12 / 48
六日目-1
しおりを挟む
静まり返ってしまった森の中。
ロファースはただ、涙を流しながら叫ぶ獣ーーセルダーの姿を見ていた。
ロファースはゆっくりと、警戒しながらもセルダーに近付く。
「一体、何があったんだ?お前は何をしようとしているんだ?」
ロファースはセルダーにそう問い掛けた。
「お前は俺を殺そうとした。でも、俺のことを生かして連れ帰らなきゃならないんだろ?お前言ってたじゃないか。イルダンさんに怒られる、殺されるって。お前が俺を殺したらお前の身が危険なんじゃないのか?」
ロファースがセルダーの側に屈み、彼を見つめながら静かな口調で聞けば、
「くっ‥‥イルダンーー。あいつも、ヤバい化け物だ‥‥部隊長の、ガランダも、王も」
「ーーえ?」
セルダーの言葉にロファースは首を傾げる。
「‥‥お前がエウルドスを出た直後にイルダン先輩に呼び出されて、お前が居なくなったって聞かされたって言ったよな」
「ああ。その後、エウルドス王に会わされたと言ってたな」
ロファースは先刻の話を思い出した。
「正式な騎士でない、成り立ての俺。ロファースと俺は友達だから‥‥俺はイルダン先輩の隊に入ってお前を追う任務を任された。俺だって、エモイトとの戦争‥‥俺だって本当に、恐かったんだぜ‥‥」
セルダーは傷の痛みに耐え、荒くなった呼吸で言葉を紡ぐ。
「は‥‥?嘘言えよ!お前あの時、笑ってたじゃないか!」
あの日のセルダーの姿をロファースは脳裏に浮かべた。彼はあの時、血塗れの剣を持ち、笑っていたのだから。
だが、今の、獣の姿となった彼は、小刻みに震えながら、
「‥‥いいや、恐かった」
なんて、言うのだ。
「血をさ‥‥血を見て、敵を見て‥‥俺、おかしくなった。楽しい、もっともっと血が欲しいーー殺せ、殺せって。恐かったのに、頭の中ではそんなことを考えてた」
セルダーは目を閉じ、
「それで、思ったんだ。これじゃあ俺、バケモノじゃないかって。その後で俺はエウルドス王に全ての真実を語られて‥‥俺は、俺達は‥‥本当に化け物だったんだよ」
「俺達‥‥?」
その複数の中には自分も含まれているとロファースは感じる。
いや‥‥先程からセルダーはエウルドスの人間も化け物だと言っているようなものだ。
「俺はさ‥‥本当は、お前をエウルドスに帰したくなかった。だって戻ったら、お前にも絶望だけしかない‥‥このエルフの里を滅茶苦茶にすれば、きっとお前はすぐここに来ると思った」
その言葉にロファースは目を見開かせ、
「なんだって‥‥?こんな酷いことを‥‥俺をおびき寄せるために!?その為に、エルフを殺し、里を燃やしたのか!?俺は偶然‥‥あの人がここに用があって来ただけだ!もし俺が来なかったら、お前は‥‥お前はただの人殺しじゃないか!」
そう、あらんかぎりの声で叫ぶ。
無惨に転がるエルフ達。焼けていく森。
地獄のような光景だ。
「その通り‥‥だな。一か八か、賭けてみたんだよ。終わらせる為に。お前が来るか、来ないか‥‥わからないまま‥‥」
「賭けだと!?」
それにロファースはまた怒りを覚える。そんな賭けの為に、エルフ達は‥‥
「俺はお前を殺そうと決めた‥‥イルダンに従う振りをして、アイツの目が俺にない内に‥‥お前が絶望を、真実を知る前に‥‥殺して、やりたかった」
獣の目からは涙が流れる。
「だからなんなんだよ!絶望って、真実って!?お前のその姿が関係してるのか!?」
ロファースは問うが、
「ここで死ぬ方が、お前は絶対に、幸せなんだよ‥‥」
「ーーっ!?なんでだよ‥‥なんで、殺すとか‥‥そんなことばかり言うんだよ‥‥」
涙が止まらない。
悲しいのか、怒りなのかなんなのかーーもはやロファースにはわからない。
「ーー友達だから」
セルダーは小さな声で言う。
「楽しかった‥‥お前と一緒に、訓練した日々。でも‥‥まさか、こんな形であの日話したエルフの里に来ることになるなんて、なぁ」
「だから、なんでだ、なんでなんだ‥‥なんでお前が泣くんだセルダー!」
先程と同様に、セルダーはまた涙を流す。
「っ‥‥終わらせようぜ‥‥ロファース」
よろっ‥‥と、セルダーはその身を起こし、再び牙を剥き出しにする。
ロファースも立ち上がり、剣を構えたが、
(俺達が戦う理由はなんなんだ!?)
そう考えてーー‥‥思考は遮られた。
「勝手は困るな、セルダー」
セルダーの背後から、低く、冷たい声がしたからだ。
「イルダンさん‥‥!」
ロファースは声のした方を見てその名を叫ぶ。
「っ‥‥イルダン‥‥!」
セルダーは彼を睨み付けた。
「セルダー、なんのつもりだ」
まるで感情の無い声でイルダンが聞き、
「‥‥お前らに、お前らに俺のダチを絶望させて殺らせるわけにはいかねぇんだよ!」
セルダーはそう叫び、傷ついた体をなんとか動かしてイルダンに飛び掛かった。
だが、その瞬間‥‥ロファースは奇妙なものを目にすることとなる。
イルダンは右腕を真っ直ぐに伸ばす。すると、徐々に腕を纏う鎧の部分がドロリと溶け出した。
溶けて、腕が、肌が露になる。
だが、それは人間の肌の色ではなかった。紫色に変色した肌の色だ‥‥
「用済みだ」
イルダンがそれだけ言ったと同時に、その変色した腕が細かい数本の触手状になる。
その触手は鋭く細かいナイフのように、飛び掛るセルダー目掛けて伸びた。
俊足で飛ぶそれを、すでに跳躍したセルダーに避ける術はなく、彼の体に次々に触手が突き刺さる。
ズブズブと貫かれる音と共に血が吹き出し、セルダーの叫び声が響いた。
それをただ、ロファースは唖然と見ていることしか出来なくて‥‥
理解が、できない。声も発せられぬ程の、光景なのだ。
獣となった友。変色した触手の腕を持つ上官。
触手はセルダーを貫いた場所から順々に引き抜かれ、元に戻っていき、イルダンの腕に戻った。
セルダーの体からは手の施しようがない程の血が溢れ出て、彼の体はドサリと地面に落ちる。
ロファースは友の名を叫び、彼に駆け寄ろうとした。そんなロファースに対し、
「ロファース、それがセルダーだと言うのか?もはやただの醜い化け物でしかないそれを」
冷ややかな目でロファースと獣を見つめながらイルダンは言う。
ロファースは横たわるセルダーに駆け付け、体毛に覆われた彼の体に触れながら、
「こいつは‥‥こいつはセルダーだ‥‥俺の‥‥大切な友達の、セルダーだ!化け物なんかじゃない!セルダーなんだーー!」
自分に言い聞かせているわけではない。この獣はセルダーなんだ、自分の友達なんだ。ロファースは心からそう思い、この絆を馬鹿にするようなイルダンを睨みつけた。
「うっ‥‥うぅ‥‥ロファ、‥‥ス」
すっ‥‥と、赤い目が開かれて、
「セルダー!痛いか?痛いよな‥‥!くそっ、くそぉ‥‥!どうしたら‥‥どうしたら!?」
ロファースはただ涙する。自分には何もできない。助けることができない。このままではセルダーはもう‥‥
「ロ‥‥ファース、ごめ‥‥ごめん、な」
「セルダー?」
何故か謝るセルダーに、ロファースは困ったような顔を返す。
「俺‥‥お前を、助けたくて‥‥お前に、酷いことばかり‥‥言ったし‥‥エルフ達を‥‥みんな、みんな、殺しちまった‥‥覚悟して、やったのに‥‥結局‥‥なに、も‥‥」
「‥‥いいんだよ、いいんだ、そんなの。お前がさっきから言ってる絶望とか、真実とか、俺はまだわからないけど‥‥でも、俺は全てを受け入れる覚悟を‥‥真実を知る覚悟を、したから」
ぽたぽたと、焼けて乾いた土に涙が落ちた。
「俺だって、ごめんな‥‥お前に酷いことを言ってしまった。理由はまだわからないけど‥‥お前は俺の為に行動してたんだよな‥‥」
ギリッ‥‥と、行き場の無い悔しさ、後悔、悲しみ、怒りがわき上がり、ロファースは歯をくいしばる。
それに、セルダーはもう動くこともままならない頭を、本当にゆっくりと横に振るように動かした。
セルダーは焦点の合わない目をぼんやりと開けながら、ただ、小さくなっていく呼吸を繰り返している。
こんな時は何を言ってやればいいのか?
何をしてやればいいのか?
わからない。わからないから、泣いて、セルダーの体に顔を埋めることしか出来ない。
「ありがと‥‥な、最期まで、友達‥‥言って‥‥れて‥‥」
セルダーは言葉を絞り出した。
「本当に‥‥ありがと‥‥な‥‥思い‥‥出せた‥‥俺達は、昔から、ずっと‥‥友達だったんだ‥‥」
「昔からって、なんだよ‥‥そうだよ、俺達はずっと友達だ!だから、だからっ‥‥死ぬなセルダー!」
あらん限りの声でロファースは泣き叫ぶ。
セルダーからの返事は、もうなかった。
人の姿に戻ることはなかったが、彼はロファースの腕の中で、ボロボロになった体で静かに息を引き取る。
幸い、眠るように目は閉じられていた。体中、イルダンに貫かれた為、穴の痕が痛々しい。
だが、別れを惜しむ間などない。
「ロファース。エウルドスに帰るぞ。お前はエウルドスに帰り、全ての真実を知り、死ぬのだ」
イルダンがそう言葉を発したからだ。
ロファースはそっとセルダーの体を地面に寝かせてやり、イルダンに背を向けたまま立ち上がる。
「わざわざ帰らなくとも、あなたがここで真実とやらを話せばいい」
「王がお前に会いたがっている」
「見たこともない王に俺は会うつもりはない!」
叫びながらイルダンに振り返り、切っ先を向けた。イルダンはため息を吐き、
「剣の扱いがまだ未熟なお前が俺に勝てるとでも?セルダーとの戦いで大分負傷しているじゃないか」
「勝てるとは思わない。ただ、あなたはセルダーを殺した‥‥俺はそれが許せない!」
ギリッと歯を軋め、ロファースは一人の男のことを思い出す。
「イルダンさん‥‥あなたはエモイトの、ディンオという人を本当に知らないんですか?」
あの戦地で、ディンオはイルダンを裏切り者だと言ったが、イルダンは彼とは初対面だと言った。
だが、昨日ディンオはイルダンと友だったーーそう言っていたのだ。だが、やはり‥‥
「聞き覚えがない名だな。それがどうした」
イルダンはそう言う。
「あの日のエモイトとの戦いで、あなたを裏切り者だと言った男の人です」
「ーー奴か。言っただろう、初対面だと」
それにロファースは眉を潜め、
(ディンオさんが嘘を?いや‥‥幾度か話してわかった。ディンオさんは悪い人ではない。イルダンさんにあんなに必死で叫んでいたんだ、あれは絶対に嘘じゃない)
ロファースはそう感じて頷き、
「わかりました」
言いながら、ぐっと剣を強く握る。
「仕方が無い。気でも失わせて連れ帰ってやろう」
イルダンも腰に下げた剣をようやく抜いた。
イルダンの強さは知っている。上官であり、ロファースとセルダーの目標でもあり、憧れでもあったのだから。
思考を振りきり、ロファースは駆けた。剣を強く握り締め、切っ先を振る。だが、素早く避けられてしまい、一撃も当たらない。
闇雲に剣を振り回しては避けられ、体力を無駄に消耗するだけだった。だが、止まらない、止められないーーセルダーの為にも‥‥!
「セルダーの為に怒り任せに剣を振っているのか?ーー今は消えてしまったが、先程までこの森は、里は、赤く赤く燃えていた。その証拠に、この地は見るも無惨な姿になった。多くのエルフの血が流れた。そう‥‥セルダー。奴が皆殺しにしたのだから」
心理戦かーーそう感じながらもロファースは剣を振る腕を止めはしない。
「セルダーは化け物だ。血を見て、戦いを欲する醜い化け物。その本能に奴は負けた。負けて、あの日のエモイトとの戦を奴は大いに楽しんだ。挙げ句ーー友のお前をも殺そうとした。言葉を飾ってお前を救うためだと言うが、果たしてそれは真意だったのか?」
まるで、屈辱だ。セルダーの意思を、思いを、こんな風に‥‥
ロファースは体を震わせ、
「黙れ‥‥セルダーは、あいつは、何も知らない俺の為に全てやったんだ」
彼は言っていた。
エルフ達を殺したことを覚悟してやったんだと。だが、酷く後悔していた。自分は人殺しをしたんだと、彼はちゃんと理解していた。
そこまでしたのに、ロファースを救えなかったことを彼は嘆いた。
セルダーは最期まで友を想い、謝罪しながら死んで逝ったのだ。
ロファースは全身を震わせる。震わせてイルダンを睨み、
「これは怒りだ。お前に、怒りを感じているんだ、イルダンーー!」
ロファースはただ、涙を流しながら叫ぶ獣ーーセルダーの姿を見ていた。
ロファースはゆっくりと、警戒しながらもセルダーに近付く。
「一体、何があったんだ?お前は何をしようとしているんだ?」
ロファースはセルダーにそう問い掛けた。
「お前は俺を殺そうとした。でも、俺のことを生かして連れ帰らなきゃならないんだろ?お前言ってたじゃないか。イルダンさんに怒られる、殺されるって。お前が俺を殺したらお前の身が危険なんじゃないのか?」
ロファースがセルダーの側に屈み、彼を見つめながら静かな口調で聞けば、
「くっ‥‥イルダンーー。あいつも、ヤバい化け物だ‥‥部隊長の、ガランダも、王も」
「ーーえ?」
セルダーの言葉にロファースは首を傾げる。
「‥‥お前がエウルドスを出た直後にイルダン先輩に呼び出されて、お前が居なくなったって聞かされたって言ったよな」
「ああ。その後、エウルドス王に会わされたと言ってたな」
ロファースは先刻の話を思い出した。
「正式な騎士でない、成り立ての俺。ロファースと俺は友達だから‥‥俺はイルダン先輩の隊に入ってお前を追う任務を任された。俺だって、エモイトとの戦争‥‥俺だって本当に、恐かったんだぜ‥‥」
セルダーは傷の痛みに耐え、荒くなった呼吸で言葉を紡ぐ。
「は‥‥?嘘言えよ!お前あの時、笑ってたじゃないか!」
あの日のセルダーの姿をロファースは脳裏に浮かべた。彼はあの時、血塗れの剣を持ち、笑っていたのだから。
だが、今の、獣の姿となった彼は、小刻みに震えながら、
「‥‥いいや、恐かった」
なんて、言うのだ。
「血をさ‥‥血を見て、敵を見て‥‥俺、おかしくなった。楽しい、もっともっと血が欲しいーー殺せ、殺せって。恐かったのに、頭の中ではそんなことを考えてた」
セルダーは目を閉じ、
「それで、思ったんだ。これじゃあ俺、バケモノじゃないかって。その後で俺はエウルドス王に全ての真実を語られて‥‥俺は、俺達は‥‥本当に化け物だったんだよ」
「俺達‥‥?」
その複数の中には自分も含まれているとロファースは感じる。
いや‥‥先程からセルダーはエウルドスの人間も化け物だと言っているようなものだ。
「俺はさ‥‥本当は、お前をエウルドスに帰したくなかった。だって戻ったら、お前にも絶望だけしかない‥‥このエルフの里を滅茶苦茶にすれば、きっとお前はすぐここに来ると思った」
その言葉にロファースは目を見開かせ、
「なんだって‥‥?こんな酷いことを‥‥俺をおびき寄せるために!?その為に、エルフを殺し、里を燃やしたのか!?俺は偶然‥‥あの人がここに用があって来ただけだ!もし俺が来なかったら、お前は‥‥お前はただの人殺しじゃないか!」
そう、あらんかぎりの声で叫ぶ。
無惨に転がるエルフ達。焼けていく森。
地獄のような光景だ。
「その通り‥‥だな。一か八か、賭けてみたんだよ。終わらせる為に。お前が来るか、来ないか‥‥わからないまま‥‥」
「賭けだと!?」
それにロファースはまた怒りを覚える。そんな賭けの為に、エルフ達は‥‥
「俺はお前を殺そうと決めた‥‥イルダンに従う振りをして、アイツの目が俺にない内に‥‥お前が絶望を、真実を知る前に‥‥殺して、やりたかった」
獣の目からは涙が流れる。
「だからなんなんだよ!絶望って、真実って!?お前のその姿が関係してるのか!?」
ロファースは問うが、
「ここで死ぬ方が、お前は絶対に、幸せなんだよ‥‥」
「ーーっ!?なんでだよ‥‥なんで、殺すとか‥‥そんなことばかり言うんだよ‥‥」
涙が止まらない。
悲しいのか、怒りなのかなんなのかーーもはやロファースにはわからない。
「ーー友達だから」
セルダーは小さな声で言う。
「楽しかった‥‥お前と一緒に、訓練した日々。でも‥‥まさか、こんな形であの日話したエルフの里に来ることになるなんて、なぁ」
「だから、なんでだ、なんでなんだ‥‥なんでお前が泣くんだセルダー!」
先程と同様に、セルダーはまた涙を流す。
「っ‥‥終わらせようぜ‥‥ロファース」
よろっ‥‥と、セルダーはその身を起こし、再び牙を剥き出しにする。
ロファースも立ち上がり、剣を構えたが、
(俺達が戦う理由はなんなんだ!?)
そう考えてーー‥‥思考は遮られた。
「勝手は困るな、セルダー」
セルダーの背後から、低く、冷たい声がしたからだ。
「イルダンさん‥‥!」
ロファースは声のした方を見てその名を叫ぶ。
「っ‥‥イルダン‥‥!」
セルダーは彼を睨み付けた。
「セルダー、なんのつもりだ」
まるで感情の無い声でイルダンが聞き、
「‥‥お前らに、お前らに俺のダチを絶望させて殺らせるわけにはいかねぇんだよ!」
セルダーはそう叫び、傷ついた体をなんとか動かしてイルダンに飛び掛かった。
だが、その瞬間‥‥ロファースは奇妙なものを目にすることとなる。
イルダンは右腕を真っ直ぐに伸ばす。すると、徐々に腕を纏う鎧の部分がドロリと溶け出した。
溶けて、腕が、肌が露になる。
だが、それは人間の肌の色ではなかった。紫色に変色した肌の色だ‥‥
「用済みだ」
イルダンがそれだけ言ったと同時に、その変色した腕が細かい数本の触手状になる。
その触手は鋭く細かいナイフのように、飛び掛るセルダー目掛けて伸びた。
俊足で飛ぶそれを、すでに跳躍したセルダーに避ける術はなく、彼の体に次々に触手が突き刺さる。
ズブズブと貫かれる音と共に血が吹き出し、セルダーの叫び声が響いた。
それをただ、ロファースは唖然と見ていることしか出来なくて‥‥
理解が、できない。声も発せられぬ程の、光景なのだ。
獣となった友。変色した触手の腕を持つ上官。
触手はセルダーを貫いた場所から順々に引き抜かれ、元に戻っていき、イルダンの腕に戻った。
セルダーの体からは手の施しようがない程の血が溢れ出て、彼の体はドサリと地面に落ちる。
ロファースは友の名を叫び、彼に駆け寄ろうとした。そんなロファースに対し、
「ロファース、それがセルダーだと言うのか?もはやただの醜い化け物でしかないそれを」
冷ややかな目でロファースと獣を見つめながらイルダンは言う。
ロファースは横たわるセルダーに駆け付け、体毛に覆われた彼の体に触れながら、
「こいつは‥‥こいつはセルダーだ‥‥俺の‥‥大切な友達の、セルダーだ!化け物なんかじゃない!セルダーなんだーー!」
自分に言い聞かせているわけではない。この獣はセルダーなんだ、自分の友達なんだ。ロファースは心からそう思い、この絆を馬鹿にするようなイルダンを睨みつけた。
「うっ‥‥うぅ‥‥ロファ、‥‥ス」
すっ‥‥と、赤い目が開かれて、
「セルダー!痛いか?痛いよな‥‥!くそっ、くそぉ‥‥!どうしたら‥‥どうしたら!?」
ロファースはただ涙する。自分には何もできない。助けることができない。このままではセルダーはもう‥‥
「ロ‥‥ファース、ごめ‥‥ごめん、な」
「セルダー?」
何故か謝るセルダーに、ロファースは困ったような顔を返す。
「俺‥‥お前を、助けたくて‥‥お前に、酷いことばかり‥‥言ったし‥‥エルフ達を‥‥みんな、みんな、殺しちまった‥‥覚悟して、やったのに‥‥結局‥‥なに、も‥‥」
「‥‥いいんだよ、いいんだ、そんなの。お前がさっきから言ってる絶望とか、真実とか、俺はまだわからないけど‥‥でも、俺は全てを受け入れる覚悟を‥‥真実を知る覚悟を、したから」
ぽたぽたと、焼けて乾いた土に涙が落ちた。
「俺だって、ごめんな‥‥お前に酷いことを言ってしまった。理由はまだわからないけど‥‥お前は俺の為に行動してたんだよな‥‥」
ギリッ‥‥と、行き場の無い悔しさ、後悔、悲しみ、怒りがわき上がり、ロファースは歯をくいしばる。
それに、セルダーはもう動くこともままならない頭を、本当にゆっくりと横に振るように動かした。
セルダーは焦点の合わない目をぼんやりと開けながら、ただ、小さくなっていく呼吸を繰り返している。
こんな時は何を言ってやればいいのか?
何をしてやればいいのか?
わからない。わからないから、泣いて、セルダーの体に顔を埋めることしか出来ない。
「ありがと‥‥な、最期まで、友達‥‥言って‥‥れて‥‥」
セルダーは言葉を絞り出した。
「本当に‥‥ありがと‥‥な‥‥思い‥‥出せた‥‥俺達は、昔から、ずっと‥‥友達だったんだ‥‥」
「昔からって、なんだよ‥‥そうだよ、俺達はずっと友達だ!だから、だからっ‥‥死ぬなセルダー!」
あらん限りの声でロファースは泣き叫ぶ。
セルダーからの返事は、もうなかった。
人の姿に戻ることはなかったが、彼はロファースの腕の中で、ボロボロになった体で静かに息を引き取る。
幸い、眠るように目は閉じられていた。体中、イルダンに貫かれた為、穴の痕が痛々しい。
だが、別れを惜しむ間などない。
「ロファース。エウルドスに帰るぞ。お前はエウルドスに帰り、全ての真実を知り、死ぬのだ」
イルダンがそう言葉を発したからだ。
ロファースはそっとセルダーの体を地面に寝かせてやり、イルダンに背を向けたまま立ち上がる。
「わざわざ帰らなくとも、あなたがここで真実とやらを話せばいい」
「王がお前に会いたがっている」
「見たこともない王に俺は会うつもりはない!」
叫びながらイルダンに振り返り、切っ先を向けた。イルダンはため息を吐き、
「剣の扱いがまだ未熟なお前が俺に勝てるとでも?セルダーとの戦いで大分負傷しているじゃないか」
「勝てるとは思わない。ただ、あなたはセルダーを殺した‥‥俺はそれが許せない!」
ギリッと歯を軋め、ロファースは一人の男のことを思い出す。
「イルダンさん‥‥あなたはエモイトの、ディンオという人を本当に知らないんですか?」
あの戦地で、ディンオはイルダンを裏切り者だと言ったが、イルダンは彼とは初対面だと言った。
だが、昨日ディンオはイルダンと友だったーーそう言っていたのだ。だが、やはり‥‥
「聞き覚えがない名だな。それがどうした」
イルダンはそう言う。
「あの日のエモイトとの戦いで、あなたを裏切り者だと言った男の人です」
「ーー奴か。言っただろう、初対面だと」
それにロファースは眉を潜め、
(ディンオさんが嘘を?いや‥‥幾度か話してわかった。ディンオさんは悪い人ではない。イルダンさんにあんなに必死で叫んでいたんだ、あれは絶対に嘘じゃない)
ロファースはそう感じて頷き、
「わかりました」
言いながら、ぐっと剣を強く握る。
「仕方が無い。気でも失わせて連れ帰ってやろう」
イルダンも腰に下げた剣をようやく抜いた。
イルダンの強さは知っている。上官であり、ロファースとセルダーの目標でもあり、憧れでもあったのだから。
思考を振りきり、ロファースは駆けた。剣を強く握り締め、切っ先を振る。だが、素早く避けられてしまい、一撃も当たらない。
闇雲に剣を振り回しては避けられ、体力を無駄に消耗するだけだった。だが、止まらない、止められないーーセルダーの為にも‥‥!
「セルダーの為に怒り任せに剣を振っているのか?ーー今は消えてしまったが、先程までこの森は、里は、赤く赤く燃えていた。その証拠に、この地は見るも無惨な姿になった。多くのエルフの血が流れた。そう‥‥セルダー。奴が皆殺しにしたのだから」
心理戦かーーそう感じながらもロファースは剣を振る腕を止めはしない。
「セルダーは化け物だ。血を見て、戦いを欲する醜い化け物。その本能に奴は負けた。負けて、あの日のエモイトとの戦を奴は大いに楽しんだ。挙げ句ーー友のお前をも殺そうとした。言葉を飾ってお前を救うためだと言うが、果たしてそれは真意だったのか?」
まるで、屈辱だ。セルダーの意思を、思いを、こんな風に‥‥
ロファースは体を震わせ、
「黙れ‥‥セルダーは、あいつは、何も知らない俺の為に全てやったんだ」
彼は言っていた。
エルフ達を殺したことを覚悟してやったんだと。だが、酷く後悔していた。自分は人殺しをしたんだと、彼はちゃんと理解していた。
そこまでしたのに、ロファースを救えなかったことを彼は嘆いた。
セルダーは最期まで友を想い、謝罪しながら死んで逝ったのだ。
ロファースは全身を震わせる。震わせてイルダンを睨み、
「これは怒りだ。お前に、怒りを感じているんだ、イルダンーー!」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~
日暮ミミ♪
恋愛
現代の日本。
山梨県のとある児童養護施設に育った中学3年生の相川愛美(あいかわまなみ)は、作家志望の女の子。卒業後は私立高校に進学したいと思っていた。でも、施設の経営状態は厳しく、進学するには施設を出なければならない。
そんな愛美に「進学費用を援助してもいい」と言ってくれる人物が現れる。
園長先生はその人物の名前を教えてくれないけれど、読書家の愛美には何となく自分の状況が『あしながおじさん』のヒロイン・ジュディと重なる。
春になり、横浜にある全寮制の名門女子高に入学した彼女は、自分を進学させてくれた施設の理事を「あしながおじさん」と呼び、その人物に宛てて手紙を出すようになる。
慣れない都会での生活・初めて持つスマートフォン・そして初恋……。
戸惑いながらも親友の牧村さやかや辺唐院珠莉(へんとういんじゅり)と助け合いながら、愛美は寮生活に慣れていく。
そして彼女は、幼い頃からの夢である小説家になるべく動き出すけれど――。
(原作:ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』)
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。


【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる