悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第一部

番外編 ルネ・マリオールの失恋 中①

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 ショックを鎮めようと、私は夜の中庭に出た。
 月明かりに照らされた庭は建物からの光に照らされて雰囲気はいいが、春とはいえ夜は肌寒いから散歩をしている人はいない。
 雰囲気のある噴水の広場を通過して、少し奥に歩いて行くと四阿を見つけた。中に誰もいないことを確認して私は中に入る。石造りの四阿は置かれたベンチも冷たいが、ジャガードのスカートは生地が厚いから構わない。
 ベンチに座り込んで、私は嘆息した。

 どういうことなの。
 グウェンドルフ様が、まさか男にあんなことをするなんて。
 今まで一度として目にしたことも、耳にしたこともない彼の姿が衝撃的で、私は声をかけることすらできなかった自分に失望した。
 
 はっきりと分かった訳ではないけれど、グウェンドルフ様のあの振る舞いは、あれではまるで……。

 その時カサカサと一人分の足音が近付いてくる音が聞こえた。
 女性ならまだしも、もしこんなところで男性に会ったら気まずい。
 帰ろうかとベンチから立ち上がった時、「酷い目にあった……」と呟く声が聞こえた。そちらを向くと、なんとさっきの帽子の彼が四阿の前を通るのを見つけてしまった。
 立ち上がった私の気配に驚いたのか、彼も四阿の外から「えっ?!」とこちらを見る。

 彼は、帽子は前が見えないのが不便なのか手に持っていた。長い金髪が頭の後ろで編み込まれていて、よく見るとそれは地毛に馴染ませたウィッグか付け毛なのかもしれない。
 こうやって見ると、彼は確かに男だ。
 ボードレール夫人のような方を知っているだけに、最初に見た時は同じ様にエレガントな背の高い女性にも見えたけれど、注意深く見るとほとんど肌が隠れたドレスから時おりのぞく彼の所作は女性のものではない。

「あ、ごめんなさ」
「あなた、グウェンドルフ様のなんなの?」

 私に謝って急いで帽子を被ろうとした彼の言葉を遮って、私は強い口調で言った。
 睨む私に驚いた彼が帽子を手に持ったまま固まる。

「え?」
「さっき、廊下でグウェンドルフ様とキスしてたでしょ。見てたんだから」
「ごほっ、え?!」

 盛大に咽せる彼を無視して、私は彼の男にしては大きな目を睨む。

「私の方がずっと前からあの人のことが好きだったのに」

 そう言うと、彼は目を見開いて私を見つめた。


 私はグウェンドルフ様のことが好きだった。
 数年前に、父に連れられて訪れたフォンフリーゼ公爵邸で初めてお会いした時からずっと。
 彼の寡黙な、真面目で男らしい精悍な顔つきに一目惚れした。あまり私のことには関心を示していただけなかったけれど、私は彼の目が私の姿を映してくれることをずっと願ってきた。
 だから一目でもお会いしたくてパーティーに通ったし、何度かフォンフリーゼ公爵邸にもお邪魔した。グウェンドルフ様のことが知りたくて、噂話や近衛騎士団の情勢を追いかけたりもした。

 でも彼は私には振り向きもしなかった。
 グウェンドルフ様があんなふうにキスをする相手がいたなんて、私は知らなかった。最近まで、絶対にそんな人影はなかったはずなのに。
 いつからこんな奇妙な男がグウェンドルフ様の側にいたのだろう。

 目の前で狼狽えている男を私は冷たい目で見つめた。
 私と目が合うと、彼は少し怯んでから帽子を強く掴み、それから大きく息を吐き出した。

「なんかとんでもないところを見せてしまったみたいで、申し訳ない。わかってると思うけど、俺は男で、こんな格好してるけどいつもは決してこんなんじゃなくて」
「そんなことはどうでもいいから早く答えなさいよ。あなたグウェンドルフ様のなんなの」

 ぐだぐだ言い始めた彼を遮って、私は睨みながら言った。四阿から出て、彼の方へ足を踏み出す。
 目の前まで近づいて、よく彼の顔を見ると確かに男にしては中性的で綺麗。でも私の方が断然可愛いと思う。なんでグウェンドルフ様はこんな男とキスしてたのかしら。

 彼は困ったように眉尻を下げて、言葉を探すように視線をそよがせた。

「なんというか……今のところ、恋人というべきか……」

 妙な言い方をする。
 今のところって何よ。
 恋人の先に何かあるような言い方に私はムッとした。
 もしかして、この男はそんなにグウェンドルフ様のことが好きではなくて、そのうち別れるつもりなんだろうか。
 あんな目で彼に見られておいて。
 
「今のところって、何なの。そんなあやふやな態度でグウェンドルフ様の側にいるなんて、許せない。私はずっと彼のことが好きだったの。中途半端な気持ちなら身を引きなさいよ。私は侯爵家の人間よ。彼の側には私みたいな可愛い女性がふさわしい。男と付き合ってるなんて、世間に知られたらグウェンドルフ様の名前にだって傷がつく。あなたじゃ彼の子供だって残せないじゃない。大した気持ちがないなら、早くグウェンドルフ様の前から消えて」

 冷たくそう言うと、彼は目を見開いて黙った。
 私の顔をまじまじと見つめて、それから急に彼の雰囲気が変わった。
 今までのおろおろした態度が嘘のように彼の纏う空気がすっと静かになり、真っ直ぐに私に顔を向けた。
 彼は真摯な意思を感じさせる瞳で私を見た。暗くて瞳の色はよく判別出来ないけれど、その瞳は思いがけず強い光を湛えていた。
 私はその目を見て、更に捲し立てようとしていた口を閉じた。
 彼は真剣な顔をして私を見つめた。

「あいつには、俺じゃ器が足りないってことは、わかってるよ。でも、俺はあいつのことだけは手離せないんだ」

 そう言って、彼は一度瞬きしてから困ったように苦笑いした。

「貴方みたいな可愛い女の子に、まさか自分がこんなことを言うなんて、俺も抵抗あるんだけど。……多分、あいつは他にも可愛いご令嬢にたくさん好かれてると思う。俺だって、あいつじゃなかったら、大人しく身を引いてる。世間体とか、子供のことだってその通りだと思う。でも、俺がもうあいつじゃなきゃ駄目なんだ。グウェンドルフがいないと、俺は多分生きていても楽しくない。あいつも同じで、多分、俺がいないとあいつは幸せになれない。だから何を言われても、あいつの手は離せない」

 離せない、と言った彼は穏やかに微笑んでいて、まるでそう言えることが幸せだという表情をしていた。

「世間から何を言われても、ずっと一緒にいたいんだ。君が、そんなに真剣な気持ちでグウェンのことを想ってくれていたのを知って嬉しい。今まできっと、君みたいな人が知らないところであいつのことを支えてくれてたんだろうな。ありがとう。でもごめんね」

 自分自身にも語るように、彼は穏やかな口調で私に言った。心から自然に溢れたように口に出した彼のその言葉を聞いて、私は彼がとっくに覚悟を決めていることを知った。
 何を言われても一緒にいたいと言い切った彼は、ちゃんとグウェンドルフ様のことを想っていた。
 私はそれを知って、最初の腹立たしさが消えていくのに気付いた。そして、私はやっぱり失恋したんだということを思い知った。

 私はきっと、グウェンドルフ様が私がいないと幸せになれないなんて、そんなことは言えない。

 だから彼が迷いなくそう言ったのを聞いて、私は自分の気持ちが既に彼に負けていることに気づいてしまった。

「俺があいつのことちゃんと幸せにするから、心配しないで」

 変わらずに真っ直ぐ私を見つめる瞳には、私への優しさと感謝が表れていた。その時月明かりが彼の顔に差し込んで、彼の瞳の色が緑色だということがわかった。
 その目を見たら、私はもう彼に諦めろなんて言えなくなってしまった。

 私とは全然違う。彼の目から伝わる彼のグウェンドルフ様への想いはただの一方通行の恋慕ではなくて、もっと深い、グウェンドルフ様を全部包み込んで愛しているというような、寛容さと優しさで溢れていた。
 だから、きっとグウェンドルフ様も彼のことをあんな目で見るのだ。

 私はため息を吐いて、彼を見上げた。

「いいわ。もう。あなたが中途半端な気持ちじゃないってことがわかったから。認めたくないけど、あんな顔をするグウェンドルフ様なんて、私は一度も見たことがなかった」

 あんなに、とても大事なものを見るような目で彼の足を見ていた。
 まるで愛しいものを愛でるように。
 グウェンドルフ様がそんな顔をするのだと、私は知らなかった。
 私が敗北するなんて認めたくないけど、二人の間にはもう他の誰かが入ることが出来ない雰囲気があった。だから私はとっくに失恋したような気持ちになっていたのだ。

 私は未練を吹っ切るように大きく息を吐き出して、彼に向かって頷いた。

「だから、いいの。たとえグウェンドルフ様が、女装が趣味の男のことが好きだったとしても」
「いや、ちょっと待って! 大きな誤解がある」

 彼がぎょっとした顔で慌てて手を前に突き出してくる。
 私はそれを半目で見て睨め付けた。

「何が誤解なのよ。グウェンドルフ様のあの目を見たら、貴方にだって自分が愛されてることくらいわかるでしょう?」
「いや、うん。それは身をもって知ってるんだけど、」

 急に煮え切らない態度になった彼にまた腹が立ってきた。

「じゃあぐずぐず言うのやめなさいよ! 彼に失礼でしょ!」
「あ、うん。そう。そうなんだけど、でもなんて言うか」
「この私が女装趣味の男に負けるなんて、信じられない。こんな、上から下まで完璧に揃える手の込んだ女装なんて初めて見たわよ! でも現実なんだからしょうがないの。グウェンドルフ様の世間体は心配だけど、あなたが上手く隠せばいいだけのこと。……ちょっと、なんなの。少しくらい申し訳なさそうな顔をしなさいよ!」
「ああ……もう……」

 彼はそう呻いて頭を抱えた。
 
 一体なんなのかしら。
 こっちはグウェンドルフ様を譲ってあげるつもりになって、精一杯虚勢を張って譲歩してるのに。

 私が胡乱げな視線で睨むと、彼は持っていた帽子に顔を埋めてからため息を吐き、また私の顔を見た。
 なんとも情けない表情で。

「あいつの名誉に関わることだから、これだけは言っておくけど俺のこの姿は今日は止むを得ずだから。渋々、嫌々仕事仲間にさせられてるだけだから。決して俺の趣味じゃないからね」
「そんなに堂に入ってるのに、嘘つかなくていいわよ」
「入ってない! 全然入ってないから! なんなんだよやっぱりこんな格好するんじゃなかった! オルタンシア、覚えてろよ!」

 彼はそう叫んで天に向かって文句を垂れた。
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