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第二部

七十八話 蕾の薔薇と世の喜び《急転》 後②

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ーー私たちは、番が共にいないと長生きできないの。この子は番を亡くしてしまったから、もうすぐ大地に帰ってしまうと思っていた。ありがとう。少し元気が出たみたい。

 ベルパパに比べたらかなり饒舌に話しかけて来るおばあちゃんに面食らいながら、その話に耳を傾けた。

ーー私たちにとっては何よりも番が一番。だからこの子は番を亡くしてから長い間眠ってしまって、ようやくこの前目覚めたばかりなの。あなたが孫を育ててくれて助かりました。

 俺はもう一度ベルパパを見た。どうりで痩せていると思ったら、番を亡くした悲しみでずっと眠っていたのか。
 まだ俺から離れようとしないチーリンは俺に撫でられると見るからに嬉しそうだった。確かに、最初に見た時よりも少し立髪の色艶が良くなった気がする。

ーー私は少し変わっている方でね、普通は子供が巣立ったら滅多に会わないのだけれど、私は時々会いに行っていたから、この子が番を亡くした時にも駆けつけた。でも孫はもう獣に襲われて死んでしまったと思っていた。本当にありがとう。

 ベルのおばあちゃんはそう言ってまた俺にお辞儀するように頭を下げた。

「いえ……俺も全然、ベルのお父さんのことまで気を回してる余裕がなくて。そんな状況だって知ってたらもっと早くお手伝いできたのに」

 おばあちゃんは鳶色の瞳を細めて俺を見上げてきた。

ーーこれからも孫をよろしくお願いします。

「えっ、まだ一緒にいてもいいんですか」

 てっきりベルを森に連れて帰ると言われるかとずっと覚悟していたのに、思いがけない反応で俺は思わず声が上擦った。
 ベルのおばあちゃんはベルパパを見ると、パパも小さく頷いた。

ーーこの子はまだ母親が必要。父親が弱っているから私たちでは上手く育てられない。それに、

ーー僕、ママとはなれるの、いや!

 ベルがおばあちゃんの声を遮って主張してきた。
 ベルパパとは逆の方から俺の腕に首を通してぴったり身を寄せて来る。

ーーこの子もこう言ってるから、まだしばらくあなたにお願いさせて。

 ベルを見ながらおばあちゃんが軽く首を傾げた。
 俺はほっとしてベルの頭を撫でて引き寄せる。

「もちろんです。俺もまだベルと一緒にいたい」

ーーママ、僕いっしょにかえってもいいでしょ?

「当たり前だよ。用事が終わったらみんなで一緒に帰ろう」

 つぶらな瞳で真っ直ぐに俺を見上げてくるベルを見たら俺はちょっと涙腺が緩みそうになって、微笑んでベルの頭を優しく撫でた。

ーー僕、ママだいすき。

「ベル……」

 なんて、可愛いんだろう。うちの子は。天使すぎる。

「俺もベルが大好きだよ」

 声に出してそう言うと、ベルは嬉しそうに尾を振った。

ーーウィルもすき。それから人間のパパもちょっとだけすき。つよいから。

「人間のパパ……」

 それって、あれだよな。グウェンのことだよな。多分。

 俺がちらっとグウェンの方を見ると、彼はまだじっとベルパパを見ている。
 俺がママだからグウェンがパパになるってこと? 何か改めて言われると恥ずかしいんだけど。でもベルがグウェンを一応受け入れていると分かってほっとした。

 ちょっとは好きなんだってよ。
 良かったな、強くて。
 
 と俺が何とも言い難い目でグウェンを見ていると、俺の視線に気づいた彼が訝しげな顔で俺とベルを見返してきた。

「あの、色々教えてくれてありがとうございました。俺たちはもう少しこの国で用事を済ませるんですけど、おばあちゃん達はどうしますか?」

 そう聞いてみると、ベルパパを見たおばあちゃんは俺に向かって頷いた。

ーーこの子はまだあなたと離れたくないみたい。一緒に行こうかしら。そのうち私の番が追ってくるかもしれないけれど。

「おばあちゃんの番ってことは、ベルのおじいちゃんか」

 俺の呟きにベルのおばあちゃんは頷いた。

ーー巣立った子供にいつまでも構うなってうるさいから勝手に出て来たの。多分追いかけて来るけど、お構いなく。

 なんとなく、おじいちゃんのチーリンが来たら騒がしくなりそうだな、と思った。話を聞く限り、番が勝手にいなくなったんだから、それは焦って探しに来るだろう。
 あ、何かどこかで身に覚えのある状況。

 俺が一人で頷いていると、話が終わったのを察したウィルとグウェンが近寄ってきた。
 ベルのおばあちゃんは自然に距離を取ったが、ベルパパはまだ俺から離れない。その様子をグウェンがじいっと見下ろしていた。

「そんなに怖い顔で見るなって。亡くなった奥さんの魔力を俺から感じて嬉しいんだって。弱ってるんだから優しくしてもいいだろ」
「……それは、勿論かまわないが」

 気持ちの問題らしい。
 仕方がない。後でちゃんと宥めてやろうと思いながら、俺は目的の闘技場まで出発しようと話をまとめた。
 とりあえず、二頭のチーリンはグウェンの魔法で馬に見えるようにカモフラージュして、街の中までは飛んでいくことにした。俺はまたグウェンに抱き上げてもらい、ウィルも自分で飛んでついて来る。メルは大人しく俺の頭の上に収まっていた。
 二頭のチーリンは飛べるらしい。さすが聖獣。やっぱりチーリンは飛べるのだということがわかった。
 そしてなんと、ベルもこの旅の間に自分で飛べるようになっていた。パパとおばあちゃんからコツを聞いたら出来るようになったらしい。少し危なっかしいが、見守っていたらちゃんと自分で風に乗っていて俺は感涙した。うちの子はすごいの。

「ウィル、さっきベルがウィルのことすきって言ってたよ」

 街の上を飛びながらウィルにさっきベルが言ったことを教えてあげると、ウィルは目を丸くしてから顔を綻ばせて微笑み、隣を飛んでいたベルに「僕も好きだよ」と微笑ましく返していた。
 ベルは嬉しそうにしながらも胸を張るように頭を上げて、『しってるもん』と強がるから可愛いすぎて気を失うかと思った。


 街中まで飛んでいき、サーカスのテントがある広場にほど近い教会の尖塔の陰にこっそり降り立った。
 街の中は元通りの賑わいを取り戻していて、魔物が暴れているような騒ぎにはなっていない。
 ちゃんとライネル達が倒しきったのだと安心して、闘技場の方へ向かった。

「そこのお兄さん方! 綺麗な馬と小鳥を連れてるね、少し見せてくれないか」

 道の途中で突然話しかけてきた男性に驚いて顔を上げると、グウェンが俺を引き寄せて俺とウィルの前に立った。
 俺はその見覚えのあるおじさんの顔に気づき、目を瞬かせる。

「座長じゃないですか」

 そう言うと、サーカスの座長のおじさんはグウェンの後ろにいる俺の顔をしげしげと見つめてきた。

「ああ、その別嬪な顔は、いつぞやのお忍び旅行のお兄さん。これまた何とも雰囲気のあるお綺麗なお姿で」

 俺の顔を覚えていたのか、座長がぽんと手を打って声を上げた。
 そういえば、俺は未だに女装しているし髪も長いままだった。しまった。街中を歩いていて妙に視線を感じると思ったらこれのせいか。どこかで着替えれば良かった。

「そちらの方はあの時の気前の良い恋人さんで……あれ? あの時は軍人さんでしたっけ。確か」
「わおぁあああ! 座長さん! 闘技場で魔物騒ぎがあったのって知ってますか?!」

 頼むから余計なことを言うな!!

 振り返ったグウェンの鋭い視線が俺に刺さった気がするが、俺は座長を真っ直ぐ見て無理矢理話を変えた。

「ああ、はい。そうなんです。もう王都から第一師団も到着されたので、片付いているはずですよ。本当に、なんだってこんな街中に急に魔物が現れたんですかね。恐ろしい。やはりだんだんこの国も危なくなってきたのか……」

 座長は眉を寄せながらそう教えてくれた。
 闘技場の方はやはりなんとかなったらしい。
 俺はほっとして座長に頷いた。

「そうですか。良かったです。魔物が無事に退治されたなら」
「ええ、本当に。陛下の結界の力が弱まっているんですかねぇ。やっぱり私たちはそろそろ別の国に行こうかと思います。この前王都に行ったライラとライルも心配ですが……」

 難しい顔でそう溢した座長に、俺は双子が実は闘技場にいたのだということを言うかどうか迷った。
 彼のこの言い方だと、二人が六女典礼の候補者に選ばれたことは知らないようだ。彼女達が闘技場にいたということを話そうとすると、皇帝に選ばれたことと、その皇帝に闘技場で殺されかけたことも話さなければならなくなる。
 座長は一般市民だから、そんな皇帝の所業を知ったら怖がって市井に噂が広まってしまうかもしれない。
 今は知らないふりをして、ライラとライルに後で確認した方が良いだろう。
 俺はそう思って双子のことは口に出さないことにした。
 酒屋での座長と双子とのやり取りを見たら仲が良いんだな、とは思っていたが、やはり懇意にしていた巫女達のことが彼も心配らしい。

「俺たちはこの後王都に行くかもしれないので、もし彼女達に会ったら座長さんの話を伝えておきますよ」

 心配そうな表情を浮かべている座長にそう言うと、彼は俺を見て頷いた。
 それが飲み屋で見た酒に緩んだ顔とは違い、かなり真剣な表情だったので俺は少し意外に思った。

「ぜひお願いします。私に一度連絡を寄越すように伝えてください」
「わかりました」

 思った以上に双子のことを気にしている様子の座長が少し気になったが、先を急いでいるのでひとまず了承して首を縦に振った。
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