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第二部

四話 蕾の薔薇と世の喜び《開演》 中②

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 そういえば、グウェンがオルタンシアに直接会うのは初めてだったか。

 以前にオルタンシアから嫌がらせで首の後ろに口紅を付けられ、それを後からグウェンに見られて俺は怒られたし、その後文句を言いに行ったら今度は女装してパーティー会場に潜入しろと無理難題を要求された。どうやったら女装した上で社交界のインフルエンサーに近づけなんていうとんでもない発想になるんだ。絶対に嫌だと抗議したら魔道機関車の事件で被った被害の弁済をしろと強行されて、あれは俺の忘れたい黒歴史の一ページになったんだ。あの時も結局仕事で偶然パーティー会場に現れたグウェンに見つかって秒でバレて、屋敷に帰ってから色々大変な目にあった。
 思い出したら最近オルタンシアに関わった碌な思い出がない。グウェンも名前だけは知っていたオルタンシアを絶対警戒している。彼女の名前を聞いた途端、俺のすぐ脇に近付いてきた。何かあったら俺を抱えてすぐに立ち去ろうという気配を感じる。
 オルタンシアの方もグウェンに何か含みがあるような言い方をするし、二人は初対面のはずなんだけどなんでお互いを警戒してるみたいな雰囲気なんだろう。

 俺は二人を見比べて首を傾げた。

 ソフィアから見える角度では可憐に微笑むいたいけな令嬢の顔をしているオルタンシアだが、確かに彼女の本性は苛烈だ。ソフィアがグウェンドルフに話しかけた一瞬で俺の方を見て、「は・や・く・き・え・て」と口だけで伝えてきた。鬼のような目で。

 文句を言ってくるやり口がユーリスにそっくりなんだよ。
 ソフィアとのデートを邪魔したのは悪かったけど、その二面性はどうにかならないのか。
 ユーリスも似たようなものだが、この夫婦に継承される伯爵家の未来は大丈夫なんだろうか。
 俺が内心ため息を吐いていると、ソフィアがついと俺の方を向いた。

「ところでレモ、気付いているか?」
「……気付いてるよ。グウェンも気付いてるよな」
「ああ」

 不思議そうな顔をするオルタンシアに、ソフィアが顔を向けずに広場の方を指差す。

「不審な動きをしているだろう。あの馬車」

 そう言われてオルタンシアが先程広場で大きな荷物を積んでいた馬車に視線を送って注目した。

「もう夏だっていうのに、炭売りがいるのはどう考えても不自然だよね。あの大きな荷物も」

 俺は今にも走り出そうとしている馬車を横目で見ながら言う。
 まるで何か人には見られたくないものを運んでいるようだ。馬車の荷台に積んだ荷物の箱は、人間が一人くらいは余裕で入る大きさがあった。
 箱を運び込んでいた男たちも、炭を売る商売人に扮してはいたがどう見ても善良な市民ではない顔つきをしていたと思う。

「追うか」
「……そうだね。怪しかったから確認してみよう。でもこんな人がたくさんいるところで騒ぎは起こせない。こっそり追いかけようか」

 ソフィアの問いに頷いた。グウェンを振り仰ぐと彼も首を縦に振って同意する。
 成り行きでボードレール商会の女子二人に遭遇したけれど、これはこれで良い戦力だ。特にソフィアは武力的に頼りになる。
 ソフィアが立ち上がり、オルタンシアを見下ろした。

「シアは、危険だからここで待っているか」

 ソフィアがそう聞くと、オルタンシアは首を横に振った。

「私も行きます。お姉さまだけ危ない目に遭わせるわけにはまいりませんわ」

 キラキラした瞳でソフィアを見上げるオルタンシアに頷いて、ソフィアが彼女の髪を軽く撫でた。

「わかった。危険かもしれないから私から離れるなよ」
「お姉さま……」

 真剣に言うソフィアを恍惚とした表情で見上げるオルタンシア。二人の周りにピンクの花が咲き乱れているのが見えるような気がした。

 俺たちは一体何を見せられているんだ。
 怪しい世界を垣間見てしまった気がして、俺はグウェンの方に一歩後ずさった。



「レモ、走って追うでいいのか」

 カフェのテラスから出てきたソフィアがオルタンシアの荷物を自分の鞄の中にまとめて入れながら言う。彼女の今日のスタイルはオルタンシアの希望なのかシャツに薄手のスラックスとヒールの低い革靴という女性には珍しい格好だった。でも凛々しいソフィアにはよく似合っている。

「うん、飛んでったらめちゃくちゃ目立つし、辻馬車で追うのも途中で向こうに気付かれるでしょ。多分しばらく人通りの多い道だからそんなにスピード出せないはずだし、このまま追いかけようか」
「そうだな」

 ソフィアが頷いて、俺達四人は走って馬車を追った。オルタンシアはヒールの靴でなんなくついてくる。すごいな。俺は女装させられた時なんかそこまで高くないヒールでも走るなんてとても出来なかったぞ。

 そのうち、人通りの少ない路地に入り馬車がスピードを上げた。
 走りながらソフィアが口を開く。

「どうする。そろそろ馬車を止めた方がいいだろう」
「うん。魔法で馬の足を止めてもいいんだけど、そうすると荷台の方がバランス崩して横転する可能性があるんだよね。運んでた荷物の中に何が入ってるかわからないからなぁ」

 昨日の反省を活かしてそう言うと、横からオルタンシアが口を出してきた。

「時間がもったいないですし、いっそ、ほろを燃やしてしまうというのはどうでしょう。そしたら流石に馬車を止めて皆降りてくるのでは? 私、火の加護がありますから撃ち抜きましょうか?」

 何処から取り出したのか、手にライターを持って恐ろしいことをさらっと言い放つオルタンシアに、ソフィアがやはり真面目な顔で首を横に振った。

「いや、もしかしたら本当に炭を積んでいるかもしれない。火はやめておいた方がいいだろう」

 いや、そういう問題か? それ以前にまだあれが本当に不審者なのかどうかわかってないからな。

「怪しいことは怪しいけど、万が一誤解だった場合に備えて馬車に損害を与えるのは避けた方がいいと思う」

 そう釘を刺してから、俺は隣を走っているグウェンを横目で見た。

「グウェンは何か考えある?」
「……馬車ごと浮かせて進行を止めれば済むのではないか」

 確かに。

 普通、あんなに人が乗っていて重量がある馬車を浮かせるなんていうことは、余程の魔力量がない限り思いつかないだろう。風の加護を持っている俺でもたじろぐレベルだ。
 そう言われてみれば、唸るほどの魔力量をもってる奴が今一緒にいるんだったな。

「じゃあそれで行こう。馬車を浮かせて止めた後は、乗り込んで中の様子をうかがってみて、やっぱり不審者だったら制圧するってことで」

 俺の言葉にソフィアとグウェンドルフが頷いた。

「お姉さま、こちらを」

 と言ってオルタンシアがソフィアに何かを差し出す。よく見たらそれは鋭利な棘のついた鋼鉄のナックル、前世の俗な言い方をすれば、メリケンサックだった。

「こんなこともあろうかと、持ってまいりました。力も込めておきましたわ」
「準備がいいな。シア、ありがとう」
「とんでもないですわ」

 オルタンシアがソフィアから荷物を受け取って代わりにその武器を渡す。
 俺は彼女たちのやり取りを半目で見て視線を逸らした。

 俺は何も言わないぞ。
 どうしてそんなものを、とかここで冷静に突っ込んだらいけない。どうせいつも使ってる品だから、とか、ちょうどメンテナンスから戻ってきたところで、とか更に恐ろしい気持ちを抱かせるようなことを言うに違いない。

 見なかったことにしよう。

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