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第三部

六十七話 ゴーストナイトパレード 後②

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『レイナルド様、大丈夫ですか?』

 しばらくして、ティティの声でぼんやりしていた意識が覚醒する。
 顔を埋めていた服越しにグウェンの匂いを吸い込んでから顔を上げた。

「着いたの?」

 ボートは岸辺に近づいていた。青いリコリスの絨毯を越えた先に、古びた石造りの神殿がぽつんと建っている。他に霊の気配はない。静かで、外から見ても清澄で厳かな雰囲気だった。

『はい。中にサリア様がいらっしゃいます。どうぞこちらへ』

 ティティが身体を震わせて岸に飛んでいき、桟橋にボートが停まった。
 グウェンがランタンを持って先に下りて、俺に手を貸してくれる。
 久しぶりに硬い地面に足をついたら、ふらついていた気持ちがだいぶ持ち直したような気がした。

「大丈夫か」
「うん」

 グウェンに頷いて、改めて神殿を見上げる。建物自体はそこまで大きくないが、正面の壁一面に彫られたリコリスの花の彫刻が見事だった。
 神殿の中に入ると、冷んやりした空気とリコリスの花の香りが奥から流れてきた。
 聖堂の分厚い板の扉を開けると、突然目の前に真っ白な光が溢れる。眩しさに思わずグウェンの方に身体を寄せた。彼は俺の腰に手を回して引き寄せてくれた。

 目が慣れると、目の前に円形の真っ白な空間が広がっていた。不思議なことに聖堂の中に壁はない。床はあるが天井もなく、どこまでも上に伸びていく空間があり、よく見ると青っぽい光の粒がチラチラと輝きながら吸い込まれるように昇っていく。後ろを見ると、扉のある場所だけがぽっかりと空間を開いていた。
 部屋の真ん中には、女性が一人いた。
 狭間の道の入り口にあったような、大きな石が重なって祭壇になっている。女性はその上に腰掛けていた。

「いらっしゃい」

 俺達を見て微笑んだ彼女が手招きする。
 隣でグウェンが息を呑んだ。俺も目を見開いて、同じくらい驚いている。

 金髪に、深い緑の瞳。
 どちらかというと中性的な顔立ちは、俺にそっくりだった。聖女様の腰まで届く長い髪が、頭のパーツでは唯一違っているが、それ以外はまるで鏡に映したように似ている。

『やっぱりレイナルド様はサリア様にそっくり!』

 ティティが彼女のもとに飛んでいき、周りをくるりと一回転した。
 夏にラムルの宝物庫で絵を見つけたときも思ったが、実際に見ると本当に似ている。まるで女版の俺、という感じだ。いや、どちらかというと俺の方が男版の大聖女様、ということになるのか。
 グウェンはあのとき絵を見つけたことを覚えていないから、当然俺が大聖女様に似ているという予備知識がない。俺と彼女を見比べるようにして戸惑っていた。

「本当ねぇ。女神様ったら、どういうつもりだったのかしら」

 大聖女様、もといサリア様が首を捻って呟く。
 そしてまた俺達を手招きした。

「こっち。もう少し近づいてくれる? 私、色んな音が聞こえる人だから、離れているとあなた達の声がよく聞こえないのよ」

 そう言われて、グウェンと顔を見合わせてそろそろと近づいた。目の前まで来ると、石に腰掛けたサリア様は本当に俺に似ているな、とも思ったが、同時に五百年も前に死んだ人なのかと不思議に思うくらい普通の見た目だった。とうとう本物を目の前にしたが、現実味がない。着ているものもふわっとした袖の長い白いワンピースだから、普通に同年代の女の子という感じだ。顔は俺だけど。

「悪かったわね、呼びつけてしまって。私が出ていくと精霊も霊もみんな驚いてしまうから来てもらうしかなかったのよ」

 そう言って肩をすくめたサリア様は、俺達が入ってきた扉に視線を向けた。

「もう一人呼んでるの。じきに来ると思うから、先に話を進めましょう」

 俺とグウェンは神話レベルの相手に出会った衝撃が強くてまだ棒立ちになっているが、彼女の方はいたって普通の態度である。

「あの、俺と大聖女様はなんで似てるんでしょうか……?」

 いまだにそこの驚きが抜けずに聞いてみると、サリア様は俺の顔をじっと観察した。

「そうねぇ。女神様に聞いてみないと私にはわからないわ。あなたが私に似てるのかしら。でもどちらかというと……もしかしたら私があなたに似てるのかもね」

 不思議そうな顔をする大聖女様は本当にわからないようだ。単なる偶然なのか? それにしては似すぎている気がする。製作陣がキャラデザに手を抜いたとか? でも、そもそも大聖女様のキャラデザなんて、ゲームの中にあったのか疑わしいよな。五百年前に死んでる人だし。だとしたらこの顔は、俺の方が先だったということになるんだろうか。
 俺も腑に落ちない、という思いで首を傾げていると、後方の扉が音を立てた。
 振り返ると「遅くなった」と言いながら、一人の男性が聖堂の中に入ってくる。その姿を見て俺はまた瞬きした。

「久しいな、サリア。こっちの領域にはなかなか入らないから少し手間取った」

 ラムルの白い民族衣装を着た、見た目はいたって普通の若者だった。しかしかなり背が高い。グウェンと同じか、少し高いくらいだと思う。大柄な体躯で、白に近い金色の髪、青空のように澄んだブルーの目。俺のことを母上と呼ぶ、ラムルの皇帝によく似ている。アシュラフとマスルールを足して二で割ったような顔立ちだと思った。
 俺が心の中でまさかな、と呟くうちに、逞しい体つきのその男性は長い足で俺達のところに歩み寄ってきていた。

「遅いわよ。お客様の方が先に着いてしまったじゃない」
「仕方ないだろう。今日は地上が招魂の日だ。どこもかしこも霊でいっぱいなんだ」
「あら? あなたの国の人達はそんなに信心深くないと思ったけれど」
「バカ言うな。それを言うならお前の国の方が浮かれた奴らが多いだろう。以前から思っていたが、精霊に愛されてる土地だからって、お前のところは少し調子に乗りすぎだ」
「うちは魔界からの干渉を引き受けてあげてるのよ。感謝してほしいくらいだわ。綻びかけていた封印結界もこの前ちゃんと閉じきったし、うちの子達は本当に頑張ってる。うっかり魔の虚の扉を開けられそうになっちゃったどこかの国の王族とは違うのよ」
「あれはお前のところの子孫の仕業だろ!」
「彼は唆されたのよ、可哀想に。帝国に風穴を開けようとしてる彼らのせいで」
「サリア」

 言い合いをしていた途中で、男性が強い口調で咎めた。

「ああ、ごめんなさい。ダメね、今地上の二人がいることを忘れてた」

 サリア様はそう呟いて俺とグウェンの方に顔を向けた。

「ごめんなさいね。たとえ知っていても、私達は地上の出来事には口を出せないの。因果律がおかしくなってしまうから。あなた達が追っている相手については、残念だけど私達からは何も教えてあげられない。でも、悪魔となると話は別。あれは地上のものではないから、あれについてなら教えてあげられるわ」
「えっと……つまり、魔石の売人と禁術を使っている黒幕については無理だけど、アシュタルトを封じる方法なら教えてもらえる、ということでしょうか」

 気圧されながら聞いてみると、聖女様は頷いた。

「あのバカがまた地上に出てきたんでしょう」

 あのバカというのは、アシュタルトのことだろうか。確かに、五百年前にあの悪魔を封じたのはサリア様だからよく見知っているということかもしれないが、それにしても嫌そうな顔だ。アシュタルトの方はことあるごとに大聖女様を気にしてるのに、サリア様の方は全然懐かしんだりしてない。夏の台所に黒いアイツが出たと聞いたときのような、嫌悪感丸出しの表情である。
 俺とグウェンの横で、男性も腕を組んでため息を吐いた。

「あいつ、また暴れてるのか。しぶとい奴だな。本当に性格が悪い。こっちは生きてるときに五十八年と九ヶ月も相手してやったっていうのに」

 舌打ちする勢いで言い捨てた男性は、ふと思い出したというように俺とグウェンを見た。

「そういえば名乗っていなかったな。俺はハールーン。今はラムル神聖帝国と呼ばれている国の初代皇帝だ」

 やっぱり?!
 サリア様と親しげだからそうかと思ったよ!!
 おい、ついにアシュラフとマスルールの先祖も出てきたぞ……

 俺は心の中で驚きのツッコミをしたが、もうこんなに立て続けに色んな霊が現れると、リアクション取る方ももう口を開けるくらいしかすることがなくなる。

「あの……子孫の方には、お世話になりました」
「それはこちらの台詞だ。呪いを解いてくれて感謝している。あれには代々の皇帝達が長い間悩まされていたからな」

 握手を求められたので、思わず手を出して応えた。がっちりした手にぎゅっと握られて、一瞬ラムルの初代皇帝と握手しちゃったんだけど~と有名人に会った気分で昂揚したが、一年分くらいの驚きはサリア様に会うまでに全部出尽くしていたから頭の中は妙に冷静だった。

「お二人とも、あの悪魔のことはよくご存知なんですか」

 そう聞くと、サリア様とハールーン皇帝は顔を見合わせた。
 サリア様が俺に頷いて、すまなそうな顔をする。

「あの悪魔は、五百年前はまだそこまで巨大じゃなかったし、今よりも弱かったのよ。魔界の穴が開いたときに出てきたから、適当に相手して追い返したの。そしたら私が封印を施してる間にまた別の穴から出てきてね、イライラしたからボコボコにして魔界に突き落とした。それからも帝国に開いた穴を全部塞ぐまで、何回も出てきたわよ。その度にボッコボコにして追い返してやった」

 ボッコボコ、と言いながらサリア様が腕を使ってジェスチャーする。聖女様にしては拳の入ったいい動きを見て、俺はソフィアのことを思い出した。
 なんだろう。大聖女様って癒しと恵みを司ってるっていうから、さぞ慈悲深い方なんだと思っていたら結構脳き……いや、物理的な振る舞いをされるお方だったのかもしれない。

 俺が頭の中でそう考えていると、サリア様は浮かない顔でため息を吐いた。

「それでも私からしたらあの悪魔は弱かったから、情けをかけて殺したりはしなかった。それがまさか子孫達に災禍となって降りかかるなんて、思ってもいなかったのよ。ごめんなさい」
「魔界で瘴気を吸い続けてデカくなったんだろうな。俺も悪かったよ。魔の虚からいちいち出てくるチビなあいつを体のいいサンドバッグだと思ってたからわざわざ始末しなかった」

 ハールーン皇帝が頭を掻きながら続けて言った。
 
「俺が年食ってきてそろそろポックリ逝くかなと思ったときに、あいつには『もう来るな』って言って魔の虚を封じて扉に鍵をかけた。そしたらキレて俺に呪いをかけてきやがったんだ。信じられん」

 舌打ちした皇帝のセリフを聞いて、サリア様が長い金髪を指でくるくるしながら同意した。

「ほんと性格悪いのよね。魔界に友達いないんじゃないかしら」
「悪魔のくせにわざわざ人間界に出てくんじゃねーよ」
「人間に相手してもらおうなんて思考が甘ちゃんなのよ。あなたが死んでから、私も最後に残った王都の穴を閉じたの。そのとき、また気が向いたら相手してあげる、なんて言って封印しちゃったから、あいつ本気にしてるのよ、きっと。キモチワルイ」

 二人の容赦ない蔑みに、俺はだんだんあの悪魔が哀れに思えてきた。いや、地上に多大なる迷惑をかけてバレンダールの災禍まで引き起こしたあいつに同情する余地なんて一ミリもないのたが、何故だろう。大聖女様的にはあれはゴキブリが出た、みたいな認識なんだなと思うとほんの僅かな憐れみが。悪魔の方は、多分サリア様のことずっと忘れられなかったんじゃないかと思うんだよね。あの言動を思い出すかぎり。

 ちら、とグウェンの顔を見上げると、彼は無表情のまま黙って話を聞いている。表情筋は動いていないが、多分驚きとか困惑を通り越して無になっているんだろう。ラムルの話はまだできてなかったし、急に他国の初代皇帝の霊まで現れて大混乱、という彼の気持ちを察する。もっとも、グウェンは多分記憶がある状態でも変わらないと思うけど。困惑が極まると無になるからな。
 さっきから姿が見えないなと思ったら、ティティはいつの間にかグウェンの肩にとまって翅を休めていた。

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