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第二部

十六話 不精な若者の思惑 後①

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 バシンッ

 気を抜いていた彼の頬にまともに当たり、オズワルドは目を丸くして数歩よろけた。

 やっちまったわ。
 王子様殴った。
 でももういい。
 うちの実家には末の息子を心配して世話を焼きたがるモンペ予備軍の両親と、なんだかんだ俺には甘い切れ者の兄がいる。
 それに俺には俺を溺愛する人間兵器の恋人がいるんだ。不敬罪で訴えられても負ける気はしない。絶対に勝訴してやる。

 頭の中で一瞬でそう考えてから、頬を押さえて俺を見つめるオズワルドを睨んだ。

「あんた、いい加減にしろよ。いくら周りの人間が自分のことを忘れるからって、やっていいことと悪いことがあるだろう」

 そう冷たく言うと、彼は瞬きした。

「みんな忘れるからって、あんたがしたことは無かったことにはならない。些細なことでも、人を傷つけたことは、無かったことにはならないんだ。それはやったあんたが一番よくわかってるだろう。面白半分に我を通すあんたのやり方は、俺には不快だ。人に嫌なことをするなって子供の頃に教わんなかったのか。やる前に思いとどまれよ。じゃなきゃこの先あんたはもっと孤独になる」

 怒りを込めて言い捨てる俺の声を、目を見開いたまま聞くオズワルドは真顔だった。いつもの調子の良い笑顔がなりを顰めて、やけに静かな素の表情で俺を黙って見ていた。

「人が忘れるからって、何やってもいいなんて思うな。忘れられたくないからって、何でも大袈裟にしようとするなよ。協力してほしいならそう言え。無理矢理やらせるんじゃなくて、ちゃんと言葉に出して言えよ」

 大声で怒鳴らないようになるべく苛立ちを抑えて怒ったが、それでも言葉の端々に刺は出る。気づいたら敬語はどこかに飛んでいってしまった。

 相手は王子だが、これだけ迷惑かけられてるんだから少しくらいキツく言ったって許されるだろう。王子の事情もそれなりに汲みたいとは思った。さっきのが単なる俺への嫌がらせや面白半分に遊んでるだけなら俺だって容赦なくもう十発くらいは殴ってるが、王子の場合半分はそうじゃない。ふざけていても、彼の人の反応を見る目は時々妙に冷静だ。
 きっと、本心では忘れられたくないんだろう。あれだけ軽口を言っていても結局人から忘れられるのが怖いんだ。だから人の印象に残りたくて、抗おうとする。でもそれに巻き込まれるこっちはいい迷惑なんだ。

「あんな茶番に毎回付き合わされるのは御免だ。あんたが内心でどんな葛藤があるのか俺は知らないけど、あんたはもう少しやり方を考えろ。俺はマジでムカついてる」

 そう言うと彼はしばらく黙って、ぼんやりと俺を見つめた。

「だって、君は俺を忘れるだろう」

 だからだよ、というような返事にまたイラッとした。

「知らねーよ。あんたの心象なんか。こっちは巻き込まれて来たくもない国に拉致されてんだよ。その上いちいちおかしな茶番に付き合わされたら誰だってキレるだろう。あんたは、皆にすぐ忘れられるもんだから人との接し方忘れかけてるだろ。人の気持ちを推し量れよ。嫌われたくなきゃ人が嫌がってることすんなって言ってんの」

 王子様相手にこんなに言っていいのか? と頭の中で一瞬思ったが、ここまできたらもう気が済むまで言ってやれという心境だった。

 複雑な葛藤があるなら俺が見ていないところで膝でも抱えて思う存分浸ってくれればいい。
 それなのに本人も無自覚なのか、明るく振る舞う素振りの端っこにそうした葛藤が透けて見えてくる気がするからタチが悪い。悪ふざけするにしても、彼に根っからの悪意がないようなのも腹立たしい。本当に、よくわからない男だ。笑顔で無理を通してくるくせに、時々こちらをやけに冷静な目で見てくる。
 そしてこの王子の心情なんか見ない振りをしてさっさと見捨てられない俺も俺だ。

「レイナルド、俺のこと嫌い?」

 ぽつりとそう言ったオズワルドの顔は何となく幼い子供のような顔をしていた。
 その顔を見て、俺は眉を寄せる。

 もしかして、この人は幼い頃からだんだん周りに忘れられていったから、正常な人間関係を築く方法を知らないんじゃないのか。だから変に強引だったり笑って誤魔化そうとしたりするのか。
 そう考えると、同じくらい幼少期から正常な人間関係を築くのに困難をきたしたはずのグウェンは無口だがまともだし、優しいし、出来た奴だと思う。さすが俺のグウェン。ちょっと執着気味で偶に天然なところはあるが、そこもかわいい。

 少し脱線した思考を戻して、俺はオズワルドを冷たく見つめた。

「好きとか嫌いとか、判断できるほどあんたのこと知らないし、興味ない。まぁ、言うなれば嫌いの方に傾いてるけど」

 そうバッサリ言うと、ガーンという文字が頭の上に見えるような顔で目を見開いた王子は見るからに肩を落とした。
 今までの飄々とした態度がどこかへ消えて、急に十歳くらい若返った子供のような顔で泣きそうに眉尻を下げる。

「不快にさせて、ごめん、レイナルド。俺、本当は、久しぶりに俺のこと忘れないでいてくれるレイナルドを見つけて、嬉しかっただけなんだ」

 小さな声でそう言うと、オズワルドはその場にしゃがみ込んでしまった。
 呆気に取られた俺の耳に、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえる。
 彼は泣きそうな顔をして、目に涙を浮かべて俺を見上げてきた。

「だから、嫌いだなんて言わないで」



 は?



 どういうこと?
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