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第二部

六十六話 二人の舞姫の物語 後①

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 さて、どうしよう。

 ルシアにメルが入った鞄を預かってもらってから俺は立ち上がり、舞台の方へ歩きながら考えた。

 俺は今、首輪を付けられているせいで魔法が使えない。

 正直、俺から魔法を取ったら本当にこれといって何もない。リリアンのような武芸も出来ないし、双子みたいに歌を歌ったり踊ったりなんてもっての外だ。楽器は出来ないこともないが、人に見せるようなレベルじゃない。

 本当に名前だけ名乗って終わりにしてもいいかな。

 ある意味俺は女装したってだけで、十分醜態を晒してるんだからそれで勘弁してもらえないか。
 この試験に評価点があるのかは知らないけど、0点で全然いいから。

 ちらりとダーウード宰相の方を見ると、お爺さんは俺が何をするのか興味深げに見守っている。
 何もありません、なんて言える空気じゃない。前の四人が真面目にやりすぎなんだよ。どうするんだよこれ、俺は真面目な顔でラジオ体操でも披露したらいいのか。ルシアしかウケないぞそんなの。

 涼しかったイラムから降りてきたからなのか、着ている衣装が風通しの良い民族衣装とは違うからなのか分からないが、地上は暑い。
 暑くてまともに考えられないんだよな、と思ったとき、先ほどロレンナが作った氷の球が視界の端に留まった。それは少し溶け始めているが、まだ大きな球体の形をとどめている。
 それを見てふと思いついた俺は足を止めて後ろを振り返り、ロレンナを見た。

「ロレンナさん、あの氷ってもう使わないですか」
「え? はい」
「使わせてもらってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」

 珍しくきょとんとした感情が顔に出ているロレンナに、俺はお礼を言ってから付け足して聞いた。

「ちなみに、あの草と花って食べられますか」
「え? ああ、はい。あれは私が育てているハーブなので、食べても害はないですが」

 それを聞いて安心して、俺は舞台に上がって玉座にぞんざいな一礼をすると服の中に忍ばせていた簡易魔法陣を取り出した。

 その場しのぎの思いつきだけど、とりあえずやってみよう。

 俺は魔法陣を一枚破ると、裾を少し捲って右腕にそれを貼り付けた。

 筋力を増強する魔法なんて、初めて使ってみたが感覚はいつもとそんなに変わらない。少し筋が張るような感じがした。右の手の甲は昨日アシュラフ皇帝を殴ろうとした時にぶつけてまだ腫れているが、少し痛みがあるだけだから問題はない。
 俺はロレンナが残した氷の球に近づいて、右手でそれをわしっと掴んだ。少し力を入れると硬いはずの氷がビシリと割れて、豆腐のようにぼろりと崩れる。

「おお、予想以上」

 思わず感嘆の声が口から漏れた。
 後方で見ている人達がえ? という顔をしているのを横目で見ながら、俺は氷の塊の上の方を手で掴んで崩した。握力がゴリラ並になっているのか、面白いように氷が砕けていく。
 少し溶け始めていて表面が濡れているのがちょうど良かった。乾いていたら手が張り付いて上手く砕けなかっただろう。

 俺は周りを見回して、玉座の前に並べられた果物の盛られた皿に目を止めるとそこまで歩いていって銀色の平たい皿を果物ごと持ち上げた。
 アシュラフ皇帝が近づいてきた俺を見て怪訝な顔をしたが、無視してもう一度氷の塊の方に戻る。
 果物を床に置いてから左手で皿を持ち、その上で氷の塊から崩した欠片を握りつぶした。
 氷は粉々にはならないが、ある程度小さくなったので良しとする。氷の中から花とハーブが出てきて、良い感じにアクセントになった。光の粒は空気に触れると消えたが、氷の中に僅かに残ったものはお洒落な感じに映えている。
 氷は結構冷たくて手のひらの感覚がだんだんなくなってきたから、皿の上に山盛りになるまで砕いたところでやめにした。
 このままでもいいかとも思ったが、少し味気ないなと思い直し、床に置いた果物の中からリンゴを手に取った。皿の上で握った瞬間、瞬く間にリンゴがぐしゃりと潰れる。

 これ、憧れだったんだよなぁ。

 ちょっと恍惚としてしまう。
 リンゴを片手で潰すなんて間違いなく男のロマンだろう。
 ちょっとやりすぎかな、と思いながらも楽しくて余分にあと三個くらい潰した。
 後方の観衆席がざわついている。ちらっと遠目に見えたおばさんが、青ざめて手を口に当てて引いていた。

 気持ちはわかる。
 伝統ある六女の中に紛れ込んでるのが、異国の男で女装で握力ゴリラだもんな。一人だけとっ散らかってるよな。

 リンゴの汁をかけて完成した皿を、俺はもう一度玉座の方に戻ってアシュラフ皇帝の足元にほいっと置いた。
 皇帝に一芸を披露するという建前上、完成したものは玉座に供えておけばいいだろう。

 我ながらよく出来たな。

 広間全体に沈黙が流れる中、皇帝が俺が置いた皿を見て眉を顰めた。

「何だそれは」
「かき氷」

 彼の疑問に即答して答えると、彼は無言で皿の上に盛られた氷の残骸を見下ろした。

 かき氷だろう。どう見ても。
 少し粒は大きいが、リンゴの味もしてきっと美味しい。俺が手で潰したという衛生的にどうなのという点を除けば広間は暑いし、食べるにはちょうどいいんじゃないか。いらないなら候補者席に持って帰ろうかな。涼が取れるし。

 呆気に取られているダーウード宰相が聴衆に拍手を促すのも忘れてこちらを見ている。

 しばらく氷の山を見下ろしていたアシュラフ皇帝は、ついと俺を見た。

「食べさせろ」
「は?」

 予想外のセリフに俺がぎょっとすると、皇帝は少し斜に構えた顔で氷の乗った銀色の皿を指差した。

「手が汚れる。お前が食べさせろ」

 食べるのか? これを?

 正直本当に食べると言うとは思ってもみなかったから驚いて固まった。

「早くしろ」

 そう言われてもまだぽかんとしていたら、昨日のように風が吹いて背中を押された。
 軽く躓いてそのまま皿に突っ込みそうになる。

「危なっ、食べさせろったって……」

 周りを見回してスプーンか何かないかと探すが、あいにく葡萄酒が入った盃くらいしかない。
 わざわざ持ってきてもらうのも面倒だし、なんでこいつにそんな配慮をしなければならないのかという苛立ちもある。
 俺は皿を左手で持ち上げると、右手でわしっとかき氷を掴んで掬い皇帝の顔の前に持っていった。

 そんなに食べたかったらそのまま食べろよ。食べれるもんならな。という気持ちで玉座に座っているアシュラフ皇帝を見下ろすと、彼は無言で俺の手の上に乗った氷を見てから、俺の右手首を掴んだ。

「えっ」

 マジで食べるの?

 こんな不敬なことをしたら「ふざけるな」とキレられるかなと思っていたのに、皇帝は俺の手首を掴んで引き寄せると本当に手のひらの上に掬った氷を軽く食べた。
 口に入れてすぐ眉を寄せた彼は、手首を掴んだまま俺を見上げてくる。

「まずい」

 その言葉を聞いて俺は呆然としていたが、俺の間の抜けた顔を見た皇帝はにやりと笑った。

「不死鳥の方がうまいだろうな」

 反射的に左手に持っていた皿を皇帝にぶん投げていた。
 後方から悲鳴が上がったが、皇帝は皿を頭から被る前にそれを手で弾いて横に払った。かき氷は無惨にも玉座の下に落ち、床にぶつかった皿が大きな音を立てる。

「次はないと言ったのに、よくやる」

 俺の手首を掴んだままアシュラフ皇帝がぎろりと冷たい視線を投げてくるが、俺はそれを一瞥して鼻を鳴らした。

「こっちは昨日首まで絞められてんだよ。なんであんたのつまんねぇ話に付き合わなきゃいけない」

 メルが産まれていることがバレた以上、本気で探られたら厄介だ。怒りでもいいから興味の矛先を俺に向けておいた方がいい。メルを取り上げられて食べられたら俺は発狂する。
 喧嘩なら買う、と引かずに睨み返すと、青白く表情のない顔で俺をしばらく見上げていた皇帝は俺の頭と衣装に視線を動かした後、急に俺の手首を離した。

「気が削がれる。その衣を着せたのは間違いだったな」

 そうつまらなそうに呟くと俺から視線を外し、皇帝は俺に手を振った。

「もういい。戻れ」

 はあ?

 突然興味を失ったようにスイッチが切れた暴君を見下ろして、俺は心の中で盛大にツッコミを入れた。

 何なんだよ、キレたり沈んだり。
 こいつの情緒、マジでおかしいんじゃないか?

 これで性格が変わっただけだって言うなら、さっきジャアファルとかいうおっさんが言っていたように本当に狂ってきてるんだろうか。
 意味不明さが逆に薄ら寒くなって俺はさっさと退散することにした。最後にルシアが控えているから、どちらにしろこの皇帝の正体については多分白黒つけられる。

 俺は右手に残った氷の残骸を落ちた皿の上に払ってからアシュラフ皇帝にくるりと背中を向けて、さっさと候補者席に戻ろうと歩き始めた。
 途中でダーウード宰相と目が合ったが、呆気に取られながらも手を打とうか両手が不自然に動いているのを見て、俺は急いで首を横に振っておいた。

 この雰囲気で拍手なんかされたらそれこそ広間全体がおかしな空気になる。もう俺のことは忘れてくれ。

 そう念じてお爺さんが手を下ろしたのを見て胸を撫で下ろし、俺はやれやれと視線を上げた。

 見上げた先の窓の外にグウェンがいて、口から変な声が出そうになった。
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