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第三部

六十五話 ゴーストナイトパレード 中④

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 しばらくして、今度は川幅が緩やかに広くなった。少しずつ両側に沿っていたリコリスの岸が遠くなり、やがて湖畔ほどの広さになると視界が開ける。周囲はまた暗くなったが、俺達のボートは淡く光る花のおかげで明るい。
 すると、ティティが川面に近づいて鱗粉を撒きながら翅を揺らした。

『こちらが先ほど言った、おすすめのポイントです。ほら、あそこに飛んでいるのは生まれたばかりの精霊なんですよ』

 そう言われて前を見ると、蛍のような仄かな光がちらりと空間を横切った。瞬きしてその光を追いかけると、今度は別の場所でも光る。乗っているボートが明るくて気づかなかったが、周りを見回したらそこかしこで青白い光がキラキラと点滅していた。まるで川の上でスケートをするような滑らかな動きで飛び回り、闇の中に流れ星を見るような、一瞬の煌めきが絶え間なく浮かんでは消える。
 
『こうして見ると、星空のようで綺麗でしょう。私も好きな場所です』
「うん、すごい。綺麗だな」

 思わず口から漏れると、グウェンも頷いてその光景に見入っていた。
 薄暗い周囲をよくよく見ると、ボートがいくつか川面に浮いているのに気づいた。人が乗っているように見えるから、あれも霊だろうか。
 ボートの進む先から別のボートがやってきて、俺達とすれ違った。乗っていたのは髪の短い若い女性で、憂いの浮かんだ顔でぼんやりと川を眺めている。俺達を見ても関心がなさそうにすぐに目を伏せて、そのまま遠ざかっていった。

「ティティさん、さっきから子供の姿は見ないけど、子供の霊はここには来ないの?」
『そうですね、子供には未練が少ないようなのです。次の生に向けてすぐに進んでいきます。子供の場合は次が決まるのも早いので、天上にもあまりとどまりませんし』
「次の生……」

 とすると、生まれ変わって転生するという概念なんだろうか。

『こちらを訪れるのは地上から配偶者や恋人が来るのを待っている方か、今日のようにリコリスが一斉に咲くのを見に来る霊達です。中にはリコリスの魔力で岸辺に囚われてしまう方もいますけど』

 ティティがふるふると光の身体を震わせながら、くるりと旋回する。
 聞いたところ、リコリスは普段は蕾のまま、光ることもなく岸辺で揺れているらしい。だから黄泉の川がこんなに明るいのも今日だけなのだという。
 
 ティティの説明を聞いている間も、ボートは何槽かすれ違った。乗っている霊は、挨拶をしてくれる者もいたが、基本皆すごく静かだ。さっきの花畑の霊のようにはしゃいでいる様子もなく、落ち着いてじっとボートに座り、大体の場合ぼんやりと物思いにふけっている。
 
 川面の上を飛ぶ青い光を眺めながら、ボートはゆっくりと進んだ。やがて前から来たボートには金髪の若い男性が座っていて、彼は身動きせず虚空を見つめていた。
 俺達に気づいていない様子だったので、声をかけることなくすれ違う。

 バシャン

「えっ」

 すれ違った瞬間大きな水音が聞こえ、何事かと振り返った俺の腕を何かが掴んだ。

「レイナルド!」
「うわっ」

 急にものすごい力で右腕を引っ張られ、ボートの縁に身体が半分乗り上げた。頭から川に突っ込みそうになり、グウェンが素早く俺の腰に腕を回して引き止めた。
 俺の腕にしがみつく相手を見て瞠目する。
 さっきすれ違った金髪の男性が水の中に身体を沈め、俺を一緒に引き摺り込もうとするように両手で腕に巻きついていた。その顔に表情はなく、ただじっと俺を見つめている。

 目が合ってゾッとした。
 彼の目に、見覚えがある。茶色の瞳の奥に、仄暗い激情を宿すその目。

「サリエル伯爵……?」

 俺の呟きを聞いても彼は答えなかった。
 何も聞こえていないか、感じていないような無表情だったが、俺に取りすがる手の力は強く、抗っても外れない。

『離れなさい!』

 ティティが慌てて俺の傍に飛んできて、男性の頭に体当たりした。光の身体は軽いのか、ぶつかっても男性は俺の腕を掴んだまま微動だにしない。離すどころか、手の力はますます強くなった。

「痛っ」

 爪を立てられたシャツの内側で皮膚にビリッと痛みが走る。
 俺の悲鳴を聞いてグウェンがボートから身を乗り出し、男性の腕を引き剥がそうと手を伸ばした。
 すると彼は今度はグウェンの腕に掴みかかって引っ張った。想像よりも遥かに強い力だったからか、意表を突かれたグウェンが体勢を崩す。

『危ない! ダメよやめて!!』

 ティティが叫び、グウェンの胸の下に入り込んでボートから落ちそうになった彼の身体を支えようとする。俺もすぐにグウェンの身体にしがみ付いて、今度は俺が彼を引き止めた。

「伯爵! 手を離してください!」

 俺が必死に呼びかけても男性は何も反応しない。ギリギリとグウェンの腕を締め上げて、なんとかして川の中に引き摺り込もうとしている。
 もうグウェンの剣を抜いて斬りかかるしかないとまで考えたとき、何かが視界の端で煌めいた。

 バシンッ

 という音と共に、男性の頭に平たい板のようなものが勢いよく振り下ろされる。
 その衝撃に男性は小さく呻き、両手を離した。掴まるものがなくなった彼はどぷんと川に沈み、そのまま暗闇に落ちるように川底に消える。

 えっ、落ちた。
 
「っ、どうしよう。伯爵が落ちた!」
「放っておきなさい。どうせ死んでるのよ」

 若い女性の冷ややかな声を聞いて、俺は男性が乗っていたボートの上に仁王立ちしている相手を見上げた。シンプルな白いローブを着た少女だった。艶のある豊かな金髪を頭の上で纏めていて、細い銀の腕輪をした手に櫂を握っている。さっき伯爵の頭を叩いたのはその櫂だったらしい。
 グウェンも体勢を立て直して俺と一緒にボートに座り直し、その少女を見据えた。

「死んですぐは精神が安定しない霊も多いの。あれは人の世のものではない力に手を出したから、余計錯乱してるのよ。気にしないで」

 そう言った少女は、次に厳しい目で金色の精霊を見た。

「ティティ、こんなところで寄り道してないで早くサリア様のところへお行きなさい」
『すみません……。精霊が生まれる湖を見せたくて』
「気持ちはわかるけど、ここは不安定な霊が多い場所でしょう。帰りは通ってはダメよ」
『はい』

 知り合いなのかもしれない。ティティがしおらしく翅を縮めてしょんぼりしている。
 その姿を見て勝ち気そうな顔をした少女は少し表情を緩め、金色の精霊に手を伸ばして優しい手つきで撫でた。

「先に進みなさい。気をつけて」
『はい、……さま』

 小さな声で返事をしたティティの声は俺には聞こえなかった。

「さぁ行って。ここは私が見張っているから」

 少女の声に、止まっていたボートはまた動き出す。

「あの、ありがとうございました」

 一連の出来事に頭が追いつかず、話しかけるタイミングを失ってしまったが、なんとかそれだけ言えた。
 少女は俺の顔を見て口の端を僅かに上げ、軽く手を振った。

「あなたも、あの悪魔とは因縁がありそうね。頑張って。私の連れ合いは悪運が強いのか、なかなかこっちに来ないのよ。命が続く限り国のために働けなんて言うもんじゃないわね」

 肩をすくめて零した彼女の言葉の後半は、よくわからなかった。首を傾げたら、苦笑した少女は気にしないで、ともう一度手を振る。
 スピードを上げたボートはあっという間に少女から離れて、川面を切って進んだ。グウェンも立て続けの出来事に放心しているのか、船の上に立ってこっちを見守る少女の姿をじっと見つめていた。

 急展開すぎて頭が追いつかなかったな。
 とにかく、あの子のおかげで助かった。誰なのかはわからなかったが、霊の頭を櫂でぶっ叩くなんて度胸がすごい。黄泉の川に詳しいみたいだったから、彼女も家族か恋人を待っているんだろうか。

「腕は大丈夫か」

 ボートが進んでしばらく経ったら、目の前にいるグウェンに聞かれた。
 そういえば痛かったな、と思いシャツを捲ってみるとさっき掴まれたところに爪の痕が残り、ミミズ腫れになっていた。

「うわ。すごい力だったもんな。グウェンは大丈夫?」
「私は問題ない」

 そう返事をしたグウェンは俺の腕を取り、悔やむような声をした。

「すまない。あの霊の不審な動きにもっと早く気がついていれば」
「大丈夫だよ。俺もまさか襲い掛かってくるなんて思わなかったし」
「傷が残るだろうか」
「地上に戻ったらベルに治してもらう。だから大丈夫」

 まだ悲しそうな顔をしているグウェンに微笑んで、捲ったシャツを戻して懐中時計を取り出した。時間を確認すると、さっきからまた三十分ほど経過している。狭間の道の階段に戻ることを考えたら、急いだ方がいいかもしれない。
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