運命の番がヤギだった

遠間千早

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運命の番がヤギだった 前

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 朝、いつものように姉と一緒に高校に向かう道の途中で、道路を前から走ってきた真っ白なリムジンが急ブレーキをかけながら車体を滑らせ、僕と姉の前に派手に横付けされた。
 横開きの扉がバーンと開き、中から朗々とした声が響く。

みなとくん! 君には今日こそ私の番になってもらう!」

 僕は完全に道を塞いでいる迷惑なリムジンを見つめ、周りで驚いて足を止めている学生や通行人に「すいません」と頭を下げた。車はあまり通らない広い道路ではあるが、リムジンなんて無駄に長い車両が停まっていると迷惑以外の何ものでもない。毎回乗る車を考えた方がいいと言っているのに、この前はベンツで、その前はフェラーリだった。むしろだんだん長くなってない? なんでなの?

「頭が弱いわ」

 僕の心の声を代弁するように、横にいた姉が言った。双子の姉の爽香さやかは顔が僕とよく似ているし、考え方も近い。多分同じことを思ったんだろう。

「やっぱり頭脳の容積に限界があるのかもしれないね」
「ええ。おかしいわね。案外賢いって聞いていたのに」
「君たち私を無視しないで!」

 通行人に謝りながら爽香と話していたら、リムジンの中から文句を言う声が聞こえて、それからコツ、と地面に下り立つ足音がした。カランと涼やかに鳴るベルの音。

 僕は広い車内から悠然と出てきた相手を見下ろした。横に長い楕円形の瞳はいまいち視線が合っているのかわからないが、顔は僕の方を向いている。
 堂々とした動きで目の前に立った白い四つ足の生き物を漫然と眺めながら、僕はことの起こりとなった数週間前のことを回想した。


 ◆


 その日の朝も、爽香と一緒に高校に行く道を歩いていた。
 僕は紺色のブレザーにスラックス、爽香は同じブレザーに赤いチェックのスカート。黒髪黒眼の僕たちは二卵性で男女の双子だが、背格好は似ている。何故なら僕がオメガだから。ベータやアルファの男に比べて、オメガの男はどちらかというと小柄だし細身だ。別になりたくてなったわけじゃないが、生まれ持ったバースがそうだったから仕方ない。
 対して爽香はアルファで、女の子にしては背が高い。だから僕たちはバースも違う男女の双子だが似ている。爽香はオメガである僕を心配して、登下校はいつも一緒だった。

 通い慣れた通学路を歩いていると、前方が軽くざわめいているのに気づいた。前を歩く学生たちが何かを避けるようにして道の端に寄っている。

「なんだろう」

 僕が疑問を口に出すと、隣にいた爽香がじっと前を見つめた。
 やがてその原因に近づいて、爽香が冷静な声を上げた。

「ヤギよ」

 彼女が言うように、道の先にいたのは白いヤギだった。
 
「ヤギ……?」

 なぜ、ヤギ?

 この辺りにヤギを飼っているような家があっただろうか、と思ったときにそのヤギがこちらを向いた。その直後に猛烈な勢いで僕と爽香の方に突進してくる。

「大変。角があるから雄だわ。湊、私の後ろにいて」
「爽香ちゃんが危ないよ。お腹空いてるんじゃない? お弁当投げてみる?」
「投げましょう」

 頷いた爽香はカバンの中から素早く弁当の入った袋を取り出して、スカートを翻しながら大きく振りかぶってそれを投げた。
 彼女は中学のとき県の代表にも選ばれたことのある、ソフトボール部のピッチャーだった。コントロールと球速は抜群だ。弁当でヤギの気を逸らすどころか、弁当は僕たちに迫っていたヤギの眉間に吸い込まれるようにして飛び、ボゴォという音を立てて命中した。ヤギが「ヒン」と鳴いて脚を滑らせてのけぞり、ひっくり返る。

「よかった。ヤギは止まったわ」
「うん。爽香ちゃんのおかげだね」

 全く鈍っていない爽香のコントロールを称賛し、ふふふと笑い合ってあると転倒したヤギがピクリと動いて頭を上げた。

「……そこの君」

 ヤギが喋った。
 明らかに人間のようなはっきりとした男性の声音で言葉を発した。

「大変。あのヤギ喋ったわ」

 爽香が冷静に言い、今度は鞄の中から水筒を取り出した。迷いなく鈍器だ。僕もそれを見て自分の鞄から水筒を取り出した。

「待って。待ってください。話を聞いて」

 ヤギが怯えた目をして爽香を見つめる。
 
「ヤギが対話を望むなんて、どう考えてもおかしいわね」
「もしかしたら首にスピーカーでもついているのかもよ」
 
 僕も不思議に思い首を傾げると、爽香は納得したように頷いた。

「そうね。確かに赤い首輪をしてる。今時ヤギに赤い首輪を付けるなんて、よほどのアニメオタクか学習塾の回し者としか考えられない」
「あの、これは家の者に付けられただけで私はアニメオタクではありません。話を進めていいですか。私は獣化したアルファなんです」

 文字数の都合を読んだとしか考えられない澱みのなさで、ヤギが自らの素性を明かした。
 獣化したアルファ。
 それを聞いて少なからず驚いた。初めて目にしたからだ。本当に獣化したアルファを。

 僕と爽香が黙って顔を見合わせたので、隙を見てヤギが近づいてきた。僕の前で立ち止まると匂いを嗅ぐようにして首を振っている。

「やはりそうだ。君が私の運命の番。ようやく見つけた」

 そう言い放ったヤギをぽかんとして見下ろした。

「君が見つからないから、三ヶ月ほど前から私は獣化してしまったんだ。ああよかった。これで元に戻れる」

 心から安堵したというようにヤギが嘆息した。いや、ヤギはため息をついたりしないから、ただ口を開けて「メー」と鳴いた。

 この世界にはバース性があり、アルファとオメガには運命の番がいる。この仕組みを作った神が何を思ったのか、いつまでも運命の番に出会えないのは可哀想だとトチ狂ったのか、番に出会えないアルファとオメガは三十代くらいで獣化する。全員がなるわけではないが、少なくない確率らしい。
 獣になった方が番の匂いがわかって探しやすいよね、という神の親切心なのか知らないけど、獣化するという恐怖のせいでこの世のアルファとオメガは番を探すことに躍起になっている。結果として少子化が解消しているので、神の産めよ増えよの世界構想としては成功していると言えるのかもしれない。
 ごく一般の家庭に生まれた僕にはあずかり知らないことだが、上流階級では重要なポストについているアルファがたびたび獣化して波乱が起きているらしい。ネットニュースになるくらいの事案が目の前に現れるなんて、これまで夢にも思わなかった。

「湊がこのヤギの番……? 全く信じられないわ。湊は何か感じるの」

 胡散臭そうな顔でヤギを見下ろした爽香に聞かれ、僕は首を傾げた。

「うーん……そう言われれば甘い匂いがしないこともないけど、ヤギだしね。体臭かな」
「えっ」
「それよりも、獣化の因子が僕にもあるとしたら、僕は黒ヤギになるってこと? なんだかちょっと、知りたくない事実だった」
「えっ」

 番同士は基本的に同じ動物に獣化する。つまりこのヤギが本当に僕の番だったとしたら、僕は黒いヤギなのだ。アルファは白、オメガは黒、と何故か獣化する色まで神の都合で決まっている。

「そうね。湊はもっとしなやかなネコ科か、ウサギとかイタチのようなイメージがあったわ」
「そう? 僕は鳥に憧れてたな。どうせ獣化するなら空を飛んでみたい」
「いいわね、それ。私もルリカケスとかツグミになりたい」
「あの」
「ヤギ……ヤギかぁ」

 僕がため息を吐くと、ヤギは「私もなりたくてなったわけでは……」と言い訳し始めた。
 
「いや、違う。そうではなく、君は私の番だ。どうか首を噛ませてほしい。そうすれば私は元に戻れる」
「ええ」

 急に番になれと言われても。
 相手はヤギだし。
 そう思ったら同じことを考えていたであろう爽香が口を挟んだ。

「待ちなさいよ。ヤギであることしかわからない不審者に私の弟を噛ませるなんて有り得ない。求婚するならちゃんと身分を明かした上で釣り書を持参しなさい」
「確かに。大変失礼をした。ようやく番を見つけた喜びで焦ってしまったようだ。お恥ずかしい」

 喜んでたのか?
 ヤギだからいまいち表情がわからないし、目線も合ってるのかどうかいまだに謎なんだけど。

「私は神宮寺忠晴ただはるという。今は神宮寺コーポレーションの専務をしていて、決して怪しい者ではない」

 その会社の名前を聞いて驚いた。
 神宮寺コーポレーションといえば、ホテルや不動産の業界で国内外に名を馳せる有名なグループ企業だ。そこの専務がアルファで、今は獣化したヤギ。ヤギ専務。

「証拠はあるのかしら」
「車に戻れば名刺やカードの名義を見せられる」
「ヤギが車に乗ってきたの?」
「もちろん家の者に運転させている。さっきは番の匂いを感じたので、慌てて車から下りて一人で走ってきた」
「ふーん。どうする、湊。このヤギの車まで見に行く?」

 爽香が聞いてきたので、少し考えてから僕は首を横に振った。

「学校に遅刻するから」
「えっ」
「それにヤギに首を噛まれるなんて、怖い」
「ではどうすれば……」

 僕のノーサインにヤギは絶望した。顔はよくわからないから、声音から判断した。

「そうね。とにかく急すぎるわ。ヤギ、諦めなさい」
「そんな、そこをなんとかお願いします。私は人間に戻りたい」
「人間に戻りたいという理由で番になりたいなんて、誠実なヤギじゃないわね。いいえ、ヤギだから誠実じゃないのかしら」
「ヤギになっても人間の心は失っていない。失礼を承知でお願いしたい。私の番になれば生活にも困らないし、何不自由ない生活を約束する」
「結構です。今の生活に満足してるので」

 はっきりと口に出して断った。
 ヤギの言葉で心が決まった。
 番になってほしいと言われて最初は運命ってあるのかな、と少しだけ思ったが、今のところヤギから人間に戻りたいだけということなら、僕のことが好きなわけではない。それなら僕は首を噛ませる理由がない。僕はまだ本格的なヒートも起こしたことがないし、学業に専念できるように抑制剤だってちゃんと服用している。今の生活に番を必要としていない。
 それに人間でもちょっと怖いのに、ヤギに噛まれたら痛そうだ。ボランティアじゃないんだし。

 僕があっさりとヤギを避けて道を歩き出すと、爽香は「その通りね」と頷いて僕に続き、地面に落ちた弁当を拾って鞄の中に入れた。

「ちょっと、ちょっと待って。お願い」

 ヤギが「メー」と鳴いて後ろからついてくる。
 周りの通行人からは驚かれていたが、僕と爽香はヤギに追いかけられながら颯爽と歩き、遅刻間際に校門の中に滑り込んだ。

「湊くん! お願い! 私の番になって!」
「お断りします、ヤギさん」

 悲痛な声を出して僕たちの背中に呼びかけるヤギを振り向いて首を横に振り、僕は鞄の中からハンカチを取り出した。
 薄い水色と黄色のチェック柄のハンカチを三角に折って、ヤギの首にスカーフのように巻き付けて結ぶ。

「これは弁当箱を当ててしまったお詫びです。差し上げますから、僕らを訴えないでください。これからはそのハンカチを僕だと思って、番は死んだと自分に言い聞かせながら強く生きてくださいね」
「えっ……いや、湊くん」
「さようならヤギさん」
「湊くん?! 考え直して! 私たちは運命の番なんだよ!」
「僕がヤギ化したら、そのときは観念してヤギさんの番になります。ヤギ同士なら噛まれても痛くなさそうだし」
「いやそれ、そのとき私何歳?! 私今もう三十なんだけど?!」
「僕は今十七ですから、あと十三年くらいですかね。ヤギの寿命って何歳なんだろう」
「嫌だ! 怖い! 怖いよ湊くん! おじさんヤギの寿命に怯えながら生きたくない!」
「大丈夫です。死ぬときはどんな生き物でも平等ですから」
「菩薩みたいな顔でそんな突き放すようなこと言わないで! お願い私の番になって!!」
「さようならヤギさん」

 僕は爽香と一緒にヤギに背を向けて校舎に歩き出した。
 ヤギは「メー!!」と鳴きながら高校の敷地内に入ろうとしていたが、門を閉めようと現れた用務員のおじさんに追い払われたらしい。僕らの様子を見ていたクラスメイトに後からそう報告された。
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