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9話 なに?敵のスパイじゃと?
しおりを挟むパン屋のデイジーが、廃棄となったゴミパンを路地裏に運ぶ途中のことだった。
「あら? あれはネズミかしら……?」
視線の先では、元気のないネズミが数匹ふらふらと彷徨っていた。デイジーがその後を追うと、ゴミ箱に残った食べ物のカスを求め、一匹のネズミが中へと潜っていくのが見えた。
とっさに走り出すデイジー。
便器の上から落ちる寸前――見事にキャッチ。
「こら! 中に落ちたら死んでたわよ!」
スライムはゴミ箱に落ちた物はなんでも溶かして食べてしまう。過去に子供が手を入れた時は何もなかったが、動物となると分からない。
手の中でキィキィと鳴くネズミ。
よく見ると不気味な三つ目のネズミであった。
『殺すなら殺せ!』
ヒトに魔物言語は通じない。
キィキィという鳴き声だけが響いている。
「あら、あなた魔物なの?」
彼女は先日カナメ様(狼の姿)に助けられた事もあり、町をきれいにするスライムとか、店を切り盛りするゴーレムとかを見ているので魔物くらいでは動じなかった。
「お腹空いてるの?」
ネズミの動きが止まる。
それを肯定だと受け取ったデイジーは、悪いこととは思いながらも廃棄前のパンをネズミ達に分け与えた。
ネズミ達は必死にそれに群がると、町のいたる所からネズミがやってきて、たちまち路地裏はネズミだらけに。それでも動じないデイジーは「困ったわねー」などと小首を傾げている。
(この町のゴミ類は全部スライムが食べてるからネズミ達のご飯がないんだわ)
事実、潜入したネズミ達は町の綺麗さに驚き、人目につくところに行けない縛りも相まって、まともな食事にありつけず彷徨っていた。
デイジーは家を作ってあげる事も考えたが、この数では一軒家くらいの広さがいる。食事のことも考えると現実的ではない。
「こんなことまで頼んでもいいのかしら……」
申し訳なさそうに、手の甲の印を撫でながら祈りを捧げるデイジー。その様子を見ていたエブリは面倒そうにパンを齧った。
「あれは獣の魔王の手先じゃな」
同じ魔王であるエブリには一目で分かった。三つ目のネズミに人を殺す力はなく、索敵能力に特化しており、見たものを映像として残す習性がある。
「数から察するにダメ元の突撃兵じゃな」
「一匹でも戻れば御の字という算段でしょう」
「全く、魔物使いが荒いのう」
使い捨ての駒である三つ目のネズミに同情しつつも、敵の尖兵なら殺す以外方法はない――普通の魔王であれば。
「見たところ腹ペコということじゃな……」
怪しい笑みを浮かべるエブリ。
クリエイト・ゴーレムで檻を作り上げる。
『この中に入れるのじゃ』
デイジーにお告げが来た。
突然落ちてきた四角い箱にデイジーはネズミ達を誘導、ネズミ達は甘い匂いに誘われ、嬉々としてその中に入っていく。
ジジジ……。
「ジジジ?」
妙な音に耳を傾けるデイジー。
突如――箱の一方が変形し筒状に形が変わる。そして数秒の沈黙ののち、爆発と共に射出されたネズミ達が列をなして空を駆けて行く。
ポンポポポポポンポン!!!
飛ばされたネズミ達はエブリの城の牢屋の上蓋の位置に見事に収まってゆき、牢屋の中はネズミでパンパンになっていた。
『お前魔王だな! 騙しやがって!』
『ここから出せ!!』
『俺たちは何も喋らねえからな!』
「まあそう騒ぐな。気高い魔物であるお前達は誰の使いか話すつもりもないじゃろう。妾も残酷なことはしたくないが、領地に潜入されてタダで帰すわけにもいくまい……」
エブリはクリエイト・ゴーレムで作った手乗りサイズの小さな椅子を持って来ると、牢屋の中から一匹掴み上げ椅子に座らせ縛りつける。
『拷問されても屈しはしないぞ!』
「察しがいいではないか。ただし忘れるなよ? お前の他にも数千の仲間が囚われてることを。お前がダメでも次はあるんじゃ」
妖艶な笑みを浮かべるエブリ。
ネズミはガタガタと震え出す。
エブリはピンセットで何かを摘んだ。
「ほれ、チーズじゃ」
それは極上のチーズであった。以前、農家の町民を救った際に祭壇に祀られていたもので、その濃厚な香りは、数日飲まず食わずだったネズミ達の脳を破壊する。
『ぐぐぐぐぐ!!!』
「ほれ、食べていいんじゃよ? ただし、食べたら妾の下僕となってもらうがの」
『卑怯者めえ!!!』
最初のネズミは充血した目で泡を吹いて耐えている。その姿を見た仲間達は悲痛な叫び声をあげていた。エブリは「獣のくせに頑張るのう」と鼻の前で行ったり来たりさせていく。
『あえあああえええあああえええ!!』
『頑張れ兄弟!!』
『絶対屈するな!』
『俺たちのことは気にするな!』
ほどなくして諦めたのか、エブリは最初のネズミをむんずと掴むと、別の檻にポイと入れた。そして次のネズミを椅子に座らせる。
『ふん! 俺たちはそんな餌で――』
『うめええええええ!!!!!!!』
次のネズミはエブリが何かを言う前にチーズを食べた。
『んじゃこれバカうま!!!』
『てめぇプライドはねーのか!』
『うるせぇ! お前はパン食ったからそんな事が言えるんだよ!』
二匹のネズミの醜い争いが続く。
他のネズミ達もチーズの魔力に負けたようで、投げ込まれたチーズへ一斉に群がった。
「残されてしまったのう……」
寂しそうに黙る最初のネズミに悪戯な笑みを向けるエブリ。
『戻ったら将軍様に映像を見られる。こんな映像を見られたら俺たちはお終いだ。自分の手を汚さずに裏切らせて処分させる。あくどいやり方だな』
エブリは「ふん」と、ネズミの檻を破壊すると、興味を失ったように踵を返した。
(逃げてもいいってことか……?)
ここからなら森を伝って逃げられる。
ネズミは呆気に取られたように彼女を見つめた。
「どの道お前達は調査が終われば殺される予定だったらしいからの。今ここで逃げて獣の魔王から身を隠すもよし、妾の領地で暮らすのも良しじゃ」
エドワールが何かを持ち上げると、そこには黒装束をした魔族の死体があった。ネズミ達の処遇は魔族から聞いたのだろう。ネズミは全身に怖気を覚えた。
(俺たちよりはるかに速い精鋭魔族を……!)
「妾の領土から出ない限り、主らの食住を約束しよう。安全もじゃ。スパイもしなくていいぞ(どうせ殺されるし)」
領地の情報を盗んで殺されても仕方ない立場の自分達をここまで手厚くもてなしてくれる――獣の魔王様は、一度でもここまでのことをしてくれただろうか?
ネズミ達は決意を固めた。
『お世話になります!!』
『よろしくお願いします!!』
『毎日チーズおなしゃす!!』
かくして、エブリの拷問によって獣の魔王の尖兵は堕ちた。エブリの信仰の能力は〝人〟に限らず生物全体に及ぶため、か弱いネズミでも一匹一匹がそれぞれ信仰になる。
(ちょろいのう……)
エブリはチーズひとつで数千もの信仰を得ることに成功したのであった。
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