荒くれ竜が言うことを聞かない

遠間千早

文字の大きさ
上 下
25 / 38
飛竜と海竜は惹かれ合う

第二十五話 抗う者たち 中

しおりを挟む
「朽ち葉船長……?」

 ーー今、飛んでいたか?

 呆気に取られたリアンの口からぽろりと声が漏れる。
 単身でデッキに立つ船長は「眩しいが、仕方がない」と言って右手で黒い色眼鏡を外した。
 眩しそうに目を細めた彼の瞳は、明るい輝きを放つ黄色だった。

 黄色の眼。

「ウミガラスの船長、あんたまさか」

 ヴァルハルトも驚愕している。
 二人の竜を前にして、朽ち葉は柔らかな笑みを浮かべた。

「普段はね、青いレンズを入れて瞳の色を変えてるんだよ。ガウスに船を任せて目薬を入れ直していたら遅くなってしまった。すまないな」

 そう言って船長はリアン達に歩み寄り、咆哮が終わった祖父の方を見た。
 透明な膜がすっと消えたのを感じる。微かにはためくような風を感じ、まさか翼だったのだろうかと思った。飛竜の咆哮を翼で弾くなんて、聞いたこともない。そんなことを試したこともなければ、できるなんて思ったこともなかった。

 ヴァルハルトに抱き上げられているリアンを見て、朽ち葉は詫びるように眉を下げた。

「すまなかった。リアン。君にばかり損な役割を押し付けてしまったな」

 後悔を滲ませるような物言いに、リアンは本格的に混乱した。

 朽ち葉が飛竜である、という事実はもはや覆しようがない。髪は一見白いが、日の光の下でよくよく見るとその中には銀色の髪も混ざっているように見えた。
 しかし、海に飛竜がいるなんて聞いたこともなければ、一族の中で話題に上ったことすらなかった。彼が何者なのかさっぱりわからない。

「あなたは……」

 祖父の咆哮を翼で受け止めるなんて、力の弱い竜にできるはずがない。だとすると、彼は本家筋に近い飛竜だということになる。
 リアンが固まってその顔を凝視していると、船長は深く息を吐いた。

「私があのとき投げ出さずに、一族を正さねばならなかったのだな」

 嘆息した隻腕の船長は、ヴァルハルトとリアンの前に立って祖父と対峙した。

 祖父は、朽ち葉船長の姿を見て驚愕に顔を染め、棒立ちになっていた。瞠目して食い入るようにその顔を凝視していたが、やがて小さな呟きが漏れる。

従兄上あにうえ?」

 その声を聞いて、船長はまたため息を吐いた。

「久しぶりだな。リューイ。私を海に落として以来か。一族に見切りをつけたからには、ここには二度と戻らないと思っていたが、お前が私の又甥をいじめているようだから引導を渡しにきた。まさかお前達がまた飛竜を海に落とすなんて愚かな真似を繰り返すとは、あきれ果ててものがいえない」

 冷ややかな声を出す朽ち葉の背中をリアンは呆気に取られて見つめていた。

 従兄あにと言った。
 祖父には兄弟はいないはずだから従兄弟なのか。
 確かに、朽ち葉船長の外見は若くまだ老人とは言えないが、強力な竜印を持つと考えれば納得する。従兄と言ったが、一見すると祖父の方よりも若く見えるかもしれない。

「朽ち葉船長が、お祖父様の従兄……?」

 呆然と呟いたリアンの声を拾って、眉を顰めて状況を見ていたヴァルハルトが「どういうことだよ」とひそひそ顔を寄せてくる。

「私にもわからない。お前こそ、ウミガラスとは付き合いが長いのだろう。彼が飛竜だと今まで気づかなかったのか」
「いや、全然。俺はガウスとしか普段話さねぇし、あの船長海軍がいるときはほとんど外に出てこねぇから」

 そう言うヴァルハルトの顔は本当に不可解そうに見えたので、リアンも困惑したまま頷いて祖父と朽ち葉の方に視線を戻した。
 祖父はまだ彼を熟視するように見つめている。

「生きていたのか」
「まあな。お前達に腕を落とされて、海に突き落とされたからにはもう愛想が尽きたと思っていたが、グラディウスは相変わらずのようだ。ようやく見どころのある竜が生まれてきたのに、若い翼を折るんじゃない。滅びるならお前らだけで勝手に滅びろ」

 厳しい口調で言い放った朽ち葉の声を聞いた祖父は、険しく顔を歪めた。

「海に落とされたのは、従兄上が一族を裏切ったからだろう。海竜に懸想して番になるなどと言うから、父上も叔父上も許さなかった」
「私が間違っていたのなら、今頃グラディウスには飛竜がたくさんいるはずなんだがな。どちらが間違っていたのか、結果を見れば明らかだろう。まぁ、父も叔父も雌が生まれない失意の中死んでいったと思うと多少はうさが晴れるが。私はお前たちがあいつと私にしたことを許すつもりはない」

 後ろ姿しか見えないが、船長の背中からは鋭く冷酷な気配が漂っていた。声は変わらず穏やかだが、喉元に剣先を突き立てられているような威圧を感じる。

 未だにヴァルハルトに抱き上げられながら、二人の話を驚嘆と共に聞いていた。祖父の後ろにいる叔父も固まっているから、同じように驚いているのだろう。
 こんな状況になってしまったから下ろしてもらおうかと身動ぎして、ヴァルハルトを見上げて「もう大丈夫だから下ろせ」と小声で言った。
 ヴァルハルトは渋々といった様子でリアンの足を下ろし、少しふらついた腰を引き寄せてきて、腕で支えてくれる。
 祖父がちらりとこちらを見た。リアンを見るその眼には、すでに憎しみに近い感情が浮かんでおり、その表情を見たリアンは思わず怯んだ。すかさずヴァルハルトが祖父の視線からリアンを隠すように前に出る。
 昏い顔をした祖父は腰からサーベルを抜いて朽ち葉に視線を戻した。

「もともと、グラディウスを軽んじる従兄上は家長になるには相応しくなかった。だから排斥されたのだろう。今更戻ってきてなんのつもりか知らないが、リアンは私の孫でグラディウスの飛竜だ。海竜には渡さない」

 憎々しげに言う祖父の前に朽ち葉船長が進み出ながら、呆れたような声を出した。

「まだわからないのか。血への妄執で竜の本性を捻じ曲げるなと言っている。己の本心に従えば飛竜が絶えることはない」

 そう言いながらも、船長は羽織っていた外套の中から剣を抜いた。

「しかし、お前はもうグラディウスの癌だな。ここで取り除かなければ、本当に飛竜は滅びる」

 呟くように漏らした朽ち葉は、しみじみと自嘲するように頭を振った。

「やはりあのとき正しておかなければならなかった。飛竜がここまで堕ちたのは、私にも責任の一端があるか」

 ヒュッと風を切って船長の構えた剣身に明るい陽光が反射して煌めいた瞬間、祖父と朽ち葉が同時に床を蹴って飛び、切り結んだ。

 高齢とはいえ、竜であり現役の軍人である祖父は強い。しかし祖父が翼で風を起こしながら斬りかかった一撃を受け止め、朽ち葉は難なく背後に飛び上がって反撃した。
 隻腕であることを感じさせない彼の剣戟は速すぎて見えない。祖父に負けないどころか、その剣裁きは少し余裕を感じさせるほどだった。祖父が口元をきつく引き結んで受け流しているが、完全に押されている。
 強い。
 その飛竜の鬼神のような動きを見ながら、あの速さでは自分でも勝てないかもしれないとリアンは瞠目した。
 デッキの上を飛行しながら斬り合う二人を眺めたヴァルハルトが感心したような声を上げる。

「すげぇな、船長。確かにただ者じゃねぇと思ってたが、片腕だけであんだけ振り回せんのか」
「……驚いた。あんなに強い人がグラディウスにいたなんて」

 そう相槌を打ったが、胸の奥には苦いものが込み上げた。
 二人の話を聞いたかぎり、一族はその竜を自分たちの手で海に落としたのだから、やはり絶滅する運命だったのだろう。


 勝負がつくのにさほど時間はかからなかった。
 朽ち葉が祖父の手からサーベルを弾き落とし、翼でその身体をデッキに叩き落とした。
 すでにボロボロになっているデッキに叩きつけられて倒れた祖父の首に、船長が剣を突きつける。

「腕を失くしたとしても、私がお前に負けるはずがないだろう。作戦はこれで頓挫したな。諦めろ。せめてもの情けで殺さずに王宮に突き出してやる」

 冷酷な声で告げた朽ち葉を、祖父は唸り声を上げて鋭く睨んだ。
 祖父を冷たく見下ろした隻腕の竜は、剣を突きつけたまま軽くため息を吐く。

「お前が雌を産めなかったアメリアのために飛竜の血を守ろうとしているのはわかるが、それで竜本来の意志を捻じ曲げようとしているのだから、お前は本当に馬鹿だ。飛竜の中で一番番への執着心を拗らせているのは間違いなくお前だよ」

 その言葉を聞いて、祖父は微かに気圧されたように息を飲み、朽ち葉から目を逸らした。

 リアンは頭の中に昔写真で一度見たきりの祖母の顔を思い浮かべた。アメリアというのは、飛竜の最後の雌であった、祖父の番の名前だ。リアンが物心つく頃には、すでに他界していた。

「アメリアはお前を愛していただろう。番の気持ちも考えてやれ。彼女は息子であるリカルドにも、その子孫にも、愛する番を見つけて幸せになってほしいという気持ちしか抱いていない。お前が番の名誉のために飛竜の血をなんとか残そうとあがいているのは、飛竜にしてみれば全くいい迷惑だ」

 吐き捨てるように言った朽ち葉のセリフを、リアンは思いがけない気持ちで聞き、少しだけ祖父の頑なな感情を推し測った。祖父が番に対してどのように接していたのかは記憶にないし知らないが、雌を産めずに亡くなったというのであれば、当時まだ生きていた飛竜たちからは非難の目で見られたということは想像に固くない。

 しかしながら、朽ち葉が言うように今の祖父の蛮行は完全に行き過ぎだ。
 とにかくこれで祖父を止められたのであれば、あとは燕を元の領空に戻すだけである。叔父を見ると、祖父が無力化された以上は何もするつもりがないのか、ずっと立ちすくんだままだ。

「リアン、ここはいいから司令部に行って状況を確認してきなさい」

 朽ち葉に言われて、ほっと頷いて扉に向かおうとしたとき、逆に向こうから扉が開いて血相を変えた佐官がデッキに飛び出してきた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

処理中です...