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第二部
番外編 ウィルの観察日記《ベルの嫉妬》
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ベルとメルが睨み合っている。
今僕の目の前ではものすごく珍しい光景が繰り広げられていた。
ベルは椅子に浅く腰掛けたレイナルド様の脇にぴったりくっついて、腿の上に頭を乗せたままジトっとした目でメルを見ている。メルはメルでレイナルド様のもう一方の膝の上に座ってベルを睨み返していた。
「ベル、仕方ないよ。メルを頭の上に乗せるのはちょっと難しいみたいだから」
レイナルド様が間を取りなすように声をかけたが、ベルは「クルルル」と鳴いてレイナルド様の腿の上から頭を上げない。何か文句を言っているらしい。
僕たちがいるエリス公爵邸の応接室では、少し離れたところで画材を広げて椅子に腰掛けている画家のおじさんが、困惑した顔でこちらを見ていた。
ベルとメルの揉め事は、レイナルド様が絵を描いてもらおうと思い立ったことに端を発する。
なんでもカメラというものをレイナルド様は作るつもりだけれど、それが形になって完成するまでにはまだ少し時間がかかるらしい。その前に僕やベルの今の姿をちゃんと残しておきたいと熱弁して、レイナルド様は一週間の休みが終わったら早々に貴族の間で評判のいい画家を探してきた。
高位貴族のお抱えだったこともあるらしい画家のおじさんには、ベルやメルの姿を見ても口外しないと約束してもらい、僕たちはこの日エリス公爵邸の応接室に運び込んだ椅子の周りに集まった。
絵の中にまとまりが出るようにレイナルド様が少し斜めの角度で椅子に腰掛けて、僕とグウェンドルフ様がその両脇に立つことはすんなり決まった。しかしその後ある問題が発生した。ベルとメルが場所取りで揉めたのだ。
せっかく描いてもらうならメルも一緒がいいと、レイナルド様は皇太子殿下に頼み込んで今日は特別にメルを一日預かってきた。
久しぶりの再会を喜んだレイナルド様が朝からずっとメルを抱えて構いっぱなしだったので、その時点でベルは少し拗ねていた。そこへきていざ絵の構図を決めるとなった時に、レイナルド様が腕にメルを抱えるか、ベルの背中に手を回すかで悩み始めたので、ベルは嫉妬心を全開にしてメルを睨み、その場でバチバチやり始めてしまった。
両手でそれぞれという案も出たけど、絵として少し収まりが悪く、奥の方の手に抱えられた方が目立たなくなる。
ベルは絵の中で撫でてもらうのは僕、というようにレイナルド様の腰にくっついたまま離れなくなってしまい、メルもここから動くつもりはない、と言いたげに膝の上で脚をふみふみしていた。
「このままメルが膝の上、というわけにはいかないんでしょうか」
「いいけど、ちょっとメルが目立たなくなるな。ベルが手前にいると隠れちゃいそうだし」
僕の言葉にレイナルド様は困ったような顔をして首を傾げた。メルを頭の上に乗せることも考えたが、肖像画としてはちょっと、という画家のおじさんの意見を聞いて断念した。「君がいいならそれで構わないのではないか」とグウェンドルフ様もフォローを入れたが、不死鳥を頭の上に乗せて絵を描いてもらったなんて、皇族に知られたら怒られるんじゃないかとレイナルド様は悩んだ末に諦めた。
「ベル、俺の隣にぴったりくっついてていいから、腕にはメルを抱えてもいい?」
レイナルド様がそう聞くと、ベルは膝から頭を上げてレイナルド様の顔を見上げ、信じられないというように硬直してからアーモンド型の目をじわっと潤ませた。
「クゥ……」
悲しげな鳴き声を上げたベルを見てレイナルド様は大いに慌て、急いでベルの頭を抱き締めると立髪や背中の被毛をよしよしと撫でた。
「うん、わかったよ。ごめんなベル。そんなはずないだろ。ベルのことも大好きだよ。じゃあやっぱり俺が両手でそれぞれ抱えようか。それが一番いいね」
ベルと何か話しながらレイナルド様はうんうんと頷き「ぴぃ」と鳴いて存在を主張するメルの背中も指でこしょこしょと撫でた。
「あの、そういうことでしたら」
その時ずっと戸惑った顔で成り行きを見守っていた画家のおじさんが、躊躇いがちに声をかけてきた。
「その小鳥さんは肩の上、ということではどうでしょうか」
提案された解決策を聞いて、レイナルド様は「その手があったか」と感心したような声を出しながら頷いた。
「そうだ、そうしよう。メル、肩の上ならどう? 俺の顔の近くで目立つだろうし、きっとカッコよく描いてもらえるよ」
「……ぴぴぃ!」
メルは少し考えるように小さな頭を傾げていたが、肩の上に乗っていいのだということがわかると嬉しそうな鳴き声を上げてレイナルド様の腕に飛び乗った。ぴょんぴょんと数回跳ねてレイナルド様の肩の上に見事に着地する。膝の上より居心地がよかったのか、メルは満足そうに身体を落ち着けた。
それを見て僕もなるほど、と思った。
確かに、肖像画の中には鷹や鷲を肩に乗せた絵もあるし、メルは雛とはいえ不死鳥だから肩の上なら見映えもするしいい気がする。
メルが納得して収まったことにほっと息をついたレイナルド様は、今度はベルの頭をそっと撫でた。
「ほら、メルが肩に乗ってくれたから、ベルの背中を撫でられるよ。これで絵を描いてもらってもいい?」
「クン」
安心したのかベルが頷いてレイナルド様の膝に頭を擦り付けた。
「うん、大丈夫だよ。メルも怒ってないよ。ね、メル」
「ぴぴ」
話しかけられたメルがレイナルド様の肩の上で軽く飛び跳ねた。それを見てベルも小さく「クゥ」と鳴き、和解が成立したらしい。一羽と一頭の間にあった険悪な雰囲気がなくなったので、仲直りできたようだ。
間をとりなそうにも余計こじらせてはいけないと思い何も言えなかったので、僕はほっとした。
「じゃあ、これで描いてもらおう。すいません、よろしくお願いします」
レイナルド様も安堵したように肩から力を抜いて画家のおじさんの方を見た。おじさんもようやく丸く収まったとわかったのか、表情を引き締めてすぐに下絵を描き始める。
僕はこの間何も話さなかったグウェンドルフ様をちらりとうかがった。いつも通りの無表情だけど雰囲気が少し固い気がする。僕も絵を描いてもらうなんて初めてだからじっと観察されて緊張しているが、もしかしたらグウェンドルフ様も慣れないことで気を張っているのかもしれない。そう思ったらなんだかリラックスできて、僕は画家のおじさんの様子を観察しながらしばらくの間黙って立つという地味な仕事に徹した。
小一時間ほどで下絵と簡単な着色が終わった。あとはアトリエで仕上げることができると聞いて、僕たちはようやく身体を動かせるようになった。
「じっと動かないっていうのも疲れるな。ウィルもベルも大丈夫? ごめんな俺だけ座ってて」
「大丈夫ですよ」
「キュン!」
レイナルド様が大きく伸びをして、くるくる回って尾を振っているベルを撫でた。メルは今度はレイナルド様の頭の上にぴょんと跳んで羽をパタパタ動かしている。
「じゃあ次は庭でお願いします」
一旦画材を片付けた画家のおじさんにレイナルド様が声をかける。絵を描いてもらっている間、とにかく暇だったので早々にお喋りを始めたレイナルド様は、これが終わったら僕とベルとメルだけの絵が欲しいと力説した。
画家のおじさんも快諾してくれたので、レイナルド様の熱烈な要望で僕たちは応接室から庭に移動した。
「やっぱりこのベンチよ。ここにウィルちゃんに座ってもらって、ベルちゃんとメルちゃんと戯れてもらうの。後ろの花壇の花も入るし、ここが一番見栄えがいいわ」
「いや、それはどうだろうか。我が家の庭で一番見応えがあるのは何といってもプラタナスだろう。木陰でウィルとベルが寝そべっている絵なら、構図として申し分ないはずだ」
「父さんも母さんも全然わかってない。ベルは芝の上で日向ぼっこするのが一番好きなんだよ。他の余計な要素がなくてもうちの子たちは最上級にかわいいんだから、背景は芝と野花くらいで十分だと思うな」
旦那様と奥様とレイナルド様が輪になって揉めている。画家のおじさんはその輪の真ん中に立たされて困惑していた。
皆で庭に出たら、画家が来ていることを聞きつけた旦那様と奥様が様子を見に来られた。エルロンド様は今不在らしい。
レイナルド様がおじさんと絵の構図を相談していると、ちょうど現れた奥様たちがそれを聞いて横から口を出し始め、あっという間に白熱した議論になってしまった。
「プロとしてはどう思われます?」
奥様が画家のおじさんに意見を求めた。おじさんは青い顔になってキョロキョロ周りを見回し、黙って立っているグウェンドルフ様に目で助けを求めた。公爵家の三人のうち、誰の意見を立てるのが正解なのかわからないんだろう。
グウェンドルフ様はおじさんと目が合うと、無表情のまま口を開いた。
「プラタナスが遠目に見える芝生の上に座り、花壇から摘んだ花でウィルの服やベルの立髪を飾ってみては」
関心がなさそうに見えて、しっかり妥協案を提示してきたグウェンドルフ様に四人が注目した。
「そうね……ちょうどジニアとサフィニアはもう終わり頃だし、切り花にするにはいい時期かもしれない。きっとお花でベルちゃん達を飾ったらかわいいわ。ちょっと待っていて、すぐに持ってくるから」
「確かにプラタナスは大きいから近すぎると全体を入れるのは難しいかもしれないな。それなら画角はあの辺りがいいだろう」
奥様と旦那様がそれぞれ動き始め、ほっとした顔になった画家のおじさんは画材を抱えて旦那様の後ろをいそいそとついて行った。
「やるな、グウェン。あの二人を黙らせるなんて」
レイナルド様が軽く吹き出しながらグウェンドルフ様の腕を拳でとんと叩いた。ちらりとレイナルド様を見下ろしたグウェンドルフ様は「そんなつもりはないが」と言いながら手を伸ばし、少し曲がっていたレイナルド様のタイを直した。
「ありがと。でももう取るよ。首が苦しくて仕方ない」
レイナルド様がベルを呼んで旦那様たちの方に向かいながら、片手でタイを緩めて首を左右に捻る。上まで留めたシャツのボタンを外しているレイナルド様に、グウェンドルフ様が後ろから声をかけた。
「レイナルド、あまり襟を開けると見える」
そう言われてレイナルド様はぴたりと手を止めて、すぐに恨みがましい目でグウェンドルフ様を振り返った。外そうとしていたボタンを元に戻すのが見える。
「だから見えるところにつけるなって」
「すまない。今日君の実家に来ることを失念していた」
「嘘つけ。いつも都合よく失念してるんだろ。わかってんだからな」
すぐさまツッコミを入れたレイナルド様に何も答えず、グウェンドルフ様は涼しい顔でベルの隣を歩いている。
僕も聞いていないフリをしながらレイナルド様の横に追いつくと、レイナルド様は少し赤くなった顔で「親がいるんだぞ。気まずすぎるだろ」とぶつぶつ呟いていた。
そうして僕たちの庭での写生も無事に終わった。
奥様は綺麗なオレンジ色と紫の花をたくさん持ってきてくださって、僕の服とベルの立髪を飾りつけると満足げな顔をされていた。
旦那様達に見守られながら絵を描いてもらうのは緊張したが、ベルはそのうち飽きて船を漕ぎ始めたので、僕もリラックスできた。ちなみにメルは僕の手の中で、花と一緒にちゃんとポーズを決めていた。
レイナルド様は画家のおじさんの後ろから僕たちを見守り、グウェンドルフ様の隣で目頭を押さえていた。なぜあんなに感動していたんだろう。
日が傾く前には全て終わり、レイナルド様がまだ眠そうなベルとメルを連れて一度部屋の中に戻っていたとき、グウェンドルフ様が片付けをしていた画家のおじさんに歩み寄った。
何だろうと思って二人の方へ足を向けると、小さな声で話しているグウェンドルフ様の声が聞こえてきた。
要約すると、グウェンドルフ様はさっき皆で描いてもらった絵を加工して、レイナルド様だけが描かれた小さな肖像画が別に欲しいとこっそり依頼していたのだった。
「ずるい」
思わず口から出ていた。
レイナルド様の絵なら、僕だってほしい。
立ち止まってジト目をしている僕に気づいたグウェンドルフ様は、無言で僕の顔を眺めたあと、おじさんを振り返って「同じものを一枚追加してくれ」とちゃんと訂正してくれた。
今僕の目の前ではものすごく珍しい光景が繰り広げられていた。
ベルは椅子に浅く腰掛けたレイナルド様の脇にぴったりくっついて、腿の上に頭を乗せたままジトっとした目でメルを見ている。メルはメルでレイナルド様のもう一方の膝の上に座ってベルを睨み返していた。
「ベル、仕方ないよ。メルを頭の上に乗せるのはちょっと難しいみたいだから」
レイナルド様が間を取りなすように声をかけたが、ベルは「クルルル」と鳴いてレイナルド様の腿の上から頭を上げない。何か文句を言っているらしい。
僕たちがいるエリス公爵邸の応接室では、少し離れたところで画材を広げて椅子に腰掛けている画家のおじさんが、困惑した顔でこちらを見ていた。
ベルとメルの揉め事は、レイナルド様が絵を描いてもらおうと思い立ったことに端を発する。
なんでもカメラというものをレイナルド様は作るつもりだけれど、それが形になって完成するまでにはまだ少し時間がかかるらしい。その前に僕やベルの今の姿をちゃんと残しておきたいと熱弁して、レイナルド様は一週間の休みが終わったら早々に貴族の間で評判のいい画家を探してきた。
高位貴族のお抱えだったこともあるらしい画家のおじさんには、ベルやメルの姿を見ても口外しないと約束してもらい、僕たちはこの日エリス公爵邸の応接室に運び込んだ椅子の周りに集まった。
絵の中にまとまりが出るようにレイナルド様が少し斜めの角度で椅子に腰掛けて、僕とグウェンドルフ様がその両脇に立つことはすんなり決まった。しかしその後ある問題が発生した。ベルとメルが場所取りで揉めたのだ。
せっかく描いてもらうならメルも一緒がいいと、レイナルド様は皇太子殿下に頼み込んで今日は特別にメルを一日預かってきた。
久しぶりの再会を喜んだレイナルド様が朝からずっとメルを抱えて構いっぱなしだったので、その時点でベルは少し拗ねていた。そこへきていざ絵の構図を決めるとなった時に、レイナルド様が腕にメルを抱えるか、ベルの背中に手を回すかで悩み始めたので、ベルは嫉妬心を全開にしてメルを睨み、その場でバチバチやり始めてしまった。
両手でそれぞれという案も出たけど、絵として少し収まりが悪く、奥の方の手に抱えられた方が目立たなくなる。
ベルは絵の中で撫でてもらうのは僕、というようにレイナルド様の腰にくっついたまま離れなくなってしまい、メルもここから動くつもりはない、と言いたげに膝の上で脚をふみふみしていた。
「このままメルが膝の上、というわけにはいかないんでしょうか」
「いいけど、ちょっとメルが目立たなくなるな。ベルが手前にいると隠れちゃいそうだし」
僕の言葉にレイナルド様は困ったような顔をして首を傾げた。メルを頭の上に乗せることも考えたが、肖像画としてはちょっと、という画家のおじさんの意見を聞いて断念した。「君がいいならそれで構わないのではないか」とグウェンドルフ様もフォローを入れたが、不死鳥を頭の上に乗せて絵を描いてもらったなんて、皇族に知られたら怒られるんじゃないかとレイナルド様は悩んだ末に諦めた。
「ベル、俺の隣にぴったりくっついてていいから、腕にはメルを抱えてもいい?」
レイナルド様がそう聞くと、ベルは膝から頭を上げてレイナルド様の顔を見上げ、信じられないというように硬直してからアーモンド型の目をじわっと潤ませた。
「クゥ……」
悲しげな鳴き声を上げたベルを見てレイナルド様は大いに慌て、急いでベルの頭を抱き締めると立髪や背中の被毛をよしよしと撫でた。
「うん、わかったよ。ごめんなベル。そんなはずないだろ。ベルのことも大好きだよ。じゃあやっぱり俺が両手でそれぞれ抱えようか。それが一番いいね」
ベルと何か話しながらレイナルド様はうんうんと頷き「ぴぃ」と鳴いて存在を主張するメルの背中も指でこしょこしょと撫でた。
「あの、そういうことでしたら」
その時ずっと戸惑った顔で成り行きを見守っていた画家のおじさんが、躊躇いがちに声をかけてきた。
「その小鳥さんは肩の上、ということではどうでしょうか」
提案された解決策を聞いて、レイナルド様は「その手があったか」と感心したような声を出しながら頷いた。
「そうだ、そうしよう。メル、肩の上ならどう? 俺の顔の近くで目立つだろうし、きっとカッコよく描いてもらえるよ」
「……ぴぴぃ!」
メルは少し考えるように小さな頭を傾げていたが、肩の上に乗っていいのだということがわかると嬉しそうな鳴き声を上げてレイナルド様の腕に飛び乗った。ぴょんぴょんと数回跳ねてレイナルド様の肩の上に見事に着地する。膝の上より居心地がよかったのか、メルは満足そうに身体を落ち着けた。
それを見て僕もなるほど、と思った。
確かに、肖像画の中には鷹や鷲を肩に乗せた絵もあるし、メルは雛とはいえ不死鳥だから肩の上なら見映えもするしいい気がする。
メルが納得して収まったことにほっと息をついたレイナルド様は、今度はベルの頭をそっと撫でた。
「ほら、メルが肩に乗ってくれたから、ベルの背中を撫でられるよ。これで絵を描いてもらってもいい?」
「クン」
安心したのかベルが頷いてレイナルド様の膝に頭を擦り付けた。
「うん、大丈夫だよ。メルも怒ってないよ。ね、メル」
「ぴぴ」
話しかけられたメルがレイナルド様の肩の上で軽く飛び跳ねた。それを見てベルも小さく「クゥ」と鳴き、和解が成立したらしい。一羽と一頭の間にあった険悪な雰囲気がなくなったので、仲直りできたようだ。
間をとりなそうにも余計こじらせてはいけないと思い何も言えなかったので、僕はほっとした。
「じゃあ、これで描いてもらおう。すいません、よろしくお願いします」
レイナルド様も安堵したように肩から力を抜いて画家のおじさんの方を見た。おじさんもようやく丸く収まったとわかったのか、表情を引き締めてすぐに下絵を描き始める。
僕はこの間何も話さなかったグウェンドルフ様をちらりとうかがった。いつも通りの無表情だけど雰囲気が少し固い気がする。僕も絵を描いてもらうなんて初めてだからじっと観察されて緊張しているが、もしかしたらグウェンドルフ様も慣れないことで気を張っているのかもしれない。そう思ったらなんだかリラックスできて、僕は画家のおじさんの様子を観察しながらしばらくの間黙って立つという地味な仕事に徹した。
小一時間ほどで下絵と簡単な着色が終わった。あとはアトリエで仕上げることができると聞いて、僕たちはようやく身体を動かせるようになった。
「じっと動かないっていうのも疲れるな。ウィルもベルも大丈夫? ごめんな俺だけ座ってて」
「大丈夫ですよ」
「キュン!」
レイナルド様が大きく伸びをして、くるくる回って尾を振っているベルを撫でた。メルは今度はレイナルド様の頭の上にぴょんと跳んで羽をパタパタ動かしている。
「じゃあ次は庭でお願いします」
一旦画材を片付けた画家のおじさんにレイナルド様が声をかける。絵を描いてもらっている間、とにかく暇だったので早々にお喋りを始めたレイナルド様は、これが終わったら僕とベルとメルだけの絵が欲しいと力説した。
画家のおじさんも快諾してくれたので、レイナルド様の熱烈な要望で僕たちは応接室から庭に移動した。
「やっぱりこのベンチよ。ここにウィルちゃんに座ってもらって、ベルちゃんとメルちゃんと戯れてもらうの。後ろの花壇の花も入るし、ここが一番見栄えがいいわ」
「いや、それはどうだろうか。我が家の庭で一番見応えがあるのは何といってもプラタナスだろう。木陰でウィルとベルが寝そべっている絵なら、構図として申し分ないはずだ」
「父さんも母さんも全然わかってない。ベルは芝の上で日向ぼっこするのが一番好きなんだよ。他の余計な要素がなくてもうちの子たちは最上級にかわいいんだから、背景は芝と野花くらいで十分だと思うな」
旦那様と奥様とレイナルド様が輪になって揉めている。画家のおじさんはその輪の真ん中に立たされて困惑していた。
皆で庭に出たら、画家が来ていることを聞きつけた旦那様と奥様が様子を見に来られた。エルロンド様は今不在らしい。
レイナルド様がおじさんと絵の構図を相談していると、ちょうど現れた奥様たちがそれを聞いて横から口を出し始め、あっという間に白熱した議論になってしまった。
「プロとしてはどう思われます?」
奥様が画家のおじさんに意見を求めた。おじさんは青い顔になってキョロキョロ周りを見回し、黙って立っているグウェンドルフ様に目で助けを求めた。公爵家の三人のうち、誰の意見を立てるのが正解なのかわからないんだろう。
グウェンドルフ様はおじさんと目が合うと、無表情のまま口を開いた。
「プラタナスが遠目に見える芝生の上に座り、花壇から摘んだ花でウィルの服やベルの立髪を飾ってみては」
関心がなさそうに見えて、しっかり妥協案を提示してきたグウェンドルフ様に四人が注目した。
「そうね……ちょうどジニアとサフィニアはもう終わり頃だし、切り花にするにはいい時期かもしれない。きっとお花でベルちゃん達を飾ったらかわいいわ。ちょっと待っていて、すぐに持ってくるから」
「確かにプラタナスは大きいから近すぎると全体を入れるのは難しいかもしれないな。それなら画角はあの辺りがいいだろう」
奥様と旦那様がそれぞれ動き始め、ほっとした顔になった画家のおじさんは画材を抱えて旦那様の後ろをいそいそとついて行った。
「やるな、グウェン。あの二人を黙らせるなんて」
レイナルド様が軽く吹き出しながらグウェンドルフ様の腕を拳でとんと叩いた。ちらりとレイナルド様を見下ろしたグウェンドルフ様は「そんなつもりはないが」と言いながら手を伸ばし、少し曲がっていたレイナルド様のタイを直した。
「ありがと。でももう取るよ。首が苦しくて仕方ない」
レイナルド様がベルを呼んで旦那様たちの方に向かいながら、片手でタイを緩めて首を左右に捻る。上まで留めたシャツのボタンを外しているレイナルド様に、グウェンドルフ様が後ろから声をかけた。
「レイナルド、あまり襟を開けると見える」
そう言われてレイナルド様はぴたりと手を止めて、すぐに恨みがましい目でグウェンドルフ様を振り返った。外そうとしていたボタンを元に戻すのが見える。
「だから見えるところにつけるなって」
「すまない。今日君の実家に来ることを失念していた」
「嘘つけ。いつも都合よく失念してるんだろ。わかってんだからな」
すぐさまツッコミを入れたレイナルド様に何も答えず、グウェンドルフ様は涼しい顔でベルの隣を歩いている。
僕も聞いていないフリをしながらレイナルド様の横に追いつくと、レイナルド様は少し赤くなった顔で「親がいるんだぞ。気まずすぎるだろ」とぶつぶつ呟いていた。
そうして僕たちの庭での写生も無事に終わった。
奥様は綺麗なオレンジ色と紫の花をたくさん持ってきてくださって、僕の服とベルの立髪を飾りつけると満足げな顔をされていた。
旦那様達に見守られながら絵を描いてもらうのは緊張したが、ベルはそのうち飽きて船を漕ぎ始めたので、僕もリラックスできた。ちなみにメルは僕の手の中で、花と一緒にちゃんとポーズを決めていた。
レイナルド様は画家のおじさんの後ろから僕たちを見守り、グウェンドルフ様の隣で目頭を押さえていた。なぜあんなに感動していたんだろう。
日が傾く前には全て終わり、レイナルド様がまだ眠そうなベルとメルを連れて一度部屋の中に戻っていたとき、グウェンドルフ様が片付けをしていた画家のおじさんに歩み寄った。
何だろうと思って二人の方へ足を向けると、小さな声で話しているグウェンドルフ様の声が聞こえてきた。
要約すると、グウェンドルフ様はさっき皆で描いてもらった絵を加工して、レイナルド様だけが描かれた小さな肖像画が別に欲しいとこっそり依頼していたのだった。
「ずるい」
思わず口から出ていた。
レイナルド様の絵なら、僕だってほしい。
立ち止まってジト目をしている僕に気づいたグウェンドルフ様は、無言で僕の顔を眺めたあと、おじさんを振り返って「同じものを一枚追加してくれ」とちゃんと訂正してくれた。
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