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第一章・猫の国

3うにゃ

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 むせかえるような異国の花の香りが喉の奥を刺激するようだった。
 俺が目覚めた場所は花びらの大きな赤い花に囲まれた、小高い丘の上だった。
 そこに立ち下を見下ろすと、この猫の国の街並を一望できた。
 まるで海をハサミで切ったように、三日月形に広がる島。
 海からせり上がっていくような傾斜にひしめき合う、白亜の四角や丸い家々。
 その街が囲む内海から外海へと出て行く無数の船明かり。
 それらが全て打ち上がる花火に照らされて、赤や青や金色に姿を変えていく。
 それに夜空に散りばめられた星が広大な海に映り、地上の街明かりもあって、それは宝石箱のように見えた。

「美しい……」

 その言葉が思わず口から零れ出た時、突然ルシュが俺の腰を引き寄せてきて驚いた。

「しっかり掴まっているんだ」

 それからそう言って、足にめいっぱい力を入れたかと思うと、思いっきり地面を蹴り上げる。

「う、うわあっ!」

 飛んだ。
 飛んだのだ。 その瞬間、俺は、宙に浮いていた。 

「今日は街の者はみな王の城に集まっている。今のうちに一気に大婆様の家まで駆けてゆくぞ!」
「ひええぇぇっっ!!」

 おじさん街道に突入したというのにこんな美しい顔の猫耳男子に抱えられて飛ぶ……いや、正確には普通の猫の能力を倍にしたような恐ろしいほどの跳躍で飛び跳ねながら移動しているのだが、もうこんなの空を飛んでいるのも同然だ。こんなこっ恥ずかしい事があるか。俺が女子ならば、きゃって言ったあとに、ぽっとなることもあるかもしれないが、俺は男だ。しかも35歳だ。近頃腰の調子もよくない。

「男のくせにわめくな!」
「ぎゃーっひぇ~っ」

 わめくなだと!? 誰にそんな口を叩いてるんだこの白猫が! 俺はジェットコースターが大の苦手なんだぞ! それをこんな屋根の上とか風車の羽の部分とかピョンピョンピョンピョン飛び上がりやがってええぇぇ!! 
 そうじゃなくても大きな傾斜のある街だ、下を見ると血の気がひく。俺はめいっぱいの力でルシュにしがみつくと、目を硬く瞑ったり、薄く開いたりした。

 やがて、ルシュは高い場所から徐々に低い場所に移動して行き、やがて路地に降り立った。
 丸石が敷き詰められ、高く白い家に挟まれた、街灯もない狭く暗い路地だ。

「こっちだ、早く!」

 そう言われたって足がすくんだ俺の足は早くなんて動けない。
 足をがくがくさせながら歩く俺を見て、ルシュの尻尾が大きく左右に揺れている。猫の雑誌で見たことがあるぞ。あれはイライラしている仕草だ。

「さあ、入って」
「はいよぉ……」

 やがて、ターコイズブルーに塗られたドアの中へと誘導された。

「おやおやルシュじゃないか」
「大婆様、お知恵を貸して頂きたく参りました」
「あらあら、随分と険しい顔をしてどうしたんだい。う~ん?」

 その部屋は、鉢植えの観葉植物で埋め尽くされていた。
 それに薄黄色の壁と、それに掛けられた美しい女性の絵が一枚。真ん中には白いテーブルと椅子が二つあり、壁側には木の籠のようなソファーが置かれ、それには、花柄の洋服を着た土偶のような顔のお婆さんが腰をかけていた。赤茶色の猫耳がちゃんと頭についている。お婆さんはルシュを見るなりそう言ってから、俺の顔をまじまじと見つめてきた。

「あんれまあ!人間じゃないかい?」

 そして、今までは閉じたように見えていたその目を大きく見開いた。

「実は……王が死んだと聞き動揺していた私は油断してしまい……見られてしまったのです。人間界でミヤビと、会話をしているところを……」
「あんれぇー……」
「それでつい連れて来てしまいました。匂いを消すために黒マタタビを食べさせましたが、効果はやがて消えるでしょうし、耳も尻尾もない彼は人間だとわかられてしまうでしょう。それに彼には仕事もない。大婆様、ボクは一体どうすれば……!」

 あのくそ苦い物体は黒マタタビというマタタビだったのか。人間臭を消すためだったんだな。確かに、最近オヤジ臭がしてきた俺の臭いはそう簡単には消えまい。やれやれ、随分なミスを犯してしまったんだな、この白猫は。元はと言えば、あの柵の上に居た猫が悪いんじゃないのか?せっかく俺は死ぬところだったのに。可哀想にな―。
 どうせ死ぬつもりだった俺が打ち首になろうが関係ない。けど、青ざめている目の前のルシュがなんだか酷く可哀想に思えてきた。

「……起きてしまった事は仕方がないよルシュ。そうだね、あたしの禁じられた古文書が、ようやく役に立つ時が来たようだよ」

 お婆さんはそう言って、優しく微笑んだ。

「禁じられた古文書?」
「ああそうさ。あたしがずーっと昔に譲り受けた、古い古い古文書……ちょっと待ってな」

 禁じられた古文書―?
 なんだそれは。それに解決策が書いてあるっていうのか?俺が、この世界で人間だとバレずに生きていく秘策が?そんなもの持ってるなんて、この婆さん何者なんだ。

 大婆様はそう言うと、ゆっくりと歩き部屋から出て行った。



 


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