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第一部

五十四話 錆色トラップ 前

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 総帥に調査を命じられて、まずうちの実家のあるエリス公爵領へ移動した。
 ラズリシエの森まで行き、封印結界が収められている神殿の周りを確認する。
 最も、最近何度か見回りに来ているから、特に不審な点は感じない。
 神殿の周りを見回って、司祭に頼んで中を確認してから近くの村で遅めの昼食をとって、バレンダール公爵領へ移動した。

 バレンダール公爵領の封印結界は、エリス公爵領とシロナ山を隔てて殆ど対極にある。山の麓にあるイソルデ樹林の中にその神殿は建っていた。

 その昔、バレンダールの大禍を経験しているこの教会は、他の公爵領にある封印結界の神殿と比べても更に堅牢で荘厳な雰囲気を持っている。
 ネズミ一匹通れないがっちりした警備の中、扉を叩いて入室をお願いするのは至難の業である。

 俺は公爵家の懐中時計を出そうとして、今はフォンフリーゼ公爵家の家紋が入った時計しか持っていないことを思い出した。

 そうだった。交換したんだった。
 身分を明かすのにも必要だから新しい時計を執事に作ってもらうつもりだが、もしかしたら、その時はグウェンドルフに時計を返した方が良いんだろうか。俺が決めて良いって言ってたから、持っててもいいのか?
 
 考え始めると、咄嗟に手放したくないと思ってしまった自分の感情にまた混乱しそうになる。
 これ以上は仕事に支障が出ると判断して一旦思考を停止して、頭を切り替えた。時計の代わりにファネル総帥の書状を出す。

 門を守る警備の騎士に、調査のことを説明して中を見せてもらえないか頼んでみた。

「騎士団の人間と、神官以外は立入ることは出来ません。王都からも警備の強化を命じられておりますので」
「ファネル総帥から昨日不審な人物が目撃されたと聞いて調査に来たんですが、駄目ですか?」

 すげなく断られたので食い下がってみたものの、騎士は一度中に戻ってから司祭を連れてきた。

「申し訳ありませんレイナルド卿。バレンダール公爵様からも決して部外者を中に入れてはならないと命じられておりますゆえ」

 司祭のお爺さんは申し訳なさそうな顔をしてはいるが、油断のない目で俺を見ている。

「そうですか。封印結界に問題がないかどうか確認したかったんですが」
「私の責任において、何も異変は生じておりませんと申し上げます。ご安心ください」

 バレンダール公爵領の封印結界では、毎回この押し問答をするんだが、今日も俺を中には入れる気はないようだ。
 見た限り神殿の様子も普段と変わりないので、引き下がることにした。
 本当に中に入れてもらうには、多分あと二時間くらい粘らないと入れないから、今日はもうそんな時間ないしな。異変はなさそうだから良しとしよう。

 代わりに神殿の周囲の森の調査の許可をもらい、俺はイソルデ樹林の中に分け入った。

 トロン樹林でもそうだったが、神殿の周りにはいくつか魔物避けの結界が張られている。
 それを一つ一つ確認して、異常がないことを見回った。

「特に問題なさそうなんだよな……」

 じゃあ、爺さんが言ってた不審人物っていうのは何だったんだ?

 そう思いながら最後の魔物避けの結界を確認して森から出ようと歩き出した時だった。
 草むらの中が微かに光っていて、何かが落ちているのに気がついた。

「これは……?」
 
 拾い上げると、小さな小瓶だ。木々の隙間から差し込む日の光に反射して光ったらしい。中身は空だが、よく見ると底に黒ずんだような何かの液体がこびり付いた跡が見える。

「んー、怪しい、よな」

 結界の近くに落ちているのはちょっと不審なので、念のため回収しておく。
 後で王都に帰ってから総帥に渡して確認してもらおう。
 小瓶をポケットに入れた時、ふわりと何処からともなくまた蝶が飛んできた。
 今度の蝶はウィルのものだ。
 色は黄色。喫緊ではないけれど、手が空いたら見てほしいという時の色だ。

「バレンダール公爵が?」

 手紙の内容によると、『レイナルド様にお話したいことがあるので本日のご用事が終わったら公爵のお屋敷を訪ねてほしいそうです。』とのこと。

 偶々バレンダール公爵領にいるから、公爵の屋敷に行くのはここからさほど時間がかからない。
 頭の中に、この前の御前会議の時に見た公爵の顔を思い浮かべる。

 俺に話したいことって、一体どうしたんだろう。

 不思議に思いながらも、俺はイソルデの森から出てその足でバレンダール公爵の屋敷に向かった。




「やぁ、レイナルド君。この前王宮で会ったとき以来だね」

 バレンダール公爵の屋敷に着くと、案内されたのは公爵の執務室だった。
 最近は公爵達の間で執務室に人を呼ぶのが流行りなのか?
 多分、内緒の話だからってことなんだろうけど、ルロイ神官長といい、バレンダール公爵といい、最近身分の高い人達に会う頻度が多い気がする。

「こんにちは閣下。お話があるとうかがいましたが」
「ああ。忙しいところ悪かったね。さぁ座って。君が最近、あちこち渡り歩いていると聞いたものだから、少し心配で連絡したんだよ。ちょうど神殿の司祭から君が来たと知らせをもらってね」

 バレンダール公爵が応接スペースのソファに座り、俺も向かいのふかふかのソファに腰掛けた。気を付けていないと身体が後ろに倒れる。ソファに身体が埋まるタイプのやつだ。
 お茶が運ばれてきた後で執務室内の人がいなくなった。公爵は紅茶を一口飲むと、俺に視線を投げてきた。

「さて、君も忙しいだろうから、早速話をさせてもらおう。レイナルド君は、バレンダールの大禍について、どれだけのことを知っているかな」
「バレンダールの大禍ですか?」

 おれはきょとんとして首を傾げた。
 予想外の話だった。てっきり今回の魔道機関車の事件についてもう耳にしていて、それで話があるのかと思っていたのに。
 俺は少し考えてから口を開く。

「詳しいことは、あまり。歴史の本で読んだり、叡智の塔で聞いたくらいです」
「叡智の塔で、ね」

 微妙なニュアンスでバレンダール公爵が意味深に頷く。

「閣下はよくご存知なんですか?」
「ああ、私は当時二十代で、兄を大禍で亡くしている。兄だけではなく、当時現役だった騎士達は、皆凄惨な被害を受けた」

 公爵のお兄さんが昔亡くなったことは知っていたが、バレンダールの大禍が原因だとは知らなかった。俺は神妙な顔をして姿勢を正す。
 こんな話を始めたということは、公爵は俺に何か伝えたいことがあるんだろうか。
 ひょっとして、四十年前の話と、今回の事件には何か関連性があるのか。確かにどちらも封印結界が関係しているが。
 俺が内心で首を捻っていると、バレンダール公爵は俺の目を見て話を続けた。

「バレンダールの大禍について、歴史の本にはなんと載っていたかな」
「確か、四十年前、ある日突然各地の魔物が一斉に凶暴化して各公爵領の封印結界を襲ったとか。一番被害が大きかったのが、閣下の公爵領だったため、バレンダールの大禍と呼ばれるようになったと」

 慎重に言葉を選んでそう言うと、公爵は何度か頷いた。

「そうだろう。きっと歴史書にはその程度しか書かれていないんだろう。実際、ある日各地の魔物が封印結界を襲ったのは事実だ。それに対して各公爵領の直属騎士団は必死の防衛を行った。異常なまでの魔物の凶暴化と増殖により、各公爵領の騎士団は壊滅的な被害を受けた」
「はい」
「しかし、妙だとは思わないかね。歴史書の中には、公爵領直属騎士団だけでなく、近衛騎士団と宮廷魔法師団についても書いてあっただろう」

 そう言われて、俺は歴史書と授業の内容を思い出す。
 確かに、ファネル総帥が率いる近衛騎士団も甚大な被害を受けたと聞いた気がする。総帥が騎士団を指揮して結界を死守したとも。

「はい。近衛騎士団も同じように被害を受けたと聞きました」
「そうか。でもね、レイナルド君。私は当時を知っている者として言わせてもらうと、近衛騎士団は、魔物の討伐には来なかったよ」
「え?」
「少なくとも彼らは、バレンダール公爵領には来なかった。それどころか、王都に魔物が侵入することを忌避した。その当時は、近衛騎士団よりも各公爵領の直属騎士団の方が力を持っていると言われていた時代だった。大禍により直属騎士団が弱体化して、それからはファネル総帥率いる近衛騎士団が力を持つようになったのだ」

 俺はバレンダール公爵が話す内容が今まで知っていた事実と異なることに困惑して、軽く目を見開く。

「でも、力のある魔法士が多かった近衛騎士団と宮廷魔法士団から殉職者が多く出たのは事実ですよね? 彼らが王都から出てこなかったのであれば、一体何故殉職したなんて史実を伝えているのでしょうか」

 そう不思議に思って言うと、バレンダール公爵はため息を吐いて首を横に振った。

「わからない。当時王都から遣わされたのは封印結界を守るための神官数人と、光属性の精霊力を使える少女だけだった。だから各公爵領には甚大な被害が出たのだよ。たまたま、我がバレンダール公爵領を除いた他の三公爵家には、聖女候補となる光属性の力を持つ貴族の娘がいた。だから持ち堪えたが、バレンダール公爵領だけは不在だった。その結果結界に綻びが生じ、神官達も、騎士団に属していた私の兄も多くの者が犠牲になった」
 
 深い悔恨を滲ませるバレンダール公爵の表情を見て、俺も握った手に力を入れた。

「それを知っているから、私は正直ファネル総帥のことをあまり信用出来ないでいる」

 突然、確信めいたことを口に出したバレンダール公爵を俺は驚いて見つめた。
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