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第一部
番外編 ルネ・マリオールの失恋 後①
しおりを挟む噴水から出た私を見た彼は、少し考えた後レースの手袋を脱いで地面に投げると、自分の羽織っていたボレロを脱いだ。
「ちょっと貴方!」
ボレロの下には黒いスタンドカラーの半袖のブラウスを着ていた。薄手のオーガンジーが一枚シンプルな黒い半袖の上に被さっているだけの、あまりヒラヒラしていないデザインだったので男が着ているとわかっていてもあまり違和感はなかった。よくよく見ると彼が着ていたのは上下が繋がっているドレスではなくて、スカートは腰に巻き付けて止めてあるようだった。男の骨格だから、女性の既製品はさすがに無理だったんだろう。
ゆとりのあるボレロの下から現れたのは、確かに男の身体だった。私はつい赤面してしまう。
「俺が着てたので悪いけど」
と言って彼は私の肩にボレロをかけた。
それから「ちょっとごめんね」と言って自分のスカートをごそごそ触る。
「これどうやって留まってんだよ」
とぶつぶつ言いながら、彼は何の躊躇いもなくスカートを腰から引っ張ってブチブチと剥がした。
突然の蛮行に私は真っ赤になって「何してんのよ!」と大声をあげる。
「あ、ごめん驚かせて。大丈夫ちゃんとズボン履いてるから」
スカートを取り去ると、下からは西方の国のサルエルのような、薄くて膝下で裾が窄まった黒いズボンを履いた足が現れた。「絶対素足は嫌だって抵抗しといて良かったな」と言いながら、彼が腰の後ろに固定していたスカートの膨らみを出すための小振りのバッスルを外す。
それから自分のいでたちを見下ろして、「さすがにこれはキモいな」と言い、上のインナーをまくって胸からお腹にかけてがっちり前ボタンで留まっていた矯正下着を外した。薄い腹筋がちらりと見えて私は慌てて視線を逸らした。彼は取り去った矯正下着をくるくるまるめて、ごしごしと唇のルージュをぬぐった。靴は仕方がないからそのままで諦めたらしい。
ドレスの下から、ちゃんと男が出てきて私は少し戸惑った。
こうして見ると、多分男にしては彼はかなり華奢な方なんだろう。肩幅は女よりあるが、身体は薄いし、すんなりした腕と足に妙に視線がいってしまう。
彼は私の前に膝をついてしゃがむと、剥がしたドレスの布を私の濡れてしまったドレスに押し当てて水気を取り始めた。
「ちょっと。そのスカートダメになるわよ」
私が言っても彼は「いいのいいの」と言ってスカートの裾を慎重に持ち上げてぽんぽんと水気をとる。
「この生地、あまり水吸わないんだな」
と言って悩んだ後、「ああ、そうか。俺はバカだな」と呟いてズボンのポケットから小さな羊皮紙を取り出した。
彼がそれを指で挟むと、そこに描かれた小さな魔法陣から風が出る。多分結構強めの温風。
驚く私の足元にしゃがんだまま、彼はその風で私のドレスを乾かし始めた。
「貴方、何それ」
「試作品なんだ。まだ持続時間が長くないから、全部乾くかはギリギリだけどね」
そう言いながら彼はスカートを乾かしていく。「寒くない?」と聞かれて首を横に振った。
本当は水に濡れた下半身が冷たかったが、明らかに水に浸かったという姿で館の中に戻りたくない。何かあったことが周りに知られてしまう。それがわかるから多分彼は中に入ろうとは言わなかった。
途中で裾よりも膝と腰の辺りを温めた方がいいとわかったのか、彼は少し上に向けて風を当ててくれた。温かい風がスカートの中に入り、ほっとする。
無言の時間が少し気まずくて髪をかき上げたとき、片耳にイヤリングがないことに気がついた。
「あ」
四阿から出た時はあったから、噴水に落ちたときに落としたのかもしれない。気に入っていたのに。
噴水の方を見て私がため息を吐くと、彼は顔を上げて、私が触っている耳元を見た。
「イヤリング、噴水に落とした?」
「そうみたい。でも、いいの。仕方ないわ」
私がそう言うと、彼は立ち上がって羊皮紙を私に渡した。
「風が弱まってきたら呼んでね」
と言って、噴水に向かって行くと、躊躇いなくその中に足を入れる。
「ちょっと!」
濡れるのに構わずザブザブと私が落ちたあたりに歩いていくと、彼は膝をついて手で噴水の底をさらい始めた。
「ちょっと! そんなことしなくていいわ!」
度肝を抜かれた私が慌てて噴水の端に駆け寄ると、彼は顔を下に向けてイヤリングを探しながら、「うん。でも……」と呟いた。
呆気に取られる私の前で、彼は噴水の底にじっと目を凝らす。
ざぶざぶと、彼の手が噴水の水をさらう。顔を水面に付くくらいに近づけて、私のイヤリングを探している。
その姿を見て私は言葉を失った。
しばらくして、「あ、あった」と嬉しそうな声を上げた彼は、手を水から出して本当に真珠のイヤリングを見つけてしまった。
イヤリングを月明かりに照らして確認した彼は、噴水からザバっと立ち上がり、台座を跨いで地面に降りると私に近づいて来た。
呆然とする私と目が合うと、彼は嬉しそうに目元を緩めた。
「すごく似合ってたから」
そう言ってにこりと笑って、彼は私にイヤリングを差し出した。
水に濡れた真珠は月明かりに照らされて受け取った私の掌の中でつるりと輝く。
「……ありがとう」
私は小さな声でお礼を言った。
どうしたのだろう。
私の心臓がおかしい。
こんなのおかしい。
私は、さっきまで失恋して、泣きたいくらい酷い気持ちだったのに。
こんな、女装趣味が疑われる正体不明の男を、格好良いと思ってしまうなんて。
私は彼の顔を見つめた。
私を見る彼の嬉しそうな顔を見て、何かが自分の中に芽生えてしまうのを感じた。
この気持ちを何というのか、私は知りたくない。
私がイヤリングを受け取ると、彼は魔法陣が描かれた羊皮紙をもう一度受け取り、私の後ろに回って膝下の生地を乾かしてくれた。
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