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第一部

番外編 オルタンシア・マルスの考察 後

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 あの色恋沙汰には一貫して無関心を貫いていたレイナルドに、男の恋人ができた。

 これは、早急に相手の素性を確認しなければならない。と、私は思った。
 なぜなら、レイナルドはお姉さまの夫であるルウェイン様の親友。お姉さまとルウェイン様は、レイナルドのことをなんだかんだ気に入っていて、この男がおかしなことに巻き込まれると心配するのだ。つまり、レイナルドが変な男に引っかかっていたら二人は心配してあれこれ口を出す。その分お姉さまが私といる時間が減る。

 私はレイナルドにつかつかと歩み寄り、彼の上着を掴むとそれをバリっと開けた。
 ボタンが一つか二つ、弾け飛んで床に転がっていく。

「ちょっ、オルタンシア」

 驚くレイナルドの上着の内ポケットに手を突っ込み、いつもそこに入れているはずの彼の懐中時計を手に取る。
 出してみて、その見慣れない時計に掘られた家紋を見て瞠目した。

「まさか……フォンフリーゼ公爵?」
「恐ろしいことを言うな!! 違うよ!」

 冗談で言ってみたらレイナルドは全力でツッコミを入れてきた。
 私も流石にそれはないと思う。
 万が一そうだったらちょっと、これからのレイナルドとの付き合いを考えさせてもらわないといけなくなるところだった。

「じゃあ……団長の方ね」

 あまり評判の良くない弟の方だったら事案だが、私がそう言うと、レイナルドは明らかに顔を赤らめたので内心ほっとした。

 団長なら、人選としては、有りだ。
 私は寡黙で勇壮な騎士と噂に名高い近衛騎士団長に会ったことはないが、真面目で有能だと聞く。それに叡智の塔のファネル総帥の孫だし、公爵家の長男という肩書きも気に入った。レイナルドを介して色々利用価値がある。

 私は、赤くなった顔を手の甲で隠してため息を吐くレイナルドをじっと観察した。

 レイナルドは以前に比べて少し痩せた。それが最近また調子を取り戻してきた様に見える。

 レイナルド・リモナという人間は、調子が良くて、いい加減で、頭はいいくせに自分の好きなことにしかそれを発揮しない、能天気で、たまに救えないほど無鉄砲な真似をする、総じて愚かな男だ。

 でも、この男は人を見捨てない。
 目の前で溺れる者を見捨てることができない、そういう種類の人間だ。
 見ているこっちの心臓が凍るようなことを、この男は時々平気でする。

 だから少し前に突然勾留されて、査問会まで開かれた謎の騒動の顛末はよく知らないが、彼が一連の騒動が収まって少し経ってから、だんだん痩せていったのは気付いていた。
 いつもならこういう時はルウェイン様やお姉さまが構っているのに、今回はそれがなかったから私も特に気にしていなかった。
 それがあの団長のおかげで、お姉さま達の手を煩わせることなくレイナルドが持ち直したなら、団長は将来有望な人材だ。逃す手はない。
 この際だから、近衛騎士団長にはレイナルドの手綱をしっかり握ってもらって、彼がもう二度とお姉さまとルウェイン様を煩わせることがないようにしてもらいたい。

 吹き飛んだボタンを見下ろしたレイナルドは、「君たち師弟はさ、偶に武力に物言わせるところがあるんだよね……」とため息をついていた。

 「これウィル付け直せるかなぁ」と呟きながらかがんでボタンを拾うレイナルドの白いうなじを見下ろした。
 私はそこに意外なものを見つける。
 シャツの襟から少しだけはみ出した、赤い鬱血。

 私はそれを見てほう、と頭の中で考察を始めた。

 近衛騎士団長は、本人が気付かないような位置に口付けの跡を残すようなタイプの人間なのか。
 それは襟の内側をのぞいた者に見せる牽制の跡で間違いない。
 男同士で付き合っていて、他人から見てそうと捉えられる懐中時計を平気でレイナルドに持たせているし。

 ということは、あの真面目で堅物という噂の団長は、心配性で、束縛が強く、そしておそらくかなり嫉妬深い。

 私はさりげなく自分の唇の端に指を当て、ルージュを少しだけ拭った。

「襟、曲がってるわよ」

 そう言って、かがんだレイナルドの首の後ろに私は手を伸ばした。襟の内側と首筋にさっと指で触れる。

「ん? ああ、ありがとう」

 レイナルドがボタンを拾い終わって立ち上がり、私はその場を離れると自分の机に向かった。

「レイナルド、これ、今日団長に渡しなさい」
「え?」

 私は机の上に置いてあったチョコレートの袋を掴んで、彼に差し出した。戸惑った顔をしたレイナルドに軽く微笑む。

「団長様には、これから色々お世話になるかもしれないから。ボードレール商会のオルタンシアからご挨拶ですってお伝えして。必ず、今日よ。痛むと美味しくなくなるの」

 乾燥したフルーツとチョコレートに痛むも何もないのだが、とにかく今日これを団長に渡しに行かせなければならない。私は珍しく微笑みを浮かべてレイナルドにショコラティエの袋を掲げる。

「う、ん? わかった。ありがとう」

 素直に受け取ったレイナルドを見て、私は機嫌良く、部屋の壁際に架けられたカレンダーに歩み寄った。

 団長は、いくつ気がつくだろう。レイナルドのボタンのなくなった上着と、シャツの襟の折り返しについたルージュの跡。それからわざと首筋の鬱血の跡に擦りつけた、紅い跡に。
 団長のところに行く前に彼が上着を替えてしまったら残念だが、愚かでズボラなレイナルドがボタンのない上着のまま団長に会いに行ってくれればなお良い。せめて襟と首筋についた私のルージュの跡には、最低限気づいてもらえるだろう。それからこれ見よがしに送った、ご挨拶のプレゼントにも。
 心配性で嫉妬深い団長なら、今日の夜、私の期待通りの行動を起こしてくれる。
 きっと、レイナルドは団長にそれはもう構い倒されるだろう。

 明日私に会う予定に支障が出るくらいに。

 新しいパズルを見つけた時のように楽しい気分になった。

 私は唇に笑みを浮かべ、カレンダーに書かれた明日の会議の予定に二重線を引いた。
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