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第一部
五十七話 藍鼠プリズナー 後
しおりを挟む多分、絆されるのはもうずっと前から絆されていた。
俺は実のところ、今まで人を好きになってはいけないと、自分に言い聞かせていた節がある。本当に親しい人間以外には、ある一定以上は線を引いてきた。それは自己防衛に近い何かで、この世界がゲームの設定を引き継いでいると気付いたときから多分ずっとそうしてきた。いつか誰かと恋愛関係になったとしても、俺はどこかでその人の本来あるべき人生を考えてしまう。自分が捻じ曲げてしまったと、きっといつか後悔する。そう思ったら人を好きになることを最初から諦めていたように思う。
それなのに、突然思ってもみない方向から急にグウェンドルフの好意がぶつかってきたのだ。
そもそも、グウェンには最初から線引きなんてしてなかった。だって男だ。しかも叡智の塔を卒業してから三年も会っていなかった。まさか俺のことを好きだったなんて思いもしなかった。
グウェンから告白された後、彼が実はシナリオに存在しないということを知った時はショックを受けたが、冷静になってから俺は狼狽えてしまった。突然目の前に現れた恋の予感に。
グウェンには別の誰かと結ばれた未来がないと知って、確かに俺は安堵していた。グウェンの側にいるのは心地良い。近くにいるとなんだか安心して、あったかい気持ちになる。だから気持ちが追いついたら、きっと好きになる。好きになったら、もう後戻りができないという恐れに近い予感に俺は今までずっと怯んでいた。
ゆっくり考える間も無くここまで来てしまったけれど、でも彼は変わらずに俺に手を伸ばしてくれる。今までこんなに与えられたことがないと思うくらい純粋に、溢れるほどの愛を捧げられたら、俺だってもう不安とか戸惑いを放り投げて、応えたいと思ってしまった。
グウェンの真面目なところも、強くて優しいところも、無口なところも偶に天然なところも、全部好きだ。
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もしかしたら本当は、彼の想いと勢いに押されて、呑まれただけなのかもしれない。
でも、それでもいいと思った。
それでも良い。一緒にいられるなら。
恋に落ちてしまったんだ。
だからもう、何も迷わなくて良い。
「グウェン、この事件が全部片付いたら、お前と話したいことがある」
レイナルドのシナリオを無事に回避したら、もう一度彼と話そう。そこでちゃんと、俺の気持ちをグウェンに返したい。
俺は自分でそう思ったことに照れて苦笑した。
俺の機嫌が良いのがわかったのか、グウェンドルフは軽く首を傾げた。
俺はまだ不安げな顔をしている彼に微笑んだ。
「大丈夫。俺だって黙ってやられるつもりはないから。有罪になんてならないよ」
グウェンドルフと手を繋いだままそう明るく言うと、彼は真面目な顔をして頷いた。
「もしものときは、君を攫って逃げてもいいだろうか」
「は?!」
突然の申し出に俺は目を丸くした。
「私は、もし君が刑に処されるようなことがあったら、王宮を爆破する自信がある」
いや、そんな自信持たんでくれ。
偶に意表をついてくるグウェンドルフの発言に思わず吹き出しそうになる。
グウェンドルフは真面目な表情を崩さずに俺の顔を見ていた。
「きっと祖父とは一戦交えることになるだろうが、片腕を失うことになっても、君を攫って国外に逃げるつもりだ」
「おいおい、お前ね。近衛騎士団長のくせに帝国のお尋ね者になるつもりなのか……?」
でも、すげー殺し文句。
今が夜でよかった。
明るい中で俺の顔を見たら、多分真っ赤に染まっていただろう。
だから、俺はこいつのこういう純粋で天然なところが全然嫌いじゃないんだって。
格子があって良かったな。
なかったら今頃グウェンに飛びついて、熱烈なキスを捧げていたところだった。
手を繋いでいない方の手を口元に当てて小さく笑ってから、俺は窓の外に浮いているグウェンドルフに笑いかけた。
「いいよ。その時は一緒に逃げよう」
そう言うと、急に繋いだ手を引かれた。
「わっ」
今度は俺の右腕の方が半分外に引き出された。
グウェンドルフが握り合う手を右手から左手に変えて、指を絡ませるようにして合わせてくる。
「今はまだ、攫わなくていいか」
そう聞かれて、俺は笑って頷いた。絡んだ手を俺からもぎゅっと握った。
「大丈夫。切り抜けてみせるよ」
まだ少し不安そうだったグウェンドルフは、俺の明るい表情を見て納得したらしい。
「わかった」
彼がそう言った時、「レイナルド様ー、グウェンドルフ団長」とベルの首に捕まったウィルが小声で言いながら飛んできた。
「そろそろ地上の見張りが交代するみたいなんです。一旦離れた方がいいかもしれません。上を見上げるかも」
俺はウィルの言葉に頷いて、格子ごしにグウェンドルフの顔を見た。
「グウェン、お前に頼みがある。査問会まであとどのくらい時間があるかわかるか?」
「恐らく、明後日の正午には始まるだろう」
その返事を聞いて俺はよしと頷いた。
まだ時間はある。
「これから俺が言うことを、調べてほしいんだ。そして出来れば査問会が始まる前に、その結果を教えてほしい」
俺は時間がない中でバレンダール公爵領であったことを早口で伝え、その上で調べて欲しいことをグウェンドルフに告げた。
彼は俺の話の意図を汲んでくれ、「わかった」と言って頷いた。最後にもう一度ぎゅっと手を握り合ってから、長く繋いでいた掌を離す。
「ウィルも父さん達に心配しないように言っておいて。犯人じゃないんだから、真っ向から戦えば良い。敢えて査問会を潰そうとしなくていいって」
「わかりました」
ウィルはそう言うと、ベルの首からそっと手を離して一人で窓の側にふわふわ寄ってきた。
ほんとに飛んでる。
驚愕している俺の側に近付いてから、ウィルは顔を寄せて生真面目な表情でこそっと囁いた。
「あの、もしお二人で国外に逃げるときは、僕とベルもお連れくださいね?」
おい。一体どこから聞いていたんだ、ウィル。
最後に誇らしげにしているベルの首元の毛をなでなでして「功労賞だぞ」と褒めてから、グウェンドルフとウィルがベルを連れて飛んで行くのを見送った。
俺は飛んで行く二人と一匹を見送りながら、明後日の査問会に向けて気合を入れる。
ゲームのシナリオでは死んでいたはずのグウェンドルフは今、生きてる。
だから俺だって、自分で自分の命を救ってみせる。
次の日の夜、査問会に向けてずっと思考を巡らせていた俺のところに、今度は一人で飛んできたグウェンドルフが調べてきたことを報告してくれた。
「そうか……」
多分、黒幕は俺の予想通りだろう。
少し沈んだ顔をしている俺に、グウェンドルフが一通の手紙を差し出した。
「君の家族からだ」
「ありがとう」
手紙はただの紙だから窓の格子を通れる。
受け取ってお礼を言った。
「もう遅い時間になっちゃったな。グウェンももう戻った方が良い。お前も明日の査問会出席してくれるんだろう」
「ああ。封印結界の警備班だった者は全員が呼ばれている」
「わかった。じゃあ、また明日だな」
後ろ髪引かれるような表情のグウェンドルフが、「明日、無茶はしないでくれ」と最後に何度も念を押してくる。
それに笑って俺は頷いた。
「わかったよ。お前も気をつけて帰れよ」
二日連続でどこともしれない辺境まで飛んできてるんだから、相変わらずタフな魔法使いだ。
何度も振り返るグウェンドルフに手を振って、ようやく姿が見えなくなったところで俺はベッドに戻った。
さっき渡された手紙のことを思い出し、手に持ったままだったそれを開いてみる。
『レイナルドへ
ウィルとグウェンドルフ卿から話は聞いた。また厄介な案件に巻き込まれて、今度はとうとう勾留されてるって? 母さんは包丁を持って査問会の会場に殴り込みそうな勢いだったから止めておいたぞ。あまり心配させるな。父さんも公爵家の騎士団を連れて陛下のところに乗り込みそうな勢いだったのを団長が止めていた。グウェンドルフ卿に感謝しておきなさい。
とにかく、明日はお前が自分で何とかするつもりらしいから、父さんは査問会へ出席はするが邪魔はしないと言っている。でもあまりぐだぐだしてると横から口を出すだろうからお前もとっとと身の潔白を証明しろ。
帰ってきたら説教だ。
追伸
この前言っていたこと、調べておいたぞ。最近はあまり聞かないが、帝国法では一応男同士でも婿入りして結婚できるらしい。もともとは娘がいない貴族間の力を強めるための方法で、殆ど忘れ去られてる条文だけどまだ法改正されてなくて良かったな。お前が早く戻って来ない場合、グウェンドルフ卿と先に話を進めておく。
エルロンド』
手紙を読んだ俺は、ベッドに突っ伏した。
前半はいい。
追伸欄はなんなんだ?!
話を進めておくって、何をどう進めるつもりなんだよ!!
俺は比較的穏やかな気持ちで明日に臨もうとしていた気持ちを撤回した。
早急にこの件を終わらせる必要がある。二回目や三回目に持ち越されないように全力で臨むしかない。
早く事件を解決してここから出ないと、俺が告白する前に先に既成事実を作られる……!!
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