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第二部
四十四話 底なしの宝庫 前①
しおりを挟む見渡す限りの財宝の山。
暗い宝物庫の中は広く、床が見えないくらいの物量で金銀財宝がひしめいている。
積み上がった大小さまざまな木箱が天井に迫るくらいにそびえ立ち、あちこちで微妙なバランスを保ちながら塔を形成していた。
箱に入っているものはまだいい方で、床には剥き出しの剣や宝飾品、どこの国のものかも分からない金貨や小粒の宝石がいっぱいに散乱している。
さすがに乱雑すぎやしないか。最近泥棒でも入ったのか。
そして俺は、なんでこんなところにいるんだろう。
壁際の木箱に力無く腰掛けて、俺は鞄に入った卵を撫でながら一時間ほど前の出来事を回想した。
マスルールが鈴宮から立ち去った後、俺は軽く夕食を済ませてから風呂に入ったりして皆が寝静まる時間まで待ち、イラムの下の層に降りることにした。有能な側近には釘を刺されたが、このまま不安を抱きながら助けが来るまで大人しく部屋で待ってるなんて俺の性に合わない。待つのは嫌いだ。できるなら自分で脱出経路を探して早くグウェンのところに帰りたい。
そう思って、卵を袋に入れて抱えてから夜中にこっそり鈴宮から出て広場の真ん中にある鐘まで行った。
外に出てみると、空が近いこの場所は星が信じられないくらいよく見える。こんな状況なのに鈴園の透明な天井一面に輝く星空を目にした感動で、一時足を止めて見入ってしまった。
知らない国の星空を見上げるなんていつかの約束を果たす絶好のチャンスなのに、なんで隣にあいつがいないんだろう。
グウェンに会いたい。あの逞しい首に力いっぱいしがみつきたい。
まずいな。色々なことがありすぎて、俺はだんだん情緒が安定しなくなってきてるんじゃないか。
あいつ、もしかしてまだ怒ってるだろうか。
最後に会ったとき上手く仲直り出来なかったことが今更後に引いていて、だんだん不安になってきた。
うじうじしそうになる気持ちをぎゅっと目を閉じて押し込めた。無理やり頭を切り替える。とにかく逃げ道を探そう。
巨大な銀色の鐘に近寄って触れてみると、一瞬めまいのような浮遊感を覚えたと思ったら、次の瞬間には来るときに入っただだっ広い部屋の中に立っていた。目の前には白い円柱の上に透明な水晶でできた馬の置物がある。
まずは地上に降りる算段を付けなくてはならない。マスルールが言うには、あの円柱のエレベーターを動かせるのは皇族の血を引いている人間だけらしい。そう簡単に協力者が見つかるとも思えないが、一層の中を調べておくに越したことはない。
魔法陣以外には何もない部屋の重たい金色の扉を開け、廊下の様子を伺う。誰も歩いていないから思い切って廊下に足を踏み出した。
宮殿の中とはいえ、廊下は人気はなく、薄暗かった。あちこちに灯籠のような灯りが置いてはあるが、広さの方が勝っていて歩いていると足元が見えないくらいだった。俺は自分の家の懐中時計をズボンのポケットから取り出してライトをつけた。気をつけないと元の場所に戻って来られなくなる。慎重に、なるべく角を曲がったりしないように真っ直ぐな道を選んで歩いた。
しばらく歩いていたら、突然何かが動く気配を頭上に感じた。同時にその何かが俺の腕を掠ってすり抜ける。
「ひっ」
心臓が飛び出るくらいに驚いて、その何かが降り立った床にライトを向けると、そこにいたのは小さな猿だった。
「猿……?」
くりくりした目をした尻尾の長い茶色の子猿が、床の上から俺を見ていた。
なんで猿が宮殿にいるんだ?
上空にあるイラムに野生の猿が入り込むとは考えられないから、冷静に考えれば誰かのペットか宮殿で飼われている猿ということになるだろう。
スルーしていいのか、と思った時その猿が唐突に跳ねた。俺の方に。
「うわっ」
思わず後ろに下がると、猿は俺の手に飛びついてきて、手に持っていた懐中時計を掠め取った。
「あっ、返せ!」
小声で叫び、慌てて猿から時計を取り戻そうと手を伸ばすと、子猿はぴょんと跳ねて俺から離れる。その拍子にライトのスイッチが押されたのか、光が消えた。猿が不思議そうに首を傾げて時計を叩く。
まずいぞ。あれは俺の家の家紋が入っている。
他国の家紋まで把握しているようなマスルールレベルの人間がそういるとは考えられないが、イラムの宮殿の中で紛失するのは色々まずい。
少し離れたところで俺を見上げている猿に、俺はひそひそ声で懇願した。
「お願い、それ返して。なくなると困るんだ」
そう言うと、子猿は首を傾げてから唐突に廊下の奥に逃げた。
「こら待て!」
慌てて追いかける。
暗い廊下の中をぴょんぴょん跳ねて逃げていく猿を追いかけて、見失わないように目を凝らしながら必死で追った。
そのうち最初に危惧していたことが現実になって、もう自分がどこにいるのかはわからなくなってしまったが、とにかく子猿を追うしかない。寝静まった時間だからか人とすれ違うことはなかったが、走っていた廊下を曲がって比較的幅の広い通路に飛び出た時、その先に人の気配がした。
このまま猿を追いかけて走って行ったら、鉢合わせになる。
一瞬迷ってから、追いかけるのを中断して元来た廊下に身を潜めた。
足音が近づいて、そして離れたところで立ち止まる音がする。
「おや、シャキールじゃないか。お前また脱走したのかい」
男性の声がした。
若者とは言えない年齢のような、少し掠れて張りのない男性の声だった。
その声の後で子猿が「キキっ」と鳴く声がして、ぺたぺたと軽い足音が響く。
「なんだいそれは。懐中時計? こんなものどこから持ってきたんだ」
そう聞こえてきてぎくっとする。
時計が人の手に渡ってしまったらまずい。
息を顰めながらも、心臓がどきどきと音を立ててうるさく鳴る。
家紋に気づくな、と祈るような気持ちで耳を澄ませていると、男性のため息を吐くような息遣いが聞こえてきた。
「これはいらないから、元の場所に戻しておいで。取られた人が困っているだろう。それよりも、君は私が頼んだものをちゃんと探しているのかい」
嗜めるような声が聞こえてきて、ほっと息をついた。
子猿がまた「キッ」と鳴いて、軽く床を蹴る音が聞こえる。
軽快に地面を蹴る音が遠ざかった後、足音がまた聞こえてきた。
その足音は近づいてきて、俺が身を潜めている角には入らずにそのまま廊下を真っ直ぐ進んで遠ざかっていった。足音が聞こえなくなってからほっと息を吐き出す。
さっきの、男の人の声だったということは多分皇族の誰かだったんだろうか。
ほとんどいない男性の侍従という可能性もあるけど、話し方の抑揚がゆったりしていたし、使用人というかんじではなかったな。
そう思いながら、廊下の角から出て猿を追いかけた。
時計を元の場所に返すように言われたくせに、全然返す気がないじゃないか。
広い廊下を走って探すと、そのうち大きな鏡が壁のあちこちにかけられた長い廊下に出くわす。月明かりが窓から廊下に差し込んで、この通路だけやけに明るい気がした。
猿の跳ねる音を聞いた気がして、俺はその廊下に足を踏み入れる。
すると今度は前方から複数の人の足音が微かに聞こえてきた。話し声はしないが、廊下の先から聞こえてくるその音に気がついて足を止めた。
どうしよう。引き返すか。
鏡が至る所にかけられた長い廊下には身を隠す場所はない。
少し戻って曲がり角に身を隠そうか、と思った時、少し先の壁にかかった鏡の額にさっきの子猿が座っているのを見つけた。俺の懐中時計を開こうとしきりにボウの部分を手で引っ掻いている。
そうかと思ったら、猿が時計を取り落とした。
落下した懐中時計が大理石の床に落ちてカランと小さな音を響かせる。
「何の音かしら」
という女性の声が前方から聞こえた。
青くなって懐中時計に急いで駆け寄り、それを拾って取り戻す。
鏡の額にいた子猿がそれを見て俺に飛び掛かってきた。まだこの時計が気になっているらしい。
「っこら」
ごく小さな声で叱り、焦って猿を押しのけようとしたら、伸ばした手が鏡面に当たり、そのまま沈み込んだ。
「え?」
ぶつかるはずの鏡面に手が潜り込んでいる。
なんだこれ。
唖然としていると、前方からこちらに向かってくる足音が大きくなった。
どうする、と逡巡した時、猿が俺の肩から鏡に向かってぴょんと飛んで、その中に吸い込まれていった。
瞠目してその姿を見つめていたが、もうすぐそこまで近づいてくる足音を聞いて、俺は思い切って埋まったままの腕をもう少し前に出してみた。
何の抵抗もなく鏡の中に身体が潜っていく。
ただの薄い膜があるだけのような感覚で、鏡の向こうに別の空間があるのがわかった。
足音は間近に迫っている。
俺は目を閉じて息を吸い込むと、鏡の中に体を滑り込ませた。
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