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一章
023
しおりを挟む彼等が坑道に入ってから1時間が経とうとしていた。
宿屋の食堂には、ちらほらとプレイヤーの姿が確認できるようになる。積極的に話題には出さないが、皆が朝の英雄達の行進を見送ってから降りてきたのだと容易に想像がついた。
戦闘経験のない引き篭り達は「紋章が負けたらどうなるの?」とか「今日は食堂が狭いな」などと好き勝手な会話をしている。
そんな中、一人の少女が食い入るようにマップを眺めていた。
(坑道内の赤い点がかなり減ってきてる――押してるんだ、ワタルさん達!)
見守る事しかできないミサキ。
侵攻があるとされる広い空間の中に、赤い点はもう数えるほどしか残っておらず〝プレイヤーを表す青の点〟は、突入時とほとんど変わってないように見えた。
しかし、一際大きな赤い点は現在。
つまりキング・ゴブリンはまだ生きている。
ミサキは祈るような形でそれを見守りながら、フラメに頼まれた〝新しい侵攻発生の警戒〟も行うため、索敵範囲を広げた――その時だった。
(青の点が二つ? 別働隊の人達かな?)
開けた空間からやや離れた場所に、動かない二つの青色の点がある。しかし聞いていた作戦の中に、キングを足止めする部隊と雑魚mobを減らす遊撃部隊があったのを思い出し、一旦は自己完結するミサキだったが――
「いや、違う……!」
ガタン! と、席を立つミサキ。
隣でパンを齧る男がジロリと睨んだ。
その二つの青色がいる場所に、mobなんてほとんど沸いていない。他の皆がキング・ゴブリンとの死闘を繰り広げてる最中、こんな場所で待機する意味はあるのだろうか?
一度気になってしまえばもう止まらない。
ミサキの頭の中が、嫌な方向へ嫌な方向へと勝手に変換されてゆく――それは参加できない罪の意識からだったのかもしれない。
(侵攻討伐に無関係のプレイヤー? だとしたら知らずに集落へ踏み入る可能性があるし、ワタルさん達はその二人を守りながら強敵を相手にすることになる)
あるいは、知らずに鉢合わせて現場から逃げて動けなくなった後か。どちらにしても、この二人が坑道内で〝浮いてる〟ことに変わりない。
その三人のレベルまでは分からないミサキは、坑道の適正レベルが5~8という前情報に加え、作戦に参加したプレイヤーは最低でもレベル15を超えた手練れであることを思い出し、さらに不安が募ってゆくのを感じた。
昨日アルバからイリアナ坑道内のマップを貰っているミサキは、二人に合流でき、なおかつ集落に接しない道を必死に探す――
(いける。ここなら入り口からそんなに時間も掛からない。問題はどうやって行くか……だよね)
ミサキのレベルは3だ。
もう少しで4にはなるが、その経験値は全てクエストで得られた物だから、当然戦闘で役立つノウハウは持っていない。
役立つとするなら、生命感知による索敵で無用なエンカウントをやりすごせることか。とはいえミサキも無謀なわけではない。自分以外に、最低でも適正レベルを満たしている用心棒が必要だと考えていた。
でも――と、ミサキは唇をギュッと結ぶ。
(また、私は他人に頼るのか。安全な場所にいる他人を、今もっとも危険な場所に引っ張りだすだなんて……)
皆、怖くてここにいるのだ。
そこにレベルや戦闘経験は関係ない。
それはミサキとて同じことで、ここに居る人達の気持ちも痛いほど分かっていた。分かってはいたが――
二つの命が失われる可能性。
ワタル達が不利になる可能性。
他人にどう思われても構わない。
ミサキは自分が正しいと信じた道を優先した。
「皆さん、聞いてください!」
****
坑道の戦いは、激しさを増していた。
定期的に湧くゴブリンを、有志のプレイヤーとNPCの混合部隊が専門で倒す遊撃隊として潰してまわる中、残りの50名程は全員でキング・ゴブリンと一進一退の攻防を繰り広げている。
「〝咆哮〟くるぞ!」
アルバの指示に、盾役と回復役が素早く反応した。
ナタを地面に叩きつけたキングは、丸太のような足を踏みしめ、しわがれた声で威嚇する――それは多くのboss mobが持つ〝咆哮〟というスキルで、まともに喰らえば一定時間の〝硬直〟が襲い掛かる。
硬直時間が五秒もあれば、レベル35以下の盾役以外のプレイヤーは一撃のもと殺されてしまうだろう。
しかし、キングを押さえているのは紋章のトップ二人。キングからの敵視管理やここぞという時の防御スキル・魔法などはもちろん、的確な指示で攻撃部隊を生かし続けている。
皆の前に立った数名の盾役達が〝咆哮〟を防ぎ、一瞬の硬直に襲われる。既に準備を終えていた回復役達によって回復魔法から状態異常回復、防御強化魔法などが乱れ飛ぶ。
お返しとばかりに攻撃役達はスキルや魔法を乱発し、頃合いを見てアルバは《挑発》で敵視を安定、キングの攻撃に備える――これの繰り返しだ。
およそ1時間半にも及ぶ攻防。
キングのLPは73%まで減っていた。
(幸いにも死者はNPCに数名しか出ていないが、それでもこちらの消耗が激しい。殲滅部隊が長引いたのもここで響いてるか――)
ナタによる猛攻を耐え忍びながら、アルバは心の中で舌打ちをする。
キングによって強化されたゴブリン達は、手強さも去ることながら量が多く、フラメ達殲滅部隊はかなりの時間を取られていた。
その際にNPCの数名が犠牲となっている。
NPCの行動ルーチンは驚くほど単純であるため、β時代から彼等を戦力としてアテにすべきではないと結論が出ているが――火力が不足する今、まさに猫の手も借りたいくらいに切迫した状況が続いている。
(まともなダメージソースがワタルとキッド、それと攻略勢の一人――もしこの中の誰かが欠ける事になれば、夜までに倒しきれない可能性がある)
一瞬でも気が抜けないこの状況が後10時間近く続くとあれば、確実にミスが増える。
ミスが増えれば死者が出る。
それだけはどうしても避けたかった。
と、その時だ――
アルバの胸から、剣が生えた。
「ぐ……ふッ?!」
戦場が一瞬、止まる。
アルバが驚愕の表情を浮かべ膝をつく。
ひしゃげた鎧から飛び出す鮮血。
フラメの悲鳴が響く。
「アルバさん!!!!!!!」
キングは既に攻撃モーションに入っており、倒れゆくアルバにその巨大なナタが振り下ろされる。
アルバの足元に現れた魔法陣からドーム状の光の結界が展開される。脊髄反射的に発動されたワタルの第三階位魔法がいくばくかの時間、ナタと拮抗する――しかしそれはすぐに砕け散り、ナタはアルバの体に吸い込まれる。
ドン!!
爆発音と共に辺りに飛び散る石の破片。
吹き飛ばされたアルバだが、彼は生きていた。
彼の黒馬が光の粒子に包まれる。
すんでの所で、アルバは黒馬に自分を轢かせたのだ。
「『こっちだ!』」
ワタルは即座に敵視を奪い、アルバからキングを離す形で陣取った。
地面に伏したアルバに幾重にも回復魔法と強化魔法が付与されると、彼は意識を取り戻し、ふらつきながらも大剣を杖に立ち上がる。
アルバの黒馬はスキルであるため、ある程度の時間で蘇るものの、アルバは一連の衝撃によって軽い脳震盪を起こしていた。
相手はレベル40の格上ボス。
一度でも防御が失敗すればLP全損もあり得る中で、ワタルとアルバは研ぎ澄まされた精神力でなんとか繋いでいた。
状況判断能力が何より重要な盾役にとって致命的な負傷――続投は無理であると、誰の目から見ても一目瞭然だった。
ワタルは必死に頭を動かし、道の奥へと消える不気味な男の姿を捉えた。
それはかつてキッドを襲い、その友人の命を奪った灰色のボロ切れを着た男――PKだった。
(この状況下で現れるか、PK黒犬ッ!)
ワタルは怨みのこもった視線を向けた。
一人のプレイヤーの怒号が響く。
因縁の相手を見つけ激昂したキッドだ。
「黒犬てめええええ!!!」
「よ……せ、行くなキッド……!」
アルバの制止も虚しく、黒犬を追うように小道の奥へと消えるキッド。
一度乱れた戦場を建て直すのは難しい。
ワタルとアルバによる盾役切り替えは、二人の安定度や判断力が群を抜いているのもあるが、一番は〝魔法やスキルの再使用時間《リキャストタイム》〟を効率よく回すことに大きな意味を持っていた。
双方とも、優秀な盾役である前に、高火力の攻撃役でもある。だから片方が盾役をしている間、片方は再使用可能な魔法とスキルを全て吐き出し、多くのダメージを稼いでいたのだ。
その二人の連携が崩された。
そして、かなりのダメージソースだったキッドも離脱。
戦況は一気に不利な方へと傾いていた。
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