上 下
151 / 304
第二部

七十四話 蕾の薔薇と世の喜び《急転》 前②

しおりを挟む

 目を見開いて顔を強張らせながら樹林の中に突っ込む瞬間、唐突に落下が止まった。

「うわっ?!」
「ぴぃ!」

 がくんと急停止した反動で頭が大きく揺れる。めまいを起こしたように目の前がくらくらした。
 何が起きたか把握する前に、空中で停止した身体がまた落ちた。

「えっ?!」

 地面にぶつかる前にどさっと何かに受け止められる。

「君は、一体何をしているんだ」

 その声を聞いた瞬間、ぎゅっと目を閉じていた俺はぱっと瞼を開けて彼の首に勢い良くしがみ付いた。

「グウェン!」

 怒った顔をしたグウェンドルフが地面から少し浮いて俺を受け止めていた。

「グウェン! もうなんなんだよ! 遅いよ!」
「……私が怒られるのか?」

 憮然とした表情のグウェンドルフが俺を抱えながら砂に覆われた乾いた地面に降り立つ。
 まだ心臓がバクバクいっている俺は、足が地面に下ろされた後も必死にグウェンの首にしがみ付いてその肩に頭を擦り付けていた。メルは何事かと俺の片手の中で小さく鳴いている。

 やっぱり来てくれた。
 良かった。本気で死ぬかと思った。

 溜め込んでいた息を大きく吐いてぎゅっと彼の首に抱きつくと、俺を支えて背中に回った手に力が入った。

「大丈夫か」
「……うん」

 俺がいつまでも落ち着かないでいると、耳元で小さく息を吐く音が聞こえてから、感情を押し込めたような低い声が響いた。

「君は、本当に一体何をしているんだ。王宮から消えたかと思えば、魔法も使えないのに何故空から降ってくるんだ? だいたい君は私が常日頃言い聞かせていることが何一つわかっていないんだろう。私がどれほどこの数日間、君を心配して気が狂いそうになったか、君には最初から最後まで全て詳しく説明しなければわかってもらえないのか」

 だんだん不穏な響きを持ち始めた言葉を聞いて、俺はグウェンの肩からそうっと顔を上げるとその不機嫌そうな顔を見上げた。

 めっちゃキレてる。
 確かに、昨日心配しないでって言って別れたくせに、これだもんな。
 でも俺も、あの時はまさかこんな大事になるなんて思わなかったんだよ。

 気がついたら黒い木の森の中にいた魔物が、俺たちの周りに集まっていて唸り声を上げていた。

「そもそもなぜ」
「グウェン、グウェン。ちょっと待って、ねぇ、俺たちの周りに魔物が集まって来てるんだけど、見えてる? まず説教なの?」

 俺がグウェンにしがみ付いてそう言った途端、襲いかかってきた魔物の群れを彼は一瞥もくれずに魔法を放って全て吹き飛ばした。

 ドゴオオンッ

 衝撃波に雷撃が混ざったような強烈な一撃で爆風が上がり、魔物の奇声と轟音がとどろいて周りに立っていた木が薙ぎ倒される。俺たちを中心にして視界が広く円形に開けた。

 すげえ。
 怒りのパワーが炸裂してるな。

 魔法を放ってもなお怒りが収まらないのか、俺の背中に回った腕の力が強くなる。眉間に縦皺を寄せたグウェンが俺を据わった目で見下ろしていた。

「そもそも何故私は君が他の男の妃候補になり、妃選びの試験に臨んでいるという荒唐無稽な状況を目にしなければならなかったんだ? そうかと思えばその皇帝に連れ去られた君が空の上から魔物の巣に落ちそうになっているのを見て、どうやって冷静さを保てと? 目の前で君が闇雲に自ら危険の中に飛び込んで行くのを止められなかった私が悪いんだろうが、やはりあの時鐘を壊してでも君を連れて帰れば良かったとあの後私が何度考えたと」
「わかった、わかったってば!」

 普段の無口っぷりが嘘のように饒舌な彼の苦言が止まらず俺は早々に根を上げた。

「全部俺が悪い!」

 大声で叫んだ。

 もう限界だった。
 視界が潤んできてしまい、見上げたグウェンの顔がじわっと滲む。

 俺だってちょっとは怖かったんだよ。
 少しくらい慰めてくれたっていいだろう。

 この二日のことを思い出したら喉の奥が引き攣るように震えてきた。

「全部俺が悪いから、後で好きなだけ殴っていいから、お願いだから先にキスしてよ」

 グウェンを見上げながら涙声でそう言うと、ぐっと眉間に力が入った彼に噛み付くようにキスされた。

「んっ」

 身体に巻きつく腕に痛みを感じるくらい強く抱きしめられる。
 後頭部を掴まれて上向かされ、開いた口に熱い舌が潜り込んできた。昂った感情に任せて俺も自分から舌を差し出す。

「ん、んっ……う」

 グウェンの身体に沈むくらいの強い力で抱きしめられて身動きが取れないが、その圧迫感に深く安堵した。馴染んだ体温と匂いに包まれてぽろりと涙が一粒溢れる。

「んっ、んっ」

 腰を掬うように抱きしめられて踵が浮き、もう殆ど足が浮いていた。手の中のメルを潰さないようにグウェンの首に腕を回してしがみつきながら、唇が離れないように彼の頭を引き寄せて俺も熱烈なキスについていく。
 王宮で会った時はキスが出来なかったから、ようやく彼の側にちゃんと戻ってきたような気がした。

「ん……ふ」

 久しぶりに容赦のないキスだった。
 口の中を余すところなく探られて、グウェンの舌が俺の舌に絡みついてきて荒々しく強く吸われる。
 全身から力が抜けていき、メルを収めた手が緩んだ。落ちる前に自分からぴょんと跳んで地面に退避したのか、メルが「ぴぃっ」と鳴く声が下から聞こえる。

「んっ……あ」

 かくんと腰の力が抜けてしまい彼の首に回した腕が外れそうになるが、唇は離されず強く抱きしめられたままキスは続行された。

 抵抗を一切許されない手加減のないキスだったが、今はそれで良かった。俺は心から安心しきった気持ちになってグウェンに身を預ける。

 もしかしたらこの勢いのまま砂漠に押し倒されるんじゃないかと思ったら、次の瞬間本当に押し倒された。
 背中に回した卵の殻が潰れる、と一瞬ヒヤリとしたが、流れるような手付きで鞄を肩から外され、卵の膨らみを身体の横に回された。背中が地面につく砂の感触がして、俺が戸惑う前にもう体重をかけてグウェンが押し掛かってくる。

「んっ、グウェ……」

 本当に押し倒してくるなよ。ここ魔物の棲家だぞ?!

 心の中でそう突っ込むが、周りの気配を全く気に留めないグウェンは俺を跨いで覆いかぶさったまままだ唇を離さない。

「は……んっ、んぅ」

 手のひらを合わせながら砂の上に縫い止められ、指を絡めてぎゅっと握られると幸せな気持ちになり一瞬そのまま流されそうになった。

 いや待って。
 まさかここで始めたりしないよな?!

 さっきからちょいちょい魔物が襲いかかってきてるんだが、その度にグウェンの放つ魔法で弾き飛ばされていくのが視界の端に見えている。
 だからここは魔物の棲家なんだよ。俺たちは一体何をやっているんだ。

「ん、グウェン……グウェ」

 思考を溶かされそうになるのに必死に抗い、熱烈なキスを続けてくるグウェンに短い息継ぎの合間にアピールする。

「ねぇ、……んく、待って、ここ魔物」

 主張するがなしの礫で、遠慮なく口蓋を舐められて舌を吸われ、溜まった二人分の唾液を飲み込まされる。
 腰の奥が痺れるような感覚を覚えていよいよヤバいと思った。このままだと変なスイッチが入る。

「待って、んっ……ここじゃ、まずい」

 首を大きく振ってなんとか逃れた。
 息を荒げてグウェンの顔を見上げるとその目はギラついているが、最初の頃よりは怒りはだいぶ落ち着いたように見えた。

「もう……落ち着け。ここじゃまずいって」

 力無く主張すると、ようやく周りを見回す気になったのかグウェンは周囲に視線を走らせて軽く頷いた。

「確かに、先ほどから煩いな」
「いや煩いっていうか……」

 理性が戻ったのかグウェンは身体を起こすと俺の背中と膝裏を掬い、そのまま俺を横抱きにしてふわっと浮かんだ。メルが慌てて跳ねてきてぴょんっと俺の腹の上に乗る。

「メル、大丈夫か? ごめんなさっき痛かった?」
「ぴぃ」

 大丈夫だよ、と言いたいのかメルは俺の上で軽く跳ねて羽をパタパタさせた。
 それを見て微笑んでから、そういえばさっきあの悪魔に火を吐いたよな、生後二日なのにすごくない? と俺は感動した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

かし子
BL
養子として迎えられた家に弟が生まれた事により孤独になった僕。18歳を迎える誕生日の夜、絶望のまま外へ飛び出し、トラックに轢かれて死んだ...はずが、目が覚めると赤ん坊になっていた? 転生先には優しい母と優しい父。そして... おや?何やらこちらを見つめる赤目の少年が、 え!?兄様!?あれ僕の兄様ですか!? 優しい!綺麗!仲良くなりたいです!!!! ▼▼▼▼ 『アステル、おはよう。今日も可愛いな。』 ん? 仲良くなるはずが、それ以上な気が...。 ...まあ兄様が嬉しそうだからいいか! またBLとは名ばかりのほのぼの兄弟イチャラブ物語です。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?

み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました! 志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

人生二度目の悪役令息は、ヤンデレ義弟に執着されて逃げられない

佐倉海斗
BL
 王国を敵に回し、悪役と罵られ、恥を知れと煽られても気にしなかった。死に際は貴族らしく散ってやるつもりだった。――それなのに、最後に義弟の泣き顔を見たのがいけなかったんだろう。まだ、生きてみたいと思ってしまった。  一度、死んだはずだった。  それなのに、四年前に戻っていた。  どうやら、やり直しの機会を与えられたらしい。しかも、二度目の人生を与えられたのは俺だけではないようだ。  ※悪役令息(主人公)が受けになります。  ※ヤンデレ執着義弟×元悪役義兄(主人公)です。  ※主人公に好意を抱く登場人物は複数いますが、固定CPです。それ以外のCPは本編完結後のIFストーリーとして書くかもしれませんが、約束はできません。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。