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運命の番はやっぱりヤギだった デート編 後
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そのとき、ヤギがおもむろに僕の膝の上から頭を起こし、ソファの隅に置かれていたクッションの下に前脚を入れた。ボタンが押されるようなカチッという音が小さく聞こえる。
『忠晴さま、どうかされましたか?』
すぐにクッションの下から機械を通したような佐々木さんの声が響く。
「佐々木、不測の事態だ。窓際の三番テーブルにいる二人に事情を説明してお帰りいただけ」
『承知いたしました』
疑問を口に出す間もなく、またカフェの扉が開き上品なチェック柄の背広を着た佐々木さんが入ってきた。ヤギの執事は優雅な動作でテーブル席に近づき、彼氏とイケメンの二人に丁寧なお辞儀をする。
「このたびはご協力いただきありがとうございました。お連れ様にもご説明いたしますので、どうぞこちらへ」
突然現れた物腰柔らかなお爺さんに驚きながらも、イケメンは彼氏の腕を掴んで椅子から立ち上がらせると、カフェから出ていった。
二人がいなくなると、店内はまるで何事もなかったかのように客も店員もそれぞれの動きを再開する。彼氏がいなくなって一人になった彼女はまるで最初からそうだったというように鞄からノートパソコンを取り出して、無言でカタカタやり始めた。
「……え? 何? 今の」
ことの成り行きを見守っていた僕は、ヤギを見下ろす。
聞き間違いじゃなければ、さっき挙動不審な彼氏の方からはエキストラっていう単語が聞こえた気がするんだけど。
「ヤギさん、今の」
「……メェ?」
「急にヤギのフリして誤魔化そうとしないでください」
「湊くん、私はね、ヤギなんだよ」
わざと顔を逸らして素知らぬふりをしようとするヤギに冷ややかな視線を向ける。
「ヤギさんが人間の心を失ったヤギだと言うなら、僕はあなたの番にはなれませんね」
「ヒン」
ヤギはびくっと硬直してから慌てて僕の膝の上から下りて、床にお座りすると僕の顔を上目で見上げた。上目というか、視線がいまいち合っているかわからない楕円形の瞳を少しだけ上にずらした。
「ごめんよ、騙そうとしていたわけじゃないんだ。デートのためにお店を買ったと言ったら湊くんが遠慮してしまうと思って、自然さを演出するためにエキストラを入れていただけなんだよ」
「じゃあ今ここにいる人はみんなエキストラってことで……ちょっと待って。今お店を買ったって言いました?」
「買ったよ。このカフェのオーナーは私」
ヤギの顔を見て僕は固まった。
店内をぐるりと見回してみる。
心なしか、周りのお客さん達は僕らの会話の流れに聞き耳を立てているように感じる。
ヤギがデートのためにカフェをまるごと買っていた。
どおりでヤギを見ても最初から店員も客もノーリアクションだと思った。不思議だとは思っていたのに、なんでもっと早くサクラだと気がつかなかったんだろう。呑気にカフェオレを飲んでいた僕は鈍すぎる。
「どうしてそんなことしたんです? 僕は公園でも構わないですけど」
デートのためにいくら投資したんだとちょっと怖くなり、硬い声でそう問いかけたら僕を見つめるヤギの目がうるっと光った。
「湊くんと普通のデートがしてみたかったんだ。普通のカップルみたいに、並んでお茶が飲みたかったんだよ……」
へたりと耳を下げたヤギはしょんぼりした声を出す。
そのしゅんとした動作を見て僕は絆されてしまい、仕方なくヤギの頭をよしよし撫でた。
「……確かに、僕達が普通のお店に入るのは難しいということはわかります。でもわざわざ買わなくても……まぁ、買ってしまったものは仕方ないですけど、それなら最初から言ってくれればよかったのに」
「すまない。湊くんにもできるだけ普通のデートを楽しんでもらいたいと思ったんだ」
「でもエキストラはやりすぎですよ。見てくださいよ皆さんの顔。必死に真顔を保ってますけど、明らかに引いてるじゃないですか」
僕の言葉にヤギは店内を見回す。
ヤギと目が合っても動揺を顔に出さないエキストラの皆さんはプロだった。
「皆さん、ご協力ありがとう。撤収して結構だよ」
ヤギの号令でお客さんがバラバラと立ち上がり、手際よく手荷物を片付けて店の扉に向かう。僕達のテーブルの横を通過するときに、ヤギに向かって口々に「お疲れ様でした」と頭を下げて歩き去っていった。
店内にお客さんが誰もいなくなってから最初のソファに座り直し、向かいのソファに箱座りしたヤギを見て改めて口を開く。
「ヤギさん、これからは出かけるたびにサクラなんて用意しないでくださいね。今まで僕だけが知らずに呑気にカフェオレ飲んでたなんて、傍から見たら馬鹿みたいじゃないですか」
「え? 湊くんは馬鹿じゃないよ。私の番なんだから、馬でも鹿でもない。どちらかというとヤギだよ。私の黒ヤギ。でも、わかったよ湊くん。今後はエキストラを入れるのは控えるよ。ごめんね」
僕が言いたかったのはそういうことじゃない、と思ったが、ヤギがサクラを用意するのはやめると言ったから妥協した。
そのとき店の扉が開いて、先ほどエキストラ彼氏とイケメンを連れて出ていった佐々木さんが戻ってきた。
「申し訳ありません、忠晴さま。先ほどは私の演技指導が足りなかったばかりに」
肩を落としている佐々木さんは片方の手で目元を覆い、ヤギの隣の空いたスペースに座り込んで項垂れた。
謎の気を回した店員がアイスコーヒーを持ってきてテーブルに置き、佐々木さんはそれを黙って飲み始める。
ちゃっかりした執事だな、と思いながら僕は彼の呟いた内容が気になって口を開いた。
「具体的に、どう指導したんですか?」
僕の声に佐々木さんはグラスを握ったまま沈痛な表情でため息を吐き、テーブルに目を落とす。
「はい。先ほどの方は欠員が出たエキストラの穴を埋めるために、急遽私が駅前でスカウトいたしました。時間もなく十分な前情報をお伝えすることができなかったので、とにかくヤギを見ても驚かないようにと思い、タブレットで世界のヤギ動画と私が編集した『忠晴さまスナップ写真集~ヤギver~』をご覧いただきました」
「そのせいで余計困惑したんじゃないですかね」
僕のツッコミに佐々木さんは深く頷いた。
「ええ。見せるべきは~ヤギver~ではなく、~ありし日の忠晴さまver~だったのですね……」
「違うと思います」
見当はずれなことを返してくるので僕も冷静に返した。
「佐々木、いつの間に私の写真なんか撮っていたんだ」
「旦那様と奥様から、息子がヤギになった記念に写真を残したいと頼まれまして」
「エェ……」
「すでに日常編は完成データをお渡し済みです。現在オフショット集としてデート編を作成しております」
「メッ、なんだと? 湊くんが写っているなら私もほしい」
ヤギがぎゅんっと顔を横に向けた。
ヤギと目を合わせた佐々木さんは「かしこまりました」と頷いている。
「あの、僕は僕の写真を撮っていいなんて言ってないんですけど」
「爽香さまに許可はいただいております。『ヤギが勝手に湊の首を噛もうとしないように見張るついでならいい』とおっしゃってくださいまして」
「……」
それを言われると何とも反応に困る。
僕が黙ったので佐々木さんは了承と捉えたのか、勝手に話を進めていく。
「完成しましたら爽香さまと湊さまにご確認いただき、写真の差し替え希望などがございましたら対応いたしますので」
「はあ……」
「少し腑に落ちないのだが。私はヤギだが、同意もなしに湊くんの首を噛んだりするような野蛮な獣じゃないぞ」
ヤギが横から口を出してぷんぷんしている。
どうしよう。だんだん収集がつかなくなってきた。
このまま食い下がって写真を撮るのをやめさせるべきなのか、それとも出口を失ったこの会話を終わらせるのを優先するべきなのか、僕は少し悩んだ。
しばらく考えていたが、そのうち怒りを鎮めたヤギが「湊くんの写真~楽しみ~」と間伸びした声で鼻歌を歌い始めたので、真面目に考えるのをやめた。
もういいや。
人間同士のデート写真を撮るのだと言われたら恥ずかしいけど、僕の隣にいるのは現状ヤギだし、僕の写真を撮ったところで見て喜ぶのはヤギと爽香くらいだ。
流されているのを自覚しつつ、僕はそう結論付けた。
「じゃあ、再来週は山に行くってことでいいんですね?」
「メェ! ぜひ行こう。楽しみだな。お昼はお弁当にして早めの時間に山で食べて、夕方レストランに行って美味しいディナーを食べて帰ろうね」
嬉しそうに答えるヤギのセリフを聞いて、僕はぴくりと反応する。
「なんでディナー? まさか、このカフェだけじゃなくてレストランまで買ったんですか?」
怪しんだ僕の声のトーンが下がったことを察したヤギは、ぴたっと止まって今度は首をぶんぶん横に振った。
「買ってない。買ってないよ。貸切にすれば入れてもらえるお店を見つけたから行ってみようと思っただけだ」
「それで雰囲気がよかったら買収しようと思ってませんか?」
「……」
「お店の人を困らせたら駄目です。権力を笠に着るヤギは嫌いです」
「ヒン」
ヤギが小さく鳴き、僕の顔を見てこくこくと頷いた。
「買収なんてしないよ。それなら新しくお店を建ててオープンするのはどうだい。最初から私がオーナーなら誰も困らないよ」
「そうですね……それなら、まぁ」
誰かに迷惑をかけるわけではないなら、ヤギの仕事の一貫だと思えばまだ受容できる。もともと神宮寺グループはホテルや飲食店を手広く経営してる企業だし。
僕が頷いたらヤギはほっと息を吐くように「メェ」と鳴いた。
佐々木さんは急に静かになったな、と思ったが、そちらに視線を向けたら彼は再来週行く山のルートを確認しているのか、印刷したGoogleマップをテーブルに広げて凝視していた。
ちょっとその地図は広域すぎるんじゃないだろうか。文字が小さすぎて佐々木さんの老眼では背もたれいっぱいまで離れてもピントが合わないみたいだし。
ヤギは横からテーブルの地図を見て、ご機嫌に尾を振っている。
「来週が楽しみだな。ハイキングコースになったところにはワイルドベリーや自然の薬草も生えているらしいよ」
「そうなんですか?」
「うん、湊くんが手紙でブルーベリーを育てていると教えてくれたから、野生のベリーを見られる場所がないか探してみたんだ」
ヤギが嬉しそうな声で話した。
「わざわざ調べてくれたんですか? ありがとうございます」
「湊くんが喜んでくれると、私が嬉しいんだよ。ところで湊くん、山に行くにあたりお願いがあるんだ」
「なんですか」
尋ねると、ヤギが僕に顔を向けて見つめてくる。
「山では私の名前を呼んでくれるかい?」
それを聞いて瞬きした。
僕はヤギのことをいまだにヤギさんと呼んでいるが、それは周りに人がいると「忠晴さん」と呼び辛いからだ。だって一見すると僕がペットのヤギに人名をつけて敬語で喋っているように見える。ヤギを連れているだけでも人目を引くのに、僕まで怪しい人物に見られるのが少し恥ずかしい。
車に乗っていて二人の時は偶に呼んでいるが、もしかして今回山を選んだのはそういう意図があったのか。
「いいですよ。山でヤギさんをヤギと呼んでいたら、周りから野生のヤギだと誤解されるかもしれませんし」
「本当かい? 約束だよ」
ヤギは嬉しそうに目を細めて「メェ!」と鳴いた。
ヤギと一緒にハイキングに行くことになった。
それだけのことを決めるためにずいぶん時間がかかった気もするが、会話が迷走するのはいつものことなので仕方がない。
ウキウキしながら佐々木さんの地図を食べているヤギを眺めながら、僕は冷めたカフェオレを飲んだ。
『忠晴さま、どうかされましたか?』
すぐにクッションの下から機械を通したような佐々木さんの声が響く。
「佐々木、不測の事態だ。窓際の三番テーブルにいる二人に事情を説明してお帰りいただけ」
『承知いたしました』
疑問を口に出す間もなく、またカフェの扉が開き上品なチェック柄の背広を着た佐々木さんが入ってきた。ヤギの執事は優雅な動作でテーブル席に近づき、彼氏とイケメンの二人に丁寧なお辞儀をする。
「このたびはご協力いただきありがとうございました。お連れ様にもご説明いたしますので、どうぞこちらへ」
突然現れた物腰柔らかなお爺さんに驚きながらも、イケメンは彼氏の腕を掴んで椅子から立ち上がらせると、カフェから出ていった。
二人がいなくなると、店内はまるで何事もなかったかのように客も店員もそれぞれの動きを再開する。彼氏がいなくなって一人になった彼女はまるで最初からそうだったというように鞄からノートパソコンを取り出して、無言でカタカタやり始めた。
「……え? 何? 今の」
ことの成り行きを見守っていた僕は、ヤギを見下ろす。
聞き間違いじゃなければ、さっき挙動不審な彼氏の方からはエキストラっていう単語が聞こえた気がするんだけど。
「ヤギさん、今の」
「……メェ?」
「急にヤギのフリして誤魔化そうとしないでください」
「湊くん、私はね、ヤギなんだよ」
わざと顔を逸らして素知らぬふりをしようとするヤギに冷ややかな視線を向ける。
「ヤギさんが人間の心を失ったヤギだと言うなら、僕はあなたの番にはなれませんね」
「ヒン」
ヤギはびくっと硬直してから慌てて僕の膝の上から下りて、床にお座りすると僕の顔を上目で見上げた。上目というか、視線がいまいち合っているかわからない楕円形の瞳を少しだけ上にずらした。
「ごめんよ、騙そうとしていたわけじゃないんだ。デートのためにお店を買ったと言ったら湊くんが遠慮してしまうと思って、自然さを演出するためにエキストラを入れていただけなんだよ」
「じゃあ今ここにいる人はみんなエキストラってことで……ちょっと待って。今お店を買ったって言いました?」
「買ったよ。このカフェのオーナーは私」
ヤギの顔を見て僕は固まった。
店内をぐるりと見回してみる。
心なしか、周りのお客さん達は僕らの会話の流れに聞き耳を立てているように感じる。
ヤギがデートのためにカフェをまるごと買っていた。
どおりでヤギを見ても最初から店員も客もノーリアクションだと思った。不思議だとは思っていたのに、なんでもっと早くサクラだと気がつかなかったんだろう。呑気にカフェオレを飲んでいた僕は鈍すぎる。
「どうしてそんなことしたんです? 僕は公園でも構わないですけど」
デートのためにいくら投資したんだとちょっと怖くなり、硬い声でそう問いかけたら僕を見つめるヤギの目がうるっと光った。
「湊くんと普通のデートがしてみたかったんだ。普通のカップルみたいに、並んでお茶が飲みたかったんだよ……」
へたりと耳を下げたヤギはしょんぼりした声を出す。
そのしゅんとした動作を見て僕は絆されてしまい、仕方なくヤギの頭をよしよし撫でた。
「……確かに、僕達が普通のお店に入るのは難しいということはわかります。でもわざわざ買わなくても……まぁ、買ってしまったものは仕方ないですけど、それなら最初から言ってくれればよかったのに」
「すまない。湊くんにもできるだけ普通のデートを楽しんでもらいたいと思ったんだ」
「でもエキストラはやりすぎですよ。見てくださいよ皆さんの顔。必死に真顔を保ってますけど、明らかに引いてるじゃないですか」
僕の言葉にヤギは店内を見回す。
ヤギと目が合っても動揺を顔に出さないエキストラの皆さんはプロだった。
「皆さん、ご協力ありがとう。撤収して結構だよ」
ヤギの号令でお客さんがバラバラと立ち上がり、手際よく手荷物を片付けて店の扉に向かう。僕達のテーブルの横を通過するときに、ヤギに向かって口々に「お疲れ様でした」と頭を下げて歩き去っていった。
店内にお客さんが誰もいなくなってから最初のソファに座り直し、向かいのソファに箱座りしたヤギを見て改めて口を開く。
「ヤギさん、これからは出かけるたびにサクラなんて用意しないでくださいね。今まで僕だけが知らずに呑気にカフェオレ飲んでたなんて、傍から見たら馬鹿みたいじゃないですか」
「え? 湊くんは馬鹿じゃないよ。私の番なんだから、馬でも鹿でもない。どちらかというとヤギだよ。私の黒ヤギ。でも、わかったよ湊くん。今後はエキストラを入れるのは控えるよ。ごめんね」
僕が言いたかったのはそういうことじゃない、と思ったが、ヤギがサクラを用意するのはやめると言ったから妥協した。
そのとき店の扉が開いて、先ほどエキストラ彼氏とイケメンを連れて出ていった佐々木さんが戻ってきた。
「申し訳ありません、忠晴さま。先ほどは私の演技指導が足りなかったばかりに」
肩を落としている佐々木さんは片方の手で目元を覆い、ヤギの隣の空いたスペースに座り込んで項垂れた。
謎の気を回した店員がアイスコーヒーを持ってきてテーブルに置き、佐々木さんはそれを黙って飲み始める。
ちゃっかりした執事だな、と思いながら僕は彼の呟いた内容が気になって口を開いた。
「具体的に、どう指導したんですか?」
僕の声に佐々木さんはグラスを握ったまま沈痛な表情でため息を吐き、テーブルに目を落とす。
「はい。先ほどの方は欠員が出たエキストラの穴を埋めるために、急遽私が駅前でスカウトいたしました。時間もなく十分な前情報をお伝えすることができなかったので、とにかくヤギを見ても驚かないようにと思い、タブレットで世界のヤギ動画と私が編集した『忠晴さまスナップ写真集~ヤギver~』をご覧いただきました」
「そのせいで余計困惑したんじゃないですかね」
僕のツッコミに佐々木さんは深く頷いた。
「ええ。見せるべきは~ヤギver~ではなく、~ありし日の忠晴さまver~だったのですね……」
「違うと思います」
見当はずれなことを返してくるので僕も冷静に返した。
「佐々木、いつの間に私の写真なんか撮っていたんだ」
「旦那様と奥様から、息子がヤギになった記念に写真を残したいと頼まれまして」
「エェ……」
「すでに日常編は完成データをお渡し済みです。現在オフショット集としてデート編を作成しております」
「メッ、なんだと? 湊くんが写っているなら私もほしい」
ヤギがぎゅんっと顔を横に向けた。
ヤギと目を合わせた佐々木さんは「かしこまりました」と頷いている。
「あの、僕は僕の写真を撮っていいなんて言ってないんですけど」
「爽香さまに許可はいただいております。『ヤギが勝手に湊の首を噛もうとしないように見張るついでならいい』とおっしゃってくださいまして」
「……」
それを言われると何とも反応に困る。
僕が黙ったので佐々木さんは了承と捉えたのか、勝手に話を進めていく。
「完成しましたら爽香さまと湊さまにご確認いただき、写真の差し替え希望などがございましたら対応いたしますので」
「はあ……」
「少し腑に落ちないのだが。私はヤギだが、同意もなしに湊くんの首を噛んだりするような野蛮な獣じゃないぞ」
ヤギが横から口を出してぷんぷんしている。
どうしよう。だんだん収集がつかなくなってきた。
このまま食い下がって写真を撮るのをやめさせるべきなのか、それとも出口を失ったこの会話を終わらせるのを優先するべきなのか、僕は少し悩んだ。
しばらく考えていたが、そのうち怒りを鎮めたヤギが「湊くんの写真~楽しみ~」と間伸びした声で鼻歌を歌い始めたので、真面目に考えるのをやめた。
もういいや。
人間同士のデート写真を撮るのだと言われたら恥ずかしいけど、僕の隣にいるのは現状ヤギだし、僕の写真を撮ったところで見て喜ぶのはヤギと爽香くらいだ。
流されているのを自覚しつつ、僕はそう結論付けた。
「じゃあ、再来週は山に行くってことでいいんですね?」
「メェ! ぜひ行こう。楽しみだな。お昼はお弁当にして早めの時間に山で食べて、夕方レストランに行って美味しいディナーを食べて帰ろうね」
嬉しそうに答えるヤギのセリフを聞いて、僕はぴくりと反応する。
「なんでディナー? まさか、このカフェだけじゃなくてレストランまで買ったんですか?」
怪しんだ僕の声のトーンが下がったことを察したヤギは、ぴたっと止まって今度は首をぶんぶん横に振った。
「買ってない。買ってないよ。貸切にすれば入れてもらえるお店を見つけたから行ってみようと思っただけだ」
「それで雰囲気がよかったら買収しようと思ってませんか?」
「……」
「お店の人を困らせたら駄目です。権力を笠に着るヤギは嫌いです」
「ヒン」
ヤギが小さく鳴き、僕の顔を見てこくこくと頷いた。
「買収なんてしないよ。それなら新しくお店を建ててオープンするのはどうだい。最初から私がオーナーなら誰も困らないよ」
「そうですね……それなら、まぁ」
誰かに迷惑をかけるわけではないなら、ヤギの仕事の一貫だと思えばまだ受容できる。もともと神宮寺グループはホテルや飲食店を手広く経営してる企業だし。
僕が頷いたらヤギはほっと息を吐くように「メェ」と鳴いた。
佐々木さんは急に静かになったな、と思ったが、そちらに視線を向けたら彼は再来週行く山のルートを確認しているのか、印刷したGoogleマップをテーブルに広げて凝視していた。
ちょっとその地図は広域すぎるんじゃないだろうか。文字が小さすぎて佐々木さんの老眼では背もたれいっぱいまで離れてもピントが合わないみたいだし。
ヤギは横からテーブルの地図を見て、ご機嫌に尾を振っている。
「来週が楽しみだな。ハイキングコースになったところにはワイルドベリーや自然の薬草も生えているらしいよ」
「そうなんですか?」
「うん、湊くんが手紙でブルーベリーを育てていると教えてくれたから、野生のベリーを見られる場所がないか探してみたんだ」
ヤギが嬉しそうな声で話した。
「わざわざ調べてくれたんですか? ありがとうございます」
「湊くんが喜んでくれると、私が嬉しいんだよ。ところで湊くん、山に行くにあたりお願いがあるんだ」
「なんですか」
尋ねると、ヤギが僕に顔を向けて見つめてくる。
「山では私の名前を呼んでくれるかい?」
それを聞いて瞬きした。
僕はヤギのことをいまだにヤギさんと呼んでいるが、それは周りに人がいると「忠晴さん」と呼び辛いからだ。だって一見すると僕がペットのヤギに人名をつけて敬語で喋っているように見える。ヤギを連れているだけでも人目を引くのに、僕まで怪しい人物に見られるのが少し恥ずかしい。
車に乗っていて二人の時は偶に呼んでいるが、もしかして今回山を選んだのはそういう意図があったのか。
「いいですよ。山でヤギさんをヤギと呼んでいたら、周りから野生のヤギだと誤解されるかもしれませんし」
「本当かい? 約束だよ」
ヤギは嬉しそうに目を細めて「メェ!」と鳴いた。
ヤギと一緒にハイキングに行くことになった。
それだけのことを決めるためにずいぶん時間がかかった気もするが、会話が迷走するのはいつものことなので仕方がない。
ウキウキしながら佐々木さんの地図を食べているヤギを眺めながら、僕は冷めたカフェオレを飲んだ。
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