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第一部

七十二話 暗黒ファイナル 前②

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 人形を置いたのは、いつぞやの魔道機関車の中で、俺とルシアに荷室の鍵だけ渡してさっさと消えた、あの謎の魔法使いだった。
 宮廷魔法士のローブを着ているけれど、彼は魔法士団のメンバーではない。若い団員の中に彼のような人物はいない。
 戸惑っている俺と目が合うと、彼は俺が見ていることに気づいた。人差し指を唇に当て、彼は瑠璃色の目で軽くウインクしてから何も言わずにさっさと人形の安置所から立ち去って行く。

「ちょっと、」

 呼び止めようとしたら、彼はあっという間に人々の群の中に入って姿を消してしまった。

 なんであの人がここにいるんだ。
 そもそも今日のこの情報は、限られた者にしか行き渡っていないはずなのに。

 混乱した俺は彼を追おうとして人混みの中に足を踏み出したが、すでにその背中を見失ってしまってもう姿が見えない。
 立ち尽くして訝しんでいると、ルロイ神官長と総帥の近くに、一人の年配の女性とリビエール上級神官が歩み寄って来た。
 写真で見たことがあるその上品な物腰の女性は、ルロイ神官長の奥さんだろう。聖女が着るようなゆったりとした白い衣装をまとった夫人は総帥に頭を下げた。そして悲痛な顔をして両手を胸の前で組んだ。

「ファネル様、中に、娘が、リアがいるのです。今からでも、私も一緒に」

 震える声でそう言った夫人に、総帥は鋭い眼差しを向ける。

「ならぬ。夫人は神官長と共に、もし我らが失敗した時のため、この神殿の結界を守らねばならぬ。神殿を覆うほどの巨大な結界を張ることは、ルロイ神官長にしかできぬ。そしてもしものことがあれば、夫人、貴方が眠りの術をかけ直し、悪魔を封じるのじゃ」

 総帥がきっぱりと告げると、公爵夫人は唇を震わせて瞳を揺らした。
 そしてゆっくり目を閉じてから小さく頷いた。

「わかっております」

 一呼吸おいた夫人はもう一度目を開き、今度は気品のある顔に凛とした気迫を纏って総帥を見た。
 その顔にはもう弱々しい母親の表情はなくなっていた。代わりに何十年も若返った少女のような目をしてしっかり頷いた。

「セレナ様にいただいたこの命、お返しさせていただく所存です」

 夫人の隣に立っていたいつもの神官服を着たリビエール上級神官が、総帥の前に進み出た。

「お二人の代わりに、私が聖堂の中に入ろうと思います。レイナルド卿とベル様に全てお任せするのは不安ですから」

 そう言ってから彼は近くにいた俺を見た。

 今回、俺が一週間でまあまあ仕上がり、地獄のスパルタ特訓のおかげでルロイ神官長が合格を出すレベルの広域結界もなんとか張れるようになった。それもこれも底なしに使い続けることが出来たベルの光の魔力のおかげだ。
 それにベル自身も浄化魔法を使えるということで、教会の上級神官達は今回の討伐では聖堂の外に控え、中には入らないことになった。もしも失敗した時、悪魔に対抗して結界を張り直す戦力を残すための決断だった。
 だからリビエール上級神官がここへきて一緒に来ると言うとは思わなかったが、それならそれで戦力が増えるから俺としては喜ばしい。修行でボコボコにされたトラウマは疼くが。

 少し遠い目をした俺は、そろそろ突入の時間だな、と思い至ってズボンのポケットから懐中時計を取り出す。
 これはエリス公爵家の家紋が入った俺の新しい時計だ。なんと、執事は今日に間に合わせてきた。いつもはのほほんとしているくせに、何かスイッチが入ったのか急にやる気を出してきた。
 新しくダストカバーに搭載した魔法陣は、いつの間にかグウェンと仲良くなっていたウィルが、彼に相談しながら作り上げてしまった。正直そこまでは必要ないだろうと半分冗談のつもりだったんだが、うちの子は優秀なのである。すでに魔力も込めて調整してあり、俺は嬉しそうに説明してくれたウィルの話を聞いて脱帽した。多分ウィルは俺よりもずっと魔法の才能がある。
 時間を確かめていると、公爵夫妻の後ろから聖女の服を纏った少女が一人、すっと出てきて俺の前に立った。
 時計を見ていた俺は、自分の目の前に立ったのがルシアだと気付いてぎょっと目を見張った。

「ルシア?! どうしてここに」

 俺の大声にくすっと笑うと、ルシアは「神官長様に土下座して特別に来させてもらいました」と小さな声で言った。

 土下座?

 俺はルロイ神官長を見る。
 夫人と何か話していた神官長は、俺の視線に気がつくときまりが悪そうな顔になった。

「バレンダール公爵をもっと早く止められなかったのは、私の落ち度ですから。彼女も巻き込まれた被害者です」

 と言って俺から視線を逸らす。
 ルシアを特別に連れてきたというのは本当らしい。
 驚きの思いでルシアに視線を戻すと、彼女は真面目な顔で俺を見つめていた。

「レイナルド様、私王宮の悪魔のこと、ファネル様と神官長様からお聞きしたんです。討伐に行くならどうしても一緒に戦いたかったから、お二人に私も参加させて欲しいとお願いしました。でも、次期聖女候補だった私は他の神官たちと同じで戦いには入れないって。だから決めました。もしもの時は、今代の聖女様に代わって私が祈りを発動させて神殿を守ります」

 そう言い切ったルシアの真剣な眼差しを見て、俺は目を見開く。

「でも……」
「私は色々なことが、本当に、全然わかってなかったんだなって思いました。仮にも主人公ルシアだったのに。全部レイナルド様に放り投げたまま私だけ安全なところに逃げて、私と兄を助けてもらったのにお返しも出来ずに何の役にも立てないなんて、そんなの自分が許せない」
「ルシア」
「レイナルド様、どうかご無事で。絶対死んだりしないでください」

 そう言って目を潤ませるルシアを見て、俺は驚きが過ぎ去ってから心の中に柔らかな安堵が広がった。

 あれからどうしているかと思ったけれど、ルシアは相変わらず優しくて、誰かのために一生懸命だ。少し真面目すぎると思うくらい、目の前の事象を正面から受け止めようとして足を踏ん張っている。
 それでも俺を心配してくれるルシアの気持ちが素直に嬉しかった。

「そんな大袈裟なこと言わないでよ。主人公にそんなこと言われると、この先俺に死亡フラグが立っちゃうからさ。そんなに深刻にならずに、頑張ってねって軽めに肩を叩いて送り出してくれるくらいでちょうど良いんだって」

 俺はルシアにあえて軽い調子でそう言って笑いかけた。

 聖堂の悪魔との戦いでは、彼女が背負うべきことはもう何もないだろう。
 俺はこれを、俺と悪魔シナリオとの戦いだと思っているから。

 ルシアは俺の言葉を聞くと少し眉を下げて微かに笑った。

「……そうですね」

 突然、ルシアががばっと俺に抱きついてきた。驚いて受け止めると、彼女は腕に力を入れて俺をぎゅっと抱きしめてくる。
 後ろにいた宮廷魔法士の爺さんたちが口々に口笛を吹いた。「なんじゃい、若いっていいのお」という呑気な声が聞こえるんだが、みんなさっきから緊張感なさすぎじゃない? これから悪魔との闘いだってわかってる?

 ルシアに抱きしめられて内心どうしたらいいんだ、とおたおたしていると、少し遠くでファネル総帥とフォンドレイク侯爵と話していたグウェンドルフとばっちり目が合った。ぴく、と眉間に皺を寄せた彼が無表情でこちらに歩いて来る。

「ご武運を」

 そう言ってルシアは抱きついた身体を離すと俺の手を取り、手の甲に短く口付けた。
 俺は驚いて彼女のつむじを見つめる。

 手の甲に口付けるのは、心からの謝意の表れ。

 それを理解した時、俺はなんとも言えないじんわりとした気持ちを感じた。
 ほっとしたのかもしれない。ルシアが、自分の気持ちを隠さずに心からそう思えるようになったということに。

「ありがとう」

 俺はルシアに微笑んだ。
 後ろで変に盛り上がっている爺さん達が、「儂もあと二十年若かったら」とか言ってるが、仮に二十年若返ったとして、一体何歳だと思ってるんだ図々しい。

「うお、なんじゃ」

 という声が聞こえて、爺さん達の間を通って来たグウェンドルフが俺の横に立って、無表情のまま俺の腕をひいた。

「行こう。時間だ」

 明らかにルシアへの嫉妬を見せる彼のその態度が、彼の普段の振る舞いからは少し予想外でなんだか可愛い。俺はくすりと笑う。
 改めて彼の装いを見ると、総帥もグウェンも、胸当てとか防具のようなものは身に付けていない。二人の優先度は動きやすさ重視なのかもしれない。
 紫紺の詰襟の騎士服は金色のボタンと飾り紐が美しく配置されていて、折り返しの装飾も見事だった。彼の精悍な顔が引き立って、スーツ効果というのか、普段の三割増カッコいい。本当にゲームの登場人物みたいだ。俺は腕を引かれながらその姿に見惚れてしまった。
 そっと彼の方に身を寄せて、小さな声でこっそり囁いてみる。

「その服、めちゃくちゃ良い。出し惜しみしないで普段からもっと見せろよ」

 そう言うと、動揺したのか俺の腕を掴む彼の手に力が入った。グウェンは歩きながら俺の顔を見下ろして、どう返事をしたらいいのかわからない、というように眉を寄せた。

「……しかし、仕事でもないのに家で着ていたら、変だろう」

 俺はそれを聞いて吹き出して笑う。

 真面目すぎんだよ。
 今度絶対に着てもらおう。

 これから悪魔と闘うんだよな、ということをうっかり忘れそうになるほどの緊張感のなさ。俺も爺さん達のことをとやかく言えない。

 神殿の中に向かっていく人々の中に混ざり、俺もベルを連れてグウェンと一緒に階段を登った。ベルは神殿の中に何かを感じているのか、さっきから俺の足に纏わりついて「入っていいの? 何かいるよ?」としきりに周りを見回している。ベルをなだめながら、俺たちは階段を登りきって神殿の入り口に立った。
 後ろを振り返ると、神殿に入っていく俺たちを見守るルロイ神官長夫妻と一緒に立つルシアが見える。
 俺は彼女に向けて一度大きく手を振った。そして視線を前に戻して、それでもう振り返らずに神殿の中に足を踏み出した。
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