悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第一部

七十五話 暗黒ファイナル 後①

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 さっきの、謎の魔法使い。

 聖堂に入って戦闘が始まってからも気配がなかったからすっかり忘れていたのに、突然出てきて結界の外に出るなんて。

 悪魔から放たれた黒焔が、その魔法使いを襲う。

 一瞬にして彼が消し炭になったかと思われた時、凄まじい勢いで放たれた黒焔は、彼がすっと伸ばした右手に渦を描くように集まり、吸い込まれ始めた。
 強烈な爆風を浴びながら、しかし焔は全て彼の手の中に吸収されているように見えた。風でフードが外れ、彼の銀色の長い髪が後ろに靡く。その身体が黒焔に晒されているように見えた。でも彼には傷ひとつ付いていない。

 俺は驚愕して口を開けた。
 
 なんだよあれ。

 茫然と見つめているうちに、悪魔のブレスが終わった。
 少しよろめいたその人は結界の中に戻ってきて、俺の側に降り立つ。ふらついた彼を支えようと手を伸ばすと、俺の手を制し何事もなかったように彼はその場に直立した。

 またぽかんと口が開く。

「うわ。これ、マジで効くね」

 頭を振って彼が零した軽口に愕然として凝視すると、様子を見に来た総帥がその人を見て仰天した。

「貴方は?!」

 続けて何か言おうとした総帥を、その人は振り返って唇に人差し指を立てて黙らせた。

 彼は結界を叩きのめそうとしている悪魔を見上げて、先程黒焔を受け止めた右手を上げる。

 そして手を前に出したまま、唐突に悪魔に向かって同じ黒焔を放った。怒涛のような勢いで黒い焔が悪魔に襲い掛かる。驚くべきことに、その焔の強さは彼が受けたものよりも明らかに威力が増していた。
 俺は彼の手から放たれる焔の勢いが強すぎて数歩下がると、まだ近くにいたグウェンが俺の側に飛んできて庇うように前に立ってくれる。直ぐに動けるように剣を構えているから、彼も何が起こっているのかわかっていないんだろう。

 なんだこれは。
 一体何が起こっている。

 俺が頭の中で混乱しているうちに、謎の魔法使いが放った黒焔が直撃した悪魔は断末魔のような叫び声を上げて、そしてなんと轟音をたてて後ろに倒れた。

「今じゃ! 総員、攻撃せよ! 結界の中に押し戻せ!」

 総帥が間髪入れずそう叫んで悪魔の方へ飛び立った。その声を聞いて俺の前にいたグウェンも後に続く。リビエール上級神官と後衛の爺さん達も全員が悪魔に向けて攻撃を撃ち込み始めた。皆何が起こったのかはっきり理解はしていないと思うが、突然やってきた好機を逃す理由はない。昏倒した悪魔は目を覚さない。
 攻撃の物量で押し込み続け、悪魔は結界の方へずるずると滑り、少しずつ押し戻されていく。

 俺も錫杖を構え、光の矢を打ち込んだ。しかし目はまださっきの彼を追っていた。

「流石に、効いたなー。あれだけのブレスをよくぞ悪魔から引き出してくれた、といったところかぁ」

 と痺れを払うように軽く手を振っていた彼は首を回し、俺の視線に気付くと悪戯が見つかった子供のように笑ってウインクした。

「さっきの、俺の最終奥義。受けた攻撃を倍にして反撃する特殊魔法。でも消費魔力が大きすぎて、一日一回までだから、もう俺今日何も出来ないわ。……あ、これ秘密な?」
「あんた、何者なんだ」

 言われたことにも驚くが、もっと気になるのは彼が一体何者なのかということだった。こんな芸当が出来る魔法使いを、俺は知らない。
 彼は瑠璃色の瞳をいたずらっぽく光らせて、また人差し指を唇に当てる。

「そのうちきっとわかるよ。じゃ、俺はお荷物になるだけだから先に退却する」

 そう言うと、彼はあっさりと帰還の呪文を唱えた。
 その姿がかき消える間際、彼は俺に微笑んで小さく囁く。

「帝国を頼んだ、レイナルド」

 俺は唖然として、彼が消えた場所を凝視した。

 一体、マジで何者なんだ。

 俺がそう思った時、魔法師団の爺さん達が快哉を叫んだ。
 その声で慌てて前方に視線を戻すと、アシュタルトの巨体が結界の中にずるりと押し戻されるところだった。本当にやり遂げてしまった。

 俺も喜びの声を上げようとして、悪魔が結界の中に落ちる寸前、その額が目に留まった。

 聖女の宝剣が刺さった額。
 まだ剣が刺さったままだ。

 あのままでは、剣が魔界に落ちてしまう。
 宝剣がなくてもおそらく結界は修復できるだろう。

 でも、剣が魔界に落ちるのはまずくないか。

 そう思ったら、錫杖を投げ捨てて床を蹴っていた。

 風に乗って一息で悪魔の額まで飛ぶと、古びた宝剣の柄を握る。
 抜き出そうとしたら思いの外しっかり刺さっていてすぐには抜けなかった。

「レイナルド?!」

 総帥とグウェンドルフの驚愕した声が聞こえる。

 俺は悪魔の額を踏んづけて、思い切り力を入れた。
 深くまではまり込んでいるのか宝剣は直ぐに抜けない。柄にごつごつした装飾と宝石がはまっていて、ちょうど指をかけられる溝を見つけた。柄を握り直してもう一度力を入れる。

「レイナルド! もう良い! 手を離せ!」

 総帥の怒声が聞こえる。
 グウェンが多分、俺目がけて飛んだのが視界の端に見えた。

「もう少し」

 突然浮遊感を感じた。悪魔の巨体がごろりと結界の中に転がったのだ。俺は渾身の力を入れて宝剣を引き抜いた。
 ぐにっという感触がして、ずるりと剣が抜ける。悪魔の額から濃い瘴気のような残滓が飛び散った。
 抜けた、思った時には悪魔と共に結界の中に落ちていた。突然どぷりと周りの空気が変わる。急に視界が澱み、黒い闇の中に身体全体が沈んだ。

「あ、ヤバ」

 三年前の光景が頭をよぎった。
 上を見上げると、俺を掴み損ねたグウェンドルフが結界の裂け目から身を乗り出して手を伸ばしていた。

「レイナルド!」

 魔法で飛ぼうとしたら、足が浮かなかった。もう魔界に入っているからだろうか。失敗した。身体が下に落ちていく。
 伸ばしても届かないその手に、俺は思いきり宝剣を投げつけた。

「塞げ! 頼んだ!」

 そう叫ぶと、片手で剣を掴んだグウェンは目を見開いて、俺を凝視した。
 いつかのようなその光景に、俺は皮肉げに笑ってしまう。

「大丈夫だ! グウェン!」

 大声で叫んだ。
 俺は全然諦めるつもりはない。
 何があっても、お前のところに戻るから。

 闇の沼のように暗い魔界の中に背中から落ちながら、凍りついて固まっているグウェンドルフの顔を目に焼き付けた。
 俺が投げた宝剣を掴み直した彼は、後ろを振り返った。

「お祖父じい様、頼みます」

 そう言うとせっかく渡した宝剣を結界の外に投げ捨てて、彼は結界の裂け目から勢い良く飛び降りてきた。

「は?! お前! バカ!!」

 俺は驚愕に顔を硬らせて怒鳴った。
 驚きで帰還の呪文を唱えようとしていたことを忘れた。

 グウェンは険しい顔をしたまま俺目がけて落ちてきた。勢いをつけて飛び降りてきた彼は俺に追いついて、手を伸ばして俺のローブの裾をしっかりと掴む。
 悪魔は巨体だからか先に底へと落ちていってもう気配がないが、俺とグウェンは少し浮遊感を感じる中、底が見えない暗闇に下へ下へと落下していく。
 魔物が地上で暮らしているくらいだから、魔界にも酸素はあるらしい。息は吸えるが、濃い瘴気が立ち込めていて意識は長くもたないだろう。

 落ちながら俺のローブを引っ張って手繰り寄せ、グウェンが俺の手を掴んだ。と思ったら思い切り身体を引き寄せられた。
 痛みを感じるくらい固く抱きしめられた。そして深く安堵の息を吐かれると、俺としてももうそれ以上彼を叱れなくなる。
 戻れなかったらどうするんだ。お前騎士団の団長だろう。と言いかけた言葉を飲み込む。

「グウェン、バカだな。なんでお前まで落ちてきた」

 小さく息を吐いてグウェンドルフの背中に腕を回した。

「帰還の呪文で戻れたかもしれないだろ。前の時だってなんとかなったんだ」

 そう言うと、彼は俺の肩に頭を伏せて額を押し当ててくる。

「……また君を見捨てるなんて、私には、もう二度と御免だ」

 重苦しいものを吐き出すようなその低い声を聞いて、俺は冷たい氷を心臓に押し当てられたような気分になった。

 あの時のことを、お前はそんなふうに思っていたのか。
 俺を見捨てたと思っていたのか。
 あれは俺がそうしろと叫んで、お前はそれに従っただけなのに。

 彼の手が微かに震えている気がする。俺にしがみつくようにして強く抱きしめてくる彼の押し殺したような呼吸を聞いて、胸の内に形容しがたい苦さが込み上げた。

 こんなに長い時間が経つのに、お前はまだそんなに苦しいのか。
 俺はあの時、そんなに重たい楔をお前に打ち込むつもりなんてなかったんだ。

 後悔を滲ませる彼の声と呼吸が、俺に自分のとった行動を悔やませた。グウェンがいつから俺のことを好きだったのかは知らないが、もしあの時すでに想っていてくれていたなら、俺は残酷なことを彼に強いてしまった。そしてついさっきも。
 帰還の呪文があるからなんて、軽々しく言うべきじゃなかった。

「ごめんな」

 それだけしか言えなくて、俺はグウェンの背中に回した腕に力を入れてぎゅっと抱きしめた。グウェンも俺を抱き潰す勢いで腕を強く締め付けてくる。
 まだ俺の肩に顔を伏せたまま、彼は痛みを飲み込むように小さく震えた。

「……今度は間違えない。君がいないなら、私にはこの世界は意味がない。別に滅びてもいい」

 そう絞り出すように囁かれたら、今まで冷静さを保とうとしていたのに俺はもう駄目だった。

 滅びてもいいってなんだよ。
 お前俺のこと好きすぎるだろう。

 滅びていいわけないじゃないか。
 俺たちまだ始まったばっかりなんだから。

 どうしよう。

 馬鹿なこと言うなって叱りたいのに、愛しすぎて泣きそう。

 グウェンが俺を追いかけて一緒に魔界に落ちてきてくれたのが、本当は俺だって嬉しかった。このままもう二度と会えないかもしれないと一瞬不安が頭をよぎったから、抱きしめられた瞬間もう離れなくても良いとわかってほっとした。

 ちょっと涙が滲んで必死に瞬きした。

 真っ暗な中を落ち続けても、魔界の底につく様子はない。
 もしかしたらこのままずっと落ち続けるのかもしれない。
 意識まで飲み込まれそうな暗闇の中で、一人だったらとても耐えられなかった。でも、グウェンと一緒なら全然怖くない。
 魔界の瘴気が立ち込める暗闇の中で、確かに息苦しいのに幸せで、俺は頬を緩めると目の前にあるグウェンの耳にそっとキスをして彼の名前を呼んだ。
 俺の肩から顔を上げたグウェンも今泣きそうな顔をしているのが、真っ暗な闇の中でも俺にはわかる。
 背中から離した両手で彼の頬を捉えると、少しだけ伸び上がってグウェンの唇に口付けた。
 すぐにしっかり重なってくる唇の感触に満足して、彼の首に腕を回す。

 生きて戻れるかわからないギリギリの状況なのに、いつの間にかラブストーリーになってしまった。
 そう思って小さく笑うと、開いた唇の隙間から彼の舌が入ってくる。
 その大胆さに、心の中で笑ってしまう。

 お前な。
 さっきまで死にそうな声出してたくせに。

 この状況で悠長にディープキス仕掛けてくるなんて、余裕ありすぎじゃねーか。
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