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第一部
四話 白銀サンクチュアリー(19years old)
しおりを挟む一年前の冬、俺は実家のエリス公爵領の西側にあるラズリシエの森に来ていた。
というのも、近隣の住民から前日の夜に森で何かが落ちたような大きな音がしたと知らせをもらったからだった。
王都の南部に位置するエリス公爵領は北部に比べると雪解けが早い。まだ冬ではあるが、ここ最近晴れた日が続いたせいか解けた雪で地面も緩んでいる。そこへ前日に発生した強い嵐のせいで、森に連なる山から雪崩でも起きたのだろうかと心配した住民が次の日の朝に俺に宛てて手紙蝶を飛ばしたのだ。
個人的に確かめたいこともあったので、俺は近くの街まで転移魔法陣で飛び、昼にはラズリシエの森までたどり着いていた。
宮廷魔法士は各地に設置された公的施設にある転移魔法陣を面倒な手続きなしで使えるので、本当に便利な職業である。
しかもタダで使える。
ヤッホー王権。
向かった先のラズリシエの森は、南部のエリス公爵領と、西部のバレンダール公爵領に挟まれている広大な森林だ。いやどちらかというと、ラズリシエの森がちょうど二つの公爵領の境目を作っているというのか。
昔から人里に近い辺りは自然生物や薬草が豊富であることもあり、近隣の住民からは生命を育む森と大切にされてきた。
しかし500年前(と言われている)、デルトフィア帝国に時空の綻びが生じ、魔界の一部と繋がってしまった。この世界を創造した女神の力を受け継ぎ、桁外れの神力を持っていたとされる当時の聖女のおかげで魔界との綻びは封印され、魔物も討伐されたのだが、一部その残滓が今も残っている。つまり、封印結界の近くの森の奥にはまだ魔のものが度々現れるのである。
その原因は詳しくはわかっていない。魔物が密かに子を産んでいるとも言われているし、土の中で眠っているとも言われる。
各地に現れる魔物は、陛下直属の近衛騎士団が定期的に討伐しているが、未だに根絶出来てはいない。
ラズリシエの森に入る前に、俺は森の近くに建てられた教会に立ち寄った。田舎にあるには相応しくないと思われるような、立派な石造りの荘厳な教会が突如長閑な風景の中に現れる。教会の前にはしっかり扉を閉ざした門扉があり、前に立つ二人の衛兵が周囲を警戒していた。
俺は静かに衛兵に近づき、エリス公爵家の家紋が入った懐中時計と宮廷魔法士の証である徽章が入った杖を見せた。
「突然すまない。エリス公爵家のレイナルドだ。結界の確認をしたいのだが、司祭殿はおられるか」
「は。少々お待ちを」
俺の顔を見てすぐに誰なのか把握した様子の衛兵が、もう一人を残し中に入って行った。
実家のある公爵領だと話が早くて助かる。
バレンダール公爵領の結界を見に行ったときなんかは、中に入れてもらえるまで数時間かかったもんなぁ。
暫くして顔馴染みの司祭が中から現れた。
「レイナルド様。お久しぶりでございます」
「久しぶり。突然ですみません。昨日の夜森から凄い音がしたと知らせがあったものですから、ちょっと確認しに来ました」
そう言うと、司祭は森の方を見ながら何度も頷いた。
「ええ。確かに。昨日の夜、未明の頃でしょうか。強い嵐でしたが、その最中に何かが落ちたような、裂かれるような音がいたしました」
「なるほど、それは気になりますね。これから少し森に入ってみます」
「おお。それはありがたい。レイナルド様に確認していただければ、皆安心するでしょう」
「昨日の夜から、封印結界に異変はありませんね」
俺の質問に、司祭は真面目な顔で再度頷き、真っ直ぐに視線を合わせて答えた。
「はい。そちらは問題ございません」
「よかった。森に異変と聞いて少し心配だったので」
「中を見て行かれますか?」
「いや、先を急ぐので今日はこれで」
「承知しました。くれぐれもお気をつけください」
丁寧にお辞儀をした司祭に礼を言うと、教会から離れ森に向かった。門番と司祭は俺の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
結界の無事がわかって俺は安堵していた。
先程立ち寄った教会には、その昔女神が魔界の蓋を封じた時の封印と、この国を守る結界がある。
デルトフィア帝国には、ここを含めて五つの封印結界があり、四つの公爵領がそれぞれ封印結界を一つずつ治めている。最後の一つは王都にある王宮の深部にあるらしいが、流石にそこまでは確認したことがない。
個人的な事情ではあるが、レイナルドが闇落ちして悪魔を呼び出すと思い出したとき、真っ先に思い至ったのはその結界を破ることだった。封印結界を破れば、そこが魔界に繋がり悪魔を呼び寄せることが出来てしまう。
それに、この先俺が直接関わらなかったとしても、何らかの策略に巻き込まれる可能性もある。
そう考えて、それぞれの公爵領に収められている結界がどこにあるのか、前世を思い出した後から独自に調べておいた。何か事件に巻きこまれた時、結界の場所を知っているのは有効な情報になるだろうと思ったのだ。
野生動物が多いラズリシエの森では、いつどんな獣が飛び出してくるかわからない。周囲の様子をうかがいながら慎重に進んでいた。ほとんど道もないような獣道を、ひたすら奥に歩くとしばらくは普通の植生が続いたが、深部に近付くにつれて辺りは鬱蒼とした木々で薄暗くなり、獣道も細くなった。
木の幹の太さも森の入り口とは違い、樹齢の長い大木の姿があちこちに見られるようになった。
この森をさらに進むと高い崖が現れ、それがシロナ山に続いていく。標高も高いこの山脈の存在は、隣領のバレンダール公爵領とエリス公爵領とを完全に隔てていて、地上からの行き来を妨げている。
俺がラズリシエの森を訪れたこの時は、正にこの山にトンネルを掘り、バレンダールとの交易路にしてはどうかという計画が領内で提案されていた。トンネルを作るとしたら、このラズリシエの森の中にも道を切り開く必要が出てくる。俺が個人的に来た用事とは、その行路を下見することだった。
森の深部を辿りながら大分歩き、やがて俺は司祭が言った言葉の意味を知った。
山の崖と程近い場所で、巨木が倒れていた。黒焦げになり、幹が途中まで二つに裂けた大木。それが周りの細い木々を巻き込んで横倒しになっていた。
雷が落ちて、幹が裂けたんだろう。
不審な音の原因が自然現象だとわかってほっと安心した時、近くから微かに物音がしてはっと耳を澄ませた。
小さく何かを掻くような微かな音。
それが巨木の裏から聞こえると気付き、向こう側が見えない大木の裏にそうっと回り込んだ。
もし野生動物だったらそっと立ち去るつもりで覗き込んだ俺は、それを見て息を飲んだ。
目に飛び込んできたのは、銀色に輝く艶のある毛並。小柄で華奢な脚を持つ獣で、姿は馬に似ているが、馬よりもまろく骨張っていない。たてがみが銀色とも金色ともつかない不思議な色合いをしており、光を反射して美しく光っている。
それは、人前には殆ど姿を現さないはずの聖獣だった。俺自身も本でしか見たことがない、稀有な聖獣、チーリン。
その聖獣が巨木の下敷きになり、弱々しく脚で地面を掻いていた。
「大丈夫か?」
すぐさま駆け寄り、地面に手をついた。
「堅き大地を護る精霊よ、力を貸してくれ」
そう唱えながら精霊術を使うと、巨木のすぐ下から地面が力強く湧き上がり砂埃をあげて隆起し始めた。地面に埋まっていた木の根が持ち上がり、バキバキと音を立てながら巨木を浮かせる。
俺は地面に手をついたまま、もう一度精霊術を駆使して聖獣の上から持ち上がった巨木を慎重にずらした。ミシミシと音をたてる巨木を空いた地面にズシンと転がす。
巨木が身体の上からどかされても、聖獣は横たわったまま自分では動けないようだった。
怯えさせないように慎重に近づき、膝をついてよく観察する。
「これは……」
聖獣は微かに頭を持ち上げて、オパールのような澄んだ眼でこちらを見ていた。
俺は唇を噛んで、小さく唸った。
チーリンは、動物と違い自身で精霊術のような癒しの魔法を使うことが出来る。それがチーリンが聖獣と言われる由縁である。
そしてその力の源となるのは、額にある太い角と言われている。その角に魔力を溜めておけるのだ。
しかし、目の前に横たわるチーリンは、角が折れていた。
巨木が倒れてきた時に折ったのだろうか。
更に後ろ脚の付け根から腰にかかるまでが木に潰されて酷い怪我もしていた。
もう助からないかもしれない、と思った。
それでも、微かな希望にかけようと俺は上着から杖を取り出した。
癒しの力は光の精霊の加護がないと使えないため、俺には魔法陣なしでは使うことができない。
手間ではあるが魔法陣を描いて精霊の加護を乞えば簡単なものなら行使できるため、地面に杖を突き立てたとき、チーリンが小さく鳴いた。
顔をチーリンに向けると必死に何かを伝えようと顔を弱々しく振っている。
「大丈夫だ。きっと元気になるから」
そう言って安心させるようにそっとチーリンの首もとに触れた。
ーーお願い
そう聞こえた声に驚いて動きを止めた。
ーーお願い、この子を
もう一度そう聞こえた声の主が、目の前のチーリンだと気付いた。
言語として聞こえてはいないのに、意味だけが頭の中に入ってくるような感覚だった。
チーリンが必死に何かを伝えようとしている。それがわかって首に手を触れたまま声に耳をすませた。
ーーこの子を助けて。
この子を、と聞いて、はっとチーリンの下を覗き込んだ。
銀色の長い毛足にまぎれ、チーリンに隠された身体の陰から小さな脚が見えた。そっと毛をかき分けると、小犬くらいの大きさの子供のチーリンが横たわっていた。
大きな怪我はしていないようで息もまだあるが、ぐったりしてぴくりとも動かない。だいぶ衰弱しているようだった。
「こっちを先にってことか?」
どちらも瀕死の状態で、どちらも急を要する。
とにかく癒しの術をかけなければ、と首もとから手を離そうとしたが、大人のチーリンはまた首を振った。
ーー私の力を、この子に
「力を?」
聞き返すと、頭の中にざっとイメージが流れてきた。
親であるチーリンは、角を損い、下半身を潰されてしまった今、もはや助からない。
子供は親が庇ったおかげで傷を負わずに済んだが、子供はもともと角に魔力をうまく溜められないため、親が角から魔力を分け与える必要がある。親の角が折れ、身動きも取れないため子供に生命力を渡すことが出来ず、この子は衰弱している。
微かに残った魔力で癒しの魔法を子供にかけ続けていたが、その体力ももはや自分には残されていない。
角は折れてしまったが、まだ体内には少し魔力が残っている。それを子供のチーリンに移して与えて欲しい。
「手伝うのは構わないけど、どうすればいいんだ?」
ーー私とこの子の角に触れて
ーー貴方の身体に通路を作る
「俺の身体を使って通すってことか?わかった。とにかくやってみよう」
精霊師の場合、魔力とは違って自然界に宿る精霊の力を媒介にして術を行使する。
力を吸い上げるパイプが大きいほど、精霊師の使える術も強い。俺はもともとパイプはそこそこ太い方だから、チーリンの魔力を通すのもなんとかなるだろう。
「少しだけ魔力を自分に残せないのか。すぐに近隣の教会から神官を呼んでくるから」
そう言ったが、チーリンは小さく首を振った。
ーー角が折れたから、もう命をとどめることができない
そうチーリンの感情が伝わってきて、既に覚悟を決めているその姿を見て唇を強く噛んだ。
早く、と促されるまま、俺は右手で親のチーリンの折れた角に、左手で子供のチーリンの角に触れた。
直ぐに右手と腕、身体の中まで血管の中を熱いものが流れてきたように感じた。その熱が心臓を通過するとき、ドクンと大きく鼓動して身体が大きく揺れた。
咄嗟に手を離そうとするのを意志の力で押し留める。
心臓を伝い、また左手の先に流れていった熱が子供のチーリンの角にすうっと吸い込まれていく。多分これがチーリンの魔力なんだろう。身体中が熱くなって息苦しくなる。身体全体を回った熱に汗が噴き出すが、じっと身動きせずその熱に耐えた。
少し経つと、次第に子供のチーリンは少し息が穏やかになった。
親のチーリンはそれを見て目を細め、まだ魔力を流し続ける。こちらを見たチーリンは俺と目が合うと頭を下げた。
ーーこの子が目覚めたら、貴方が精霊力を分けてあげてほしい
「俺が?出来るのか?」
ーー貴方の中には道が出来た
ーーこれから貴方の中に貯まる精霊力も、私に近いものになる
「今みたいに精霊力を注げばいいんだな?わかった。心配しないで」
そう言うと、チーリンは安心したようにまた頭を下げた。
「今すぐ神官を呼んでくるから、少し待ってろ」
ーーこの子が自分で魔力を貯められるようになるまで、どうかお願い
「わかったよ。大丈夫だ。ちゃんと育てて森に返すよ。だからお前もあきらめるな」
俺の言葉にチーリンは濡れた眼を細めた。泣きそうな声になった俺を見上げてクル、と小さく鳴いた。
手を伝っていた熱が唐突に止まった。
チーリンは頬擦りするように一度子供の体に頭を擦りつけた後、地面に臥せてゆっくりと目を閉じた。
「チーリン!」
そのままもう動かなくなってしまったチーリンを前に、俺は折れた角に振れていた手に精霊力をこめて、なんとかチーリンの身体に精霊力を入れようと試みた。
しかし何度やっても折れた角には精霊力が入っていかない。
震える唇を噛んでその胸に手を置き、もうチーリンが息をしていないことを確認した。
その事実に気づき、しばらく呆然とする。
胸に置いた手を動かして、まだ暖かい毛並みをそっと撫でた。
目から溢れた涙が膝をついた足を濡らす。
助けられなかった命が目の前にあることが悔しくて、精霊師のくせに何の力にもなれないことが情けなくて、唇を噛み締めてせめて嗚咽を飲み込んだ。
応援ありがとうございます!
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