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第三部
四十八話 小休止 メリーゴーランドならあなたと 中②
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◆
「わぁ……想像以上に壮観だな」
俺は目の前に広がる花畑に歓声を上げた。
ナタン達に連れてきてもらったのは、例の幽霊屋敷があった街外れの道を更に奥に進み、突き当たりで行き止まりになっている林の中だった。よくよく見ると林の中には獣道が作られていて、それを辿っていくと木材を伐採する作業場をぐるりと迂回するように細い道が続いている。
林を抜けると急に視界が開けて、山の斜面に隠れるように野原が現れた。林に囲まれた明るい平野に紫色の花が群生している。風を受けてゆらゆら揺れている青紫の花の波は、思わず言葉を失うほど綺麗だった。
「リンドウだよ。薬草としても使えるから、大人には秘密にしてるんだ。バレると全部採られちゃうかもしれないし」
「そっか、この花リンドウか」
ピンと立った笹のような葉と、星形に開いた筒状の青みがかった濃い紫の花。確かにこの時期に売れば観賞用としても、薬草としても重宝するだろう。普段は平野や湿地にポツポツ生えているリンドウがこんなに群生しているのは珍しい。
「採りすぎると花畑はなくなっちゃうから、毎年少しずつ摘んでる」
ナタンの話に頷きながら、隣にいたグウェンを見上げた。
彼も目の前のリンドウの花畑を珍しそうに眺めている。それこそ、俺は母さんが花が好きでうちでも見慣れてるけど、グウェンは普段花なんて見ないだろうしな。
「綺麗だな」
「ああ」
素直に首を縦に振った彼を見て微笑んだ。
「グウェンは何色の花が好きなの」
「何色……」
そういえば今まで聞いたことがなかった。グウェンの屋敷の庭に作った花壇には、マーサと俺が選んだカラフルなパンジーが咲いている。
戸惑ったように口をつぐんだグウェンに、軽く首を傾げてみせた。
「俺は黄色とか、オレンジとか、はっきりした色が明るくていいかなと思って花壇に植えてたけど、グウェンに好きな花があるならそれも植えたい」
「……あまり考えたことがない」
「そっか」
「しかし……おそらく、白や紫なら見ていて心地いい気がする」
意外にも言葉を続けてくれたグウェンをまじまじと見上げる。彼は視線を落としていたが、足元に広がるリンドウの花をまだ見ていた。
十五のグウェンは、そういう色が好きだったのか。
俺は胸の中がふんわりと暖かくなった気がして、口元を緩めた。
「わかった。今度お前の好きな色の花を一緒に植えよう」
そう言われれば、春に庭に咲いていたリラの花も、紫だったな。
思い返していたら、俺の言葉を聞いたグウェンは何か考えるような顔をしてから小さく頷いた。
「黄色の花も、綺麗だと思う」
ぽつりとそう呟いた声を拾って、俺は瞬きした。
それから目を細めてグウェンを見上げ、「うん」と微笑んでそっと彼の隣に寄り添った。
◆
ナタンとルカは、一足先に街の方へ戻っていった。招魂祭までもう日がないから、家に帰ってフェアリーマントとヘッドドレスを早速作りたいらしい。本当にいい子達だ。
俺とグウェンはまだしばらく花畑の前に立って、野原一面に広がるリンドウの花を眺めながらぽつぽつと取り留めのない話をした。
日が傾く前にその場所を後にして、来た道を引き返していたときだった。
林の中を歩いていたら、上の方からパキッという小さな音が響いた。
見上げても木々の隙間から空が見えるだけで何もない。首を捻ったら前を歩いていたグウェンが足を止めた。勢いよく後ろを振り返った彼に驚いて、俺も立ち止まる。
「グウェン?」
「山だ」
鋭くそう言われて俺も後ろを振り向いた。背後にはさっき花畑のあった野原に隣接する小高い山が見える。その山の斜面が、微かに動いたような気がした。
「ん?」
見上げて目を凝らすと、山の中腹部分の木々が揺れる。それが突然、ぼろりと剥がれ落ちるように地滑りした。
「えっ崩れた!?」
一瞬花畑が潰れる、と思ったが、山肌はそちらではなく、俺たちがいる方へバキバキバキと轟音を立てて崩れてきた。滑った斜面が木や岩を巻き込んで、砂煙を上げながら怒涛のように押し寄せてくる。
ナタンとルカは大丈夫か心配になったが、二人はだいぶ前に街に戻っている。もう林にはいないはずだ。そう思いながら、俺は素早くしゃがんで地面に手をついた。
「何をしている?!」
精霊術を使おうとしたら、後ろから伸びてきた腕に腰を掬い上げられて仰天した。
「グウェン?!」
横抱きに抱え上げられて思わず声を上げると、険しい顔をした彼は俺を抱き上げたまま後方に飛び、滑り落ちてくる土砂に向かって魔法を放った。
次の瞬間、地面から土の壁がそそり立ち、俺達に襲いかかってきた土砂を受け止める。堤のようになった壁の向こうで木の幹が折れるような音が響き、壁の上から岩と木の根が迫り出した。しばらく轟音が続いたが、壁が崩れることはなく地滑りも一度で終わった。
「びっくりしたなー」
斜面の滑落が止まってから、俺はグウェンに抱えられたまま呑気な感想を呟いた。彼はそれを聞いて眉を寄せ、俺を見下ろしてくる。
「あなたは何をしている。土砂が来る途中で逃げずに立ち止まるなど」
「あれ、言ってなかったっけ? 俺土の加護持ちだから地面は操れるんだよ」
そういえばこの前の船の上では土の術なんて使えなかったから、グウェンは知らなかったか。
俺のセリフを聞いて彼は微かに瞳を開いたが、それでもまだ眉間の皺は消えなかった。
「しかし、二次災害が起こる可能性もある。逃げるべきだっただろう」
「あー。うん。そうだよな。俺の場合、第二幕ってパターンあり得るよな。それは確かにそうだ。まだ終わってない可能性ある」
「……第二幕?」
グウェンが訝しげな声を出した直後、土砂を受け止めた壁の向こうから霧状になった何かがブワッと飛び出してきた。
ほらな、と俺は思い、グウェンに抱えられたまま「今度は何だ?」と呑気な声で呟いた。
猛スピードでこっちに迫ってくるその黒い霧状のものに目を凝らすと、どうやらそれは蜂の大群だった。
「え?! 蜂?! ヤバい!! スズメバチ?!」
巣が土砂で壊れたのか、そこで何故俺達に矛先を向けるのかはわからないが、大量の蜂がこっちに飛んでくる。刺されたらまずい。毒がある。慌ててグウェンの首にぎゅっと抱きついて、「逃げろ!」と叫んだ。
グウェンは蜂の群れを見ながらまた後方に飛んだ。多少迷うような間があった後、彼は最初に迫ってきた蜂の一団に炎を放って燃やした。
「街に向かったら危険だからやむを得ない」
そう呟いて、俺達を追ってくるスズメバチを焼いて駆除していく。
木に燃え移らない絶妙な加減で炎を操り、諦めて林に帰っていく蜂は追わない。それを見定めながらスズメバチの相手をしているグウェンに横抱きで抱えられたまま俺は恐々としていた。
お前は相変わらず真面目な奴だよ。
でも俺、虫って苦手なんだよな……
スズメバチ、怖い!!
羽のある虫ってなんでこうも不気味に見えるんだろうか。しかもこのスズメバチ大きいし。
炎を避けた蜂がすり抜けてきて、グウェンが刺されるんじゃないかと不安になる。でもだからって俺が風魔法で蜂を吹き飛ばしたら、駆除してるグウェンの邪魔になる。怯えながらグウェンの首にしがみついて、近づいてくる蜂がいないか警戒していると、俺が怖がっていると把握したのかグウェンが俺に視線を落とした。
「あなたは退避していい。時計の魔法陣で転移できるだろう」
「イヤだよ、グウェンを残して帰るなんて」
二人で帰れるならとっくに転移してる。でもグウェンは下町にスズメバチの大群が飛んでいかないように駆除してるんだから、この場から離れないだろう。なら俺も残る。
俺が即答したら彼は軽く目を見張った。
戦力にならないことはわかってる。俺の魔法じゃアシストできないし、両手で抱えてるから邪魔だろう。でもグウェンが刺されたらと思うと心配だから、置いて帰るなんてできない。
「グウェンが刺されそうになったら叩き落とすか庇うくらいなら、俺にもできる」
そう呟いて怖々と周りを見回す。
最初よりはだいぶ少なくなったスズメバチに安心していると、グウェンは急に何も話さなくなったが、俺を抱える腕には心なしか力が入ったような気がした。
しばらくして、スズメバチはようやく諦めたのか皆飛んでいっていなくなった。街の方に向かう群れもなく一安心する。積み上がった土砂の様子を確認するために、もう一度二人で土の壁まで戻った。そこでようやく俺はグウェンに下ろしてもらって地面に足をつく。
「もう地滑りも収まったみたいだな。なんていうか、このくらいで済んでよかった。これなら日常の範囲内だ。グウェンがいてくれて助かったよ」
俺だと蜂の駆除まではさすがに難しかっただろうし。
突発的な災害にも関わらず完璧に対処してくれたグウェンはさすがだなと思っていると、彼は俺の隣で「日常……?」と訝しげな声で小さく呟いていた。
俺は土の壁と、その向こうに堆積した土砂の山を観察する。
「あれさぁ、俺たちが歩いてきた獣道、完全に塞いだよな」
俺の指摘を聞いて、同じように山を見ていたグウェンが頷く。
土砂は結構高さがあるから、壁を乗り越えて向こう側に行くのは子供には無理だろう。危ないし、土が固まってから穴を掘るのも時間がかかりそうだ。ナタン達がこれ見たら困るよな……
そこまで考えて、俺はポンと手を打った。
いいものがあるじゃないか。
「俺が持ってるものちょっと試してみていい? ちょうどやってみたいと思ってたんだ」
上着のポケットから銀色の三角錐を取り出した。
ヒューイの作ったこの魔道具は、もらった初日に池に落ちたせいで試すことなく今日まで来ている。どこかで土を吸引しなきゃと思ってたんだ。絶好のタイミング。
俺が三角錐を見せるとグウェンはきょとんとしていたが、俺は結晶石に精霊力を込めてから、それを行く手を塞ぐ土砂の上に振りかぶって投げた。一瞬白く点滅した三角錐は、次の瞬間堆積していた土砂を土の壁ごと瞬く間に吸い込む。ものの三秒もかからなかった。
「すごいな」
さすがヒューイだ。吸い込める量はまだ少ないと言っていたが、獣道を塞いでいた土砂は全部吸収された。性能も申し分ない。
俺は三角錐を拾いに行った。木が薙ぎ倒されて不自然に開けた土地になってしまったが、まるで地滑りなどなかったかのように土砂は綺麗になくなっている。
三角錐を拾い、振り返ってグウェンを見ると、彼は固まっていた。
「あ、これな。ちょっと特殊な魔道具なんだ。土を吸い込むってやつ」
「土を吸い込む……? 何故そんなものを」
「いやぁ。たまたま?」
そういう星の下だから?
説明に困ったから笑って誤魔化すことにした。
「とにかく、花畑に行く道が塞がれなくてよかったよね」
へらっと笑ったら、グウェンはなんとも形容し難い渋い表情になった。
「わぁ……想像以上に壮観だな」
俺は目の前に広がる花畑に歓声を上げた。
ナタン達に連れてきてもらったのは、例の幽霊屋敷があった街外れの道を更に奥に進み、突き当たりで行き止まりになっている林の中だった。よくよく見ると林の中には獣道が作られていて、それを辿っていくと木材を伐採する作業場をぐるりと迂回するように細い道が続いている。
林を抜けると急に視界が開けて、山の斜面に隠れるように野原が現れた。林に囲まれた明るい平野に紫色の花が群生している。風を受けてゆらゆら揺れている青紫の花の波は、思わず言葉を失うほど綺麗だった。
「リンドウだよ。薬草としても使えるから、大人には秘密にしてるんだ。バレると全部採られちゃうかもしれないし」
「そっか、この花リンドウか」
ピンと立った笹のような葉と、星形に開いた筒状の青みがかった濃い紫の花。確かにこの時期に売れば観賞用としても、薬草としても重宝するだろう。普段は平野や湿地にポツポツ生えているリンドウがこんなに群生しているのは珍しい。
「採りすぎると花畑はなくなっちゃうから、毎年少しずつ摘んでる」
ナタンの話に頷きながら、隣にいたグウェンを見上げた。
彼も目の前のリンドウの花畑を珍しそうに眺めている。それこそ、俺は母さんが花が好きでうちでも見慣れてるけど、グウェンは普段花なんて見ないだろうしな。
「綺麗だな」
「ああ」
素直に首を縦に振った彼を見て微笑んだ。
「グウェンは何色の花が好きなの」
「何色……」
そういえば今まで聞いたことがなかった。グウェンの屋敷の庭に作った花壇には、マーサと俺が選んだカラフルなパンジーが咲いている。
戸惑ったように口をつぐんだグウェンに、軽く首を傾げてみせた。
「俺は黄色とか、オレンジとか、はっきりした色が明るくていいかなと思って花壇に植えてたけど、グウェンに好きな花があるならそれも植えたい」
「……あまり考えたことがない」
「そっか」
「しかし……おそらく、白や紫なら見ていて心地いい気がする」
意外にも言葉を続けてくれたグウェンをまじまじと見上げる。彼は視線を落としていたが、足元に広がるリンドウの花をまだ見ていた。
十五のグウェンは、そういう色が好きだったのか。
俺は胸の中がふんわりと暖かくなった気がして、口元を緩めた。
「わかった。今度お前の好きな色の花を一緒に植えよう」
そう言われれば、春に庭に咲いていたリラの花も、紫だったな。
思い返していたら、俺の言葉を聞いたグウェンは何か考えるような顔をしてから小さく頷いた。
「黄色の花も、綺麗だと思う」
ぽつりとそう呟いた声を拾って、俺は瞬きした。
それから目を細めてグウェンを見上げ、「うん」と微笑んでそっと彼の隣に寄り添った。
◆
ナタンとルカは、一足先に街の方へ戻っていった。招魂祭までもう日がないから、家に帰ってフェアリーマントとヘッドドレスを早速作りたいらしい。本当にいい子達だ。
俺とグウェンはまだしばらく花畑の前に立って、野原一面に広がるリンドウの花を眺めながらぽつぽつと取り留めのない話をした。
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林の中を歩いていたら、上の方からパキッという小さな音が響いた。
見上げても木々の隙間から空が見えるだけで何もない。首を捻ったら前を歩いていたグウェンが足を止めた。勢いよく後ろを振り返った彼に驚いて、俺も立ち止まる。
「グウェン?」
「山だ」
鋭くそう言われて俺も後ろを振り向いた。背後にはさっき花畑のあった野原に隣接する小高い山が見える。その山の斜面が、微かに動いたような気がした。
「ん?」
見上げて目を凝らすと、山の中腹部分の木々が揺れる。それが突然、ぼろりと剥がれ落ちるように地滑りした。
「えっ崩れた!?」
一瞬花畑が潰れる、と思ったが、山肌はそちらではなく、俺たちがいる方へバキバキバキと轟音を立てて崩れてきた。滑った斜面が木や岩を巻き込んで、砂煙を上げながら怒涛のように押し寄せてくる。
ナタンとルカは大丈夫か心配になったが、二人はだいぶ前に街に戻っている。もう林にはいないはずだ。そう思いながら、俺は素早くしゃがんで地面に手をついた。
「何をしている?!」
精霊術を使おうとしたら、後ろから伸びてきた腕に腰を掬い上げられて仰天した。
「グウェン?!」
横抱きに抱え上げられて思わず声を上げると、険しい顔をした彼は俺を抱き上げたまま後方に飛び、滑り落ちてくる土砂に向かって魔法を放った。
次の瞬間、地面から土の壁がそそり立ち、俺達に襲いかかってきた土砂を受け止める。堤のようになった壁の向こうで木の幹が折れるような音が響き、壁の上から岩と木の根が迫り出した。しばらく轟音が続いたが、壁が崩れることはなく地滑りも一度で終わった。
「びっくりしたなー」
斜面の滑落が止まってから、俺はグウェンに抱えられたまま呑気な感想を呟いた。彼はそれを聞いて眉を寄せ、俺を見下ろしてくる。
「あなたは何をしている。土砂が来る途中で逃げずに立ち止まるなど」
「あれ、言ってなかったっけ? 俺土の加護持ちだから地面は操れるんだよ」
そういえばこの前の船の上では土の術なんて使えなかったから、グウェンは知らなかったか。
俺のセリフを聞いて彼は微かに瞳を開いたが、それでもまだ眉間の皺は消えなかった。
「しかし、二次災害が起こる可能性もある。逃げるべきだっただろう」
「あー。うん。そうだよな。俺の場合、第二幕ってパターンあり得るよな。それは確かにそうだ。まだ終わってない可能性ある」
「……第二幕?」
グウェンが訝しげな声を出した直後、土砂を受け止めた壁の向こうから霧状になった何かがブワッと飛び出してきた。
ほらな、と俺は思い、グウェンに抱えられたまま「今度は何だ?」と呑気な声で呟いた。
猛スピードでこっちに迫ってくるその黒い霧状のものに目を凝らすと、どうやらそれは蜂の大群だった。
「え?! 蜂?! ヤバい!! スズメバチ?!」
巣が土砂で壊れたのか、そこで何故俺達に矛先を向けるのかはわからないが、大量の蜂がこっちに飛んでくる。刺されたらまずい。毒がある。慌ててグウェンの首にぎゅっと抱きついて、「逃げろ!」と叫んだ。
グウェンは蜂の群れを見ながらまた後方に飛んだ。多少迷うような間があった後、彼は最初に迫ってきた蜂の一団に炎を放って燃やした。
「街に向かったら危険だからやむを得ない」
そう呟いて、俺達を追ってくるスズメバチを焼いて駆除していく。
木に燃え移らない絶妙な加減で炎を操り、諦めて林に帰っていく蜂は追わない。それを見定めながらスズメバチの相手をしているグウェンに横抱きで抱えられたまま俺は恐々としていた。
お前は相変わらず真面目な奴だよ。
でも俺、虫って苦手なんだよな……
スズメバチ、怖い!!
羽のある虫ってなんでこうも不気味に見えるんだろうか。しかもこのスズメバチ大きいし。
炎を避けた蜂がすり抜けてきて、グウェンが刺されるんじゃないかと不安になる。でもだからって俺が風魔法で蜂を吹き飛ばしたら、駆除してるグウェンの邪魔になる。怯えながらグウェンの首にしがみついて、近づいてくる蜂がいないか警戒していると、俺が怖がっていると把握したのかグウェンが俺に視線を落とした。
「あなたは退避していい。時計の魔法陣で転移できるだろう」
「イヤだよ、グウェンを残して帰るなんて」
二人で帰れるならとっくに転移してる。でもグウェンは下町にスズメバチの大群が飛んでいかないように駆除してるんだから、この場から離れないだろう。なら俺も残る。
俺が即答したら彼は軽く目を見張った。
戦力にならないことはわかってる。俺の魔法じゃアシストできないし、両手で抱えてるから邪魔だろう。でもグウェンが刺されたらと思うと心配だから、置いて帰るなんてできない。
「グウェンが刺されそうになったら叩き落とすか庇うくらいなら、俺にもできる」
そう呟いて怖々と周りを見回す。
最初よりはだいぶ少なくなったスズメバチに安心していると、グウェンは急に何も話さなくなったが、俺を抱える腕には心なしか力が入ったような気がした。
しばらくして、スズメバチはようやく諦めたのか皆飛んでいっていなくなった。街の方に向かう群れもなく一安心する。積み上がった土砂の様子を確認するために、もう一度二人で土の壁まで戻った。そこでようやく俺はグウェンに下ろしてもらって地面に足をつく。
「もう地滑りも収まったみたいだな。なんていうか、このくらいで済んでよかった。これなら日常の範囲内だ。グウェンがいてくれて助かったよ」
俺だと蜂の駆除まではさすがに難しかっただろうし。
突発的な災害にも関わらず完璧に対処してくれたグウェンはさすがだなと思っていると、彼は俺の隣で「日常……?」と訝しげな声で小さく呟いていた。
俺は土の壁と、その向こうに堆積した土砂の山を観察する。
「あれさぁ、俺たちが歩いてきた獣道、完全に塞いだよな」
俺の指摘を聞いて、同じように山を見ていたグウェンが頷く。
土砂は結構高さがあるから、壁を乗り越えて向こう側に行くのは子供には無理だろう。危ないし、土が固まってから穴を掘るのも時間がかかりそうだ。ナタン達がこれ見たら困るよな……
そこまで考えて、俺はポンと手を打った。
いいものがあるじゃないか。
「俺が持ってるものちょっと試してみていい? ちょうどやってみたいと思ってたんだ」
上着のポケットから銀色の三角錐を取り出した。
ヒューイの作ったこの魔道具は、もらった初日に池に落ちたせいで試すことなく今日まで来ている。どこかで土を吸引しなきゃと思ってたんだ。絶好のタイミング。
俺が三角錐を見せるとグウェンはきょとんとしていたが、俺は結晶石に精霊力を込めてから、それを行く手を塞ぐ土砂の上に振りかぶって投げた。一瞬白く点滅した三角錐は、次の瞬間堆積していた土砂を土の壁ごと瞬く間に吸い込む。ものの三秒もかからなかった。
「すごいな」
さすがヒューイだ。吸い込める量はまだ少ないと言っていたが、獣道を塞いでいた土砂は全部吸収された。性能も申し分ない。
俺は三角錐を拾いに行った。木が薙ぎ倒されて不自然に開けた土地になってしまったが、まるで地滑りなどなかったかのように土砂は綺麗になくなっている。
三角錐を拾い、振り返ってグウェンを見ると、彼は固まっていた。
「あ、これな。ちょっと特殊な魔道具なんだ。土を吸い込むってやつ」
「土を吸い込む……? 何故そんなものを」
「いやぁ。たまたま?」
そういう星の下だから?
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