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第二部

七十二話 真珠華の物語 後②

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「とにかく、まずあれを倒せばいいんだな」

 ガルムに向かっていくライネルに俺は頷いた。
 もう身動きは取れずに炎を吐き続けている魔物の頭に向かってライネルが最後の一撃を放つ。
 強烈な雷撃が襲い、狼の頭を持った魔物の頭が吹き飛んで、黒い煙が上がり肉の焦げるような匂いが漂った。

 ガルムをそのまま通り越して、ライネルはアシュラフ皇帝の方へ一直線に飛んでいく。
 俺たちに気づいて軽く眉を上げた皇帝はこっちに向かって衝撃波を放ってきた。断続的に襲ってくる衝撃波をライネルは片手で剣を抜くとそれを弾きながらスピードを落とさずに滑空した。魔防の処置が施された剣なのか、皇帝が打ちこんでくる衝撃波を剣で払って弾いていく。

 以前に比べて身のこなしにキレが出てきたな。
 旅のおかげか、クリスのしごきのおかげなのか。

「おい、どうするんだこの後」

 内心で勝手にそうしみじみ思っていると、ライネルの不機嫌そうな声で我に返る。

「とにかくあの皇帝に近づいて。近くに行ったら俺を奴に向かって投げろ」
「は?!」

 また煩く大声を上げるライネルに俺は片手で抱えた槍を少し持ち上げて見せた。

「大丈夫、武器はあるし、近づきさえすればあいつを一発殴るくらいは出来ると思う」
「殴るって、あんたな……」

 呆れたように言葉を失ったライネルは皇帝から放たれる攻撃を剣で弾きながら、旋回するように軌道を変えて飛んでいる。

「グウェン達が来ればあの皇帝と全面戦争になっても問題ないんだ。でもそれまでは奴が魔物を召喚するのを阻止しないとジリ貧だろ」
「全員でここから逃げるじゃだめなのか?」

 まだ結界の中で持ちこたえているルシア達の方をちらりと確認したライネルの疑問に、俺は首を横に振って答えた。

「この闘技場はバグラードの街中にあるんだよ。俺たちが逃げたら魔物達が外に出て人を襲う。中で全部倒すしかない」

 急に戦闘に巻き込まれて状況を把握しきれていないライネルにそう言うと、彼は少し高度を上げて飛行しながら周囲に視線を巡らせて頷いた。

「確かに、街中みたいだな。この数の魔物が外に出たら甚大な被害が出る。あの皇帝がこれ以上魔物を召喚しないように注意を逸らしていればいいってことか」

 アシュラフ皇帝からの攻撃を避けながら、ライネルが呟くように言った言葉に頷いて俺は顔を顰めた。

「そうだよ。それにあいつムカつくだろう、こっちは何度も殺されそうになってんだから。一発くらい殴っておかないと気が済まない。昨日は失敗したから今日は絶対殴る」
「……もう既に殴りかかってんのかよ。あんた相変わらずむちゃくちゃだな……」

 皇帝の方を見ようと身体を捻った俺の耳に、ライネルの呆れたような声が聞こえた。

「あいつはマジでムカつくんだよ、お前の比じゃない」
「おい。さり気なく俺を貶すな」

 ムッとしたような声で文句を言われる。

 だって、お前もムカつく奴だったもん。

 俺は忘れてないからな。お前がグウェンに散々当たり散らしてきたこと。

 ライネルの言葉は聞こえない振りをして俺はアシュラフ皇帝の方を見た。
 奴は俺たちの様子をじっと見ながら口元を歪めて少し楽しそうな顔になっている。

「あいつもちょっと遊んでやろうって顔になってるから好都合だ。隙をついて近づこう」
「分かった。本当にあんたをあれに向かって投げればいいのか」
「そう、思いっきりな。やれるだけやってみるから、もし失敗して落とされたら下で拾って」

 ライネルは微妙な顔で頷いてから、緩く飛んでいた軌道を変えて皇帝の方へ真っ直ぐに飛び始めた。
 気付いた皇帝が俺たちに向かって立て続けに魔法を放ってくるが、ライネルは上手く躱しながら皇帝に近付いていく。
 俺は槍を掴んだ手を握り直してタイミングを見計らった。

 アシュラフ皇帝の頭上に最も近づいた瞬間、俺は「今だ! 投げろ!」と叫んで身体を前に捻ってライネルの肩から手を離した。

「死ぬなよ!」

 そう叫び返したライネルが俺の足の裏を掬うように持ち上げて勢いよく上に投げた。同時に俺は足でライネルの手を蹴り、上に跳ぶ。
 皇帝の頭上に上手く跳び上がった俺は、攻撃を放たれる前に服の中に手を入れて羊皮紙を掴み、魔法陣を素早く破ってアシュラフ皇帝に投げた。

 ドオオンッ

 と轟音がして凄まじい雷撃が奴に放たれる。
 落ちてくる俺を見上げながら皇帝は瞬時に結界を張りそれを弾いた。
 その動きを予期していた俺は奴の頭上に落ちながら両手で槍を構えて、それを思いきり結界に突き刺す。

 光属性の武器は、魔に対して常に優位だ。

 結界が割れ、意表を突かれたという顔をした皇帝がそれでも余裕のある動きで俺に雷撃を返してきた。
 身構えていた俺は槍で攻撃を弾き、身体を捻ってそれをギリギリで避けきる。
 槍で跳ねた火花が顔を掠めた。チリッとした痛みが頬に走り、頭を大きく逸らしたせいで後頭部で髪を纏めていた細い紐がぷちっと切れたのがわかった。結ばれていたポニーテールが解けて付け毛をしていた長い髪が風に巻かれる。
 俺を見上げている皇帝が、目を見開いた。
 その瞳に侮りや嫌悪ではない純粋な驚きが浮かんだのを見た。

 よく分からないが、今がチャンスだ。

 俺は槍を投げ捨てるとアシュラフ皇帝の胸ぐらを掴んで拳を振り上げた。

 ガツッ

 驚きの表情を浮かべた皇帝の顔に、今度はしっかり拳が入った。
 殴られて我に返った皇帝がその目に怒りを宿す。次の攻撃魔法が放たれる前に、俺は奴の胸ぐらを掴んだまま怒鳴った。

「てめぇいい加減にしろ! アシュタルト!!」

 その名前を叫ぶと、俺の首を掴もうとした奴の手がぴたりと止まった。
 俺はその身体を下敷きにするように踏みつけてすぐに奴の胴を足で蹴り、後方に逃れるために跳んだ。しかし離れる間際に今度は俺が胸ぐらを掴まれる。
 ぐいっと引き寄せられて、振り払おうとした左の手首を掴まれた。落下する身体がぶらんと宙吊りにされる。

「レイナルド!」

 後ろから焦ったようなライネルの声が聞こえた。
 攻撃魔法が飛んでくるが、俺を吊り下げた皇帝は無言のまま視線すら向けずにそれを弾いた。

 目の前で俺を見下ろす皇帝の目が細まり、じっと俺を観察していた。
 その空色の瞳が、突如ぐるんと裏返ったように赤く変わる。

 燃える血のような、見覚えのある真っ赤な瞳。

 その目を見て俺は確信する。

 目の前の悪魔は俺を見下ろすと口端を引き上げて嗤った。


 その瞬間、俺はまた転移した。
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