悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第二部

五十三話 奇怪な教王 前①

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 気付いたら、目の前に巨大な銀色の鐘があった。
 俺は強制転移されたことに気づき脱力して、芝の上に座り込んで項垂れた。

 間に合わなかった。
 キスくらい最初にしておくんだった……。

 そう悔やむと、すぐそばで足音がした。陰になったその人を見上げるとマスルールが立っている。

「説得は上手くいきましたか」

 相変わらず疲れた顔の彼を見上げ、俺はこめかみを押さえた。

「……すぐには爆発しないと思いますけど、わかりませんよ」
「……」

 重くため息を吐いたマスルールは無言になった。

「とにかくここから帰らせてもらえないんですか。もう俺本当に辞退したいんですけど」
「それが出来るなら私も苦労していません」

 俺たち二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
 マスルールは持っていた鞄を俺に差し出してくる。
 卵の殻が入ったそれを、俺はよろよろ立ち上がって受け取った。

 とにかく俺に出来るだけのことは言った。
 あとはグウェンがまた腹の底に溜めてしまった怒りを、定期的にオズ君一号で発散してくれることを祈るばかりである。
 今日の試験が終わった後もう一度会えるだろうか。そしたらもう少し宥められるかもしれない。
 ベルのパパの話とか、もっと詳しく聞きたかったのに時間がなかった。次にベルとウィルに会った時にはちゃんと詳細を確認してベルパパにも土下座する準備をしておかないといけない。

 グウェンと仲直り出来たのはよかったが、仕方がないから俺が出て来るのを数日待てなんてとても言い出せる空気じゃなかったぞ。待たせれば待たせた分だけ俺の負債が貯まるだけである。長引いた分帰ったらどうなるのか考えるだけで恐ろしい。

 そう思っていると、広場にはそのうち何も知らない女性陣がそれぞれの鈴宮から出てきて鐘の方へ集まってきた。
 服は指定されていなかったから、皆昨日と同じような簡素な民族衣装だ。侍女の三人も一緒で、昨日と同じような服を着ていた。
 リリアンだけは昨日はワンピースだったが今日は白い民族衣装に水色のストールを重ねている。

 マスルールがふと俺のターバンを見下ろして手を伸ばし、ズレていた形を几帳面に直した。メルは上手く隠れているのか彼が声を上げることはない。彼の場合は見えていても見えない振りをしている可能性もあるが。
 もしかしてこの優秀な側近はオカン体質というやつなのかもしれない。昨日から俺はなんだかんだ彼に世話を焼かれている気がする。

「あの、強制転移するときって、誰かを一緒に連れて来ることって出来るんですか」
「……不可能です。他人に触れていても本人だけが戻ります」
「動物は?」
「はい?」
「動物は、一緒に連れて来られますか」

 ターバンを直されながらそう聞くと、マスルールは変な顔をした。

「……わかりません。人間は不可能ですが、そこまで厳密に試したことはないと思います」
「そうですか」

 現に、メルは一緒に来てるんだよな。

 人間じゃなければOKなのか? と俺は少し不思議に思いながら内心で首を捻った。これは良くてこれは駄目、とそこまで厳密に条件設定をするのは面倒だから、一緒にいる人間だけを弾くように魔法がかかっているのかもしれない。
 俺はそう推測しながら鐘の魔法についてもう少し情報を集めようと口を開いた。

「この鐘って試験の前には必ず鳴るんですか」
「正確に言うと、鐘はまず始めに馬の置物を魔法陣に設置した時に鳴り、その後は試験があるごとにここで鳴らします。全ての試験が終わった後、妃を選ぶ儀式で鳴らすのが最後です」

 そう説明してから、マスルールは俺の頭から手を離した。

「屈んだりするとずれるので、最初のうちは気をつけた方がいいでしょう」
「ありがとうございます」

 やはり鐘は試験の度に鳴るということらしい。
 強制転移が本当に厄介だな。
 それさえなければすぐにでも逃げ出せるのに。

 マスルールは集まった候補者達を見回して口を開いた。
 
「本日の試験は正殿で行うそうです。これから移動します」

 ぞろぞろとマスルールの後について歩いていくと、ルシアが俺の側に寄ってきて「何かあったんですか?」とげっそりした顔をしている俺に聞いてきた。

 俺はルシアと歩きながら他の候補者達から少し離れて距離をとり、小声で昨日の夜からの状況をざっくり説明する。
 不死鳥が産まれた、という話にルシアは目を丸くして俺のターバンを見上げていたが、その後グウェンが王宮にたどり着いている、という事実を知った時には思わずといった調子で「嘘?!」と驚愕していた。

「昨日の夜、オズワルド殿下が呼びに行ったって言ってませんでしたっけ? もう見つけて来られたんですか?」
「うん。それがオズには会ってないらしいんだよ。詳しく聞けなかったけどグウェン達は自力でここに来たみたいなんだ」
「会っていない?」
「多分、すれ違ってるのか……」

 それを聞くと、ルシアは黙り込んで何か考えていた。

「とにかくこれでここから逃げられると思ったのに、鐘の強制転移の話を聞いたからまた計画を練り直しなんだよ」

 俺がぼやくと、隣を歩いていた彼女は真剣な顔で頷いた。

「……確かに、厄介ですね。イラムの外に出ても戻ってきてしまうなら」
「最初にそれを知ってれば、候補者にされる前に何がなんでもあの広間から逃げたのに」
「私もです」

 二人でため息を吐いて顔を見合わせると、前を歩いていた面々が足を止めた。
 正殿に着いたらしい。
 一階建ての平たい石造りの白い建物には、人気はないように見えたが、俺たちが入り口に近づくと中から二人の女性が出てきた。着ている官服のような民族衣装を見ると、マスルールが試験のために連れてきた役人の人たちなのかもしれない。
 扉を押さえてくれる彼女達の横を通り抜け、マスルールが向かったのは入り口からそこまで離れていない広い部屋だった。

 中に入ると赤い絨毯が床一面に貼ってあり、不思議なことにところどころに水槽やガラスの鉢や花瓶が置かれていて、中に魚が泳いでいる。昨日広間に敷かれていた金色の絨毯が床の真ん中に敷いてあった。
 更にその奥に大きな長椅子があって、そこにアシュラフ皇帝が寝そべっていた。長椅子の周りにも水槽や金魚鉢がいくつか置かれていて、皇帝の目の前には大きな座卓がある。

「ようやく来たか」

 欠伸をした皇帝は身体を起こし、「そこに座れ。侍女は脇に下がっていろ」と卓の前に敷かれた金色の絨毯を指差して俺たちに座るように促した。
 マスルールは官服の女性と共に皇帝の長椅子の奥に控え、そこには昨日の宰相のおじいさんも立っている。

 緊張感のある空気に警戒しながらも、ルシア達と一緒に絨毯の上に座った。
 頭の上のメルが、皇帝の声が怖かったのかぴくっと緊張したように足を踏ん張って固まった。生まれる前だったけど、食べると言われていたことを覚えているのかもしれない。
 俺たちを見下ろしてから皇帝は官吏の女性の一人に視線を向ける。

「さっき言ったものを持ってこい」

 そう言うと、青ざめた女性は頭を下げて部屋から退出した。
 すぐに戻ってきた彼女は大きなお盆にティーセットを乗せて戻ってくる。

 ティーセット?

 見ていると、アシュラフ皇帝の前にある大きな座卓に七つのティーカップと小さなガラスのミルク入れが置かれた。ティーカップの中にはそれぞれ何かが入っているように見える。湯気が立っているようにも見えるから、茶だろうか。対して、ミルク差しの方は空だ。

 皆の注目が集まる中、アシュラフ皇帝は服の中から小瓶を取り出して蓋を開けた。そしてミルク入れの中にその中身を入れる。何か、液体が入っていたようで透明な液体がガラスの容器の中に落ちた。
 そして彼は小瓶をしまうとそのミルク差しを手に持った。
 じっと見ていると、一瞬だけ皇帝の腕がぶれたような気がした。彼はミルク差しを卓に戻し、俺達を見る。

「今ここにある七つのカップの中に一つだけ毒を入れた」

 アシュラフ皇帝が軽い口調でそう言うと、部屋の空気が凍りついた。
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