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第二部

七十話 真珠華の物語 中

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「リリアン、強いですね……」

 ルシアがぼそっと隣で呟いた。
 飛びかかってくる魔物を剣で薙ぎ払うマークスに抱えられながら、リリアンは器用に弓を引き魔物を射ている。頭上を飛んでいた蝙蝠の魔物も彼女が放った矢に翼を射抜かれて落下していった。
 矢の方ももしかしたら特殊なものなのかもしれない。硬いはずの魔物の外皮に難なく突き刺さっている。
 だとしても、すごいコントロールだ。
 さすが、クレイドルの元王女。
 あんなに小柄で華奢な彼女にこんな特技があったなんて想像もしなかった。

 マークスが現れたおかげで急に戦力が上がったが、それでもまだ魔物の数が多すぎる。闘技場から外に出ようとする魔物は二人が留めてくれているが、俺たちがいる結界には相変わらず魔物が突進してくるし、このまま何もしないでいるとリリアン達に魔物が集中して二人が危ないかもしれない。

「ダーウード様、バグラードにいる兵は来ないのでしょうか」

 不安そうな顔でリリアン達を見守るロレンナが後ろを振り返り、宰相に聞いた。
 俺も後方を振り返るとダーウード宰相は硬い表情で眉を寄せる。

「バグラードの警備兵も、朝マスルールと共に砂漠に向かったはずだ。こちらの異変を知れば駆けつけてくるとは思うが……」

 生憎ラムルの軍からの増援はすぐには期待出来ないらしい。
 もしかしたら、それも知っていて奴は俺たちをこの闘技場に転移させた可能性もある。
 そう思ってまた観客席を見上げると、そこにいたはずのアシュラフ皇帝の姿が消えていてはっとした。

「面倒な奴を砂漠に追いやっておいたというのに、助けが現れてはつまらないな」

 俺たちの会話が聞こえていたかのような冷酷な声が頭上から響き、見上げると観客席から消えた皇帝が空中に浮かんでいた。

「そうだな、それではもう少し増やすか」

 そう呟いた声が聞こえたと思ったら、結界の前方に魔物が新たに一体現れた。
 それを見て俺は顔を顰める。

「ガルムか」

 フェンリルにも似た巨大な狼で、獰猛な魔物は人を食べる。厄介なのはあれは食らいついたものを粉砕する程顎の力が強く、炎を吐くことだ。巨大な上に剛力だから結界に何度も突進されたら割られる可能性もある。
 アシュラフ皇帝は酷薄な笑みを浮かべながら魔物の上に浮かんで俺たちの様子を眺めている。
 俺たちがどれだけ魔物を倒しても、あいつがこの場にいる限りは魔物を召喚され続けるということか。今はそれどころじゃないが、無事に脱出するためにはあのクソ皇帝をどうにかするしかない。

 唸り声を上げて首を振る巨大な狼を見ながら俺は険しい声を出した。

「近寄らせない方がいいな。何とか交戦してみるか。マスルールさん達が来る前にあれに結界を破られるかもしれない」

 それを聞いたロレンナが「牽制しておきます」と言ってガルムが近寄れないように魔法に放ち始めた。

「ロレンナさん、あまり追い払いすぎないでください。リリー達が危険になってしまうから」
「わかりました」

 リリアン達は魔法が使えないから、魔物の中で立ち回りながら炎を吐かれるのは厳しいだろう。

 俺が槍を手に攻略法を考えていると、隣で結界を維持していたルシアが俺を見た。

「レイナルド様」

 呼ばれて彼女の顔を見ると、いつになく真剣な顔をしたルシアが俺を真っ直ぐに見つめていた。

「後で、必ず説明しますから」

 そう言って、彼女は服の中から一枚の羊皮紙を取り出した。
 何かの魔法陣が描かれたそれを、ルシアは両手で持って一息で破いた。

 ビリッ

 破いた瞬間魔法陣が強く光り、いくらも経たないうちに頭上から「うわっなんだ?!」と聞き覚えのある声が響いた。

「え?」

 驚いて見上げると空から二人降ってくる。それもよく見知った顔の二人が。
 結界の中に軽やかに着地したミラード卿と、慌てた動きで飛びながら降りてくるライネルを見とめて、俺は口を半開きにした。

 何だ? 二人が召喚されたのか?

 ルシアが持っていた魔法陣が、おそらく二人を呼び寄せるためのものだったんだろうが、なぜそんなものを持っているのか。
 
「ようやく呼んでくれたか、リリー。突然皇帝陛下に連れ去られてどうしようかと思ったよ」

 ミラード卿がそう言いながら周りを見回して、口を開けて固まっている俺と目が合った。

「レイナルド卿もお久しぶりです」

 こんなところでも快活に笑う彼は、俺たちがアシュラフ皇帝に広間から連れ出されたのを知っているかのような態度で、俺はますます困惑する。
 ライネルの方はゆっくり降りてきて地面に着地すると、俺の顔を見て少しばつが悪そうな表情をしてからミラード卿と同じように周りを見回した。

「何事だよこれは」

 ライネルの方は、状況を飲み込めていないらしい。俺と同じでかなり困惑した表情を浮かべている。二人は別々の場所から転移してきたのか?

 ロレンナは魔法を放ちながらもこちらの様子をうかがっているし、双子と役人達は身を寄せ合ったままじっと新たに現れた二人を見つめている。
 ルシアが二人を呼び寄せる手段を隠し持っていた、ということはわかるが、何故ミラード卿はラムルの砂色の軍服を着ているんだろう。王宮の外で待っているはずではなかったのか。彼の話しぶりからすると、さっきの広間の様子も知っているかのような言い様だった。

「ミラード卿、お久しぶりです」
「あはは、レイナルド卿、俺はもう爵位は返上したのでクリスと呼んでください。ざっと見たところ、皇帝陛下に連れ去られた先で魔物に囲まれピンチってところですか。さすがですね」

 なにがさすがなんだ。

 俺はツッコミを入れたかったが、ロレンナの「来ます!」という悲鳴で結界の外を見た。
 ガルムが大きな口を開けてこちらに向かってくる。

「ライネル、炎を受け止めろ!」

 俺の声に反応したライネルが、狼の吐き出した炎の前に氷の盾を出して防いだ。氷は瞬時に溶けていくが、すかさず補強されたぶ厚い氷が炎を防ぎきる。

「どういう状況だよこれ」

 ライネルが眉間に皺を寄せて俺を見た。
 こいつはこいつで侍従のような白い民族衣装を着て、背中に剣を背負っている。
 俺の格好を上から下まで眺めたライネルは、眉を寄せて不可解そうな顔をした。

 俺は今女装継続中だからね。
 まさか知り合いにも見られることになるとは思わなかったよ。とんだ恥を晒している。家に帰りたい。

「端的に言うと、あのガルムの向こうに浮いてる奴がアシュラフ皇帝で、奴が俺たちを殺そうとして魔物をけしかけている」

 俺のぞんざいな説明を聞いたライネルは目を剥いた。

「どういう状況なんだよマジで」
「ライネル、今はなんでもいいからあれを倒すのに集中して」

 ルシアが横から冷たい声を出すと、ライネルはすぐに黙って魔物を見据えた。

 よくわからない状況だが、とにかくライネルが現れたことは大きい。グウェンほどではないがライネルも魔法の腕前はかなり良い方だ。
 
「ライネル、ミラ……クリスさん、今はこの闘技場の中にいる魔物を倒す必要がある。詳しい話は後にして協力してほしい」
「勿論です。わかりました」
「策はあるのか」

 こっちだって聞きたいことは山ほどあるが、とにかく目の前のガルムをどうにかしなければならない。
 二人が真剣に聞いてくれるから俺も早口で伝えた。

「結界から出て奴を別の方向に引きつけて倒す。このままこっちに来られると結界が危ないかもしれない。ライネルは攻撃魔法であいつの脚と頭を狙え。クリスさんは炎に気をつけながら注意を引いてください。俺も後ろからついて行く。……でもライネルだけだと俺たちの防御が心もとないか」
「私が行こう」

 その時後ろからダーウード宰相が声をかけてきた。
 驚いて振り返ると、お爺さんは眉間に皺を寄せた硬い表情のまま、俺をまっすぐに見つめてきた。

「私も、ロレンナほどではないが小規模な結界を張ることくらいはできる。少しは役に立てるだろう。いつまでも君を矢面に立たせるわけにはいかない」

 静かな口調だったが、宰相は決意したように口元を引き結んでアシュラフ皇帝を厳しい表情で見上げた。

「陛下が、もう私の知るあの方ではないというのなら、私にはここまで事態を見過ごしてきた責任がある。君の言う通りだった。もっと早く何らかの手段を講じるべきだったのだな。すまなかった」

 そう言った宰相の瞳は微かに揺れているように見えた。

 俺は何も言わずに黙って頷いて、身体の前にある鞄を背中に回した。戦うには前にあると動き辛い。鞄の中で回転したのかメルが「ぴぃい?!」と鳴いたが、「大丈夫だからじっとしてろ」と声をかけて宥めた。
 
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