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飛竜と海竜は啀み合う

第十二話 飛竜の戸惑い

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 陸軍との会議を終えて、帰ろうとしたらアドルが部屋の前でリアンを呼び止めた。

「海軍との打ち合わせでは、なんだか大変な目にあったらしいね」

 あの日の海蛇での会議を終えたリアンは、日を改めて今度は陸軍との合同演習の打ち合わせに王宮を訪れていた。会議はつつがなく終わり、帰ろうとしたところでアドルが歩み寄ってくる。

「密輸船に遭遇しちゃったんだって? 船から回収された物の確認とリストがこっちにも送られてきたよ」
「そうか。陸軍にも密輸船の情報は渡るのだな。空軍にはあまり伝達されたことがない気がするが」
「そうだね。うちは密輸されたものの取り締まりで海軍と仕事が被ったりするから。結構頻繁にあるんだよ。あまりに規模の大きいもの以外は空軍には逐一情報伝達しないかもね。空からの密輸ってあまりないだろうし」
「確かにな」

 頷きながら、頻繁にある、と聞いて少し驚いた。あの日も海軍の将官達は密輸船の出現に動じていなかったから、慣れているのだろうと思っていたが、やはり海からの侵入者というのはリアンが思っていたより多いようだ。

「今回は結構怪しい麻薬とか入ってたから、ヴァルハルトがわざわざ王宮に報告に来たよ。まあ、彼は密輸船の処理は慣れてるから手慣れたもんだったけど。リアンもそうだけど、若いと色々大変だよね。使い走りさせられて」
「あいつがそんな面倒なこと本当に真面目にやってるのか」
「かったるそうだったけど、ちゃんとやってるよ。ヴァルハルトは領海の守備を担当してるから、周辺国の情勢とか海賊の情報取りに王宮にも王都にも定期的に来てるからね。あれでいて、他の海竜と同じでヴァルハルトも海が好きなんだよ」

 そう言われて、今度は本当に驚いた。
 普段の態度からは想像もできないが、ヴァルハルトは仕事はしっかりこなしているらしい。
 あのキレやすい好戦的な男が。
 大人しく文官達と話している姿など想像もできないし、そんな様を目撃しようものなら、善良な役人に難癖付けているごろつきにしか見えないのではないだろうか。意外すぎて、しばらくの間黙ってしまった。
 リアンが微妙な顔をしていることに気づいたのか、アドルは少し首を傾げて笑った。

「こんなに海軍の話してもリアンが怒らないの珍しいね。もしかして、一緒に密輸船と海獣をやっつけてちょっとはヴァルハルトと仲良くなった?」
「なってない。なる気もない」

 即答すると、アドルはまた笑った。

「未来の飛竜と海竜の頭目同士が仲良くなってくれると、地竜の俺としては安心なんだけどね。まあいいや。それよりリアン、密輸船の中で積まれていた物は見た?」
「ああ。ざっと見ただけだから、何があったか詳細は覚えていないが」

 頷くと、アドルは何か考える様な顔になってリアンを見つめた。

「密輸団の連中、なかなか口を割らないらしいけど、恐らくグートランドから来た密輸船で間違いない。密輸品の中で、赤い三本の線が入ったものを見なかった? それがグートランドの魔道具に付いてる目印なんだ」
「三本の線……そういえば、確かに」

 リアンが密輸船の中で見た魔道具を思い出しながら呟くと、アドルは顎に手を当てて上を見上げた。

「それがはっきりしている以上、グートランドのものと見て間違いないはずなんだけどね。あの国は海中資源の関係でうちの海域がほしいみたいで、最近動向が怪しいんだ」
「そうか。グートランドの空軍はあまり強くないから、そこまで印象になかったな。こちらでも気をつけておく」
「海軍はあれもこれも大変だよね。じゃあリアン、また定例会議でね」
「ああ。また」

 アドルが手を振って会議室の中に戻っていった。リアンは翌週に開かれる定例会議を思い出して、なんとなく覚束ないような気持ちになった。
 大嫌いだった男に会うのが煩わしいと思っていた頃よりも、ヴァルハルトに対する嫌悪が少なからず和らいだ今の方が、何故か以前よりもあの男に会うのは気が進まない。
 そんなふうに感じる自分は、やはりどこかおかしいのかもしれない。



「リアン、私は用事ができたから、見合いの席には同席しない。一人で対応できるか」

 定例会議を終えて席から立ち上がろうとしたとき、横に座っていた叔父がそう言った。
 叔父の顔を見て、リアンは頷く。

「わかりました。問題ありません」

 今日は定例会議を終えたあと、叔父と一緒にリアンの見合いのために王都へ行く予定だった。何か対応しなければならない案件が生じたのか、渋い顔をした叔父はリアンが頷いたのを確認してすぐに席を立った。

「場所は昨日教えたからわかるな。士官を付き添いに連れていくといい。王宮の前に車を用意させておく」
「はい」

 今日会う人間の女性は、リアンの釣り書を見た向こうから声をかけてきた。そういう場合は上手くいく可能性が限りなく低いので、叔父もリアンを一人で行かせて問題ないと判断したのだろう。

「しっかりやりなさい」

 そう言い残して、叔父が先に会議室から出て行った。リアンも机上の資料を手早くまとめて皮のブリーフケースに入れ、足早に部屋から出たところで、後ろから急に手首を掴まれた。

「……何だ」

 柳眉を顰めたヴァルハルトが後ろに立っていた。
この男は今日も珍しいことに中庭で騒ぎを起こさなかった。前回のようにリアンをじっと見つめてくることはなく、会議中も何か考えているような顔でむっつり押し黙り、ひたすら静かだった。
 ちょっと不気味に思えるくらいの静けさだったため、同席していた王宮の文官達は皆怖々とヴァルハルトのことを眺めていた。一体何の前触れなのか。海軍の中で何か不測の事態でも生じているのかとリアンも訝しんでいた。
 やけに大人しいと思っていたが、会議が終わってからリアンを追いかけてくるなんて、本当に様子がおかしい。

「おい。手を離せ」

 黙ってリアンを見据えてくるヴァルハルトに眉を寄せる。会議室の外にはまだ人が出てきていないから注目は引いていないが、このままでは空軍と海軍の将官達の目に止まる。
 そう思って手を振りほどこうとしたら、逆に引っ張られて廊下の先に引きずられた。

「は⁈ おい!」

 有無を言わさぬ力で引っ張られて、転びそうになった足をつい動かしてヴァルハルトの背中を追ってしまった。
 黙ってリアンの手首を掴んだまま、ヴァルハルトは廊下を突き進んでいく。人気のない通路を奥に進み、前回の定例会議のときも二人で話した侍従の控え室にリアンを引っ張り込んだ。
 部屋の中に入って荒々しく扉を閉めたヴァルハルトに、すぐ脇の壁に追い立てられて囲い込まれた。リアンの両側に腕を伸ばして、逃げられないように壁に手をつく相手を訝しげに睨んだ。

「おい、何のつも」

 言いかけた途中で口を塞がれた。奴の唇で。

 ーーは?

 思考が停止して固まる。
 目を見開いて、ぼやけるくらい近くにあるヴァルハルトの青い瞳を見つめた。リアンを見返す目つきは険しい。不機嫌そうな眼で見てくるくせに、キスをする唇はやけに柔らかくリアンの唇を食んできた。

 キスをされている。
 なぜ。
 
 混乱して押しのけようと上げた手を掴まれて、壁に押さえ込まれる。思わぬ抵抗に呆然としたら、緩んだ口の隙間から熱い舌が潜り込んできた。
 ぬめった舌の感覚にびくっとすると、目を細めてリアンを見つめるヴァルハルトはキスを深め、舌で口蓋をねっとりとなぶってくる。
 身に覚えのあるぞくっとした痺れを背筋に感じて今度こそ我に返った。強く首を振って唇から逃れ、掴まれた手を振り払って押し退けると、すぐにリアンを離した男は数歩下がり、また険しい目をしてこちらを見つめてくる。

「お前、何のつもりだ」

 怒りをこめた低い声を出すと、ヴァルハルトは何も答えずにリアンをじっと眺めていた。鋭い眼光で睨むようにリアンを射抜いてくる。
 無体をされたのはこちらなのに、まるで責めるように見てくる男の青い瞳に困惑しながらたじろいだ。

「あんた、見合いに行くのか」

 ようやく口を開いた男が言った台詞がそれで、リアンはまた眉間に皺を寄せた。

「は? そうだが。それがどうした」

 リアンの問いには答えず、逆に問い返してきた海竜の態度に腹立たしさが増した。それが無理やりキスをしてきたことと何の関係があるのか。
 何故そんなことをわざわざ聞いてくる。

 冷ややかな顔でヴァルハルトを見返すと、また何か考え込むような顔で黙った相手は、微かに苛立ったような表情をしてから小さく息を吐いた。

「どうせ失敗するのに、時間の無駄だと思わねぇのか」

 その不躾な言いように本格的に苛立ちを覚えたリアンは、腕を組んでヴァルハルトを見据えた。

「思わない。番になる女性を見つけて飛竜の血を守らなければならない。そのための時間だ」

 きっぱりとそう言うと、ヴァルハルトは一瞬険悪な顔をして、それからリアンに一歩近づいた。

「番ね……。あんた達飛竜は、血を守るってそればっかりだな。そんなにガキがほしいなら、人間に拘るのやめれば? 飛竜の血を残したいなら、なおのこと相手が人間じゃ生産性がねぇだろ」

 吐き捨てるように言うわりに、ヴァルハルトの目は真剣だった。
 その透明感のある青い眼を見ていると、何か形容しがたい危うい雰囲気に呑まれそうになって、リアンは目をそらした。
 一体どうしたんだ。この男は。さっきから態度がまるでおかしい。

「……仕方がない。飛竜には雌がいないのだから」
「そういうこと言ってんじゃねぇんだけど」

 冷たい声で言われたが、それ以外に何も言うつもりはなかった。
 内心で困惑したまま、リアンは冷静になろうと頭を軽く振った。奴の態度は不可解だが、それに掻き回されてはいけない。いつも通りの自分に戻れ。考えるな。
 ヴァルハルトが指摘していることはわかっているが、あえて論点をずらした。番になる人間を見つけることは、リアンにとって必要なことだ。何故この男がそれに突っかかってくるのかわからない。わかりたくはないから、繰り返しそう言うしかない。
 リアンにとって、これは必要なことだ。

「見つからなくても、見つけるしかない。飛竜の血を途絶えさせるわけにはいかない」

 目の前にいる海竜の大柄な体躯を包む軍服のボタンを見ながらそう言うと、しばらく沈黙が流れたあと、ヴァルハルトが短く息をついた。

「まあ、あんたがその意思を変えないっていうなら、好きにすればいいんじゃね」

 突き放すようなセリフを吐いて、ヴァルハルトはあっさりリアンに背を向けた。

「じゃ、せいぜいがんばれよ」

 そう言って部屋の扉を開けて去って行くヴァルハルトの背中を、リアンは憤るでもなく、黙って眺めた。
 勝手に人を連れ込んでおいて、無理やり口付けて、出て行くときもずいぶん勝手じゃないかと思ったが、それを奴の背中に吐き捨てる気力がなぜか湧かなかった。
 どうして海竜の男にキスされた上に、見合いを咎められるようなことを言われなければならないのか。
 ふざけるなよ。関係ないだろうと怒ればいいのに、どうしてか、急に突き放すようなことを言われて途方に暮れたように感じてしまうのは、何故なのか。

 その感情を追いかけてしまいそうになって、リアンは途中で考えることをやめた。

 やめた方がいい。その先を考えることは。

 それは、必要がない。

 自分には、必要がないことだと思う。

 それなのに、奴の唇の感触だけがいつまでも唇の上に残った。
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