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飛竜と海竜は惹かれ合う

第二十七話 惹かれ合う魂

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 すぐに近くを飛んでいた偵察機に見つけてもらい、水の上から発進できる小型飛行機に乗って燕に戻るために飛び立った。
 
「あんたはやっぱりわかってねぇよ。送り出すこっちの身にもなれ。今回も俺がいなかったらあんた死んでんだぞ」

 担がれるように飛行機に乗せられて、撃たれたリアンの足を手当てしながらヴァルハルトがぼやく。
 リアンが燕から飛び出した後、空軍の戦闘機でローレンと一緒に追いかけてきてくれたらしい。敵の戦闘機を撃墜してくれたリアンの副官は、そのまま周囲を巡回してから燕に戻ると言っていた。

「お前が来て、私が無事なんだから、いいだろう」
「何がだよ。何もよくねぇよ。俺がいないとこであんた死ぬんじゃねぇか」
「死なない。お前が来るから」
「……」

 濡れた身体を薄い毛布で包まれて飛行機の並んだ座面に足を伸ばして寝かされている。全身横になるほど座面は広くないので、背中は窓側の壁に預けた。ヴァルハルトは床に座ってリアンの足に包帯を巻いていたが、リアンの言葉を聞いて顔を上げた。
 眉間に皺を寄せた男の目をじっと見る。何かをこらえるような顔をした海竜の瞳孔が微かに広がり、その双眸が細まるのを眺めていた。リアンを凝視するヴァルハルトの青い瞳は、相変わらず海のような不思議な透明感がある。揺れる海面のようで綺麗だと思った。

 目の前に座る竜が口を開きかけたとき、操縦席にいる士官が「少将!」と声を張った。さきほどから無線で連絡が飛び交い、聞き耳を立てるのも疲れてしまったので聞いていなかったが、何か問題が発生したのか。ヴァルハルトから視線を逸らして前に頭を向けた。
 
「どうした」
「敵のステルス機が一機、西側の海から回って王都に接近したそうです」

 それを聞いて身を乗り出す。

「迎撃は。陸軍は何をしている」
「ミサイルがフレアでことごとく回避されているようで。陸軍のレーダーには映らず捕捉するのに手間取っているようです」
「空軍の戦闘機は。陸部の基地から発進すれば間に合うだろう」
「戦闘機は全て出動済みで偵察機が向かっているそうですが……ですが、先に王宮に向かっていた中将と大将の乗る輸送機がステルス機に接近しているようでして」
「……どういうことだ」
「申し訳ありません、私も燕からの無線を聞いているだけなのでなんとも……。あ、お待ちください。今、輸送機から中将が単身でステルス機に向かったと」
「なんだと」

 ヴァルハルトと顔を見合わせた。
 叔父が単身で敵機に向かったと言ったか。
 突然の急展開に王宮を心配しながら、叔父が自ら敵の戦闘機を止めにいったのか、と意外な思いがした。竜としての本能が目覚めたのか、空軍としての意地を見せようとしているのかはわからないが、迎撃のタイミングが遅くなれば王都に墜落して民間人に被害が出る恐れがある。なんとか王都に着く前に迎撃しなければならない。
 
 焦ってもリアン達にはどうすることもできず、黙って無線の続きを待っていると、しばらくして燕から通信が入ったのか雑音と共に機械を通した声が聞こえた。

「え……?」

 聞こえた内容に息を飲んだ。
 リアンが言葉を失っていると操縦席にいる士官が無線の情報を繰り返して伝えてくる。

「ステルス機、撃墜しました。中将が発信機を持って交戦し、陸軍のミサイルで撃ち落としましたが、中将が爆炎に巻き込まれ生死不明と」

 硬い声でそう言った士官に「わかった」とだけ返事をしたが、衝撃で頭の中は真っ白だった。
 叔父が撃墜に巻き込まれた。
 竜だから、そう簡単には死なないとは思うが、それでも重傷であることは間違いないだろう。

「……あのおっさんにも、竜らしいとこがあったんだな」

 何も言えないでいるリアンの横で、ヴァルハルトがぽつりと呟いた。
 そうなのだろうか。
 叔父は、王宮が危険にさらされて初めて、竜としての矜持を思い出したんだろうか。わからないが、王宮は無事だった。空軍としては、最悪の状況は免れたということだろう。

 壁にもたれながら、深く息を吐いた。

 気持ちを落ち着かせてからしばらく沈黙が流れた後、床に座っていたヴァルハルトが「俺も座っていい」と聞いてくるから頷いた。確かに床は硬いし小型飛行機はかなり振動があるだろう。
 向かいに一人がけの座席が空いているのに、ヴァルハルトはわざわざリアンが寝ている方に座り込んだ。座面の広さは限られている。奴は思案した結果、何故かリアンを持ち上げて自分が壁にもたれて座り、自分の足の間にリアンを入れた。さすがに狭いから片足は床に下ろしている。
 背中をヴァルハルトの胸に預けるような体勢で怪我した足を伸ばして座らされて、顔が強張る。

「おい、何かおかしい」
「気のせいだろ。あんたそのままだと寒そうだし」

 後ろから回した腕でリアンを引き寄せて寄りかからせ、満足げな息を漏らしたヴァルハルトはどうせ言っても離さないだろうから仕方なく身を委ねる。
 咆哮を放って疲れていたし、確かに背中が温かくて心地よかった。しかし操縦席の士官が後ろを振り返ったら卒倒するかもしれない。彼が振り返ることなく無事に燕に着機できることを祈る。

 まだ燕に戻って状況を確認するまでは安心できないのに、暖かい腕の中にいたら気が緩んで満身創痍の身体が仄かに眠気を感じた。

「なあ、俺やっぱりあんたのことが好きだ」

 唐突に、後ろからヴァルハルトの声が響いた。
 リアンの髪に鼻筋を擦りつけられるような感触がして一気に眠気が吹き飛んだ。
 やっぱり、というのがどういう脈絡なのかわからないが、強張ったリアンの身体をヴァルハルトが後ろからぎゅっと抱きしめてくる。

「ずっと前からあんたのことが気になってた。あんたは綺麗で、強くて、誰よりも孤高で気高い竜だ。空に浮かんでる夜の月みたいな奴だと思ってた。おいそれと話しかけらんねぇ人間離れした空気を纏ってんのに、あんたは俺にはいつも感情をむき出しにして全力で向かってくるから、俺はそれに快感を覚えてた」

 ヴァルハルトがそう言いながら、自嘲するように笑った。

「今思えば定例会議に行くたびに、またあんたとやり合えると思ってウズウズしてたな」

 耳元で聞こえる笑い声を聞いて、会議のたびにそんな物騒なことを思っていたのかと少し呆れたが、次にヴァルハルトからは真剣な、緊張を孕んだような空気を感じて大人しく耳を澄ませた。

「あの新月の夜、弱ったあんたを見つけたとき、めちゃくちゃ可愛く見えて、自分でも馬鹿みたいにすげぇ興奮して、押さえてたもんが全部弾け飛んだみたいに衝動を止められなかった。あの夜から、多分俺はあんたに落ちてた。雄に惹かれたことなんてなかったのに、それからあんたのことがずっと忘れられなくなった。それが恋慕だったってわかったのは、あんたが死んだって聞かされたときだったが」

 自分の心臓の音がはっきり聞こえる。
 感じたことのない緊張を覚えて、胸が早鐘を打つようにどきどきして、なのにそれが少しも不快な気分ではないのが不思議だった。
 顔が熱いし、なぜか少し眦が潤んでいるような気もする。顔を見られない体勢でよかったと心から思った。

 ヴァルハルトはリアンの腹の前に手を回したまま言葉を続ける。それが普段のこの男には考えられないような真面目な声だとわかるから、リアンは緊張したまま身動きせずにじっと息を潜めていた。

「あんたはグラディウスの血を残すことに拘ってたし、あんたが竜を番に選ばないならそれでもいいかと思ったりもした。でも、やっぱり無理だ。俺はあんたがほしい。竜にも人間にも渡したくねぇ。あんたに触れていいのは俺だけだ。誰かのものになるなら、俺以外は許せねぇ。俺と番おう。リアン」

 リアンと初めて自分の名前を呼ばれたとき、ピクと肩が揺れた。
 同時に動揺で息が止まる。

 番おうと言われた。
 番おう……?

 その言葉が胸の奥に滑り込んできた。

 ヴァルハルトがリアンを抱きしめた腕に力を入れて、後ろから肩に額を擦り付けてきた。

「頼むから、頷け。あんたがグラディウスのために人間と番おうとするのをこれ以上見てらんねぇ。すげぇ嫌だ。俺の中の竜があんたじゃなきゃダメだって言ってんだよ」

 懇願するような掠れた声を聞いたら、唇が微かに震えた。潤んだ眦に今度こそ何かが溜まってくる。

 ぎゅっと手のひらを握ってヴァルハルトの背中から身体を起こそうとしたら、引き止めるように後ろから強く抱きしめられた。

「空に生きてるあんたを海につなぎ止めようなんて思わねぇから。風になって飛んでるあんたが好きなんだ。だから住むところは違っても、好きな場所で会えばいい。あんたが番になってくれるなら、俺は一日のうちにほんのちょっとあんたに会ってキスができればそれで満足する。俺たちは別々の竜だが、それでも一緒に生きられる。一緒にいたい。あんたと」

 胸に込み上げるこの熱い衝動は、何なのか。
 自分の意思とは関係なく、勝手に喉の奥が震えてくる。眉間に力を入れて堪えようとするのに、目尻に溜まる水滴を押し戻せない。

 嬉しいのか。

 自分は今、嬉しいと思って胸が震えている。

 唇を強く噛んで息を押し留め、今度こそ力を入れてヴァルハルトの腕の中から抜け出した。上体を起こして振り返り、睨むようにその顔を見るとヴァルハルトも眉間にきつく皺が寄っていた。
 リアンを射抜くように見つめてくる青い瞳を強く見つめ返したら、竜は怯んだような顔になって、眉尻が微かに下がる。

「……でいいのか」

 思い切って声を出したのに掠れた蚊の鳴くような声量しか出ず、ヴァルハルトが怪訝な顔をする。

「何?」

 その切なげに眇められた青い眼を直視できなくなって、リアンは視線を逸らした。ヴァルハルトの顎あたりを見つめてもう一度呟く。

「……ほんのちょっとでいいのか」

 そう言うと、長い沈黙が流れた。

 やがて目の前の男から我に返ったように息を飲む気配がして、焦ったように伸びてきた腕に引き寄せられた。身体を捻った体勢で上半身を正面からぎゅっと抱きしめられる。

「できるなら、毎晩抱きしめて一緒に寝たい」

 吐息の熱さを感じる掠れた声が耳元で囁く。
 リアンは軽く身動ぎして手を伸ばし、ヴァルハルトの服の裾を掴んだ。湿った軍服の肩口に頬をつけ、身体の力をふっと抜いて体重を預ける。

「それなら、なる。番に。お前の」

 呟くように言う。顔が熱い。ヴァルハルトの顔は見れないし、自分の顔も見せたくないから奴の首元に顔を伏せたまま動かなかった。
 リアンの返事を聞いた竜はヒュッと息を吸い、小さく唸って抱きしめた腕を目一杯締め付けてきた。

「後からやっぱやめるとかなしだからな」

 失礼なことを言う男に「バカ」と一言答えて目を閉じた。

 自分も一緒だ。

 自分の中の竜が、この男だと言っている。前はあんなに嫌いだったのに訳がわからないが、そうなのだ。自分が感じたことのない衝動を覚えるのは、この男だけだ。この男を求めている。他はいらない。そうはっきり思うほどに、番になるならこの竜しかいないとわかる。
 昨日の夜、船の上で再会したときにわかってしまった。顔を見て、ヴァルハルトが無事だとわかった瞬間、心の底まで安堵と安らぎで満たされた。抱きしめられて、キスをされたら自分の中の何かが緩んだ。離れがたいという思いを人に抱いたのは初めてだった。
 相変わらず自分勝手な奴で、人の言うことは聞かないし、口も悪いが、この男はもしリアンに何かあれば全部放り出して必ず助けに来ると今は確信できる。そして自分は、それがどうしようもなく嬉しいのだ。

 こいつは雄だが、仕方がない。この海竜が別の雌を番にすると言ったら、おそらく自分はショックを受けるだろう。そして多分、耐え難く嫌な気持ちになる。
 もしヴァルハルトが飛竜だったら、雌だったら、自分は迷わなかった。それに気づいてしまったから、リアンはもう自分の感情を認めることにした。
 認める。この荒くれ竜にどうしようもなく惹かれていると。

 息を吐いてようやく少し顔を上げると、初めて見る柔らかな笑みを浮かべた男が鼻先を擦り寄せるようにして唇を寄せてきた。
 腰に腕を回して引き寄せてくる奴は、多分リアンの怪我のことをもう忘れている。仕方なく左足をずらして上半身だけで伸び上がり、ヴァルハルトの肩を掴んで自分から唇を重ねた。
 すぐにがぶりと噛み付くように深く合わさった唇が、あっという間にリアンから冷静な思考を奪っていく。

 燕に着くまであと十分程度だろうか。

 それまでにもし押し倒されそうになったら、遠慮なく殴ろう。
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