56 / 306
第一部
番外編 ライネル・フォンフリーゼの憤怒 前
しおりを挟む「ルシアが国外追放ってなんでなんだよ!」
俺はもう何度目になるかもわからない質問を、兄貴に投げつけた。
ルシアが魔道機関車の事件に巻き込まれ、目を覚さずに昏睡していると聞いた時もそんなまさかと思った。でもその後目覚めてから今度は監視塔に勾留されたと聞いて、俺は父上と兄貴に何度も理由を尋ねた。
そしたら、卒業考査の時に封印結界を損傷させたのが、実はあの場にいたクリス・ミラードで、彼がルシアの実の兄だと言われた。そして最近の魔道機関車の暴走事件で犯人に手を貸したルシアも、クリス・ミラードと一緒に国外追放となったという衝撃的な話を聞かされ、俺は唖然とした。
なんでそんなことになるんだ。
ルシアは何も言っていなかった。
きっと何かの間違いで、彼女は濡れ衣を着せられて帝国から追い出されてしまったんじゃないのか。
ルシアは太陽みたいな、優しい暖かさを持った子だった。平民から貴族の養子になったなんて思えないほど、令嬢としての所作も完璧で、落ち着いた気品があった。
俺に笑いかけてくれたルシアには裏の顔なんて無い、純粋で汚れを知らない、そんな子だった。優しくて暖かい心を持った、真面目で正義感の強い、でも時々ちょっと抜けたところのある彼女を、俺は叡智の塔で出会ってから好きになった。彼女が結界襲撃事件の犯人の妹で、一緒に国外追放されるなんて絶対に間違っている。
兄貴は何度聞いてもそれ以上詳しく事情を教えてくれない。査問会にも出席したから全容を知っているはずなのに、ルシアの話をすると眉を微かに上げるだけで、事実以外のことはわからないと言う。
絶対に、ルシアを陥れようとした人間がいて、そのせいで彼女は帝国を去ってしまったんだ。俺はルシアが王宮で聖女候補として修行をする間にも、たびたび会いに行って彼女と話をしていた。ルシアは何も言っていなかった。いつも通り、彼女の優しい暖かさを感じる微笑みを俺に見せてくれていた。
慣れない王宮に一人きりで不安だろうと、ルシアのために俺は王都に滞在する理由を手に入れようとしてあれこれ画策していた。レオンハルトやユーリスが王宮にいるのに、俺だけ出遅れるのも嫌だった。だから兄貴との交渉が失敗した後も何とか別の方法を見つけようと考えていたのに、そうしたら急にルシアが昏睡したり、勾留されて裁判にかけられたり、もうめちゃくちゃになった。
誰かがルシアを罪に陥れたに違いない。
その確信があるから俺は何度も兄貴や父上にどうにかして欲しいと、ルシアを帝国に呼び戻して欲しいと懇願しているのに、兄貴だけじゃなくて父上も聞く耳を持ってくれない。
俺の苛立ちはピークに達していた。
兄貴の屋敷に乗り込んで、その日は警報が鳴り響いて不審者撃退魔法が起動しても、俺は諦めなかった。
攻撃魔法を全て撃退し、兄貴の部屋に押し入ると、ちょうど兄貴の家に来ていたレイナルドが兄貴と一緒に外出しようと扉の方に歩いてくるところだった。
こいつのことも気に入らない。
まるで兄貴のことを何もかもわかっているというような顔で、平気で屋敷の中に入ってきて我が物顔で兄貴の隣に収まっている。
ブチギレたら人の家の応接室でめちゃくちゃな魔法で攻撃してくるし、ちょっと兄貴に文句を言うと、人を射殺さんばかりの目で見て食ってかかってくる。
そして兄貴は、そんなレイナルドを見て何故か救われたような顔をするのだ。
こんなに無礼で傲慢な奴のことが、なんでそんなに気に入っているのか理解ができない。しかも、兄貴とレイナルドは最近多分付き合い始めた。どういうことなんだ。全くわからない。
兄貴はそんな奴じゃなかった。いつも寡黙でストイックで、他人になんか興味はないと言わんばかりに冷たくて、家族にも微笑みなんか見せたことがなかった。だから俺は今まで深く関わろうと思わなかった。剣も魔法も俺より良くできて、俺より断然強くて、爺さんのお気に入りで、なのに周りの事象には何も興味はないと言う顔をしていたはずなんだ。だから近衛騎士団長のポストにだって拘りなんかないと思っていたし、事実昔から俺や父上に言われたことは何でも聞いてその通りにしてくれていたのに。
兄貴が屋敷のセキュリティから俺を弾いたことを知った時は、俺は怒りで玄関先で怒鳴り散らした。絶対に、この金色の髪のすかした男が現れた時から、兄貴はおかしくなった。だからルシアのことにも、俺のことにも関心を持ってくれない。
俺がレイナルドの後ろにいた兄貴に何度目かもわからない問いをぶつけると、レイナルドは眉間に皺を寄せた。
「またお前かよ。変わらねーな」
レイナルドがそう言って呆れた顔で俺を見る。
後ろから襲ってくる棍棒を剣の鞘で打ち返しながら俺はそのムカつく顔を睨みつけた。
「なら教えろよ! なんでルシアが国外追放になったんだよ!」
俺がそう怒鳴ると、レイナルドはため息をついて兄貴を振り返り、「防犯魔法一旦止めて」と言った。
兄貴が天井を見ながら何か言うと、後ろから出現していた棍棒や鎌は掻き消える。
「もういい加減うるさいから、これで終わりにしろよライネル。いいか、ルシアは、自分のしたことの責任を感じて、国外追放になったお兄さんと一緒に自分から出て行ったんだ」
「嘘だ」
間髪入れずに言った俺を見て、レイナルドが眉間の皺を指で抑えてまたため息を吐く。
俺の顔を見上げてくる、憐れみと少しの軽蔑が浮かぶ奴のその表情を見て、俺は苛立ちを募らせた。
レイナルドは仕方なさそうな顔で腕を組んで、口を開いた。
「何が嘘だって? 何が気に入らないんだ」
「ルシアが列車の事件を起こしたなんて、そんなことあるわけがない。ルシアはそんな子じゃない」
俺がきっぱり言うと、レイナルドは俺の顔をじっと見上げた。「お前はなんでわからないんだ」と小さく呟いてから、冷たい眼で俺を見つめてくる。
「じゃあお前の気にいるように説明してやる。ルシアは、ファゴット子爵に命じられて仕方なく列車の事件を起こした。でもそれは、ルシアのお兄さんがバレンダール公爵に操られていた事実を白日の下に晒すために、ルシアもあえて事件に加担したんだ。だから彼女は責任を感じた。そして封印結界の襲撃事件の実行犯になってしまったお兄さんと、幼い頃のようにまた一緒に暮らしたいと思った彼女は、自分から帝国を出ることを選択した。これで納得したか」
淡々とした口調でレイナルドが俺にそう言った。
言われた内容は、事実としては確かに聞いていたことと同じだった。ただ彼女の事情がそこに追加されていたから、俺は黙って考え込む。
ルシアが養父のファゴット子爵に命じられて、本当はそんなことに手を貸したくなかったが、兄を助けるために事件を起こした。
それは確かに俺が良く知る優しいルシアなら、起こり得る話だと思った。本当の兄と暮らすために帝国から出て行ったことも。じゃあ、今まで聞いていた話は本当に全部事実だったのか。
でも俺は何も知らなかった。ルシアがそんな事情をずっと隠していたなんて。クリス・ミラードがルシアの兄だったなんて、俺は聞かされていなかった。俺を巻き込まないように、彼女は隠していたんだろうか。いつも穏やかに微笑んでいたのに、俺が知らないところでルシアはそんな状況に陥っていたのか。
俺はショックを受けて、黙り込んだ。
レイナルドは俺の様子を見てまた小さくため息を吐くと、兄貴に「行こう」と言って俺とすれ違い、開いたままの扉の方に歩いていく。
「ルシアがそんな子じゃないなんて、お前が言ってやるなよ。ルシアだって必死だったんだ。あの子の心の内を汲んでやれ」
レイナルドが部屋から出る間際にそう言い残して廊下に出て行った。
俺はレイナルドの話を飲み込んで、そして怒りが湧いてきた。
何故あいつは、ルシアのことをよく知ったような口を聞くのか。大してルシアと話したこともないくせに。
そうやってなんでも分かっているというような、ルシアのことを理解しているというような態度が気に入らない。ルシアがそんな状況に陥っているのを知っていたなら、なんで助けなかったんだ。助けてくれればルシアは国外追放になんかならなかっただろう。
俺は嫌悪と苛立ちを募らせてレイナルドを追いかけると、廊下の途中で兄貴を押し退けて奴の肩を強く掴んだ。
「それなら、なんでもっと早くルシアから話を聞いてやらなかったんだよ! そしたら事件を起こす前に止められただろ!」
そう怒鳴ったら、レイナルドはぴたりと動きを止めた。掴んだ奴の肩に微かに力が入る。
次の瞬間、俺は振り向いたレイナルドに胸ぐらを掴まれて廊下の壁に叩きつけられた。
ドンっと背中に強い衝撃が走る。驚いて、抵抗する間もなかった。
「うるせえな」
レイナルドから低い恫喝が聞こえた。俺よりも低い位置にある頭が下を向き、その声には怒りが満ちていた。
レイナルドが顔を上げた。金色に流れる前髪の隙間から、怒気を宿した鋭い眼差しが俺を射すくめる。
「うるせぇんだよ! そんなことは俺にだってわかってんだよ!!」
絶叫するくらいの声の大きさだった。
俺はその声量に圧倒されてしまい目を見開く。
レイナルドは俺を睨みながら息を大きく吸った。
「俺がルシアにもっと信頼されてれば、ルシアが事情を打ち明けてくれるような人間だったら、ルシアを救えたのになんて、そんなこと俺だってもう何百回も考えてんだよ! 今更ずっと考えて、毎日後悔してんだよ!!」
苛烈な色を宿す濃い緑色の目に射抜かれる。
俺の胸ぐらを掴むレイナルドの手が微かに震えていた。
「でもな、お前にだけはそれを言われたくねぇ。誰よりも長くルシアの側にいたのは、お前だろうがっ! ルシアが頼れる存在になれたはずなのに、ルシアがお前に抱えてるものを打ち明けなかったのは、お前がルシアに信用されてなかったからだろ! お前がルシアに信頼されるような人間であってくれれば、こんな結末になってねーよ! それくらい自分でわかれよクソガキ!!」
空気がビリビリするくらいの怒声だった。
呆然とした俺は、目の前のレイナルドの瞳から目を離せず、そしてそれが微かに揺れたのに気がついた。
「レイナルド」
兄貴がレイナルドの肩に手を置いて、そっと俺の胸ぐらを掴む手を離させた。素直に手を離したレイナルドを引き寄せて、「落ち着け」と言って下を向いた奴の頭を撫でている。その目はレイナルドを心配していた。奴の感情が揺れたのを案じるように、優しく頭を撫でていた。
俺はそれを見て、また苛立ちのような、腹立たしさを覚えた。
兄貴はレイナルドを心配するのだ。
胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられた俺ではなく。横にいる弟には一瞥もくれず、ただ泣きそうになったレイナルドだけを視界にとらえている。
なんだよこれ。
こんな姿を見せられて、やっぱり俺よりもレイナルドの方が大事なんだと見せつけられて、俺はなんでこんなに苦しい気持ちになってるんだ。
ルシアが俺に事情を話してくれなかったことが、ただの優しさじゃなかったなんて、なんでこんな奴の言葉で気が付かなきゃいけないんだよ。
レイナルドはしばらく経ってから深呼吸して、顔を上げた後俺を横目で見た。
「これ以上何か聞きたいなら、直接ルシアに聞け。俺たちじゃなくて。直接彼女に聞きに行けよ」
そう吐き捨てるように言われて、俺はたまらずその場から逃げ出した。
階段を駆け下りて、屋敷の玄関から外に飛び出した。
ぐちゃぐちゃになった感情を抑えられず、走って逃げた。
本邸まで逃げ帰って、一度も立ち止まらずに無我夢中で走り抜けたが、それでもレイナルドに言われたことを忘れることは出来なかった。
1,076
お気に入りに追加
8,601
あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中

末っ子王子は婚約者の愛を信じられない。
めちゅう
BL
末っ子王子のフランは兄であるカイゼンとその伴侶であるトーマの結婚式で涙を流すトーマ付きの騎士アズランを目にする。密かに慕っていたアズランがトーマに失恋したと思いー。
お読みくださりありがとうございます。


雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから
咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。
そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。
しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
リクエストの更新が終わったら、舞踏会編をはじめる予定ですー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。