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第二部

二十六話 色異なる六人の乙女の話 前①

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 次の日の朝、自らの手で朝食を持ってきてくれたマスルールは、鳥籠の中にトビがいないのを見て、次に俺の服の膨らみを見て、ため息を吐いた。今日の彼は昨日の夜はしていなかった白いターバンを巻いている。

「鳥はどこに行ったのです」
「……逃げちゃいまして。すみません」

 窓が開かないのに? という問いはなかった。彼はただ眉間に皺を寄せて深くため息を吐くと机の上にトレイを置いた。

「大人しくしていると言った話はどこへ?」
「いや、してます。大人しく。今日も部屋から出ませんから」

 わざわざ外に出て危険を冒す必要はない。
 夜まで大人しく部屋に居ればいいのだ。

 そう思って力強く宣言したら、彼は微妙な顔をしてから頷いた。

「そうしてください。今日は王宮の行事で私は夕方まで来られません。食べるものは厨房に置いておきましたから、好きな時にどうぞ」
「ありがとうございます」

 今日も有能な側近は気遣いが素晴らしい。
 彼の服装が昨日より小綺麗だと思ったら、何か行事があるんだな。
 間違いなく彼の頭痛の種を増やしていることにはすまないと思うが、ありがたく好意はいただくことにした。
 俺の首輪が外れていないから放っておいても下手なことにはならないと判断したのか、放置してくれることにしたらしい。

 マスルールが部屋から出て行ってから、俺は軽く朝食を食べてトレイを持って廊下に出た。しばらく探して見つけた厨房にトレイを下げ、流しで皿を洗っておく。調理台の上には果物やパンが置かれている。トビのためだったのか、干し肉や魚もあった。結局トビがどこに逃げたのかは聞いてこなかったな。なんでだろう。鳥が消えるのはラムルではそんなに不思議なことではないんだろうか。そんなはずはないと思うんだけど。
 部屋に戻りながら、卵の様子を触って確認する。オズワルドが上手く固定してくれていて歩いたくらいではスカーフが解ける心配はない。保温するための魔法陣も卵に貼っておいたから、触ってみるとほのかに温いし大丈夫なんだろう。
 ちなみに俺は朝ぼんやり目を覚ますと、オズのことを忘れていた。
 一体俺はなぜここにいるんだ? と一瞬パニックになりかけて、両手で抱えていた不死鳥の卵と彼に巻かれたスカーフを見て思い出した。卵を見ればなんとか王子のことを思い出すが、それでも時々まるで自分が一人で不死鳥の卵を追ってきたように感じることがあって気が滅入る。本人の性格はあれでも、記憶阻害の力は侮れない。もう両手の甲にオズワルドのせいってペンで書いておいた方がいいかもしれない。

 何故か不死鳥の卵を温めるという謎な展開になってしまったが、今日一日の辛抱だ。あとは日がな一日部屋でぼんやりしていよう。



 そう思ったのに、平穏は長く続かなかった。

 

「ここにいたか」

 突然後ろから声がして俺はびくっと椅子から飛び上がった。
 やはり卵を抱えたままではよく眠れなかったから、朝食の後椅子に座って片手で卵を支えながらうつらうつらしていた。そうしたら急に部屋の中に人の声が響き渡ったからぎょっとして意識が覚醒した。
 慌てて振り返ると、部屋の真ん中にアシュラフ皇帝が立っていた。昨日と同じ白い民族衣装の上に、昨夜着ていたよりも更に豪華な刺繍が入った黒い上着を着た皇帝と目が合う。

「こんなところにいたとは。マスルールも上手く隠したな」

 鼻で笑ってそう言うと、彼は俺の方につかつかと近づいて来た。

 おいおい。
 王様来ちゃったけどどうすればいいんだ。
 さっき今日は王宮で行事があるって言ってなかったっけ? この人ここにいていいのか?

 出来たばかりの絹糸のようにさらさらとした艶のある白に近い金髪が、皇帝が歩くたびに揺れて輝く。
 昨日はよく見えなかったが、明るいところで見るとアシュラフ皇帝の瞳は青空のように澄んだ水色だった。

「ん? 卵は……ああ、お前が持っているのか」

 目の前まで来た彼は無遠慮に俺の服を片手で捲ると、もう一方の手でタオルに包まれた卵を軽く触って存在を確認した。
 机の上に置かれた空の鳥籠を見ながら軽く唇をゆがめる。その青い瞳の色が怪しく光ったような気がした。

「逃げたか。……そのままでも良かったが、これはこれで面白い」

 そう言うとアシュラフ皇帝は卵から手を離し、椅子に座ったまま困惑している俺の二の腕を掴んで引き上げた。

「立て。行くぞ」
「えっ、ちょっと」

 細身の身体のどこにそんな力があるのか、と驚くほどの力強さで立ち上がらされる。俺より少し背が高いだけのまだ少年といった風貌なのに、俺がたたらを踏んで腕に体重をかけても身体が全くぶれない。それどころか腰に腕を回してきてがっちり掴まれると、彼は何の前振りもなく急に転移魔法を使った。
   

 突然のことで狼狽える間も無く、目の前に広大な広間が現れた。煌びやかな民族衣装を身に纏って床に敷かれた絨毯に座っている大勢の人がいて、俺たちの方を驚きの表情で注目していた。
 大きなガラス窓と真っ白な太い石柱に、大理石の美しい床が広がる天井の高い壮麗な広間。俺がアシュラフ皇帝に抱えられて立っている場所は他の人がいるところよりも一段高く、真紅の絨毯とふかふかのクッションが敷き詰められている。多分これ玉座じゃないのか。
 
 ヤバいな。
 ヤバい空気だなこれは。

 静まり返った広間を俺は恐々と見回して、比較的玉座に近い位置に立っていたマスルールと目が合った。
 眉間に皺を寄せた彼は、ため息も吐かずに俺を見ている。

 なんでそんな事になるんです、と言う目で見てくるが、俺に言わないでくれ。
 それは俺が聞きたい。

大臣ワジール、妃として選んだ者に取らせる褒美として、昨日手に入れた不死鳥の卵をやろう。これで褒美を用意する時間が省けるだろう。直ぐにでも試験が始められるな」

 アシュラフ皇帝がワジールと呼んだのは玉座のすぐ前に平伏していたお爺さんだった。濃い紫色のターバンを巻いて、民族衣装の上に上質な黒い上着を着たクラシカルなスタイルのお爺さんだ。偉い立場の人なのかもしれない。
 皇帝が言い放ったことを聞いて真っ青になった身なりの良いお爺さんは、「不死鳥の卵……?」と上擦った声で言いマスルールの方を見る。

「……昨夜、陛下がとある場所でお求めになり、買い上げました」

 マスルールが眉間の皺を更に深くしてその問いに渋々答えた。お爺さんは卒倒しそうな顔になって隣にいた男性に支えられている。六十億も散財したって聞いたらポックリ逝っちゃうかもしれないな。
 もしかしたらこのお爺さんが昨日彼が話すと言っていた宰相なんだろうか。品が良さそうなお爺さんは、アシュラフ皇帝の言葉に今にも召されそうになってるけど。

「不死鳥の卵だぞ。六女りくにょ典礼の褒美として不足あるまい。卵はこの召使いが腹に抱えている。嘘だと思うならこいつから取り上げて確認しろ」

 そう言ってアシュラフ皇帝は隣に突っ立っている俺の服を無造作にめくってスカーフに包まれた膨らみをお爺さんに見せた。タオルで包んであるから殻も見えないだろうが、何かがあるということはわかるはずだ。事実、大臣のお爺さんも後ろに座っている身分の高そうなおじさん達も皆俺の腹に注目している。
 突然大衆の前で服を捲られている俺は未だに状況が掴めず呆然と突っ立っていた。

 なんだこれ。どうしたらいいんだ。
 何故俺は知らん国の王宮で偉そうな人達に腹を晒しているんだ。

「だからくだらない言い訳はやめてさっさと始めろ、ワジール」

 どちらかというと黙っていれば可愛げがある顔の年若い皇帝は邪悪な笑みを浮かべ、立ったままの俺を放置して自分はクッションの中にどさっと座り込んだ。

 なんか、聞き間違いじゃなければさっき不死鳥の卵を妃への褒美にするって言わなかった?

 俺が目を白黒させている間に、アシュラフ皇帝はつまらなそうに欠伸をするとお爺さんに冷たい視線を投げた。

「ワジール、どうした。早くしろ。それとも候補を絞れないというなら私が適当に決めて他は全て殺してもいいが」

 本当にそうすると感じさせるような冷酷な声が広間に響き、お爺さんと固唾を飲んで様子を伺っている人々の顔が引き攣った。

「我が君、それでは本当に六女典礼を始められるのですか?」
「そうしろと言っている。なんだ、お前たちの方が私に早く妃を娶らせたいのではないのか。私が二十になるまでもう四年もないんだぞ」

 言いながらおじさん達を嘲笑って片膝を立て、片手で頬杖をつくとアシュラフ皇帝がにやにやしながら人々を眺めまわす。

「儀礼に則って典礼を始めるのかと思いきや形だけの儀式を執り行うだけで、妃に取らせる褒美の用意が間に合わないなどと言い訳を述べて鐘を鳴らすのを遅らせようとするから、私が直々に用意してやったんだろう。不死鳥の卵だぞ。不服あるまい。産まれたら私と妃でその身を分けて食べようではないか」

 ぞっとするようなことを言う王様に俺はじりじりと足を動かして少し距離を取った。
 その時微かに片手で支えた卵が揺れた気がした。
 え? と思って両手で服の上から押さえてみる。

「食べたら不老不死とまではいかなくとも、不老にはなるかもしれないな。面白い。私がそのうちこの国を滅ぼしてしまうまで、一緒に不死鳥を食べた妃のことは可愛がってやろう」

 そう言い放って高笑いするアシュラフ皇帝を、もうおじさん達もお爺さんも真っ青な顔をして見つめていた。
 悪魔が乗り移ってると言われるのもわかる。言ってることがめちゃくちゃだ。
 皇帝のセリフを聞いて、卵がまた微かに震えた。もしかして、話している言葉が聞こえているのか。

 確かに、産まれたら食べるとか言われてるの聞いたら怖いよな。

 俺は卵をそっと撫でて周りには聞こえないくらいの声で囁いた。

「大丈夫。ちゃんとお母さんのところに連れて帰ってやるから」

 小さな声でそう言うと、卵の震えが止まった。安心したのか。やっぱり声が聞こえているのかもしれない。
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