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第一部

五十一話 白昼リサーチ 前

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 懐中時計の話は有耶無耶にして、ルウェインから魔道機関車の話をよく聞こうと口を開きかけたとき、突然部屋の扉が開いた。
 いつもの黒い服になったグウェンドルフが立っている。
 俺とルウェインが部屋の入り口に注目したのに気がつくと、彼は無言でポケットから俺の懐中時計を取り出した。

 おい。
 やめろ。

 さっきまでこれからどうしようと思っていた俺の情緒をめちゃくちゃにするんじゃない。
 なんでお前はさも当然のような顔をして時計を見せつけてくるんだ?
 これ以上俺とルウェインの混乱を大きくするな。

「なぁ。俺の目が確かなら、あいつが持ってるのってお前の懐中時計じゃねーか」
「…………そういうことに、なりますね」

 俺の返事を聞いたルウェインは立ち上がってテーブルを回り込み、俺の前まで来ると乱暴に胸ぐらを掴み上げてきた。

「そういうことになりますね、じゃねーよ!! しっかり交換してんじゃねーかアホ!!」

 罵声を浴びせられた俺は半笑いで両手を上げる。

「いや俺も知らなくて」
「知らなくて、じゃねーわ!! 周りに誤解される前にさっさと返せ! フォンフリーゼ、てめえもどうせ学生の慣習なんて知らねえだろ。人から勘違いされたくなかったら早くこのバカに時計を返すんだな」

 俺の首元のシャツを掴んでがくがく揺さぶったルウェインが、グウェンドルフを振り返ってそう言い放った。グウェンドルフは無表情のまま歩み寄ってきて、俺の肩をぐいっと掴んでくる。
 彼はルウェインの手から俺を引っ張り出し、皺の寄った俺の襟元を軽く直してから淡々と口を開く。

「私は、知っていた」

 その言葉にルウェインは眼を剥いた。

「は? お前、知っててこいつに懐中時計渡してんの? 時計を渡す意味わかってんのか?!」
「ああ」

 ルウェインが今度は俺を見た。

「うん、なんか、そういうことみたいなんだよね」

 俺がへらっと笑って言うと、ルウェインは目から皿でも出そうなくらいに驚愕の表情を浮かべた。

「そういうことみたいって、はあ?! お前らいつから付き合ってんだ?!」
「いや、付き合ってはなくて……」

 俺もどう説明したらいいものかと、そう言葉を濁すと、ルウェインはしばらく思考停止したように固まった。そのうち自我を取り戻したのかまた胡乱な目に戻って大きくため息をつく。

「いつの間にそんな訳わかんねーことになってんだよまったく。……いや、もういい。これ以上は聞きたくない。聞いたら猛烈に後悔する気がする」

 嫌そうな顔になったルウェインは、俺とグウェンドルフから一歩離れて片手を上げた。

「とりあえず、お前らがなんかそういう超展開を迎えてるのはわかった。あとは勝手にやってくれ。収まるところに収まってから、そうなったのかならなかったのかだけ報告しろ。じゃねーとこれからやり辛い。わかったか、まぬけ」
「面と向かって悪口言うなよ。とりあえずわかった」
「まぁ、能天気なお前がこういうタイプの奴の執着から逃れられるとは到底思えねーけど。好きにしろ。んじゃ、俺はまだ一昨日の後処理が残ってるから、帰るわ」

 さらっと不穏なことを言ってから、ルウェインはあっさり身を翻して扉に歩いていった。

「ルー、色々ありがと」

 ルウェインの背中にそう言うと、悪友は足を止めずに片手だけ上げて部屋から出ていった。



「なんか色々あったけど、とりあえず今日は一緒に行動してくれるってことでいいんだよな。じゃあ早速だけど出かけよう。ちょっと確かめたいことがある」

 俺は場を仕切り直してグウェンドルフに聞いた。
 懐中時計の件では色々と思うところはあったけど、さっき考えたように今は置いておこう。それを考え始めたら事件のことに手がつかなくなる。次グウェンと顔を合わせたらどうしようと思っていたけど、思わぬ勢いで向こうから来ちゃったからもうどうしようもないし。
 彼が素直に頷いたので俺は内心ほっとして、一旦廊下に出てからウィルを呼んでルロイ公爵領にある教会本部に先触れを出してもらうことにした。

「ルロイ公爵領に行くのか」
「うん。ちょっと教会の図書館に入らせてもらえないか頼んでみようと思って。魔道機関車の中で見た禁術のことも調べたいし、他にも気になることがあって」

 ベルを連れて部屋まで来たウィルは俺の話を聞くと「わかりました」と答えて再び退室し、ベルが俺の足下にすり寄ってくる。しゃがんで、ベルの頭をよしよしと撫でた。

「レイナルド。君の懐中時計は、返した方がいいだろうか」

 後ろから不意にそう聞かれて、俺はベルの被毛を撫でていた手を止める。
 少し黙ってから、また手をそっと動かしてベルの立髪を指ですいた。

「持ってていいよ」

 条件反射でそう答えてから、それは誠実な返事じゃないなと思った。
 まだ自分の気持ちに答えを出していないなら、本当はちゃんと時計を返してもらって、俺もグウェンドルフに返すべきだ。

 でも、それはなんか嫌だなと思ってしまったのだ。

 グウェンドルフが俺の時計を持っている間は、つまり、そういう関係の人間がグウェンにできることはないわけだから。俺はその方が安心する。
 それは卑怯だよな。わかってる。

 俺はベルに「家でいい子で待っててな」と優しく声をかけてから立ち上がった。
 グウェンドルフを振り返って見上げる。

「ごめん。俺の言い方って思わせぶりでよくないよな。でも、まだグウェンとの関係に白黒つけるのが怖いっていうか、グレーゾーンでしばらくいたいっていうか……。いや、ごめん。これも卑怯だよな」

 俺が言葉を探しながら逡巡していると、グウェンドルフは数歩俺に近づいてきて、軽く髪に触れて頭を撫でてきた。

「わかった。謝らなくていい」

 そう言って真っ直ぐな目で俺を見下ろしてくる。

「私は私の意思で、君の時計は返さない。だから君も、自分の意思で決めてくれればいい」
「うん。……さんきゅ」

 グウェンドルフの言葉にほっとして、俺は小さく頷いた。
 返さない、と言われて何故かとても安心した。

「そういえば、グウェンの時計の裏蓋のダストカバーに描いてある魔法陣って何? 何かの術がかけられてるよな」
「フォンフリーゼ公爵邸に転移するための魔法陣だ」
「え?」
「それがあれば、いつでも領地に戻れるように彫られている」

 淡々と告げられた内容に驚いて瞬きした。
 それって結構秘密の術なんじゃないのか。

「君はエリス公爵邸からは来られるが、もし他の場所から私の家に来たい時は使うといい」

 いや、平然と言うなよ。
 これに必要な魔力を込められる人間は限られるだろうけど、結構セキュリティ的に危ない橋渡ってるよ?

 そう言おうとしてグウェンドルフを見上げたら、彼が信頼のこもった目で俺を見ていたので突っ込むのをやめた。
 グウェンにそんなふうに信頼されているのは、悪い気分じゃない。
 でも絶対落とさないようにしないとフォンフリーゼ公爵邸の治安に関わる。急に責任重大なものを託されているのに気が付いて、俺は時計が入っている上着の内ポケットを頑丈な布に変えようと心に決めた。



 二人で家を出て、王都を経由して転移魔法陣でルロイ公爵領まで移動した。
 図書館のある壮麗な教会本部の前に来ると、入り口に錫杖を持った上級神官服の男性が立っていた。

「あれ、リビエール上級神官?」

 驚いて声を上げると、俺達に気が付いた上級神官が憮然とした表情で会釈した。
 会うのは封印結界の事件以来だが、相変わらず俺への評価は低いのか愛想が悪い。

「お待ちしておりました。神官長より、中まで案内するように言われております」
「え? ルロイ神官長が?」
「一昨日の聖女候補の誘拐事件について、うかがいたいことがあるそうです。こちらへ」

 そう言われてグウェンドルフと歩いて近寄ると、リビエール上級神官はさっと手を前に出した。

「これは護符です。お持ちになって中にお入りください」
「あ、はい」

 入る時の慣例なのかわからないけれど、言われるがままに護符を受け取った。
 手に触れた途端、護符が黒い炎をあげて燃え上がる。

「うわっ」

 仰天して慌てて手を離して飛びずさった。

「なんですかこれ!」

 叫び声を上げて抗議すると、険しい表情になった上級神官が錫杖を構えた。

「貴方こそ、神殿に何を持ち込もうとしているんです」

 そう言うなり、間髪を容れず光の炎を打ち出してきた。
 俺が応戦するより早く、グウェンドルフが前に出てシールドを展開する。炎はシールドにぶつかってパンと掻き消えた。

「何をする」

 氷のような冷たさを感じる声音で、グウェンドルフがリビエール上級神官に問いかける。
 上級神官は少し怯んだ表情になりながら、グウェンドルフの陰から顔だけ出して様子をうかがっている俺を睨んだ。

「護符が反応したのです。邪悪なものを持っていれば、反応して黒く燃えます。正に今彼が手にしたら燃えたでしょう」

 確かに、燃えたな。

 しかし心当たりがなくて困惑する。

「俺何も持ってないはずなんですけど……」

 困り顔でそう言うと、リビエール上級神官は片眉を上げてじっと視線を送ってくる。

「なんなら持ち物チェックしてもらってもいいですけど、どこが反応してるかわかります?」

 服の中なのか鞄の中なのか全くわからない。
 危険物を持ってるつもりもないし。

 リビエール上級神官がまた錫杖をこちらに向けて何か魔法を使った。
 俺の前から退く気がないグウェンドルフを通してだったが、場所はわかったらしい。

「靴です。何か入れているんじゃないですか」
「靴?」

 意外なものを指摘されてきょとんとする。
 別に何も仕込んでいないし、いつも履いている普段使いのなんの変哲もない靴なんだが。

「え? 何か踏んだかな」

 足の裏をパタパタ上げながら見てみると、靴底の裏に少しだけ黒い染みがあった。
 それを見つけてピンとくる。

「もしかして、誘拐犯のおっさんの血か?」

 俺の言葉を聞いて、グウェンドルフも多分察した。確かに服はびしょ濡れになって洗ったけど、靴にこびりついた血は湖に落ちても多少残っていたみたいだ。
 まだ訝しげな顔をしている上級神官に俺から事情を説明する。

「魔道機関車でルシアさんと誘拐されたときに、誘拐犯の血を踏んでるんですよ。多分、禁術の対価として使われた人間の血だから、邪悪なものとして判定されたんじゃないかなと」
「……そうですか。わかりました」

 リビエール上級神官が一応納得したのか錫杖を下ろした。

「それでは、その履き物を脱いでお入りください」

 靴を脱いで内履きを借りてからもう一度護符をもらうと、今度は燃えたりしなかった。
 それで納得した上級神官に先導されて、俺達はようやく中に入れてもらった。
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