意と憎しみが心の中に渦巻く。その感情を止められはしない。
「‥‥君は、エウルドスのやり方をおかしいと思った。だから世界を見てみたいと言った。世界の間違っている部分を、そんなものをなくしていきたいと‥‥フォード国の貧困街を見て、皆が幸せで居られる世界を見つけたいと‥‥君は言った。なら‥‥君は今、自ら間違いを起こそうとしている」
転移魔術で現れた人物ーークレスルドはロファースを諭すように言葉を続けた。
それを聞いたロファースは、先日の自分の言葉を思い出す。
アイムのことを、思い出す。
思い出したら、急に怒りが鎮まり、虚無感だけが残された。ゆっくりと、剣を握っていた腕が下ろされる。
殺意が収まったロファースを見て、クレスルドは小さく息を吐いた。それを見ていたイルダンは、
「貴様は何者なんだ。貴様は先日、エウルドスの真実を知っているような口振りをした」
それを聞いたクレスルドは疑問を感じ、
「おや、君は知らないんですか?」
と、首を捻る。
「セルダー君‥‥でしたか?彼は僕の正体に気づきましたけど、君は何も聞かされていないんですか?‥‥ああ、成る程。最初からセルダー君は捨て駒にするつもりだったから、彼に色々と話したのか。じゃあ、君は捨て駒じゃないということになりますね」
クレスルドは一人で理解したように話し、
「まあ、僕には関係ありません。ただ‥‥あなた方は一体、誰の命で動いているんです?本当にエウルドス王の命ですか?」
イルダンにそう問い掛けた。
「当たり前だ。エウルドス王は我らが部隊長ガランダ様に任務を告げ、我々騎士もこうして動いているのだ。今は、ロファースを殺す命を受けてな。最初は我々が殺すはずであったが、王がお前にお会いになりたいそうだからな」
先程もそんなことを言っていたなとロファースは思い出し、しかし、
『お前はエウルドスに帰り、全ての真実を知り、死ぬのだ』
イルダンはそう言っていた。
結局は、ロファースは死ぬーーそれだけは覆されない。
「ロファース君。色々と気持ちの整理がつかないでしょうが‥‥ここは退きましょう」
いきなりのクレスルドの提案に、ロファースは「え?」と、不思議そうに彼を見た。
「くくっ‥‥気づいたか。そう、賢明な判断だな、魔術師よ。貴様一人ならばどうにか出来たであろうが、ロファースが居ては足手まといになるだろうからな」
「え?」
そう言われて、ロファースはなんのことかわからずに目を丸くする。
「聞く必要はありません。さあ、行きましょう」
そう言って、クレスルドは再び転移魔術を唱え始めた。
不思議なことに、イルダンは邪魔をしてこない。
だが、そんなことよりも、ロファースは慌ててセルダーの亡骸を抱き寄せた。
転移魔術が行われようとしたその瞬間ーー森の中から何十もの‥‥セルダーと同じ姿をした獣がぞろぞろと集まって来る光景と、
「傷付いたお前が足手まといだから、その魔術師は退く選択をしたのだ」
イルダンがそう言って嘲笑う声。
そんな奇妙な光景が‥‥目に焼き付いた。
◆◆◆◆◆
「ロファース!」
転移した先にはレムズと、先日エルフの里を出る時に案内をしてくれた老人が居た。
「良かった!無事だったのか!」
レムズは安心するようにロファースに駆け寄るが、彼が腕に大事そうに抱いているセルダーの亡骸に気づく。
「そいつ‥‥さっきの‥‥」
「‥‥セルダー。俺の、友達だ」
そう言って、獣の姿に成り果てたセルダーに視線を落とした。
「とりあえず話は後です。ロファース君の傷が酷い。それに、まだエウルドスの手の者が多くこの場所に居る。ここから出ますよ、いいですね、チェアル」
クレスルドはこの里の長であるチェアルに確認し、
「ああ‥‥この状況、最早どうすることも出来ぬ。すまない‥‥我らが民よ、この地よ‥‥このまま捨て置くことを‥‥」
イルダン達がまだこの森にいるせいで、エルフ達の亡骸を埋葬をすることも出来ない。
チェアルとレムズは何も言わず、ただ、変わり果てた里を見つめていた。
ロファースも唇を噛み締める。
自分が無力なせいで、セルダーを失ってしまった。エルフ達のこの現況を作ってしまった。
理由もわからないまま、巻き込んで‥‥しまった。
「ーーさて。もう少し良い場所に転移したかったんですが、この大陸にはここしかありませんからね」
クレスルドがそう言った時には転移魔術は唱えられており、ロファース達は先程までとは別の場所に立っていた。
しかし、ロファースはこの場所を知っている。昨日、訪れたばかりの場所ーーエウルドスに破壊された、ファイス国跡地だったからだ。
「ここ、なんで崩壊してるんだ?」
無惨な国の姿を見てレムズが聞けば、
「この国は最近完成したそうで、今から全てを始めようとした矢先に、エウルドスが戦争を仕掛けてきて、この有り様らしい‥‥」
昨日リンドに聞いたことをロファースは話した。
再びエウルドスの名を聞き、レムズは俯いて拳を握り締める。
ロファースはセルダーの亡骸をゆっくりと大地に横たわらせ、チェアルに視線を向け、
「そういえば、あなたはあの時、案内してくれた‥‥」
「おやおや、名乗ってなかったんですか?彼はエルフの長、チェアルですよ」
肩を竦めながら、クレスルドが代わりに答えた。それを聞いたロファースは目を丸くする。
老人ーーチェアルは頷き、
「おお‥‥すまぬな。名乗るのを忘れておったわ」
そう言って笑った。
「まあ、色々な話は後でしましょう。それよりロファース君、自分の姿をちゃんと見て下さい」
言われて、ロファースは改めて自分の体を見る。
セルダーとの戦いで、腕や足から血が流れ、傷だらけだった。
色々ありすぎて痛みを忘れていたが、冷静になると全身の痛みが襲ってきてロファースは目を細める。
◆◆◆◆◆
噴水広場だったのだろう。
ロファースはかろうじで形を残したベンチに座り、クレスルドが負傷した部位に術をかけてくれた。
彼の手からは暖かそうな淡い緑の光が溢れ、傷口が少しずつ塞がっていく。
これは、回復術らしい。
見たこともない力をロファースはぼんやりと見つめ、
「‥‥すみません」
と、小さく謝罪の言葉が漏れる。
「セルダーは、悪くなかったんです。あいつは‥‥なぜか俺に真実を知らせたくなくて、俺が真実を知る前に俺を殺して救うつもりだったって‥‥確かにあいつは酷いことをしました。エルフ達を、里をーー‥‥取り返しがつかないことを。俺が全てを知っていれば、セルダーもこんなことをしなくて良かった‥‥死ぬことはなかった」
それを聞きながらクレスルドは小さく息を吐き、
「セルダー君は君のことを、本当に大切な友達だと思っていたんでしょうね」
その言葉に、ロファースは大きく頷く。拳を強く握り、大きく、何度も頷いた。
「あなたにも謝りたかったんです。あの時、俺があなたの言葉通り早く動いていれば、あなたは怪我を負わなかった。俺はーーあなたを信用していなかったんです。何度も俺を助けてくれたのに‥‥」
クレスルドの左腕からは、黒いフードの袖からもわかるほど、まだ血が滲んでいる。
しかし、クレスルドは首を横に振り、
「僕はね、ロファース君。人助けなんかしない奴だったんですよ。僕は自分のことしか考えていなかった。自分のしたいことの為に多くの犠牲を生み出したりもした。人が傷付くことに対し、何も感じなかった。他の誰かなんてどうでもいい。欲しいものを手に入れ、必要ないものは使い捨て、切り捨てた」
クレスルドは自らを嘲笑いながら話す。
ロファースは初めてチェアルに会った時に聞いた言葉を思い出し、
「チェアルさんが言っていました。昔のあなたは身勝手で、出来ていない人間で、けれども今は本当に、良い方向に変わったと‥‥今のあなたは信じても良い存在だと、そう言っていました。まあ、昔のあなたどころか、俺はあなたのことを何も知らないんですけどね」
と、苦笑する。
それを聞いたクレスルドはやれやれと肩を竦めた。
「それは、チェアルの価値観です。ロファース君が僕を信用できないのは当たり前のことですよ。普通、こんな怪しい奴を信用なんてできません。それに‥‥全ての真実を君が知った時、君は僕を恨むでしょう」
真実ーー。
セルダーやイルダンも言っていた。真実とは、なんなのか。
それに、セルダーは言っていた。
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そう、クレスルドに向かって言っていたことを思い出す。
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「あなたがずっと俺の味方をしてきてくれたことは事実です。だからそれ以上はもう、何も疑ったりする必要はない。もし、あなたが俺に重要なことを黙っていて、それがあなたを恨むような答えだとしても、俺はきっと恨まない。俺達は‥‥仲間、なんですよね」
そう、確認するようにクレスルドを見て言えば、しばらくの沈黙の後で、彼は頷いた。
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あの日セルダーはそう言っていた。自分が戻らなければ、何かが手遅れになるかもしれない。
しばらくクレスルドは何かを考えるように黙っていて、
「終わりました」
と、沈黙を破る。
クレスルドの手から淡い光が消え、ロファースは自分の体を見た。腕や所々から血が出ていたのに、全て綺麗に塞がっていたのだ。
「信じられない。魔術って‥‥凄いな‥‥」
ぽつりと、驚きと感心を含めながら言い、クレスルドに礼を言った。
ーーそれから、ロファースとクレスルドはレムズ達のもとへ戻った。すると、
「あ、ロファース」
ロファースに気付きながらレムズが言い、
「あのさ、その‥‥土を、ここがいいかなって」
目をちらつかせながらレムズが言うので、なんだろうと思い地面を見れば、元はきっと美しい花が咲き誇っていたのであろう。
今は踏み荒らされ、無惨な姿になり、弱りきってしまっているが、どうやらここは国の片隅にある小さな花畑のようだ。
そして、その中心辺りに今しがた掘ったのであろう大きな穴があった。
「レムズがの、掘ったのじゃよ。その者を連れ歩くわけにもいかぬからな」
チェアルは言いながら、地面に横たわっているセルダーの亡骸を見た。
「‥‥レムズさん。ありがとう‥‥こいつがエルフの里をめちゃくちゃにしたっていうのに‥‥本当にありがとう」
ロファースは目を細めて微笑み、セルダーの傍に寄る。それからその亡骸を抱き抱えた。
皮肉にも、この地はエウルドスが滅ぼした地だ。
わからないが、恐らくセルダーも関わっていたかもしれない。
レムズが掘ってくれた穴に、彼をゆっくりと寝かせる。
いつか‥‥この地が再び美しい国に戻ることを願い、最後にもう一度、セルダーの顔を見た。
なぜ、人間だった彼が獣になったのかはわからない。だが、どんな姿でも‥‥セルダーはセルダーだ。
もう、苦しみひとつない彼の顔に土を被せていき、体も見えなくなる。
自分を救おうとしてくれた友。その為に多くの犠牲を出し、自分すら傷つけてきた友。
救えなかったことを詫びていた、友。
(‥‥真実を知りに行くよ、セルダー。俺はきっと、お前に救われていたんだって、真実を知った後に思えるように。ありがとう、本当に‥‥だから、何も悔やまず‥‥眠ってくれ)
ロファースの後ろ姿を、レムズはちらちらと視線を泳がせながら、今にも泣き出しそうな顔をして見ていた。
すると、レムズの肩に手が置かれる。
「すみませんね。君の仲間達も、本当ならああしてあげるべきだったのに」
クレスルドに言われ、レムズはぽかんと口を開けた。
意外だった。彼が自分の気持ちを察していることに。
セルダーの亡骸を見ていると、レムズはそのまま置き去りにして来たエルフ達のことを思い出してしまっていたのだ。
それからロファースが三人に振り向き、
「俺は、エウルドスに行きます。本当に‥‥巻き込んでしまって‥‥多くの犠牲を出してしまって‥‥謝りきれないほどの、許されないほどのことを俺は引き起こしました」
「お前のせいじゃ‥‥」
レムズが口を挟むも、
「いいえ、俺が原因です」
その言葉をきっぱりと遮り、ロファースは言う。セルダーやイルダンは自分を追っていたのだから。
「俺はエウルドスに戻り、真実を知り、そして、エウルドスの過ちを、俺は正しに行く」
それはロファースが旅立った日の決意だ。
エウルドスの方針しか知らなくて、それを当たり前だと思っていた。
でも、それに疑問を抱き、外の世界を見ようと思った。
そして、自分の答えを見付けに行こうとあの日決めた。
今はまだ、答えは出ていないが、エウルドスが間違っていると言うことだけは胸を張って言えるようになった。
「待って下さい、ロファース君」
すると、クレスルドが制止して、
「僕は里の長に用があると言ってエルフの里に向かいましたよね」
「あ、はい‥‥」
クレスルドはチェアルに向き直り、
「まず一つ。僕にかけた術を解いて下さい。このままでも良いんですが、エウルドスにはきっと厄介な敵だらけですからね、制御が無い方が助かるので」
言われてチェアルは息を吐き、クレスルドに向けて手のひらを翳す。
『強硬なる鎖よ、今を以て解き放たれんことを』
チェアルは呪文らしきものを唱えた。だが、何も起こらない。光が放たれるわけでもない。しかし、
「‥‥ふふ。久し振りに体が軽くなりました。これで僕は完全ですね」
クレスルドが笑ってそう言うので、今の呪文には何かしら意味があったのだろう。
それから、そんな彼を見て、悪用するなよとチェアルは言う。
「さてさて、二つ目の用があります。こちらの用は先ほど思い付きました。肌身離さず持っていますか?」
「‥‥あれか」
聞かれてチェアルは頷く。
「その預けものを返してほしいんです」
「まさか‥‥」
チェアルは目を見開かせた。それにクレスルドは無言で頷く。
そんな二人のやり取りに、ロファースとレムズは目を合わせて首を傾げた。
チェアルは首もとに手をやり、首にかけ、ローブの下に隠していたペンダントを外す。
「奴が関わっているのか?」
「まだはっきりとは。ですが、彼はあの時代の話を知っていました」
クレスルドは先ほどセルダーを埋めた場所を見て言った。
「そうか‥‥あの時代を知る者は、もはや我らとごく僅かだけじゃからの。今頃になって奴は一体何を‥‥」
眉間に皺を寄せてチェアルは言い、外したペンダントをクレスルドに手渡す。
赤い石に、白い羽がついたペンダントだ。
「僕もエウルドスが何かしらの過去の資料でも見付けてやり出したことと思ったんですけどね」
受け取ったペンダントを見つめながら言う。
「それじゃあロファース君、行きましょう」
チェアルとの話を終えてクレスルドが言うので、
「これは、俺の問題です。俺一人で行きます。でもこの大陸から出れないので、エウルドス付近まで魔術で送ってもらえますか?」
ロファースがそう言うので、
「僕の問題でもあるんですよ、この件は。それに、僕達は仲間なんですよね?」
確かに先ほど仲間と言ったばかりだなとロファースは思い返し、渋々と頷く。
「おっ、俺も‥‥!」
レムズが声を張り上げて言おうとしたが、
「おっと、君は駄目です」
言い切る前にクレスルドに止められた。
「俺はまだ何もっ」
「一緒に来るとか言いたいんでしょう?」
クレスルドに言い当てられて、レムズは俯く。
「心配なんですよね、君には微かだが先のことが視えるんですから」
ーーロファースが死んでもいいのかよ!!ーー
先刻、レムズはそう言っていた。それが事実かはわからない。だが、レムズには様々な兆しが視えてしまい、不安なのであろう。
「大丈夫、僕がついています。それに、里の敵討ちもついでにしてあげますよ」
クレスルドはレムズに優しく言ってやる。顔は見えはしないが、フードから覗く口は微笑みを見せていた。
それにレムズは渋るような様子をしていたが、
「‥‥わかった」
と、やはりまだ納得仕切れない顔をして言う。それから、
「行く前に、俺の話を聞いてもらってもいいか?」
そう、切り出した。
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